第2話 怪我した妹を助けて!

 せせらぎの音に混じり、風の吹き抜ける音が聞こえる。その中にはカエルの鳴き声も混じり、時折口笛も乗ってくる。


 海へと注ぐ流れは決して多くも速くもなく、岩から岩へと飛び移れば対岸にだって辿り着く。


 魚を追い込み捕まえては捌く。


 赤く染まる手は川で洗い流して、汚れた服も同様に洗ってしまう。


「腕がある。脚もある。食事も取れる──声も出る」


 魚を開いていた子どもは、次に捕まえたカエルを開くことにした。手触りの違いに、こちらの方がいいのかもと思い、カエルの鳴き声を探して歩く。


 子どもを見つめるうさぎを見つけてはそちらを追いかけて、バッタを見つければそちらを追いかけて。


 子どものように、子どもらしく、彼はそうして数日を過ごす。


 聖女を知りたい。お礼がしたい。けれど、どうやって……。子どもはそれが叶う時を待ち、どうすればよいのかと考える。


 鳥の鳴き声がする。石を拾い投げて、子どもはまた歩き出す。




 聖女と子どもの出会いから数日、街ではいま困った事態が起きていた。


「聖女が消えた」

「監視は何をしていた?」

「それが──誰一人、居なくなっておりまして」


 聖女の監視には街の有力者たちが雇い入れた外部の人間を使っている。大事な大事な打ち出の小槌を守る為に決して安くはない賃金を支払って、だ。


 街の人たちとは違い、それらを生業とする玄人たちが契約を無視して消えるというのは一体どういうことであろうか。


「裏切りか、それとも」

「今はそんな連中のことなどどうでもよい。聖女さまだ。何故ここにいない」

「だから、そいつらが連れ去ったのであろうと言っている」

「充分すぎる金を渡してあるのに、それを手放してか⁉︎」

「──監視対象を連れ去る方が金になると踏んだのでしょう」

「黙って従っておればそれだけで金が転がり込むのに、リスクを取ったか」

「そのリスクに見合うだけのリターンはあるでしょうからな」


 教会の人間は上から下まで金に塗れている。癒しの神などというでっちあげの像に祈りを捧げるのは、教会を訪れる迷える羊だけであり、彼らはあくまでビジネス感覚しかない。


 いかにも聖職者であるというような演技と、訪れるものには等しく治癒を施すという懐の深さ。ただ、等しく行われる治癒の内容については、寄進の大小で変動するという事実があるが、訪れる者が納得しているために問題にもならない。


 そんなビジネスだからこそ、治癒士は度々狙われることにもなるのだが、大事な打ち出の小槌を守る為に、街も守っている。多くの目が昼夜問わずその動向を。


「情報、集まりました」

「うむ、ご苦労……どうやら郊外にある屋敷に連れ去られたようですね」

「あの古びた屋敷か。噂では最近見知らぬ男が越してきたとか。これだからよそ者を近づけたくはなかったのだ」

「急ぎ訪問しましょう。表向きは挨拶として、見えないところに護衛を配置して」

「よし、手配しろ」




「聖女さま、か。何でも治す聖女さまは無邪気なお子さま」


 薄暗い寝室には、枯れた声を発する大男が連れ去った聖女を抱きかかえた姿でベッド脇に立っている。


「聖女さま、起きてもらえるか?」

「う、うーん……」


 眠たそうに目を擦りながらも聖女が起きたことを確認した大男は自分の前に、ベッドの側に聖女をそっと立たせる。


「あれー、おひるねしてたのに?」

「すまねえな。聖女さまにはここで俺の妹を治してもらいたくてよ」


 言って大男はベッドの掛け布団を静かにめくり、聖女に診てもらおうと指し示す。


 促されて聖女が見ればベッドには病に蝕まれた人が横たわっている。眼窩は落ち窪み、鼻は削ぎ落とされ、乾いた唇には生気を感じない。


 髪はまだらにしか残っておらず、皮膚も木の皮のよう。チキンの骨みたいになった指に、ごぼうのような脚。


 そして、光を映していない瞳。そのどれもが、ひとつの事実を物語っているが、聖女は治して欲しいと言われれば快く引き受ける。


「いたいのいたいの、とんでけーっ」


 聖女の幼い詠唱が引き起こす“奇跡”に大男は目を疑う。


 肌は艶とハリを取り戻し、髪は綺麗に生え揃い、無くなったはずの鼻はみるみるうちに出来上がる。


“奇跡”は一分とかかることなく、そこには寸分違わず──大男の妹が、かつての姿で横たわっていた。


「おお、おおお……妹よ、愛しの、妹よ。さあ、目を覚ましてまた俺を兄と呼んでくれ」


 感涙にむせぶ大男が声をかければ、妹は目を開けて口を開く。


「あなたは、だれ?」

「──長く、眠っていたからな。記憶の混濁が見られるな。聖女さまよ、妹の記憶も治してくれ」


 普通なら取り乱し記憶を呼び覚まそうと躍起になるかもしれないが、この大男は実に冷静である。


 そばには“奇跡”の体現者がいるのだから頼らない手はない。


「これいじょうは、むり」

「なっ……聖女さまよ、そんなこたあねえだろ? ん?」

「もうなおった。これいじょうは、むりーっ」


 無邪気な子どもの聖女は、すでにやる事を終えたと部屋を出る。


「あの、あなたは……」

「お前は俺の妹だ。少し、待っていろ」



 大男も部屋を出て、見渡す。足音を隠す事なく走り回る聖女を追いかけるなど造作もない。


「この屋敷はどこも主たる俺の許可なしに外へ出ることは叶わない。さあ、妹を、記憶を──」


 大男はそのためならば何でもする。その覚悟が、壁に飾ってあった手斧を握らせた。


 パタパタと走る音はまるで鬼ごっこのように大男から離れていくが、次第にその距離も縮まっていく。


 個人の建物であれば、廊下にも突き当たりがあり、どこにだって階段があるわけでもない。


 大きな屋敷だが、いずれ捕まえられる。


 そうして大男が目の前の角を曲がると、ひとりの子どもに出会う。


「──どこから入った、小僧」

「教えない。聖女さまは僕が守る」



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