星夜

時任時雨

ハッピークリスマス

 クリスマス彼氏と二人で過ごす、なんて私には縁遠い話だ。実際にはそんなことはなくて、少し手を伸ばせば届くところにあるのだと思う。ただその勇気がないから縁がない、運が悪いなんて言って誤魔化して、そういうふりをしている。


 街全体がふわふわと浮ついた雰囲気になる。別にこの空気感は嫌いじゃない。バカ騒ぎする人たちも、私に迷惑がかからないのならそれはそれで一つの楽しみ方であると思う。だからクリスマスに対しての悪感情なんてない。ないと言えばないのだ。


 ようするにこんなことをぐだぐだと考えてしまうのは、私がつい昨日振られてやさぐれているだけ。雪だ~! なんて言って浮かれてみようにも、雲一つない空ではホワイトクリスマスなんて望むべくもない。適当な男を引っかけて遊ぶ、なんて芸当ができればいいのだけど、昨日彼氏に振られたことをずっと引きずっている女に付き合わせるのも申し訳ない。何も思い通りにいかない、彼氏ももういない。ないない尽くしでイヤになってくる。


 どうしてだろうなぁと考えても明確な答えは彼の内だけにある。考えるだけ時間の無駄だとわかっていても、思考は回転をやめてくれない。


 どんよりとした思考のままマンションの扉を開けると、パァンと乾いた音が響き渡った。


「メリークリスマス!」


 ああ、そういえば友人を来ているんだったなということを今更になって思い出した。


 〇


「元気出してよ~。目黒が元気ないとあたしも元気なくなっちゃうよ~」

「あんたはお気楽そうでいいわね……私は昨日振られた女よ」

「いやいや、振られるの何回目って話じゃん。今回の人はどれくらいだったの?」

「三ヶ月くらいかしら」

「三ヶ月もよく持ったねぇ」

「失礼ね」


 私がそう言うと目の前にいる友人、加藤文乃はからからと笑う。人のことを何だと思っているのだと言いたくなるけれど、あまり言い返せない。だって私がすぐに振られるのは事実だから。


「私の何がいけないのかしら。束縛もしてないし、お金は必要最低限以上に渡しているし、連絡もこまめに取っているし、相手が嫌がることは詮索しないし。何も悪いところはないと思わない?」

「そうやって目黒が完璧にするからじゃない? 男は見栄っ張りだからさ~、女の方が優秀だと萎えちゃうらしいよ」

「じゃあ私はどうすればいいのよ」

「知らな~い」


 つい昨日別れた彼氏と飲む予定だったワインが文乃の胃袋にがぶがぶと飲み込まれていく。結構お値段が張るやつだと教えてあげたいが、それを言って気にするような女でもなかった。


「このお酒おいしいね。どんどん飲めちゃうよ」

「介抱するのは私になるんだからほどほどにね。一応いい歳した大人なんだから」

「いい歳した大人って、まだ二十六だよ。まだまだあたしも目黒も世間的には若者だよ。多少酒でやらかしたって大目に見て貰えるよ!」

「法律は大目に見てくれることはないわよ。あとそろそろ再就職したらどう? 私の家も彼氏ができる度に来なくなって、振られたらやってきてってしてるけど、家賃払えてるの?」

「クリスマスくらいそんな真面目な話題から離れよう! そういうところが振られる原因だよ、多分!」

「男の前でこんなこと言わないわよ」


 会話をしながら酒が消えていく様子を眺めている。私は私で別の日本酒を口にしている。少しずつ酩酊していくのを頭で感じながら、どうにも心は完全に酔いきれずにいる。


 しばらく話を続けていると、まるで酒瓶を置くようにドンとグラスを机に叩きつけて、文乃が何かを言い出した。


「だいたいみんな目黒が完璧だと思ってるけどさぁ、そんなことないからね? 何回も彼氏に振られるような女が完璧なわけないじゃんって話だよね~!」

「わかったから、とりあえず壁じゃなくて私に向けて話してくれない?」

「えぇ、どっち?」

「こっちよ、アホ」


 ぺちぺちとほっぺたを叩いてやると「いた~い!」なんて大袈裟にリアクションを取りながらこちらに向き直る。


「ごめんごめん。でもそうだよ、目黒は完璧じゃないんだよ。そこに気づける男はいないものだねぇ。そこに気づいたら目黒はすっごくかわいいのにねぇ」

「もう少しかわいげを見せた方がいいってことかしら?」

「そんなこと言ってないよ。目黒はそのままでもかわいいよーってことだよ!」

「はいはい」


 くいとロックグラスを煽る。喉が焼けるようにカーっと熱くなる。この感覚を味わうために日本酒を飲んでいるといっても過言ではない。


「目黒、今日ペース速くない? さっきあたしにどうこう言ってたけど」

「大丈夫よ。自分がどれくらい酔ってるかはなんとなくわかるから」

「ほんとかなぁ」


 二人して酔いつぶれたら悲惨なことになってしまうことは想像に難くない。だからある程度セーブして飲まないといけない。そう頭ではわかっているはずなのに、手は勝手にグラスに伸びていく。なくなれば氷と酒を注ぎ足してまたぐいと煽る。酒が喉を通る度に心の奥がマヒしていくような感覚に陥る。やっぱり持つべきものは酒と友人だ?


「やっぱりペース速いよ。大丈夫? 水持ってこよっか?」

「大丈夫よ。私を誰だと思っているの? 完全無欠すぎて男に振られまくるでお馴染みの目黒諒よ……なんでなのよぉ」

「あたしより酔ってるじゃん。あーもうほらほら水飲んで」

「ん、水おいしい……」


 結局文乃に頼っている自分が情けない。現無職の友人を、飯と酒をダシにして使っているようなものだ。なんかもう私って何やってもダメなんだな。勉強と仕事はできるのに、人間関係とかなんとか全部上手く行かないもんなぁ。


「ごめんね文乃ぉ。私が就職先見つけてあげるからねぇ」

「ふーん、そうなんだ」

「何よ、就職先なくて困ってるんでしょう? 私が頑張ればいくつか仕事は斡旋できるわよ。給料は多少安いかもだけど」

「別にそういうわけじゃないけど……それに一応次の仕事は見つけてるよ」


 その言葉にさーっと酔いが引いていくのを感じた。ベロベロになりかけの頭にどうにか喝を入れて、まともに機能させるように努める。けれどアルコールがそんな数秒で抜けるはずはなくて、思考にもやがかかったまま会話を続ける。


「何で言ってくれなかったのよ」

「いやぁ、ちょっとさ。無職だと思ってもらってた方が都合がいいっていうかさ……」

「ヒモの才能があるわね」

「じゃあヒモになっちゃおうかな~」


 文乃はぐびぐびとビールを飲む。一気飲みを止めようとしたけれどその前に飲み干してしまう。


「養って、って言ったらさ、目黒は養ってくれるの?」

「養わないわよ。多少お金は渡してあげるけど」

「……なんだかんだ言って優しいよね~目黒はね~」

「お金の切れ目が縁の切れ目、切れ長の目は私のお目々、目黒の『め』は、眼が綺麗の『め』だからね」

「何言ってるの?」


 やっぱり今日はダメかもしれない。


 〇


 目黒は酔いが回って寝てしまった。でろんと横になった目黒をベッドに移動させて、机の上を片す。少し日本酒の残ったロックグラスを見て魔が差すけれど、ここでそんなことができるのだったら本人に手を出しているという話。あたしにそんな勇気はない。


「目黒は普通の人だもんね」


 目黒とは高校生の頃からの付き合いだから、今年で十年目になる。なんて言い方をするとまるで付き合って十年みたいで少し嬉しい。でもそれが幻想であり妄想でしかないことを実感して唇を噛む。

 私の気持ちを伝えたとしても目黒が困るだけだ。伝えて、それで気まずくて一緒にいられなくなったらと思うと、思いを伝えられないことよりよほど怖い。


 でも。


「やっぱり、好きなんだよ」


 何でも要領よくこなせるのに恋愛になった途端ダメダメになるところとか、自分のことに結構自信を持ってるところとか、なんだかんだ言ってこんなあたしと付き合いを続けてくれているところとか。言葉じゃ言い表せないほどに好きなところはたくさんあって。

 だからクリスマスにこうやって過ごせることが、あたしは嬉しかった。


「人の不幸で飯が美味いってこういうことだよね~」


 答える人がいない彼女の部屋で、あたしはもう一度ジョッキを傾ける。


 雲一つないクリスマスの空、数えきれない星が二人をそっと見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星夜 時任時雨 @shigurenyawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ