気まぐれで買った奴隷を解放したいのに、なぜか傍を離れてくれない件
嘉ノ海 祈
第1話 最低な過去
「奴隷を人間に育て上げる物語かぁ…」
私はカップに入ったお茶をすすりながら、テーブルに置かれた本を眺めた。最近、巷で流行っているという本。一人の少女が偶然拾った死にかけの奴隷を治療し、その奴隷が騎士になれるように育て上げ、奴隷から解放する物語だ。ちなみに、その少女と元奴隷の男性はそのまま結ばれる。よくあるロマンス小説である。
ふと、部屋の端に積まれた木箱に目をやる。それを見ると嫌でもあの内臓がよじれるような光景が思い出された。
私はカップを置くと、木箱に近寄り、その中から中身を取り出す。それは足枷だった。とある奴隷商から依頼されたのだ。足枷が重くて可哀そうだから軽減魔法をかけてやってくれと。その依頼を聞いたときは、変わった奴隷商もいたもんだと思った。
奴隷商の依頼を受けるのは初めてではない。まだ術具師として駆け出しのころはどんな仕事でも引き受けたものだ。術具師は数が少なく希少ではあるが、それでもいないわけではない。ある程度の実力を周囲に認められるまでは、生活にも困窮するものだ。奴隷商からの依頼は基本的に羽振りがいい。そのため、気分はのらないが生きる為に引き受けていた。
だが、そこで見た光景は地獄だった。基本的に奴隷商からの依頼と言えば、奴隷を拘束する魔術具の制作や、奴隷に契約紋を刻む仕事だった。私は依頼通りに主の命に背けば電流が走る首枷や、一振りで全身に激痛が走る鞭などを作った。奴隷商からの依頼があれば、契約紋を奴隷に刻む作業も行った。自分の作った魔術具で傷つけられ、自分の刻んだ奴隷紋によって苦しめられる奴隷たちの姿を見るたびに、私は胃がひっくり返るような気分になった。
ある日、私は一人の少年奴隷に紋を刻むよう依頼を受けた。子どもの奴隷の多くは生まれた瞬間から奴隷だ。この国で奴隷になるのは罪を犯した者たち。所謂犯罪奴隷だ。一般市民が奴隷になることはまずない。ただ、その例外が奴隷たちの間で生まれた子どもだった。親が犯罪者なら子も犯罪者。それがこの国に根付いた思想だった。
腐っていると思いながらも、生活に必死だった私には他人にかまう余裕などなく、言われた通りに奴隷紋を刻んだ。痛みに悶えのたうち回る少年の姿に心臓がひきつれたが、私は感情を殺してその場をやり過ごした。
そんな私の生活を一変させたのは、一つの衝撃的な出来事だった。いつものように奴隷商に納品に行った時、ある牢屋で血を流し伏せっている子どもの姿を見かけた。それはいつかの紋を刻んだ少年だった。少年は契約先で乱暴を働かれ、無残な姿で返されたという。私はあまりの酷な姿に思わず少年に駆け寄った。しかし、私には何もできなかった。私は治癒魔法が使えない。少年を助ける術などなかった。
少年は近寄ってくる音に反応したのか、ピクリと指を動かした。そして、光の宿らぬ瞳をぼんやりと私に向けながら、かすかな息を吐き言葉を発した。
「お、かあ、さん…」
その言葉に私の心臓は大きく拍動し、強く握りつぶされるように痛んだ。少年がどんな思いでその言葉を紡いだのか分からない。でも、私は少年は母に愛を求める幼気な子どもであることに気づかされた。奴隷であろうが、人間であることには変わりない。この少年はいったいどれだけ、母の温もりを求めたのだろうか。いったいどれだけ、母を思いながら冷たい床の上で眠りについたのだろうか。
私はそっと少年の手を握った。その手は既に温もりが消えかかっていて、死が間近に迫っていることを知らせていた。少年は静かに息を引き取った。その口元には微かに笑みが浮かんでいた。
その日を境に、私は奴隷商の依頼を引き受けなくなった。どんなに生活に困っても、真っ当な依頼を引き受けるようにした。そのせいでスラムで暮らしたこともあったけど、少年奴隷のことを思い出すと、奴隷用の魔術具を作るより遥かにましだった。
「まさか、また奴隷用の魔術具を引き受けることになるとはねぇ…」
あの奴隷商でなければ、私は依頼をきっぱり断っていただろう。だが、あの奴隷商は奴隷を傷つけることを好まない人だった。こんな依頼は私にしかできないと、藁にも縋る勢いで懇願してきたのだ。これが奴隷を傷つける用具の作成なら断っていたが、むしろ奴隷たちの負担を減らすためのものだ。奴隷たちの待遇の凄まじさを知っているだけに断ることなどできなかった。
私は手に持った足枷を箱に戻すと、外套を羽織り、外出の準備をした。木箱を転送用の魔法陣が書かれた部屋に置くと、目的地を思い浮かべる。
私は何年もの間避けてきた奴隷商館に久々に足を踏み入れたのだった。
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