【完結】 極振り庭ダンジョン
ファンタスティック小説家
白い狐
俺、
社会でまともに活躍することのできなかった落伍者だ。
「はい、今月も赤宮くん最下位ね、同期のなかで4ヶ月連続営業成績ビリっけつ! 最初の頃は調子良かったのに、どうしちゃったの〜? しっかり仕事しないとだめだよ〜お給料をいただいてるんだからね!」
「はい、次は頑張ります……」
「次じゃないよ。今日から頑張らないと。今夜中にもう一件回ってきなよ」
「で、でも、こんな時間じゃ……」
「案件取れてないんだから、姿勢で意欲見せてもらわないと」
上司の明るい笑顔がいまも脳裏にこびりついている。
恐ろしい笑顔だ。いつだってあの虚構の笑みの薄く覗く瞳に光はない。
「うつ病ですね。少し仕事の仕方を考える必要がありますよ、赤宮さん」
医者に言われ、気がつかないうちに自分が壊れていたことを知った。
離職する大義を医者にもらって、でも、すぐには辞められなかった。
引き継ぎとかそういう話ではない。言い出すのが恐かったのだ。
言い出すのに時間はかかったが、それでもなんとかうつ病であることを伝え、新卒で入社した会社を1年経たずして俺は退職することができた。
あの日から何週間か経った。正確な日数は数えていない。
辞めた後はスマホで『会社辞めた後 やること』とキーワードを打って情報を漁り、わかりやすく退職後にすべきことがまとめられている意識高い感じの動画を参考にして、やるべきことをやった。
会社の保険を外れるので、国民健康保険へ切り替えるため無愛想な顔の運転免許証とマイナンバーカードを握って市役所へ足を運んだ。
失業手当をもらうためにも面倒な手続きをした。失意のなかでも、そういったことはしておかないとまずいことはわかっていた。これでも大人だから。
あれ以来、俺は社会から追放されたままだ。
俺の人生にはこれといって大きな”間違い”はなかった。警察の世話になったことはないし、浪人も留年もすることなく、4年生大学を卒業して普通に就職した。
俺はいわゆる普通の人間だったんだ。別に自分が優秀だとは思ってなかった。ただ、普通に普通を遂行する能力があるとは思ってたんだ。
なのにもう普通じゃなくなってしまった。そのことを思うと、煙草のジリジリ燃える音だけが聞こえる夜の庭で頭をかかえることになる。
実家の両親はなにも言わないでくれている。
というか彼らは俺が会社を辞めたことを知らないだろう。
今も毎日出社して真っ当に生きていると思っているはずだ。
親に自分が落伍者であることを打ち明けることができなかった。
嫌だったのだ。優秀なあの兄と比べられることが。
就職とともに一人暮らしを始めたのは、俺にとって幸運に働いた。俺が言い出さない限り、俺が退職したことはバレないだろうから。
今は”家賃の特別に安い貸家”に引っ越して、貯金と失業手当でなんとかやりくりしている状況だ。
とはいえやることは非生産的で次へ繋がらないようなことだけ。
日がな1日、布団にくるまって貸家で埃かぶっていた蔵書に目を通す。スマホやPCが繋がればダンジョンチューブでも見るんだが、なにせこの地域では異常現象のせいでスマホが繋がらない。たまに電波が繋がるが非常に不安定だ。なので最近はめっきり、らしくもない読書に励んでいる。
とはいえ読者家という訳でもない。すぐに飽きる。寝る。腹が減ったら飯を食べる。数日に1回風呂に入って、髭を剃る。たまの外出は近くのコンビニへ歩くだけ。
いつまでこの生活が続くかわからない。
貯金はいずれ底をつく。失業手当もいつまでももらえるわけじゃない。
毎日、着実に破滅へ進んでいく。それが俺の毎日だ。こういう生活を何週間か送っている。社会から追放された者は、曜日も時間も気にしないで本能のままに、誰かの生み出した成果物をいたずらに浪費することしかできない。
「俺はダメなやつだぁ……」
煙草を口に咥えて、ダボダボのスウェットでコンビニへ向かう。
なんという社会不適合者な風態だろうか。1年前の俺が見たら「レール外れたやつだ。惨めだな」と馬鹿にしたに違いない。全くお笑いだ。今ならわかる。誰もみじめになりたくてみじめになってるわけじゃないと。
煙草を1カートン━━10箱━━を買う。10箱買うと併設しているガソリンスタンドで使える五円割引券がもらえる。俺は車を持っていないが、これを隣に住んでる爺さんに渡せば、喜んでもらえる。すると何かしら貢献したつもりになれる。俺も誰かの役に立っているのだと満足感を得られる。
「おでん……たまごと大根ください」
「たまごお一つに、大根がお一つですね〜」
百円ライターで煙草に火をつけながら、帰路につく。
視界に白いものがふわふわと舞い映る。雪が降ってきた。
もう年末だ。最近はすっかり寒くなった。
「ん? なんだあれ」
車道をスタタっとこちらへ向かってくる白い影。
夜の闇のなかで異質に映るそれは……猫、否、きつねだ。
白い狐がこっちへやってくる。
雪の日に白い狐を見るなんてなんとも幻想的じゃあないか。
触れてはならない美しい自然の切り抜きを、立ち止まって見ていると、ふと狐と目があった。不思議なことにカップを咥えており、暖かそうな湯気がのぼっている。おでんだ。野生の狐がコンビニのおでんを咥えて運んでいる。なぜ。
目が合う。どうして立ち止まる。車道の真ん中で。危ないぞ。
「っ」
走り込んでくる車。俺は狐へとっさに手を伸ばしたが、手遅れだった。
美しい狐はぱこーんっと何メートルか飛んでいき、道路脇の植え込みに落下した。車は気がついていないのか、走り去ってしまう。
俺は慌てて駆け寄って、植え込みでぐてーっとしている狐をのぞき込んだ。
「ひゅう、ひゅう」
息をしている。まだ生きている。見たところ血は出ていないが……車に轢かれてノーダメージということはないだろう。現に今こいつは動いていないのだから。手を伸ばす。
「きゅえ、きゅえ」
白い狐はパッと起き上がり、元気にあたりをキョロキョロし始めた。
野生の動物って丈夫なんだな、とか思いながら伸ばしかけた手を引っ込めた。
「きゅえ……」
白い狐は道路の冷たい地面に散らばったおでんを見て、悲しそうに鳴いた。
ひどく落胆していて、しまいにはお腹をぐぐぅっと鳴らす始末。
なんだか可哀想になってしまい、俺はそっと先ほどコンビニで買った俺のおでん(たまご、大根、各1個ずつ)が入ったカップを地面のうえに置いた。
「やるよ。おでんが食べたかったんだろ」
「きゅえ!」
白い狐は嬉しそうにカップを咥えて、さささーっと去っていく。見えなくなる直前、振り返ってこちらを見てきた。静かな雪の夜に、俺と狐はしばらくじーっと見つめ合い、やがて狐は背を向けて去っていった。
翌朝。
俺は縁側で煙草を嗜んでいた。貸家は古風な日本的な家屋だ。実家には縁側というものがなかったが祖父母の家にはあった。そのせいだろうか。ここは実家よりも、どこか実家らしい空気感がある。
誰もいない裏庭。手入れする者がいなくなって久しいのだろう。経年によって荒んでいる。今こうしている間もどんどんこの土地は自然へ還っていく。人間に忘れ去られた人工物は独特の美を宿す。人がいなくなった家、荒んだ墓、廃墟、閑古通りの商店街。風化の趣とでも形容しようか。俺が激安で借りたこの貸家にはそうした趣がある。だから気に入った。ゆっくりと終わる。俺に似ている気がしたから。
「こんにちは」
声に咄嗟に横を見やる。
少女の顔があった。鼻先三寸の近さだ。
美しい銀色の髪、ふわっと耳のようなものが頭に生えている。
尻尾みたいなモノも後ろでパタパタ動いているが……。
「……どちら様ですか」
「昨日、命を救っていただいたキツネです。恩返しに来ました」
煙草をそっと携帯灰皿にしまう。
狐の恩返しか。不思議なこともあるものだ。
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