魔法少女くおん/開幕前夜―イツワリノメサイア―

関守乾

第一夜「カミシロ マサト」(アバン)

「Interview with king of 〝The dust〟」

 ――祇代かみしろマサトは、幼いころからこの世の中に自分ほど不幸な人間はいないと堅く信じていた。

 自分は苦しむために、不幸になるために生れてきたのではないのかと思うことさえしばしばだった。


 何でも生まれたときから、体のあちこちがまともに機能していなかった、らしい。

 良く生きていられるものだと、自分でも思うのだから、よっぽどだ。

 生きているのが楽しいと思ったことなど一度もなかった。

 およそ知り得る限り、周囲の普通の人間が当たり前に出来る事、楽しんで出来る事が、マサトにとってはそもそも耐え難い苦行なのである。

 何しろ、まず長いこと立っているということが出来ない。

 それだけで血の気が引いて目が眩む。

 少し冷たい風に、強い日差しに当たれば、その日の夕方には咳き込んで、寝込むことになる。


 両親というものはおよそ記憶のある限り思い当たらないが、育った施設は元々医療機関でもあったので、多少はそういったことが許される雰囲気だった。

 まともに走り回ったり、大きな声で歌ったりすることができる「同級生」たちは、全員が例外なく殺してやりたいほどの憎しみの対象だったが、多少物のわかる年になって、それが結局は益がない事であると言う事に気づいた日、マサトは彼らを胸中で憎悪するのをやめた。


 ――きっと、どうにもなりはしないのだ。と思うようになった。

 それが、大人の考えというものでも、成長して現実を受け止め自分と向き合えるようになったわけでもなく、単なる思考放棄の産物であるということが、マサトには判っていた。

 憎しみを捨てたことは、却ってマサトを不幸にしていた。


「君と同じような境遇でも、くじけずに前向きに生きている子はたくさんいる」とか

「つらい思いをしてるのは君だけじゃない」とか言ってくれる人たちは、いるにはいたが、

「知ったことか」

 としか思えなかった。


 ……自分は今、今苦しいのだ。

 その事実の前に、どこかの誰かがどれだけ苦しんでいようが、どれほどの意味があるのだろう。

 己とそれ以外のひと達は、水から出れば死んでしまう魚と、自由に陸を歩くことができる獣ほども違う、別種の生き物なのではないかと思っていた。


 お医者様は、もしも20まで生きていられたら奇跡だと言っていた。

 ということは、せいざいあと数年、18か19かそこらで、何もなさぬまま自分の命は終わると言うことになる。

 夜、寝床で横になる度に、毎晩もう二度と目が覚めないことを覚悟していた。

 目が覚めない事よりも、むしろ、夜中に息苦しさに目を覚まし、一晩中、涙と吐瀉物にまみれてのたうち回る方が、ずっと怖かった。

 どうせ何もなせずに終わるなら、いっそ今すぐの方がいい。

 それに、ここは「児童保護施設」だ。

 あと数年で、ここを出ないといけないし、そうなってしまえば自分が一人で生きてゆけるとはとても思えない。

 今更、自分を引き取って、一緒に暮らそうなどと名乗り出るひとが現れるわけもない。

 もしかしたら、ここの職員として、体を養生しながら年下の子供たちの世話をすればいいと言ってもらえるかもしれないが、結局は周囲の慈悲にすがって生きているにすぎない。


 ――いっそ、夜眠っている間に心臓が止まってくれたら、手間が省けて一番いい。

 もう己の人生には何も期待していないし、何も望むものなどない。欲しい物などない。

 そう言い切ってしまえるのなら、まだしも潔いといえるのだけど。


 その実、祇代マサトはどうしようもなく強欲だった。

 まともに動く手足が欲しい。

 大きな声を出しても涸れない喉が欲しい。

 霞まない目が欲しい。

 ――全く、あきらめが悪い。

 どれだけ焦がれ望もうと、手に入るわけがないというのに。

 自分は何と欲深い人間なのだろう、いつからかそう思うようになっていた。

 そんな風にして、人生の半分以上を、寝床の上で過ごしていた。


 ――祇代マサトに、というものができたのは、そんな時だった。


 いつものように数日間寝込んだ後、小康を取り戻した頃の夕刻、ベッドの上に上半身を起こして、本を眺めていた。

 テレビはそれほど好きではなかったし、そうすることはマサトの数少ない娯楽だった。

 図書室の本を、好きなだけ部屋に持ち込んで、昼間読んでいてもいいとされていた。

 趣味というほど大層なものではない、ただの時間つぶしだ。

 かたりと物音がして、そちらを向いた。

 部屋の入り口のドアが、微かに開いていた、


「……誰か、いるのか」 


 ドアに向けてそう声をかけると、そのまま隙間を広げ、おずおずと小柄な男の子が一人、姿を見せた。

 大きめの、長袖のシャツと、半ズボン。

 自分より10才くらいは年下だろうか。見覚えのない顔だ

 こんな時間に人が来るとは珍しい。

 何しろ部屋は隅にあるし、この時間、大体は気の合った同士で遊んでいるか、職員たちの仕事を手伝っているかだ。

 どちらでもなく、こんな場末ばすえに一人で来るというのは、まあ多分、居心地が悪くて、ひとりになれる場所を探して、というところだろう。

 まして、周囲がそれなりに気を回すであろう新顔であればなおさらだ。

 もともとそういうコトを得手とする気性ではないのか、あるいは初手で何かもめごとでも起こしたのか。

 どちらにせよ、相場は決まっていて、人の輪に入れず、なじみ損ねて、己の立ち位置というものを獲得し損ねたというところか。

 ……そういう子は、いつもひとりかふたりは居るのである。


 心配することはない。そんなのは、大概時間が解決する類のものだ。

 なに、ここの職員や「同級生」たちだって、何も別に悪人というわけではないし。

 どうせ、ここが嫌だからと言ってどこかに行けるわけでもないし。

 どうせ、「楽しくみんなと一緒に遊ぶ」ことができなくたって、死ぬわけではないし。

 それにどうせ、……少なくともこの子は己よりは幸せだろう。


 姿をよく見てみる。

 少しサイズが合っていないのか、大きく開いたシャツの襟ぐりからは、白い鎖骨がのぞいていた。

 ……髪の長い、女の子のようなかわいらしい容姿だが、何というか、目が昏い。

 きれいな瞳の底の方に、どこか薄暗く濁ったものが沈殿している。とでもいうのか。

 胸元に目をやれば、名札に名前がひらがなで書いてある。

 なるほどこれがこの子の名前か 


「……ええと、誰かな」


 と改めて聞いてみれば、


「……きみこそ、だれ」と尋ねてきた。

 まあ、確かに自分用の個室というわけではないし、誰もいないと思って入ってきた部屋に先客がいれば聞いてみたくはなるかもしれない。

 ……特に理由はないが、何故か意地の悪い気分になった。


「この部屋に住みついている幽霊さ」


 怖がって逃げ出しでもするかなと思い、そういってみる。


「嘘だ」


 思いのほか強い口調で、返された。


「だって、……だってあなたは生きてるじゃないか」

 そんなことを言われたのは、初めてだったかもしれない。

「だから、それはうそだ」

「……ああ、そうだね、嘘は良くないな」

 言われてみれば確かに、と、素直に謝ってしまった。 

 うつむいたまま、黒目がちな瞳だけをぎょろりと動かして、

「……です」

「ん?」

「ぼくは、■■ ■■■です」

 と、男の子は、か細い声で自分の名前を教えてくれた。

 名札を見ればわかるけど。


「――幽霊の名前は?」


 重ねて尋ねられる。

 いま、幽霊じゃないって言ったのに。

 ……ああ、名前を聞くからには自分も名乗らないといけないと思ったのか、なかなか可愛げがあるじゃないか。


「……ぼくはマサト、祇代マサト」


 マサトが名乗ってやると、男の子はもじもじしながらも、部屋の中に入ってくると、

「これ」

 言って、ベッドの脇の机に積まれていた何冊かの本を手に取って、

「読んでもいい?」

 と、伺いを立てた。

 一つ頷いて、

「……別に、ぼくのというわけではないからね、好きにするといいよ」

 そう答えると、小さく頷いて、ベッドの脇にぺたんと腰をおろし、ページを繰り始めた。

 マサトの虚弱は体質であって、人に感染るわけではない。

 特にすることもない、暇つぶしに付き合うくらいは、まあいいだろう。

 見れば、半ズボンから伸びるか細い太ももとふくらはぎも、痛々しく白い。

 同情するわけではないが今から居場所を求めて徘徊させるのも、まあ難儀だろう。


 マサトは何も話さなかった、男の子も、特になにも言葉を発さなかった。

 ……30分くらい、そうしていただろうか。


「もう帰る」


 と言って、男の子は立ち上がった。

 そろそろ、夕食の時間だ、戻らなければ、心配されるだろう。

 この部屋に食事が運ばれるのも、そろそろだ。

 何もここで一緒に食事をすることもあるまい。


「じゃあね」

「ああ」


 またね、とは言わない。

 まあ、これでもう、来ることもなかろう。

 そう思っていたのに反して、

 男の子は部屋と廊下の境目で足を止め、一度振り返って、


「……また、きてもいい?」

 と、尋ねるので、


「いいよ」

 と、答えておいた。


 この男の子が、自分に合った世渡りの方法を見つけるまで、せいぜい数日、シェルターみたいなものになってあげてもいいか、と思った。

 どうせすぐに、この部屋に飽きるだろう。

 子供だって、どういえば相手が喜ぶのかくらいは推し量る。

 だから、その手の社交辞令かと思っていた。


 予想に反して、次の日も男の子はマサトの部屋にやってきた。

 それ以来、その少年の相手をするのが、マサトの日課になった。


「本、ある?」

「ああ、あるよ」


 閉口したのは、この子が二日とあけずにこうやって部屋に通ってきて、決まって夕食まで本を読んでいくのである。

 数日で飽きるだろう、とばかり、思っていたのに。

 お互いにそう口数の多い方ではないし、することと言えば時間まで、マサトのベッドの脇に腰掛け、本を読みふけるだけだ。


「あなたは、いろいろきいてきたり、ぼくに何かしゃべらせようとしたりしないから、ぼくは、あなたのことが好きだ」


 と、一度だけ言っていた気がする。

 ……マサトが口数がすくないのは単に喋るのが億劫だからだが、どうもこの子は喋ること自体があまり好きではないらしい。

 どうして毎日のようにやってくるのか、正直、不思議でならない。

 言葉でやり取りするのはせいぜいのところ

 たまに、「これ、何て読むの」と聞かれた時だけ

「ともだち、だね」

「じゃあ、これは?」

「しあわせ、だな」

 と乞われるのに応じて読みを教えてやるくらいだけど、齢の割に読み書きは達者なようで、その機会もさほどではない。


「幽霊は、よく字を知ってるね」


 ……ぼくは、きみにぼくの名前は祇代マサトだと教えたはずだけど。などとおもったりする。

 多少気になって、


「本なら、図書室にたくさんあるじゃないか」

 一度そう尋ねてみれば、

「あそこは、他の人がいる」

 と、返される。

「それに、本がたくさんあり過ぎて、どれがいいのかわからないから。あなたのところにある本は、どれもおもしろいから、あなたの選んだのでいいから」


 なるほど、そういうものか。

 自分で、好みに合うものを選んでみるというのも楽しみの内だとは思うが、このくらいの年だとまだその辺は判らないか。

 それでも、何日も何日もそんなことを繰り返して、いつのまにか、それが当たり前になっていて。

 その男の子が、胸の躍るような活劇よりも物悲しい絵本の方を、花咲き誇る風景の写真よりも雪山や荒野のものを好むらしいことが判ったりもして。

 時には、読んでいた本の、どこが面白いとかを、一緒に声に出して読んだりして。

 ぽつり、ぽつりと、今日はこんなことがあったとかを、話すようになったりして。

 二日も男の子が姿を見せなければ、マサトの方が、何かあったのだろうかと気にするようになっていた。

 マサトの体調が悪く、部屋に誰も入れられないという時には、あの子の相手をしてやれないのが悪いなと感じるようになっていた。


 これはよくないことだ。とマサトは思っている。


 ……所詮、「普通の人間」から見れば、マサトは水底から離れたら生きてはいけない深海魚のようなものだ。

 光の当たる場所が暖かそうだからと言って浮かび上がろうとしたら、死んでしまう。


 まだ、まだ大丈夫だ。

 この子が突然ふっと、この部屋に来なくなる。

 それは当たり前のことだし、いつか必ずそうなると、マサトは承知している。

 だから、そうなったとしても、マサトは、ああ、そういうものかと平然としていられる。

 いられる、はずだ。


 マサトが少し、うとうととした時だった。

 ベッドの脇でぱたんと、ページを閉じる音がした。

「帰るのか?」

「うん」

 男の子は、とてとてと立ち去ろうとして、その足を一度、止めた。

「ねえ」

 一度振り返って、部屋と廊下の境目に立って、

「にいさんって呼んでも、いい?」

「――ン?」

「仲のいい、年上の男のひとのこと、そう言うんでしょ?」

 ――ああ、そういう話か。

 ごっこ遊びのようなものだが、まあいい、付き合おう。

「いいよ」

 と、応える。


 特にその後、どちらからも「やっぱりあれは止めよう」という声は上がらなかった。

 だから、その時以来ずっと、その男の子にとって、祇代マサトは「兄」というものになった。

 だから、できるだけそのように、そうであるように、と振る舞った。

「マサトにいさん」

 ――響きは、そう悪くない。

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