【番外編】妖狐といなり寿司
思い出すのは幼少期の記憶。
一度だけ連れて行かれた父方の祖父母宅。娯楽の少ない田舎にすぐ飽きてしまったシオンは、父に連れられて散歩に出た。
たどり着いたのは近くにある神社。
道の左右に立つ狐の石像に心惹かれ、じっと見つめていると父は「お稲荷様」という名前を教えてくれた。石でできた狐の目はがらんとしてとらえどころがなく、幼いシオンには恐ろしく思えたものの、同時にどこか深い思慮を湛えているようでもあった。
狐と油揚げの関係を知ったのもその時だ。
家では洋食が多かったものの、初午の日にはいなり寿司が出された。少ない時には年に一度しか登場しない料理はシオンにとって特別で、皿に盛られた焦げ茶色の塊を見るたびに歓声を上げた。
思えば、あの出来事がシオンと狐を結び付けたのかもしれない。
「お母さまのいなり寿司、来年は食べられないのですね」
呟いてから、シオンは自分がうたた寝をしていたことに気づいた。
丸くなった身体と下の寝床には温かさが残っているものの、ぽかぽかとした日差しは柔らかな夕陽に変わっており、気温は少しずつ下がり始めている。
狐の身体になってから手持ち無沙汰なのもあってついつい寝すぎてしまうことが多い。仲間たちはそんなシオンに怒るどころか「もっとのんびりすればいい」と優しく声をかけてくれる。それがありがたくもあり、もっと役に立たいと歯がゆくなってしまう理由でもある。
そろそろ夕食の時間だろうか。
狐の身体ではろくな手伝いもできない。やはりアイテムを使わせてもらって人間になるべきだろうか。けれど、ダンジョンでまがりなりにも役に立てているのは妖狐の力があってこそ。せめて戦闘でくらい活躍したいという想いもある。
「……あれ、この匂い」
寝ぼけていた意識がはっきりしてくると、シオンはどこか懐かしい匂いを感じた。
しょうゆを使った煮物の匂い。
キッチンを見れば、
これは、もしかして。
目をぱっちりと開いたシオンは立ち上がると、フーリたちの足元まで駆けていった。
「いなり寿司、ですか?」
「そうだよー」
料理好きのフーリが楽しそうに答えてくれる。
「大豆は使い道が多いから、こっちでもけっこう作ってるんだよね。だからお醤油もあるし油揚げも買えるの。お米はけっこう高いんだけど、たまにはいいかなって奮発しちゃった」
「シオンさん用の小さいのもありますからね」
言ってアイリスが見せてくれたのは三角の形をした小さいいなり寿司だった。フーリたちの分は俵型。どちらも定番の形ではあるものの、三角のおいなりさんには「狐の耳を模した」という説もある。今のシオンにはぴったりかもしれない。
「美味しそうですね」
空腹が刺激されて思わずきゅう、とお腹が鳴ってしまう。
すると、フーリはくすりと笑って、シオンに「仕事」をくれた。
「そうだ。レンたちを呼んできてくれる? そろそろご飯だよーって」
「かしこまりました」
こくんと頷くとキッチンを出て、まずはレンの部屋へ。
子狐の身体は歩幅が小さいものの四足歩行なので意外とスピードが出る。あっという間に到着すると、シオンは右手──右前足でこんこんとドアをノックした。
すると「入っています」との返答。
レンではなくメイの声だ。続いてレンとメイがなにやら言いあうような声がして、
「あー、入っていいぞ、シオン」
「よろしいのですか? お取込み中だったのでは?」
「ないない。いつものメイの冗談だから」
「で、では、失礼いたします」
ぴょん、と飛び上がるとドアを軽く蹴ってさらに跳躍。ドアノブに飛びつき、体重をかけるような形でドアを開く。
これさえできればシオンの身体でもドアを押し開けられる。
変身してからしばらく経って、狐の身体の使い方もだいぶうまくなってきた。妙に高く広い感じのする視界にも、だ。
中に入って見上げると、ベッドの上にぺたんと座ったレンがメイを抱きしめるような体勢でいた。二人は向かい合っているのではなく、一冊の本を二人で読んでいたようだ。
確かに、これはいかがわしい雰囲気ではない。
仲睦まじい恋人同士のように見えないかと言うとノーとは言い切れないが、どちらかというと仲のいい姉妹か野良猫の世話をする心優しい少女といった感じである。
なんだか少しだけ悪戯をしたくなったシオンはぴょん、とベッドに飛び乗ると、レンたちの傍まで寄ってから口を開いた。
「もうすぐ夕食になるそうです。今夜はいなり寿司ですよ」
「おお。おいなりさんなんて食べるのいつ以来だろうな……。まあ、最後に食べたのもコンビニのやつだった気がするけど」
「レンさまはいなり寿司、お好きなのですか?」
「わりと好きだよ。シオンは──ああ、うん。言わなくてもいい。見ればわかる」
「? そんなに顔に出ていますでしょうか……?」
狐の顔なので喜怒哀楽はわかりづらいはずなのだが。
メイにまで「一目瞭然です」と言われてしまったのでよっぽどわかりやすいのだろう。恥ずかしくなりつつ鏡で確認すると、耳と尻尾がぴこぴこと動いていた。
これは、わかりやすい。
止めようにもほぼ無意識の動きなので止め方がわからない。シオンは「うー」と唸った末に諦めることにした。いなり寿司が嬉しいのは事実なので無理に心の動きを抑える必要もない。
それに、口元を綻ばせたレンが優しく背中を撫でてくれた。
エナジードレイン──生命力の吸収能力を持つレンは触れた相手のHPを吸ってMPを回復すると共に、相手にある種の快感を与えることができる。吸収と言っても手で触れた程度では微量、命の危険はまったくないし、ただ撫でられただけでは得られない心地良さがある。
思わず目を細め、もう一度このまま眠りたくなってしまってから、シオンはふるふるを首を振った。
「わたくしは先生とマリアさまを呼んでまいります」
「ああ。二人の部屋は気をつけろよ。……もしかしたら本当に取り込み中かもしれない」
「ええ、と。冗談、と考えてよろしいでしょうか……?」
「うーん。ちょっとだけ冗談にならないかもしれないから怖いよな」
二人で遠い目に。
するとメイが「では思い切ってノックなしで開けましょう」とか言い出したものの、もちろんこれに従うわけはなく。
マリアベルとアイシャが一緒に使っている部屋へと駆けていくと、シオンはきちんとノックをした。
「先生、マリアさま。そろそろ夕食の時間だそうです」
「ありがとう、シオンさん」
幸い、二人はすぐに出てきた。表情にもおかしなところはないし服も乱れていない。
ただ、キスくらいはしていたかもしれない。
普段から距離が近く、仲の良さがにじみ出ている二人のことを思い、妙な居心地の悪さを感じたシオンは一足先にリビングへと戻ると椅子の足をかけ上がって自身の指定席についた。
メニューはいなり寿司に野菜の煮物、それから緑茶。
茶は紅茶も緑茶もウーロン茶も原料が同じなため、これまた重宝されている。この家では栄養面からミルクを飲むことが多いものの、今日は和食ということで料理に合わせたようだ。
ちなみにシオンも慎重にやれば湯呑みを持ち上げて茶が飲める。ある程度冷めてからでないと熱くて舌が火傷しそうになるのが難点だが。
「じゃ、食べよっか」
「ああ。楽しみだな、おいなりさん」
全員が揃ったところで「いただきます」をして、大皿にこんもりと盛られたいなり寿司をめいめいが取っていく。シオンの分だけはあらかじめ分けられて指定席の前に置かれていた。
くんくんと鼻を鳴らし、まずは香りを味わう。
「この香り、落ち着きます」
「あはは。本当、シオンちゃんって大和撫子って感じ」
そうだろうか。自分では今の時代、西洋風の学校に馴染んできたつもりなのだが。
けれど、それならそれでいいのかもしれない。
いなり寿司が好きなのも、狐に思い入れがあるのも本当のこと。誰にはばかることもない。サキュバスがいて、ゴーレムがいて、エルフがいるこの家でなら、妖狐のシオンも違和感なく受け入れてもらえる。
ひとつ目のいなり寿司を両手で持ち上げて口に運ぶ。
母の味とは違う。
けれど、どこか安心できる「この家の味」が口いっぱいに広がってシオンの心を満たしてくれた。
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