半妖精の少女
蜂蜜色の髪と夕暮れ前の空色の瞳。
頭の後ろでしっかりとしたポニーテールを作り、肌の色は日本人離れして白い。
すらりとした長身へ革製の防具を身に着け、背中には矢筒。腰につけたベルトにはナイフや小袋などが取り付けられている。
見た目の年齢はレンたちと変わらない。
特筆すべきは彼女の耳だ。丸みがなく、ぴんと尖った形。髪に隠れることなく飛び出ていて人目を惹く。
森野愛梨、と彼女は名乗った。
「アイリスと呼んでください」
透き通るような声で名乗られた時にはレンでさえ胸がときめいた。
彼女には魅了の能力はないはずなのだが。
「まさかエルフとは思わなかったな」
「正確にはハーフエルフだけどね」
彼女は転移者の間に生まれた子供だ。身体的特徴は主に母親から受け継がれたもの。
つまりアイリスの母はエルフ。
レンと同じく『祝福』によって種族が変わってしまった数少ない一人だ。
同族は皆無、外国人すらほとんどいない環境なのだからこの容姿は目立つ。面白がられたり口説かれたりは多いだろう。
ちなみに歳は二十歳。
十四、五歳になった頃から見た目がほぼ変わらなくなったらしい。母親にも挨拶をしたものの、並んだ姿はどう見ても姉妹。フーリは「なにそれ羨ましい」と呟いていた。
「でも、アイリスちゃん。本当にいいの? 私たちの方が年下なんだけど」
「はい。私は学校にも行っていませんし、皆さんよりずっと人生経験が足りないので」
少し話をしたうえで二人はアイリスの加入を了承した。
今は三人で街を歩いているところだ。
美少女が一緒なだけあって街の人たちからちらちら視線が送られてくるものの、悪い意味で声をかけてくる者は今のところいない。
見た目上は女子ばかりとはいえ三人もいるとナンパのハードルは結構上がる。
それでも、あまり人慣れしていないらしいアイリスはレンの陰に隠れるようにしながら歩いている。
「森に住んでたんだろ。退屈じゃなかったのか?」
「家族は一緒でしたし、狩りをするのも楽しかったので大丈夫でした。お父さんは日本が恋しいってよく言っていますけど」
「それはそうだろうなあ」
アイリスの一家は街外れの森の管理者だ。
森で生産される木の実や薬草、木材などは日々の暮らしにとても役立つ。森に住む動物を狩れば毛皮や肉も手に入る。
少女は弓の技を日々の暮らしから学んできたそうだ。
両親はともに四十歳前後。転移してきてから二十年以上をこの世界で過ごしていることになる。
日本で暮らした時間より長い異世界暮らしなんてレンには想像もつかない。
「じゃあ、アイリスちゃん。もしかしてダンジョンに潜るのって──」
「はい。お父さんたちを日本に帰してあげたいんです」
少女にとってはむしろ日本が異世界。ずっとここにいればいいのに、と思わず「帰してあげたい」と思えるのは優しい証拠だ。
両親はダンジョンに赴くアイリスのことを物凄く心配していたが。
「任せて。私たちだって一か月はダンジョンに潜ってるんだから。少なくとも無茶しないくらいの分別はあるよ」
「めちゃくちゃ格好悪いこと言ってる気がするけど、そうだな。アイリスのことはちゃんと守るよ」
「ありがとうございます、レンさん。フーリさん」
話をしているうちに目的地が近づいてきた。
レンたちが転移してきた場所であり、以後も何度も訪れた場所──ダンジョンの入り口がある神殿である。
高台にあるこの建物には四方に築かれた階段からアクセスできる。
遠くからでも見えるため、ダンジョンに挑む者の人数は街の者にも把握しやすくなっている。
「この階段が最初の難関なんだよね」
「下手な神社より長いからな」
「が、頑張ります」
脅かされたアイリスはきゅっと唇を結んで覚悟を決めてくれる。
結果がどうだったかというと、少女はなんの問題もなく階段を上りきった。さすがは普段から野山を駆け回っているだけのことはある。
「ほら、レン。お手」
「ああ」
「……? あの、手を繋ぐのには何か意味があるんですか?」
むしろ、レンたちの方が不思議そうな目で見られてしまったくらいだ。
手を繋ぐのはこれまでもやっていた習慣なのだが、なんとなく気恥ずかしくなったレンは「別に一人で上れないわけじゃないぞ」と言い訳する。
「もちろんデート気分とかでもないよ。レンは人に触れているだけで『エナジードレイン』ができるから」
「あ……えっと、サキュバスの特殊能力ですね?」
「ああ。触れている相手のHP──生命力を少しずつ吸収してMP──魔力を回復させられるんだ」
回復した魔力をどうするかというと、神殿に到着したところで「ヒール」×3。
癒しの力へと変換された魔力が三人を順に包み込む。その後、レンとフーリは「ステータス」と唱えて光の文字を呼び出した。
「ん、HP問題なし」
「こっちもだ」
言ってしまえばステータスウィンドウである。
HPやMP、レベル、経験値、各種能力などが確認できる転移者特権。これはこの世界がゲームである証ではなく、現代の日本人にわかりやすい形で祝福の効果が表れているのだと考えられている。
仮に江戸時代の人間が召喚されてもステータスウィンドウは出せず、代わりに別の力が与えられるだろうという話。
二人のウィンドウをアイリスは興味深そうに見つめて、
「やっぱりお二人もそれ、出せるんですね」
「アイリスはやっぱり出せないのか」
「はい。私も妹たちも試したけどできませんでした」
転移者の子供に『祝福』は引き継がれない。
フーリの盗賊やレンのサキュバスはゲーム的な設定。レベルアップやスキル取得で強くなれるが、アイリスの弓使いは本当に職業で、弓が使えるから弓使いと名乗っているだけ。
ただ、エルフの子供はちゃんとハーフエルフだし、親の身体能力もある程度引き継がれるらしい。
「それもあって、なかなか連れていってくれる人が見つからなかったんです。お父さんたちについて行っても足手まといになるだけですし……」
「俺たちもちょうどよかったよ。パーティ解散してどうしようかと思ってたから」
言いながら、レンは下り階段の前に立つ。
階段の前には数字の彫刻。例によって異世界文字か何かだが不思議と読める。
今は「五」と表示されているそれは現在ダンジョンに潜っているパーティの数だ。レンたちが潜るとこれが「六」になる。
「アイリスちゃんは初めてだから一階からだね」
「すみません、ご迷惑おかけします……」
「いや、むしろありがたいよ。俺たちも大して深く潜ってなかったし、心機一転ってことで」
明かりはレンが「ライト」の呪文を使える。
「ダンジョンの通路はだいたい三人は並べないくらい。私が先頭でアイリスちゃんが斜め後ろ、レンは一番後ろで真ん中あたりを歩いてくれる?」
「わかりました」
「了解」
階段を歩くたびにこつこつと音がする。神殿から一階への階段に罠はないが、こうしてただ進んでいると妙な緊張はどうしてもあった。
「アイリスの矢か俺のMPが半分切ったら何があっても帰るぞ」
「わかってる。無理したって仕方ないからね」
やがて階段が終わり、ダンジョン一階の入り口が姿を現した。
◆ ◆ ◆
ハーフエルフの少女・アイリスにとってダンジョンは「そこにあるのが当たり前のもの」だった。
両親が共に出かけることはなかったものの、片方が街の人に乞われて留守にしたり、一緒に潜っていた頃の武勇伝を聞くことも多かった。
神殿の姿は森の入り口からでも見られる。
それだけ身近なものだったけれど、実際に自分が潜るのはこれが初めて。
自分の目と耳で感じたダンジョンは想像と違っていて、
「静か、ですね」
石でできた冷たい通路がただ、真っすぐに伸びている。
化け物の気配も唸り声もまったく聞こえない。
明かりにさえ気をつければ道なりにただ歩いて行けるのではないか。
「アイリス、寒くないか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「良かった。もし着替えがいるなら言ってくれ。防寒はちゃんとしておいた方がいい」
念を押されたので、自分たちの格好を見比べてみる。
レンは身体をすっぽりとローブで覆っていて確かに温かそうだ。とはいえアイリスも長袖の服に革の部分鎧を付けているので寒くはない。冬に森を散策することも多いので多少の寒さには慣れている。
むしろフーリの方が心配だ。黒のインナーこそ手首足首まで覆っているものの、上着は半袖、下も太腿すら覆っていない最低限のものだ。
視線に気づいた少女は「ああ、私?」と笑って、
「ごちゃごちゃしてると気が散るから仕方ないの。それに、いざとなったらレンに温めてもらうし」
「人聞きの悪いことを言うな」
むっとした顔をする紫紺の美少女──もとい、美少年。信じられないことにレンは男性らしい。確かに喋り方はだいぶざっくばらんだが、
「ストレージ。『ファイア』」
虚空から取り出した松明に火を点け、周りの空間を温めてくれる。
明かりは別にあるのだからこれは明らかに防寒のためだ。
「すみません、ありがとうございます」
「気にしなくていいよ。これはね、ライトが切れた時のための用心でもあるの」
光源は常に二つ以上用意しておく。できれば種類の別々の方がいい。松明と魔法の明かり(あるいはカンテラ)なら水をかけられても片方は残る。先人たちの経験をまとめた本に基礎として書かれている内容らしい。
一階に大きな危険はないものの、先々のために癖をつけているのだとフーリは教えてくれた。
もちろん多少、荷物や出費が増えてしまうが、
「荷物をしまえるの、やっぱり便利ですね」
「これがなかったら大きな袋背負っていかないといけないもんね……」
「しまった。アイリスの矢も予備を入れてくれば良かったな」
最近の転移者たちによって「ストレージ」と名付けられた異空間収納は量的な限界はあるものの、重さを感じずに荷物を運べるとても便利なものだ。
『祝福』のないアイリスはこれがとても羨ましい。
弓使いは矢がなくなったら何もできなくなってしまうし、あまり荷物を重くすると動きが鈍ってしまう。いかに荷物を減らすかは狩りでも悩むポイントだ。
「一階はしばらく進むとまずゴブリンが二匹出てくる。そこまでは罠もないけど、手を抜く癖がついてもアレだしフーリに調べてもらいながら行こう」
「はい」
ダンジョンには不思議が多い。
一番の不思議は「中で他の探索者と会うことがない」ということだ。パーティごとに別の空間へ送られていることになる。
さらに、中の状態は最も攻略進度の低いメンバーに合わせられる。
何十階も下まで行ったことがある両親でも、アイリスと一緒に潜れば一階から攻略し直さなければならない。
「モンスターも罠も宝箱も復活するやつとしないやつがあるからな。少しでも攻略しておけば次に来る時は楽になる」
「アイリスちゃんは私たちの指示を聞いてくれればいいよ。とりあえず勝手に先に行かないことと、敵が出たら慌てず攻撃すること。いい?」
「はい」
レンもフーリも口調は穏やかだが表情は真剣だ。
死にたくないから。帰りたいからだ。帰るのはもちろん家だが、アイリスにとっての家が森の実家であるのと違い、彼らの本当の家はこの世界にはない。
もちろん、両親にも。
ぎゅっ、と、手にした弓を握りしめる。盗賊を先頭とするゆっくりとした行軍はもどかしくもあったが、ここがもう危険であふれるダンジョンなのだと再認識させてくれる。
「さ、初回の戦闘が始まるよ」
言ってフーリが足を止める。足音がなくなったことで音の反響がクリアになり、アイリスの長い耳に「それ」が聞こえるようになる。
通路の先から生き物の息遣い。それが二つ。
レンがちらりと視線を送ってくる。鼓動が早くなるのを感じながら頷くと、魔法の明かりがすっと奥に向かって移動を始めた。
照らされる範囲が変わったことで闇に潜んでいた小柄な人型生物が二体、驚きの悲鳴と共に武器を構え始める。粗末な皮鎧にナイフ。荒れた緑色の肌は見るからに邪悪で醜悪だ。
「前の奴から狙って倒すよ!」
「はいっ!」
人の形をした生き物は初めてだ。けれど、やることは動物相手の狩りと変わらない。
アイリスは息を吸い込んで気持ちを落ち着けると矢をつがえ、一匹目のゴブリン目掛けて放った。真っすぐに飛び、飛び出そうとしていた敵の右目を射貫く。鮮血と悲鳴。それでもナイフを構えて走ってくる。二本目の矢が喉へ。それでも止まらない。
しっかりと意思を持った憎悪の視線が恐ろしい。
震える指で三本目をつがえようとした時、
「マナボルト」
レンの松明を持っていない方の手から魔力の光が飛び出し、ゴブリンを襲った。
じゅっ、と、焼けるような音がしたかと思うと敵は光の粒となって消滅していく。
「さあ、もう一匹だ」
「っ。はいっ!」
斜め後ろに立つ、ハーフエルフの自分より小柄な少年がとても頼もしく思えた。
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