63 噂話と姑娘達
*
幅の大きい
抜けた先には
小走りに進むと、やがて建屋の二階部分にひとつの露台が見えてくる。熊掌はそれを見上げてふわりと笑った。一瞬の間をおき、そこへ向けて
二階のその露台に面している部屋は、下女用の食堂兼起居室として使われていた。
露台の欄干から降り、こここんと窓を
「
窓を開けてくれた下女が頬を膨らませながら両の腰に拳を当てて怒りを表現する。しかし中へは入れてくれるのだ。熊掌は肩を軽く
「悪い。
「え? なぁに? なんかあったわけ?」
「お茶をご馳走になったんだよ」
「ああそう!」
下女が眉間に皺を寄せながら何かを投げて
それに気付いたのか、果実を投げて寄越したその下女もまた表情を変えた。
「見せて。腕の傷はどう?」
下女が心配げに左手首を見てくるのに、熊掌はそっと右手でさすりながら笑って見せた。
「ああ、さっき加減して洗ってくれたから。
「ほんとどうしようもないわね、
子涵は、伸び上がると熊掌の
「良い子。藍龍は良い子」
「――ありがとう」
子涵は少し身を離してからふわりと微笑んだ。
「どういたしましてよ」
「やっぱり、そういうところ、子涵は似てる」
「似てるって、例の初恋の子?
「うん。ねえ、やっぱり全部落ち着いたら子涵、僕の所にお嫁にこない?」
子涵はぺしりと熊掌の肩を軽く叩いた。
「何言ってんの。あたし後妻? だとかは厭だって言ってるじゃん。それに毎日
「まあ、あっという間に死んじゃうけどさ、死屍散華は解毒薬があるんだから大丈夫じゃない?」
「まーもう、簡単に言ってくれちゃって」
ぶぅっと頬を小動物のように
「言ったでしょ? あたしはじっくり三交を決めて子供産んで、みんなで幸せに暮らすの。そう決めてるの」
熊掌はくすくすと笑って子涵の肩を抱き寄せた。
「子涵は、必ずいい親になるよ」
「決まってるじゃない。さあよし皆! 藍龍きたからお茶にしよ」
子涵がぱん、と手を打ち鳴らした。
これが茶会――密談開始の合図である。奥にいた下女達がわらわらと集まってきた。子涵を含めた五人がそれぞれ好きな茶を
「はい皆おつかれー」
「おつかれさま」
「ちょっとそこ詰めてよ」
「まって、あんたあたしの
一斉に
彼女達は全員方丈に
そう。
着替えの礼を言っても視線も合わさず口も利かないのは、水くさいからだ。
世話を焼かれるようになった頃に、熊掌はこう理解した。本来彼女等にとって、自分が何者かなどどうでもよいのだ。
「馬鹿じゃないの⁉」
と。
呆気に取られていた熊掌の頸に子涵は両腕を回して抱き寄せた。
「あたし達にだって情緒ってもんがあるのよ。実際に関わって肌に触れたら生きてるって事が分かるの。分かっちゃったらもうおんなじ人間! 寿命が全然違っても、生きて言葉が交わせるなら人間!」
そんな子涵の言葉に、熊掌がどれだけ救われたか知れない。
席の一つに着くと緑茶が出される。「ありがとう」と一口
熊掌に構わず下女達は好き勝手に会話を繰り広げている。
「ねえねえ、最近城下で
「行ったよ! もー! 全部禁軍大将軍の英雄譚ばっかりよ! その名を
ふ、と熊掌は茶碗に口を付けたまま目線を向けた。
禁軍の大将軍は、確か二年前にその座に着いたばかりのはず。それまでは長く空位が続き、実質右将軍である
「まあ仕方ないよね。最近また
水吞、というのは浮浪民の事だ。
「あんた達せめて敬称つけなさいよ」
子涵が苦言を
「ねぇ。みんな、その大将軍って、実物見た事あるの?」
「ああ、藍龍はないんだっけ?」
「うん。僕方丈から基本出られないから」
「あー、あたしある! すっごいでっかいの!」
「確か五邑との混血なんだっけ?」
「そうそう。だから
「そう聞くわね。語部では言ってないみたいだけど。そりゃ誰もあんな話聞きたくないよねぇ」
「あたし達は藍龍で五邑見慣れてるから平気だけどさ、禁軍の連中はよく平気だよね」
「うん。寧ろ人気高いらしいよー。あとさ、戦場には決して姿を現さないってのでも伝説化するのには十分だよね」
「禁軍に推挙される前に両目が
「そうそう。五年前だったかな。それまでは
「
「こら!
「ごめんて!
「でもそうなのよねぇ。出自と推挙元としてはこれ以上ない後見があるんだよね、大将軍。それでめちゃくちゃ頭がいいって言うので、城の中に引き
盲目でありながら歴戦常勝の智将――という前評判だけで敵には回したくないな、と熊掌は内心思う。
基本的に熊掌が方丈から出られないのは事実だが、拝謁の時などに
熊掌自身は
禁軍の将である以上、間違いなくこの先熊掌はその人物と刃を交える事になる。
もしその人物が不死石を体内に安置していなかったら、恐らく条件は熊掌と同じになる。否、姮娥の民である以上、不死の要素も高いかも知れない。智将であり六倍の
関わりたくはないが、その人物を知る必要はある。しかし藪をつつきたくもない。難しいところだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます