#10B零 葛根冬梨を陥れろ
高花市の駅から国道を走って北に向かい、ある交差点を右折するとなぜかそこだけ歓楽街が広がっている。昔は懐の暖かい炭鉱の鉱夫で賑わった場所も閉山してみれば見る影もなく、結局、どこかの怪しい企業が買い上げて現在では歓楽街として再開発されたのが現在だ。
「うわぁ……なんだかここらへんだけ別世界じゃない……?」
「妖艶だよね」
「ねえ、見てみて、あのホテル……電気の無駄遣いじゃないかな……」
タクシーの窓から指さして、ハルはネオンまみれのラブホを不思議そうに見ていた。
「東京の方がこういうところって多いんじゃないの?」
「そういう場所に近づかないし、そもそも一緒に行く相手もいないじゃん。横を通っただけでスキャンダルでっち上げられるのも迷惑じゃない?」
「あー……確かに」
「でもさ、でもさっ!」
「……行かないからね?」
「えー……まだなにも言ってないのに。っていうか少しくらい行ってもいいじゃん?」
「そもそもそれどころじゃないじゃん」
「ルア君のケチ」
「ケチとかじゃないって」
「ケチ」
「ケチじゃない」
「いいもん。そうやってわたしに社会勉強をさせてくれないケチなんて、知らないんだからね」
社会勉強だったのか。かくいう僕ももちろん行ったことはないし、内装がどんなふうになっているかとか、どういう料金システムなのかとか知りたい気もするけど。
「ルア君、そこのホテルだよ。クズ先生の車があったら限りなくクロに近いし、なかったとりしても探ってみる価値はあると思うよ?」
「……ミオのためだ。やるしかないよな」
タクシーの支払いを終えて(結局100万円には手を付けずにハルが自身の口座からお金を下ろしてそれを使うことにした)、道のど真ん中で張り込むことが難しいことに気づいた。
理由1、寒い。寒すぎて死ぬ。風邪引いたら元も子もない。
理由2、怪しい。怪しすぎて通報される。
「ルア君、ルア君」
「うん? なにかいい案思いついた?」
「そもそも張り込んでいたら、ミオちゃん襲われちゃうじゃん」
「あ……。っていうことは踏み込みむしかないのか……」
「けど、もし……相手が彼氏だったら……気まずいじゃん?」
なんとか相手が誰なのかを探る方法はないだろうか。全然思いつかない。
「ルア君のスマホからわたしのスマホに電話をすればいいんじゃない?」
「っていうか、ハルのスマホがバッグに入っていることに気づいていないのか?」
「バッグの中敷きの下に入れてきたから。普通に気づかないと思うよ?」
「しかもダンスの着替えやらシューズやら、メイク道具やら入っているから気づきにくいか」
「うん。家に帰っていないならなおさらね」
いや、待てよ。連絡するのは僕だけとは限らない。この2022年12月のハルは普通に夢咲陽音としてアイドル活動をしていただろうし、仕事の電話もバンバン入っていたと思う。
「……もし、誰かがハルに電話していたらどうする? スマホの存在、ミオに気づかれてないか?」
「大丈夫。ルア君以外の人の通知はすべてオフにしているから。メールも電話もその他もろもろのアプリも通知はオフですべて着拒のブロック済みだよ。そもそも気づいていたらルア君に連絡してるって」
「そうだね。さすがハル」
「というよりも、この2022年に渡ってきた時点でそうしてるよ? だって、わたしがこのなところにいるの知られたらまずいじゃん」
「よくそんな機転が利くよなぁ……」
「伊達にアイドルしてないって」
だからトップランカーなのかと感心してしまう。頭の回転がなにげに早い。一見、そう見えないところがまたすごいところんだよな。
さっそくミオのカバンの中にあるハルのスマホに電話をかけてみる。しばらく呼び出し音が鳴った後に慌てたような声で「も、もしもし」とミオが出た。
「あ、ミオ? 僕だけどミオのバッグに間違ってハルがスマホを入れちゃったみたいなんだ」
「ルア君代わって」
「待って、代わるから」
「もしもし、ミオちゃん、ごめんなさい。うっかりしちゃいました。自分のバッグと似ていたからつい……え? なに? うん。いや、ちょっと仕事で必要になっちゃったから、取りに行ってもいいかな? 遠い場所? 大丈夫だよ」
ハルはしばらくミオの話を聞いていいるようだった。時折、うんうん、と頷いている。
「あ、もしかして誰かと一緒にいる? え? いない? ごめんね。今日中に返してもらわないと、うちのマネージャーが位置情報を特定して大人数で押しかけるかもしれないから。そうなったらミオちゃんに迷惑かけるじゃない? やっぱり誰かと一緒じゃん。なんか男の人の焦ってる声聞こえたよ?」
ハルにまくし立てるように迫られたミオからしたら正常な判断はできないと思う。まして、葛根先生と一緒にいたとしたら、それも判断を鈍らせる条件にはなるんじゃないかな。
ハルは電話で話しながら移動をするように僕に手招きした。ホテルの方に向かって歩く。スマホをスピーカーに切り替えて、ミオの声が僕にも聞き取れるようにしてホテルの敷地に入る。
『バレたらどうするんだよッ!! 早く返してこいッ』
絶対、今の焦った葛根先生じゃん。
ミオと一緒にいるところを誰かに見られたら大惨事だもんな。まして、夢咲陽音のスマホが位置情報をマネージャーに見られて、ラブホにあったとしたら大騒ぎになって後々理由を問われて詰むのが目に見えている。結果的に夢咲陽音はその場にいなかったとしても、ミオと一緒にいた葛根先生の立場からしたら非常にまずいことになるじゃん?
そう想像するはず(よほどのバカじゃなければ)。
『と、とにかく今からすぐに向かいますから、待ち合わせ場所はどこにしますか?』
「そうね。じゃあ、えっと。ルア君どこがいい?」
「どこでもいいと思うよ?」
『え? ルアさんも一緒なんですかッ!?』
「うん。言ってなかったっけ。まあ、いいや。とにかく高花駅の駅ナカのマクデナルデで」
『……分かりました』
ホテルの周りをグルっと回ると、葛根先生の車らしき車種を発見。すると案の定、不機嫌そうな葛根先生とミオが慌てて出てきた。
ハルはすかさず電話を切って、カメラを起動して動画を撮り始める。
ミオの浮かない表情を見ると……やはり、脅されていたんだな。
「あら、あらあらあら。ミオちゃん奇遇だね。デートかな?」
「ゆ、夢咲さんッ!?」
「と、そちらの方はスタジオスパーブのえっと……クズ先生!」
「葛根だッ! いったいなんなんだ、この騒ぎはッ!?」
「騒ぎ……わたしはただ、スマホを失くしただけなのに……。なんで怒られたの? ルア君、わたし怖い」
「葛根先生、ミオとここでなにをしていたんですか?」
「なにって……なにも……」
「ミオちゃん、こっちに来て。大丈夫だから」
ハルがミオを手招きすると、ミオは駆けてきてハルに抱きついた。よほど怖かったんだろうな。ハルの胸で大泣きした。
「ミオはまだ高校2年生だと思うんですけど? これって犯罪ですよね?」
「……同意の上だ」
「同意……? 同意があれば未成年に手を出していいと? あれれ、ルア君これはおかしいですね? 同意があれば許される? 本当ですか? あ、ミオちゃんスマホ返してもらっていい? はい、ありがとうね」
ミオからスマホを受け取って、ハルはどこかに電話を掛け始めた。
「……くっ!」
葛根先生は突然駆け出した。いやいやいや。逃げてどうにかなるもんじゃないよな。それを知っていてか、ハルは追いかけようとはしないし、追いかけようとした僕を制したくらいだ。
「車ここにあるし、走って逃げても逃げようがないじゃんか。それよりも、そういうのは警察に任せよう? 逆上して殴られても嫌だし。あ、もしもし、警察さんですか。未成年の子を保護しました。えっと、脅されてホテルに連れ込まれたみたいです。ええ、場所は高花市稲賀尻の交差点を右折した……あ、そうです」
ハルは片手で僕のスマホで録画していて、もう一方の片手で警察に電話をしている姿を見ると、なんだかプロっぽい(いや、なんのだよ)。
警察が来てやむなくミオは事情を説明した。ハルの読みどおり、ミオは葛根先生に脅されていたらしい。だが、不可解なのはなにをネタに脅されていたのかはっきりしなかったことだ。ただ、葛根先生の命令のままに車に乗せられて、ホテルに連れてこられて。ミオにはその記憶がない。なにに恐怖をしていたのか分からないのだ。あまりにも怖すぎて忘れてしまったのでしょう、と警察はあまり深く追求せずに引き下がった。
ミオにとって救いだったのが、服を脱がされただけで済んだことだった(いや、それでも十分心に傷が残る犯罪であることに間違いはない)。また、他言するなと葛根先生に脅されていて、それでスタジオでは僕たちになにも言えなかったらしい。
しかし、今日がはじめてで以前に今日と同じように葛根先生に脅されるようなことはなにもなかったことは唯一の救いだった。
「本当にありがとうございました」
「いいの。それとこのことは誰にも言わないから。警察ももちろんプライバシーを守ってくれると思うし、みんなにバレることはないよ。だから安心して。もしなにかあったらわたしもルア君も付いているからね」
「ミオ……本当に大丈夫?」
「はい。本当にルアさんもありがとうございました」
ミオは1人で帰れると言ったが警察は1人で返すという判断はせずにミオをパトカーに乗せた。きっと後日警察署で聴取は受けるだろうけど、今日はとりあえず帰っていいと警察は話し、ミオを乗せて走り去っていく。
「ルア君、せっかく来たから、やっぱり行っちゃおーっ!!」
「どこに?」
「決まってるじゃない。この楽しそうなホテル!」
「は?」
ハルが指さしたのは、向かいのパリピチックなホテルだった。
「いやいや。中身はともかく僕たちも外見は高校生だからね? 警察に疑われなかったのは幸いだったけど、もしバレたらヤバいって」
「そっかなぁ。大丈夫じゃないの?」
「全然大丈夫じゃないから。ほら帰るよ」
19歳の大学生です、って偽った挙げ句、身分証は持ってきていないです、で通ったのは本当に運が良かったとしか言いようがない。もし、高校生だとバレたら根掘り葉掘り聞かれるだろうし。それに僕はともかく、ハルの身分がバレることは避けたかった。
そこまで考えていなかったんだよな。浅はかだったわ。
「つまんない」
「つまんなくない」
「つまんないよぉ~~~」
「じゃあ、つまるようになにか食べて帰ろう」
「むぅ。仕方ない」
結局帰ってからハルは僕に甘えに甘えて、0時の入眠時間までずっと僕にくっついていた。おかげでなんだか半身が痛くなった(だって動けないんだよ?)。
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☆をありがとうございました。また、面白いと思った方は☆をいただけると嬉しいです。
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