#07C改 鏡の部屋 ツクトシとシロヤエ





気づくとまた病室のベッドの上だった。どうやらまた九死に一生を得たらしく、手術が成功して僕は蒼空さんに救われたのだ。あの状況で僕の脳腫瘍再発を見抜いたところを見ると、やっぱり蒼空さんの言っていたことは本当だったっていうことなんだろうな……。



信じられないけど。



手術してわずか3日で退院となった。経過は良好で、通院で十分だと判断されたっぽい。信じたくないけど、蒼空さんを信じるしかないって陽音さんは言っていた。



「僕が入院している間、陽音さん毎日病院に来てくれたけど……体調大丈夫だった?」

「大丈夫……じゃなかったかも」

「えっ? また無理してたの?」

「ルア君がいないと生きていけない病で……夜眠れなかったんだから」

「……えっと」

「って本気にしないっ! わたしは大丈夫だよ。ルア君こそ本当にもう大丈夫? 次倒れたら、わたしをいただいてもらうからね?」



今回は倒れたわけではなく、そうなる前に病院に行ったんだから倒れたうちに入らないんじゃないかな。それと、いただいてもらうなんて、さりげなくとんでもないことを陽音さんは口にしたような気がするんだけど。



蒼空さんからのメッセージでは、下草のえぼし岩に行けと書いてあった。念のため退院してから2日間は休養していたんだけど、ずっと家にこもっていたせいもあって、身体は芳しくない。というよりも運動不足が祟って、なんだかだるい。陽音さんも同じみたいで、「ダンスやっていたなんて信じられない」っていう言葉に僕も同意して笑った。



ということで、そんな話をしながら現在、下草駅の下り坂を下っていて足が思うように動かない。



「久しぶりに来たっ! あ、わたしあの賽銭箱に一度だけ五円玉入ったことあるんだよね!」

「マジか……エグいな……。コントロールとかそういうレベルじゃないって。というか今は投げ入れる気力すらないな」

「投げたら倒れそうだよね。わたしもルア君も」

「それな……」



蒼空さんから受信したメッセージには、小学生のときのようにえぼし岩を伝って祠に行き着き、扉を開けろって書いてあるけど、まあ無理くさい。海に落ちて溺れるんじゃないかって心配になる。



「波……高くないかい? これ完全に無理じゃんか。詰んでるよ」

「今、満潮なのか……。どうする? 引き潮になるまで待つ?」

「そうしよっか……引き潮でも自信ないけど」



小学生のときの記憶なんて全く無いけど、ここを通って祠まで行ったっていうのは本当なのかよ。そもそもここで落ちたんだったら、強烈なインパクトがあって記憶していてもいいと思うんだよな。少なくとも陽音さんは。僕には記憶障害があって無理だろうけど。



「え?」

「は?」



突然波が引いていく。えぼし岩にざぶーんって掛かっていた波がまるで湖のように波がなくなって、海面が下がっていくようなきらいさえある



「ルア君……わたし怖い」

「呼ばれている?」



ここまで来たら行かないわけにはいかない。滑る足元をゆっくりと進んでいく。ボコボコした岩肌には海藻が付いていて、気を抜くと滑り落ちそうだ。



「手つなごう? 陽音さんしっかり捕まっていて」

「うん。気をつけてね」



一応トレイルシューズを履いてきたけど、滑るものは滑る。けど、なんとか祠までたどり着いた。腰丈くらいの社になっていて鎖でえぼし岩に固定されていて、なんだか物々しい雰囲気の祠だな。



「開けるよ? 心の準備はいい?」

「うん……怖いなぁ」



蒼空さんの話が本当ならこの祠は神がかっていて、開けた瞬間に僕たちは神様の前に立たされて現実では考えられない事象に巻き込まれるかもしれない。



おずおずと扉を開けると、中にはなにかの御札がベタベタと貼ってあって、鏡が入っていた。薄汚れていて、自分の顔もまともに見えない曇った鏡面の鏡だった。とはいえ、一応僕の顔は映っている。でも、なんだか違和感があるな。なんだろう、この不思議な感じは。いつも洗面所で見ている自分の顔とどこか違うような。



鏡には神紋が掘られていて、蒼空さんの言う年嶽神社の宝物とはこれのことなんだろうな。



「なにも起きないじゃん。やっぱり蒼空ちゃんに騙されたんだ。こんな危ないところまで越させられて。悔しいッ!!」

「いや、待って……この鏡……おかしい」

「……え?」

「だっ、鏡って左右反転で映るよね?」

「右手を上げれば左だよね」

「右手を上げてみて」



陽音さんが右手を上げると、鏡の中の陽音さんも右手を上げた。いや普通、鏡の中の陽音さんは左手を上げるはず。左右反転している?



「えっと……なにこれ怖い。この鏡……単に光が反射しているわけじゃないってこと?」

「多分……」



鏡を手にしてもう一度覗き込んで見ると……今度は鏡のモヤが取れて、鏡面はまるで磨き上げた鏡のようにピカピカしていて、映り込んだ光景に唖然とした。だって、僕と陽音さん、そして蒼空さん……と誰かがこっちを覗き込んでいるから。顔はまだあどけないけど、おそらく僕たちだと思う。



「これ……小学生のときのわたし達じゃない? 録画でもしていたってこと?」



録画とは言い得て妙だと思う。まるでレンズに向かって笑っているようにも見える。そして、大波に飲まれて海に放り投げられている様子まで正確に捉えられていた。



瞬きした瞬間、周りの光景が変わっていく。




——これは。




夢でも見ているのか……。天井、床、壁、すべてが鏡になっていて、鏡の中にさらに鏡が映っていて、自分(と陽音さん)が延々と同じポーズ、同じ表情、同じ仕草をしている。



周りがすべて鏡で一見すると自分たちが何十人もいるように見える。陽音さんの手をつないではぐれないようにした。鏡の部屋ではどこに陽音さんがいるかわからなくなりそうだったから。



その鏡の部屋のちょうど正面に一つだけ曇っている鏡がはめ込まれていて、僕は思わずその鏡を覗き込んだ。鏡の中の僕が右手をこっちに伸ばすと僕もなぜか勝手に右手が動いて鏡に触れた。今度は、鏡の中の陽音さんが右手を上げたので、こちら側の陽音さんも右手を上げる。



「これって……さっきの?」

「陽音さんがやっていた動作そのものだよね……」



『つまりそれが世界線です』



突然声が響く。物静かでどこか荘厳な声色で響いた声の主はどこにも見当たらない。



「誰? す、姿を現しなさいよ」



『現したところで見ることはかないません』



「あなたは誰ですか?」



僕が問うと、声の主は静かに答えた。



八百萬やおよろずの中でも忘れられた者。またの名をツクトシになぞらえた存在ですね』

「……えっと、神様、ですか?」

「ルア君、絶対にやばいって」



陽音さんは僕の背中にしがみついて顔を押し付けている。いや、怖いのは怖いけど、畏怖するような存在ではないような感じがして……なんとなく慈しみのある存在なんだと僕は感じていた。



「蒼空さんに聞きました。なんでこんなところにいるんです?」

『あなた達を救いたいのでです』

「ええっと……その対価はなんですか? 病気とか死ぬとか、そういう対価が必要って聞きました」

『その前にあなた達は呪いの正体を知らないといけません』



ツクトシ様の話によると、蒼空さんの話は本当で、僕たちに『代償』という名の呪いを掛けたのは、年嶽神社に祀られている神を模した存在なのだという。その偽神さまはツクトシ様を鏡に閉じ込めて、自分がツクトシノヒメに成り代わっているんだとか。



つまり、神話自体が間違っているのだ。



ツクトシノヒメはシロヤエノワニを封じることができずに、逆に鏡の中に閉じ込められてしまったということだ。しかも力を奪われてしまい、抵抗できないらしい。



「それでどうすればいいのですか?」

『シロヤエノワニは四六八重しろやえ、つまり複数います。この海の底にも居て、ツクトシを模して溺れた者を騙し、食しているのです』



食っている……って。

マジか。めっちゃ怖いじゃん……。



『食するといっても、肉体を食べるわけではありません。たとえば予定のない事故死や病死、そういった人の死を招いて魂を食するのです。定められていない死は魂が迷いますから。そうやってあらゆる世界の人々の魂を食して生きている化け物が、シロヤエノワニという存在です。選択をするたびに世界の構図は変わっていき、新たな自分が生まれていくのが理だとしたら、シロヤエノワニにとって、この世界は豊穣な農場ということになるでしょうね』



だから甘い言葉で誘い出して、対価を求めるのか。蒼空さんの話では、単に命を取るだけではなくて、たとえば18歳になるまで、とか、5年の猶予とか言っていた。あとは、愛されないとか。愛を奪うとかって言葉も口にしていた。



『そうです。愛を知った人間から愛を取り上げて、そうして死んだ魂ほど美味なものはないのでしょうね。ただ事切れただけの人間の魂なら、そこら中に転がっていますからね』

「えっと……心読むのやめてもらえます?」

「愛を……取り上げ……待って。それだとわたしとルア君が代償をシェアしたって蒼空ちゃんが言っていたけど……。命まで奪わないって聞いたような気がするんですけど?」

『人には寿命があり、よって死なない人間はいません。あなた達が病に臥したとすれば、互いに扶助し、愛を極限まで高められると考えたのでしょうね。シロヤエノワニの考えそうなことです』



鏡の部屋に声が反響して、僕たちの姿が一つずつ消えていく。正面の鏡の中の僕と陽音さんはキョロキョロしたまま忽然と姿を消していく姿は……もしかして。



『せっかく増えたあなた達の魂もこうしている今、食されています。あなた達全員に言います。シロヤエノワニを封じてください』



この鏡の中の僕たちは……全員実物ってこと!?



「うわ……自分の分身ってすごく気持ち悪いね」

「ちょ、ちょっと陽音さん抱きしめすぎ。当たってるって」

「なにが?」

「む、胸……本当にこんな状況で言っている場合じゃないんだけど、その……やめて?」



いや、待って。陽音さんが抱きついているのって、どの世界線(鏡の中)を見ても僕たちだけじゃん。なんなのこれ。他の世界線の方々は……みんな恐怖におののいて、うずくまっているけど?



「で、結局なにをすればいいんですか? まさか戦えとか言わないですよね?」

『宇宙の普遍的時間軸の中に現れる変則を追ってほしいのです』

「は? えっと、なに言ってるんです?」



今気づいたんだけど、鏡の中の僕が全員僕と同じタイミングで同じセリフを言っているみたいで、エコーが掛かったようでこれがすごく奇妙で気持ち悪い。全員思考が同じってこと? そのくせ行動パターンはみんな違う。あ、また1人食われた……というか死んだのか。



『2022年の冬。ちょうど1年前に遡り、変則を追ってください。詳細は言いません。言えばそれに囚われて餌食になってしまいますから』



すべての鏡がまばゆく光、目を開けていられなほど輝き出した。



「ルア君ッ!!」

「陽音さん、掴まっていて」



次の瞬間、目を開けると海岸だった。海風が冷たくて痛いほど寒い。



「ルア君、ちょっと見て」

「え?」



陽音さんが差し出したスマホのカレンダーの指す日時は、2022年の12月20日だった。



本当に一年遡っている……。








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