#07C ハルの捧げる御饌



おばさんはチャーハンを作ってくれて、そのお皿をわたしとルア君の前に置いた。懐かしいな。おじさんが亡くなってから、おばさんが味を守っていたんだって思ったらなんだか感慨深くなった。



「ルア君、どう?」

「……うぅ」



さっきカレーを食べたばっかりたもん、お腹いっぱいだよね。でも、ルア君はスプーンで一口食べてそれから一気にかきこんだ。そっか、ルア君はずっとここに来たかったのかもしれないな。知らなかったよ。ルア君はここによく通っていたんだもんね。ごめんね、ルア君のことなにも知らなくて。



まだわたしはルア君の知らないこといっぱいあるんだな。

寂しいよ、ルア君。



それにしてもルア君は蓮根音羽はすみおとはちゃんのことを覚えているのかな。そんな大きな事件があったのなら、わたしだって記憶していてもおかしくないのに。それとも、事件がショックすぎて忘れてしまったのかな。いや、でもそれは現実的じゃないよね。



小学校のときの写真でも残っていればなにか分かるような気がする。でも、わたしのそういう思い出の品はおばあちゃん家だし。現状を考えたら、そのためにわざわざ東京に帰るわけにもいかないな。



「年嶽さまに行くなら、これをあげるよ」

「なんですか?」

御浄銭ごじょうせんだよ。いつも年末に来てくれるお客さんに配るんだけど、今年は鎌倉に行くのが早かったからね。先週清めた五円玉だからお参りにつかってごらん」



そういえば聞いたことがある。鎌倉には霊水が湧いている神社があって、そこで清めたお賽銭を使うと運気が上がるとか。



「おばさんありがとうございますっ!!」

「そういえば、あんたどこかで見た顔だね」

「あはは……実は」



ユメマホロバというアイドルグループにいます、と正直に暴露するとおばさんは腰を抜かしそうになっていた。チャーハンと御浄銭のお礼にはちょっと少ないけど色紙にサインを残して(おばさんにねだられた)、お店を後にした。



中華屋さんのとなりはおばさんの言うとおり公園になっていて、奥の森には慰霊碑が立っていた。戦没者慰霊の塔って書いてあって物々しい雰囲気だったけれど、手前の広場にはブランコとすべり台、それに鉄棒が設置されて、子どもが遊んでいてもおかしくないごく普通の公園だった。その一角にわたしと同じくらいの背丈の社があって、小さな鳥居が立っている。



「これがおばさんの言っていた社かぁ、ずいぶんと可愛らしい感じだね」

「……あぁ」



さっそく、御浄銭を賽銭箱に入れて手を合わせる。







願い事をしてまぶたを開き、顔を上げると町は一変していた。

恐ろしいほど、燃えるような真っ赤な夕焼けに町がセピア色に染まっている。中華屋さんだと思っていた建物は豆腐屋さんで、その向かい側には駄菓子屋さんが店を構えている。店先に日本の国旗が掲揚けいようされていて、なんだか異様な雰囲気。



「え……?」



ルア君がいない。どこにもいない!?



「ルア君ッ!? ルアくぅぅぅぅぅんッ!!!!」



見回してもどこにもいない。鳥居を潜って通りに出てみても姿が見えない。どこかで潮騒の音が聞こえてくる。あれ、海ってそんなに近かったっけ?



どうしよう。わたしが目を離した隙きにいなくなっちゃうなんて。事故とかに遭っていないといいけど……。



再び鳥居を抜けて神社の場所に戻ると、小さいと思っていた社は大きく立派な神社になっていて、わたしは目をこすった。これは見間違いとかじゃないし、幻覚でもなさそう……。ブランコもすべり台も鉄棒もない。いったいここは……?



『また迷い子ですか。ここは時のとまり木。あなたは不敬にも迷い込んでしまいました』



境内のほうから声が聞こえた。けれど姿は見えないし気配がない。風が吹いて黄土色や赤い木の葉が舞い上がる。



「誰……ですか?」

『あなたの知らない誰か、とでも言っておきましょう。さて、あなたはわらわに願い事を言うでしょう。それは大切な人の失われたものを戻してほしいという切実な願い。違いますか?』



この人は……心を読んでいるのかもしれない。わたしは、ルア君の感情——というか自我と記憶が戻ってくれるなら他になにも望まない。確かにわたしはやしろにそう願ったけれど、なんでそれを知っているんだろう。



「ルア君……鏡見春亜君をもとに戻してほしい……です。脳腫瘍のない元気な身体で、感情とかお話ができる状態に戻ってほしいです」



でもきっと、どんな名医だろうと無理なんだって心のどこかでは分かっている。きっとルア君は一生このままで戻らない。本当はわたしも心のどこかでは理解していて、それを認めちゃったら、わたしがそれを受け入れちゃったらルア君の希望がついえてしまうんじゃないかって。少しでも希望がほしい。でも、結局それは、自分のエゴなのかもしれない。



『叶えてあげてもいいですよ。ただし条件があります』

「まさか? そんなこと……」



無理だ、と舌の先まで出かけた言葉をなんとか飲み込んだ。




『できますよ。ほんの少しだけその者の体のを戻せば元に戻るでしょう。そして、すぐに手を施せばなんの不自由もなく寿命を全うできることとなります』

「……うそですよね?」

「ただし、条件があります」

「条件……ですか?」

「そうですね。あなたの命。それと引き換えなら叶えてあげないこともないです」

「え……」



命ってことは、ルア君が助かってもわたしが死んじゃうってこと? せっかくルア君が治ってもわたしがこの世からいなくなっちゃうってこと?

ルア君とお話もできないままわたしがいなくなっちゃうってこと?



そんなの……あんまりだ。



「それは……」

『慈悲は与えます。あなたの命をすぐに奪うことはありません。愛を育む時間は与えます。そして時が満ちたとき、あなたの命は奪われます。あなたは見境のない愛と憤怒による刃に血を流すでしょう。逃げることはできません。逃げれば愛する者の病が再び根ざし、今度こそ死に至らしめます』

「……くっ」



それでも……。




ルア君を救いたい。ルア君が幸せになれるなら、わたしは命も惜しまない。だって、ルア君のことが好きだから。



それに猶予をくれるなら——思いを伝えられるのなら、わたしは命を惜しまない。今のルア君も好きだけど、やっぱり元のルア君にちゃんと話を聞いてもらって、好きだって全力で伝えたい。



たとえルア君と共有できる時間がわずかだとしても、わたしは……。





わたしはもう一度ルア君に、あの頃のルア君に会いたい。





「お願いします。ルア君を助けて。ルア君が助かるなら、わたしは死んでもいいからッ!!」

『それは苦しいですよ。あなたに対する狂人の愛憎が暴走し、突き刺さる刃はあなたの命を必ず奪います。それでもいいのですか?』

「……はい。でも、絶対に春亜君を助けてくれますよね?」

『救いましょう。では。その者の身体の時を戻します。そしてすぐに病を医者に見せるといいでしょう。あなたの愛と最期の時を楽しみにしています。美しくもがきなさい』



まるでやまびこのように声にエコーが掛かって、鼓膜が破れるような音にわたしは耳をふさいだ。







頭が痛い。顔に小石が当たっているのか、なんだかすごく痛い。


どうやらわたしは寝ていたのか、辺りは薄暗くなっていてとても寒い。寒すぎる。



「イテテ。なんだここ。あれ、ハル?」



顔を上げるとルア君が頭を擦りながら座っていた。

表情は、いつものルア君とは違って生気に満ちている。



「……うそ?」

「なに驚いた顔してるんだって。あれ、なんでこんなところに? ハル?」

「ルア君ッ!? ルア君? ルア君が……ルア君が元に……」

「うわぁ、いきなり抱きついてくるなって。どうしたんだの?」

「だって、だってぇ……」



ルア君がもとに戻った……ってことは、さっきの夢は……本当ってこと?

そんなことって……ルア君が……。

ルア君本当に良かった……。



違うッ!! 

はやく病院にいかないと……!!



「ルア君病院に行こっ!! はやく行かないとっ!!」

「え? いきなりなんで?」

「いいから」



結局その日は診てもらえず、翌日病院に行くと先生は驚いて腰を抜かした。改めて検査をすると脳腫瘍は小さくなっていて、カテーテル手術をすれば腫瘍を取りきることができるという説明を受けた。



奇跡としか言いようがありません。



先生はそう言って首を傾げた。あの声はいったい……誰だったんだろう。

本当に神様が存在して……わたしを見かねて助けてくれたってこと?

あまりに現実離れしていて、わたし自身未だに信じられない。



呼び出された立夏さんは驚いて、涙ぐんだ。



その一週間後、無事に手術は終わりルア君の脳腫瘍は消え去った。すぐに退院となって、わたしは事の経過(脳腫瘍になって看病し一緒に暮らしていたこと。神様のことは言っていない)をルア君に話すと、本人も驚きを隠せなかったようで。なにより、わたしと同棲をしている事実がまだ受け入れられていない様子。



「ってことで、おかえりルア君っ!!」

「ただいま……」



クラッカーを鳴らしてケーキを用意した。立夏さんも呼んで盛大にパーティーを開いたのはいいけれど、なんかしんみりしているのよね。

って、それはわたしのせいか。でも、止まらないんだもん。涙が。



「だから、ハル、泣くなって」

「あんたね。ハルちゃんがどれだけあんたのために尽くしたと思ってんの。ぶっとばすわよ?」

「……立夏さんいいんです。これは、もう、本当によくわかんないけど涙が止まらなくて」

「ハル……ごめん」

「ごめんじゃねえよ。そこはありがとうだろ? それにしてもバカ弟だけど本当にいいのか? ハルちゃんだって自分の人生があるんじゃないの?」

「わたしは……ルア君と生きるって決めちゃった以上、今さら突き放せませんって」

「あ〜あ。責任重大だな。春亜ッ!! もしハルちゃんを泣かせるようなことがあったら、私がぶち殺すからな?」

「……姉ちゃん昔に戻ってるって」



ただ、わたしはあとどれだけ生きられるのか分からない。あのときは、ルア君を助けたい一心であの人の言葉を受け入れちゃったけど、実際にこうしてルア君の病気が治って、幸せを掴み取ることができるとなると……。




怖い。ただ、怖い。




死ぬってどんな感じなんだろうって。刺されて殺される(そういう意味だよね?)って言っていたけど、それがいつなのか。



「ハル? 大丈夫?」

「うん。ごめんね。色々考えちゃった」

「ハルちゃん、悩み事があったら私に相談しな。いつでもこいつをぶっとばしてやるから」

「だから、なんで僕がやらかす前提なんだって」



今は忘れよう。



とにかく、ルア君に思いを伝えないと。








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今日は出先のために近況ノートなしです。

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