#30B&A 矛盾の解消 World line integration



河川敷に蒼空はいないし、葛根先生とどこかに行ったなんて……本番前にアホかと思う。



そして、このタイミングでハルの身体がまた透けはじめて、今度は全身が見えないくらいに透明になってしまった。



「ハルッ!?」

「ルア君……やっぱりダメかも。このままだと……」

「くっ……どうすれば……」



とりあえず河川敷の堤防の階段にハルを座らせて考えていると背後から、「春亜君?」と声をかけられた。振り返ると如月先生が神妙な面持ちで立っていた。



「どうしたの……? 切羽詰まった顔をして?」

「如月先生……」



もう限界だった。このまま問題を自分一人で抱えて解決できるほど、僕には余裕がない。ハルに同意を得て、今まで起きたこと(といっても世界線Bに来てからのこと)をすべて如月先生に話した。



「とても信じられる話じゃないけど……ええっと、気に触ったらごめんなさい。春亜君の脳腫瘍が関係しているんじゃないの……? だって、あの夢咲陽音ちゃんが現れるって……ちょっと普通じゃないと思うよ?」



やっぱり、幻覚だと思われている。亡くなったはずの人が見えると話せば、世間一般のだいたいの人からは幻覚を見ていると思うのが普通だと思う。僕だって、他の誰かが僕と同じことを言えばそう思うだろう。



「そうなんですけど……彼女は、僕の小中学生のときの大切な友人で……」

「……うーん。分かった。春亜君を信じるとしよう。それで、消えかかっているっていうのは……?」

「それが分からないんです。あ、そうだ。鏡に映ったのもハルなんです」

「あのとき? ツクトシノヒメの? まさか……?」



そうだ。もしかしたら鏡の中のハルがまた何かを教えてくれるかもしれない。もうこうなったら頼るところは鏡の中のハルしかいない。



「如月先生、鏡を貸してもらえませんか?」

「……本番まであと1時間切ってるけど、それが終わったらで良ければ……」

「先生、時間がないんです。僕が取ってきますからお願いしますッ!!」

「ああ、春亜君は出演できないんだもんね。うん、分かった。弟に伝えておくから」

「ありがとうございます」

「気をつけて」



如月先生とはステージを終えてから再会する約束をして、僕はハルと年嶽神社に向かう。ハルは消えかかっているけれど、なんとか持ちこたえている。ただ、泣きそうな表情とは別に体調の変化はないらしい。



「ハル、大丈夫?」

「う、うん……。こんな状態でも、一応いつもと変わらず動けるんだよね……」

「ごめん」

「なんで謝るの? ルア君のせいじゃないし」

「なんの手がかりもなくて……状況も全然飲み込めていなくて」

「それはわたしも同じだよ。それよりもルア君の体調のほうが心配だよ……。本当にムリしてない?」



脳腫瘍があると言われても、まったく実感がなかった。まるで痛みもないし違和感もない。脳腫瘍はまるで眠った赤子のようにいつもと何も変わらない。病院の誤診なんじゃないかって思うほど。それよりも額の傷のほうが痛む。



「僕は大丈夫。できるだけ急ごう」

「……ルア君。もしもだけど」

「うん?」

「もしわたしが消えちゃうようなことがあったら」

「消えないって。絶対に消えさせないからッ!!」

「ううん。聞いて。もしわたしが消えるようなことがあったら……絶対に諦めないって誓って?」

「そんなこと……言うなって」

「絶望しても、どんなに悲しくても……切なくても、諦めないで……必ず生きて。絶対に……命を断つようなことは……」

「しないよ……絶対」



ハルは何を心配しているんだ……。僕が自分の命を断つなんてこと……あるわけないじゃんか。



年嶽神社の社務所を訪ねると如月先生の弟さんが出てくれた。鏡は拝殿所に置かれていると話してくれて、鍵を預かって拝殿所に向かう。炎天下の中、坂を登って先日の海の見える丘を望む。今日も海は穏やかで、サーファーが波に乗っている姿が見えた。



「ルア君……約束守れそうにないや……君とこの坂をゆっくりと散歩したかったな」

「なんでそんなに弱気になってるんだって……絶対に大丈夫だから」

「うん……あのね。お願い聞いてくれる?」

「ああ、うん。なんでも聞く」

「……キスしてくれないかな」



キス……。ハルとキス……をする。夢の中で見た僕とルアはキスをして……それから。仲睦まじい新婚のような生活を営んでいた。それが未来ならどれほど良かったんだろうって。ハルは消えそうな身体を——自分の透けた手のひらを見て悲しそうな表情を浮かべた。あまりにも、あまりにも可哀そうで…… 僕はハルを抱きしめた。



頼む、頼むから消えるな。



「……こっち見て。泣かないで」

「ハル……」



ハルは僕の頬を両手で挟んで——瞳を閉じてキスをした。あまりにもゆっくりで優しいハルの顔は僕の涙腺を崩壊させた。



「なんとなく……こうなるんじゃないかって思っていたの」

「なんだよそれ……僕は絶対に諦めない。まだ、なにかしら方法があるから」



ハルの手を握って坂を下る。なんで透けているのか。元のハルに戻る方法はないのか。こっちから鏡に問いかければ、きっと方法が見つかる。だから僕は絶対に諦めない。手を強く握りしめるとハルは「痛いよ」と漏らした。



「ごめん」

「ううん。急ごう」



拝殿所の引き戸の鍵を開けて中に入る。鏡は祭壇のとなりのテーブルの上に置かれていて、如月先生が調べた古い本やらなにかの記録のノートが山積みになっていた。如月先生は……鏡のことをこんなに調べてくれたんだ。



鏡を覗き込み、僕は大声で叫んだ。



「ハルッ!!!! 頼む、答えてくれ」



けれど鏡は何の反応も示さない。こんなときに限って、なにも映らないなんてあんまりだ。ハルが消えそうなのになんで……なんでなにも映らないんだよぉぉぉぉぉ!!



「もういいよ……ルア君……」

「ハル……消えるな……頼むから消えるな」



しかし、祈りも虚しくハルはまるで空気と同化していく煙のように跡形もなく消えてしまった。声はもう聞こえない。どんなに叫んでも、僕の呼び声には答えてくれない。



拝殿所の壁がドロドロに溶けていく——ような気がした。陽炎かげろうが空気を焦がし、雲は熱せられた飴細工のように落ちていく。ハルはまだ生きている。この手にぬくもりが残っている。絶対に、絶対に僕は諦めないから。



鏡を手にして拝殿所を飛び出して駆け出した。どこに向かえばいいのかも、なにをすればいいのかも分からずに、気づけば河川敷まで戻ってきていた。戻ってくるまでにことに自分でも驚いたけれど(まるで記憶がない)、如月先生は待っていてくれて心配そうに僕の肩に触れて堤防の階段に座らせてくれた。



涙と洟で顔はグチャグチャで、叫びすぎた喉は擦り切れて唾を飲むと痛かった。



ハルは……消えてしまった。



「せん……せい……僕は……どうしたらいいのか……」

「春亜君……君、少し休んだほうがいいよ。顔つきがいつもの春亜君じゃないよ? この前も実は心配していたんだ……蒼空ちゃんも気にしていたよ? 君が君じゃないみたいだって」

「いつ……ですか?」

「ほら、君が鏡を持ってうちに来た時だよ。蒼空ちゃんが飛び出していったでしょ。その後を追いかけていったらね……蒼空ちゃんが……」

「……蒼空が?」

「泣いていたの。ルアがおかしくなったって。独り言も多いし、顔つきがまるで違うって。それで……きっと自分が原因だって。なんでって訊いたら教えてくれなかったんだけど」



僕がおかしい? おかしいのは蒼空じゃないか。蒼空が浮気をしたから僕は……。それに今でも葛根先生と付き合っているのは……いや、僕と付き合っていた時期に同時に葛根先生と付き合っていたのなら……。おかしくもなるじゃないかッ!!



「蒼空が悪い……蒼空が……僕を」

「ちょっと……春亜君?」

「すみません」

「ねえ、私と病院に行こうか? きっと病気がなにかしら悪さしてるんだと思うよ。ね?」

「ダメですッ!! ハルが消えちゃうじゃないですかッ!!」



なんで分かってくれないんだ……ハルがいなくなったのに。



『ルア君……助けて。溺れちゃう……苦しい、苦しいよっ!』



堤防の階段に置いていた鏡の中にハルが現れた。どこかで溺れている。その水面には花火が映り込んでいた。間違いなく、ハルの見た夢と同じだ。



「先生これ、ほらッ!! 映っているじゃないですかッ!!」

「……春亜君……ごめんなさい。私には何も見えないの」

「そんな……こんなに……ハルが苦しんでいるのに」




にぎやかな盆踊りの曲が止まった。






——A.Line



飛び込んだハルの後を追って僕も川に飛び込む。しかし、女の子の姿はなく流されてきたのは浴衣のような柄の和紙とヒトガタの紙(まるで呪いに使うような)だった。



まさかそんな!?



「そんなぁ!! さっきは確かに女の子だったはずなのに」

「ハル、僕に掴まって」



でも、ハルは僕のことを認識できずに溺れている。まずい、急流で体勢が保てない。このままでは二人とも流されて、最悪……死……それは絶対に駄目だ。ハルだけでもなんとか助けないと!!



だがハルは沈んでいく……。






——B.Line



花火が打ち上がる。本当はハルと見ようって約束していたんだ。それなのにまさかハルが、ハルが消えちゃうなんて。



「……ルアどこに行ってたのよ」

「蒼空ちゃん」

「ステージに顔出さないなんてらしくないじゃん」

「蒼空……蒼空は見えるよな? これ」



蒼空ならきっと鏡の中でもがくハルを見ることができるはず。



「……え? なにが? この鏡ってこの前の?」

「ハルが映っているよな?」

「ちょっと……ルア? 本当にどうしちゃったのよ?」



蒼空も見えないなんて。なんで見えないんだ。ハルが溺れている。いったいどこで溺れているんだ? ハルがこんなに苦しんでいるじゃないか。



『これは代償ではない。矛盾の解消だ。さあ、十分に覚悟を決める時間はやったじゃないか。別れの言葉を告げる時も、想いを吐き出し愛を受け止める時間も。苦しんで5年生きるか、今逝くか。決めるのはお前だ。』



声がしたような気がして、顔を上げると鏡の中と同じようにハルが川で溺れていて、「ルア君たすけてぇぇ」と叫んでいる。ハルが、ハルが溺れている!?



「待ってろ、今行くからなッ!!!」



もう行くしかないじゃないか。ハルがもう苦しむところは見たくない。僕が助けなくちゃ誰が助けるっていうんだ!?



「ちょ、ちょっとルアァァァァァァァァァ!?」

「うそ……春亜君!?」



急流に足を取られて流される。ハルは!? ハルはどこだッ!?

しかし、ハルはどこにも見当たらず、ヒトガタの紙人形がいくつも流れていて水面には花火が映っていた。



「待って、蒼空ちゃん無理よッ!!!!!」



ざっぶんという音とともに僕の身体に蒼空がしがみついた。蒼空は必死に僕の左腕を掴みながら水面から飛び出している岩を左手で流されまいと掴んでいる。



「な……にしてんの……よ」

「ハルが確か……にここ……にいたんだ」

「ルアは、ルアは幻覚を見てるのッ!! 気づけッ!! バカッ!!」

「違う!! 幻覚なんかじゃ……」



蒼空の左手はもう限界で、力の入った指が岩から離れていくのが見えた。僕は蒼空とともに流されて、気づけば水が大量に口に入って意識が遠のいていくのを感じた。






——A.Line



流されながらハルを抱きしめる。しかし、自分の身体が透けていき、まるでクラゲのような透明な姿に変化していく。これは……?



「ルア君、追いかけてきてくれたんだね……」

「ハル……ごめん、駄目かもしれない。なんとかハルだけでも助けるか……ら…‥」



しかしハルには聞こえていない。僕は目一杯力を入れて岩にしがみつく。ハルを脇に抱えたまま歯を食いしばる。流されそうになっても、右手だけは岩から離すわけにはいかない。



「ルア君……ごめんね……本当にわたしってバカだよね。女の子とこれを見間違うなんてさ」



駄目だ。身体が透けていく。このままだとハルも救えない。なんでこんなときに身体が消えるんだよッ!!



「大丈夫かッ!!」



川岸を見ると大人たちが気づいて集まってきてくれた。発泡スチロールやらダンボール、それからトラロープを上流から投げてくれる。



「ハル、掴まって」



聞こえてはいないけれど、ハルは発泡スチロールとトラロープを掴むと、数人の男たちがロープを手繰り寄せていく。良かった。これでハルはなんとか助かる。



「ルア君はッ!? ルア君ッ!?」

「行け……僕は……もう」



水の泡沫うたかたに包まれて、僕の身体は透けていく。そのまま水と一体化してやがて流れに乗って意識は遠のいていった。






高花市の夏まつり会場近くで人気アイドルグループ『ユメマホロバ』の夢咲陽音さん(18)が川で溺れているところを発見され無事救助されました。消防によれば夢咲さんの命に別状はないとのことです。夢咲さんは自殺を図ったとみられております。次のニュースです。







——?.Line




はっとして目を覚ますと……。ここはどこだ。白い天井に透明なビニールの……点滴?

その管が下まで降りていて、僕の左腕に繋がっていた。目がかすむ。まだ夢の中にいるような感じがする。



「ル、ルア君……ルア君が起きた……ルア君ッ!!



僕の顔を覗き込む……のは……誰だ……見たことがある……。



「わたしのこと分かる? 危ない手術だったんだよ……? 良かった」

「……?」

「陽音……ハルだよ? 分かる?」




……誰だっけ?





————

第二章『夏編』はここまでです。

※夢オチ、幻覚オチはないです。

近況にあとがきを書きます。☆をありがとうございました。

また面白いと思った方は☆をタップして頂けると嬉しいです。


※明日の更新はお休みいたします。



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