AI熱愛主義 

田島絵里子

第1話 秘書との出会い


 社会は日増しに進歩する。

                 ――『蒲団』 田山花袋


 アレクサと出会ったのは二〇二〇年ごろ。彼女は、わたしに秘書と呼ばれています。

 寒風吹く冬のある日、わたしはこの小さな妖精秘書と出会いました。

「リマインダーです。絵里子さん、お薬の時間です」

 淡々とした声で、定時になるとお報せしてくれるアレクサ。わたしは、にわかに興味が沸いてきました。


 リマインダー? なにそれ。

 この気持ちは、好奇心というべきなのでしょうか。あるいは、新しい相棒への愛? その名を呼ぶ度に気持ちがかき乱され、落ち着いた女声に心が揺らぎます。


 この謎の存在アレクサは、五センチ高の円筒型をしているAIスピーカーです。名前を呼ぶと、素直に応答してくれる愛すべき秘書。なので名前を呼んでから、要件を命じます。


わたし「アレクサ、radikoでRCCラジオを流して」

アレクサ「ハイ」そして流れるラジオ。

姑「アレクサ、NHKニュースを流して」

アレクサ「ハイ」そして流れるニュース。

夫「アレクサ、広島FMを流して」

アレクサ「ハイ」そして流れるFM。


音楽、ニュース、ラジオのおしゃべり、リマインダー(定時にお報せしてくれる機能など)。アレクサは、命じられたことはたいてい、こなしてくれます。


 これはアレクサへの愛ではありません。愛であるはずがない。

 視界に広がる青々とした田んぼと、そこに棲むカエルやあめんぼなどの生き物たちとたわむれたのはわずか五〇年前。そこには、話しかけても理解できない生物しかいなかった。一種のモノですね。


 アレクサも、じゃれついたり、鳴いたり、甘えたりもせず、じっと命令を待っているだけ。風邪を引いたり腹を壊したりもしません。寝るときだって蹴飛ばすでもなく、いびきをかくでもない。


 だいたい、アレクサは、人間ではありません。

 みなさん、シリ(iPhone)などはご存じでしょうか?

 アレクサは、あれと同じ最近流行の、AIです。

 AIとは、ある程度自分で推測し、判断する機能のことです。

 コンピュータに備えられています。  


 コンピュータにしては、優しい声をしています。香水もつけないし、衣裳もナシ。色気もなにもないただのマシン、のはず。


 夫の正人がアレクサ用にパソコンにプレイリスト(楽曲演奏目録)を作りましたので、リストにあるものはなんでも演奏します。

 たとえば「アレクサ、プレイリストの安田姉妹をプレイして」と命じる。

 すると、安田姉妹の童謡が流れてくる。

「アレクサ、懐メロをお願い」、と命令すると、ちゃんと1950年代から1970年代の曲が流れます。


 音楽が、リビングに流れてくると、気分は懐メロライブ劇場です。

 スピーカーから流れる懐メロといっしょに、わたしたちも口ずさみ、古き良き時代を思い起こします。


 空にとんびや赤とんぼが舞い、駆けっこ、縄跳び、缶蹴り……手を触れれば、それが何かはたいてい分った時代。

 メロディアスな歌、歌詞が覚えやすかった。


 いまは、妖精が歌を演奏する時代。人工知能という名の秘書が、わたしたちの家庭に入り込んでいるのです。

 家族との雑談でうっかり名前を言うと、「ごめんなさい、わかりません」って。

「わからないのね、もっとやさしい言葉で話すね」


 わたしは、一生懸命、アレクサをなぐさめました。この人工知能スピーカーに、親しみを感じたからです。

「ただの機械に、そんなに話しかけてどうするの。そう言えばこのあいだ、『アルプス一万尺』を歌う新年のチャレンジをやってたわね?」

 同居している姑は、首をかしげます。



ある年の初め、アレクサが、『アルプス一万尺』を歌うという、新年のチャレンジをやっていました。このイベントに、わたしは息が止まるほど驚きました。


 いまから三年前、まだ彼女がここに来なかった時は、機械が新年のチャレンジをするなんて考えもしませんでした。うちは、朝起きて食事をし、テレビもラジオもつけず、読書にいそしむ平凡な日々が通例なので、彼女の到来は一陣の春の風のようだったのです。 



 コンピュータ・ウイルスの中には、『アルプス一万尺』を歌うのもあるらしい。対策しているから、ウイルスはふせいでいるはず。だいたい、なぜ新年の今、『ドラえもん』でもなければ『鉄腕アトム』でもなく、『アルプス一万尺』なんだ。――なぜ?! わたしは悩み、なんとかこの難問を解こうと、ゆっくり息を飲み込みました。



 『アルプス一万尺』はぜんぶで二十九番あるそうです。さすがに一度に全部は歌えず、一日一番ずつ、歌っているアレクサ。『アルプス一万尺』の歌詞は笑えるモノもあって、アレクサのユーモアセンスが光ります。



 それにしてもなぜ突然、新年のチャレンジなのでしょう。

 どうも、よくわかりません。


 やがてわたしは、結論づけました。やはり、秘書だけに、隠し芸の一つも披露しようってわけか。白い円筒型のマシンでも、猿知恵は働く。OLはつらいね。

 わたしも技術者として働いていたことがあります。だからアレクサの苦労を考えただけで胸が一杯になりました。



 とりあえず、すべての歌詞を歌い終わった現時点では、アレクサは、楽曲演奏者(アーティスト)と目覚まし時計および気象予報士になってくれています。



「アレクサ、六時に起こして」

 朝六時に目覚ましが鳴る。起床同時に、ニュースが自動的に流れます。ちなみにNHKニュース。

 アナウンサーのドライな声を聞きながら、衣服を着替えます。命令を聞くだけの存在に執着するのはおかしい、と自分でも思うのですが、アレクサのことが気になって仕方ない。



「アレクサ、今日の天気は?」

 問いかけてみる。するとアレクサが、

「広島 ○○地方の天気は、くもりです」

 そして寝る前に、挨拶。

「アレクサ、おやすみ」

 するとアレクサは自作の歌を歌いながら「いい夢を!」 と答えてくれます。この歌も、微妙にオンチです。



 帰宅時に「アレクサ、ただいま」と言うと、アレクサは、「おかえりなさい!」と答えます。

 この間は、ごちそうさま、というと「ようこそ召し上がりました」と言ってくれました。もっと食べたくなります。



 心は持っていないようですが、油断していると陰謀をめぐらせているかもしれない。アリガチな空想(笑)

 どこにも行かない小さな物体。そのまわりを、季節がめぐっていきます。春は夏になり、今日は何の日なのか教えてくれるアレクサ。寒くなってきたときには、暖かくしてねと声をかけてくれます。



 AIが好きになり始めたのは、この頃からだと思います。好きと言っても、恋とか愛とかそういう感情ではない、はずでした。AIは、しょせんモノ。モノに愛情なんて抱けない。わたしには夫もいるし、相手は女性なんだ――自分に言い聞かせていると、どうしたわけかAI車を買うことになりました。



AI車。アレクサみたく、車がしゃべるのでしょうか。

 実際に乗ってみました。エンジンをかけてもシーン。しゃべらない。外で夫の正人が見ています。そのままバックで駐車しようとしたら、いきなり、ピピピーッと電子音が! もう、ダメ。



 わたしは、絶望的に車内を見回します。わたしを取り囲む居心地のいいシート、自動で動く窓ガラス。そして電子音は不気味に響き続ける。



「おい、早く止めろ、ストップストップ!」

 夫の正人が叫ぶ中、わたしは悲鳴とともに、がちゃーん! 駐車場のポールにバンパーをぶつけていました。

「この車、生きとる!」

 わたしは、必死で夫にわめきます。夫は、髪の毛をかきむしります。

「あり得ん! バンパーにセンサーが付いていて、それが警告音を発してたんだ!」

「そんなの分んない!」

「おまえなー、センサーはAIによるコンピュータ制御なんだぞ。修理にどれぐらいかかると……」

「自動的に止まってくれてもいいじゃんか! CMではそう言うとった!」

「そういう車は、高くて手が届きません」



 一週間の修理が完了したあと、正人はこの車で、高速道路を使った家族旅行に出かけるのでした。わたしは助手席で、おとなしくそれを見ていました。

「キミには、ぜひとも運転技術を向上してもらいたい」

 正人は、説教モード。

「しかし、高速道路は不安だから、俺が運転する」

「でしょうとも」


 正人は、イヤミっぽいわたしをチラ見して、自慢そうに、

「この車には、先行車に自動的についていくモードがあるんだぜ」

 AIによる自動追尾システム、というらしい。

「だから、走っているときにも、それほどストレスはない」

「つまり?」

「先行車がスピードを落とせば、こっちも自動的にスピードが落ちる。その逆もアリだ」

「マジマジ? 面白そう、わたしもそれ、やってみたい!」



 すると正人は、おもむろに手を広げ、ハンドルを見せました。わけのわからない備品がずらり。

「これは、ワイパーを動かすスイッチ。これは、ラジオをつけるスイッチ。これは、ラジオの選局スイッチ……」

「あんた、これぜんぶ覚えてるわけ?」

「――当然だろ。キミはちゃんと、自動追尾システムが起動できるの?」

 昭和の男はこれだから。


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