ヒメちゃんとおいちゃん
雨宮羽音
ヒメちゃんとおいちゃん
のどかな昼下がり。降り注ぐ太陽が俺の体をほんのりと照らす。
木造平屋である実家の広い縁側は、日向ぼっこには最高のポジションだ。
耳に聞こえてくるのは優しい鳥たちのさえずり。
その場で足を外に投げ出して寝転がると、息苦しい社会から隔絶された気がして、清々しい解放感を味わえる。
庭の外は車道が走る大通りだが、平日の昼間ということもあり、いたって静かなものだった。
言っておくが、俺はニートでは無い。
ただ少し──羽休めをしているだけなのだ。
しかし、外をぶらつくとご近所さんの視線が痛いので、塀で囲われて守られた牙城の中で英気を養っている。
別に外出できなくたっていいさ。
必要なものは揃っているし、何かあれば、姉が仕事帰りに買ってくるはずだから──。
俺はそんなことを考えながら、咥えた煙草の煙を強く吸い込んだ。淀みのある空気で肺が満たされる。
ああ、なんて美味いんだろう。
俺はこの相棒さえいれば、どんな場所でも心を落ち着かせていられる気がするよ……。
「ねー、ねー。おいちゃーん」
「…………なんだよヒメ」
仰向けに寝転がる俺の顔を、姪っ子のヒメが覗き込んでくる。
危ないので、俺はしぶしぶタバコを灰皿で揉み消した。
この子は姉の一人娘だ。遊びたい盛りの4歳児。姉はシングルマザーなので、この子のために頑張って出稼ぎに出ている。
そんな姉のことは素直に尊敬するが、子守りを俺に押し付けられるのは誠に遺憾である。というか、保育園はどうした。
「ヒメおなかすいた。おいちゃん、おかしちょーだい」
「知らねえよ。自分で棚でも漁っとけ。あと、俺は叔父ちゃんな。おいちゃんじゃねーから」
「おいちゃん!」
「お! じ!」
「お! い!」
「…………はぁ」
実に子供らしい舌足らずさだ。まあこの際呼び方なんてどうでもいいか。
「おかしちょーだいよ! このままじゃヒメはエシします!」
「おー、難しい言葉知ってんな。でもそれを言うなら餓死なんだよなぁ」
「いいからおかし!」
「だから自分で取ってこいって。俺は今、社会の熾烈さに打ちひしがれてるんだからよ」
「だってヒメじゃとどかないもん!」
ヒメはそう言って居間にある戸棚の上段をゆび指さす。
なるほど。姉はいつもそこにお菓子を隠しているらしい。
「あーあ、残念だったな。ヒメが大人だったら取れたのに」
「ヒメもうオトナだもん!」
「じゃあ自分で取れるだろ」
「ぐぬぬぅ……」
歯ぎしりをするヒメを横目に、俺はため息を一つ吐く。
仕方がない、少しだけ構ってやるか。
そう思って俺は低い声で歌いだした。
「ポーケットをたーたーくと──」
リズムに乗せながら着ているパーカーのポケットを叩く。
それを見てヒメは花が咲いたかのように表情をパッと明るくし、期待の眼差しを向けながらヨダレを垂らしていた。
「──ターバーコがーひーとつ」
コトリ。
縁側にふちに封の空いた煙草を立てて置く。
途端にヒメの顔が怒ったブルドックのようなものに変わった。
ビスケットを期待したんだろうが、残念ながら世の中そんなに甘くないのだ。
「おいちゃんキライ!」
「まあ待て、俺が悪かったよ。流石に大人げなかったわ」
むくれ上がるヒメに謝って、俺は再び歌い始める。
「ポーケットをたーたーくと──」
ヒメの目が輝きを取り戻し、前のめりになりながらヨダレを垂らしている。
そのあまりの純粋さは、可愛らしいことこの上ない。
「──ターバーコがーもうひとつ」
コトリ。
新品の煙草が置かれ、一つ目と肩を並べて縁側に立つ。
俺の視界に怒りと悟りを内包する阿修羅観音像が現れたかと思ったが、よくよく見てみるとそれはヒメだった。
「……いいかヒメ。タバコっていうのはな、大人にとってお菓子みたいなもんなんだよ」
「ぬがーーーーっ!!」
ぶちぎれたヒメは煙草の箱を掴み取ると形相を鬼にして叫び声を上げた。
「ヒメはオトナだからタバコたべる!! おいちゃんのぶんもぜんぶたべる!!」
「待て待て食べるのはヤバイ。ヒメが死んだら俺が姉貴に殺される。社会的にも死ぬ……あっ、もう死んでたわ」
「オトナですから!! たべれますから!!」
「オトナでもタバコは食えねえよ! ……あーっもう分かったって!!」
俺はヒメから煙草を奪い取ると重い腰を上げた。
「今日は特別だからな! 駄々こねたらお菓子貰えると思うなよ!」
居間に入り戸棚の上段を開けて中身を漁る。様々なお菓子が並ぶ中、あるものが俺の目を強く引いた。
「おお、これは──」
ヒメと二人、縁側に腰掛けて日光を浴びる。
彼女はご機嫌な様子で渡してやったお菓子の箱を開けていた。
パッケージには〝ココアシガレット〟の文字。昔から売っている細い棒状のラムネ菓子だ。
それを舐めているヒメの横で、俺は煙草の煙を空に向って吐き出した。
俺の仕草を見つめていたヒメが、真似をしてココアシガレットを吸い込み息を吐き出す。
なつかしいな。
俺も子供の頃はそうやって大人の真似をしたものだ。
「どうだ? 美味いか?」
すっかり大人しくなったヒメは、恰好を付けて渋い表情をしている。
注ぐ日の光に照らされて、彼女の顔にはアンニュイな陰影が浮かんでいた。
「うーん。ちょっとオトナのきぶんかな」
「はは、ヒメはもう大人じゃなかったのかよ」
──何故だか、胸の内がポカポカと暖かい気がした。
お天道様の光は心まで照らしてくれるらしい。
ふと空を見上げると、煙の輪が写真フレームの様に広がって、高いところから俺たちを見下ろしていた。
ヒメちゃんとおいちゃん・完
ヒメちゃんとおいちゃん 雨宮羽音 @HaotoAmamiya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます