5.要注意人物は愛する娘たち
孤児院の責任者として特定の個人を贔屓することはよくない。だがそれはそれとして、孤児院には監視対象の孤児が主に二人いた。
一人は数年前に旧友から頼まれて引き取ることになった孤児。彼女の魔法が希少で、母親か、それとも何代か前の誰かが混血であったらしく魔力の量が人族の中ではそこそこある部類にいたために、父親に奴隷のように利用されていたらしい。
一応将来の労働力を育てる意味で子供を守る法律は存在するが、当時国内は内乱の真っただ中であったために反乱を起こした国の南は完全に無法地帯だった。
そこで貧に落ちた者が子供を花街に売ったり虐待することは多々あり、旧友はその中で特にひどかった彼女を父親から引き離してたらしい。
因みにカレンデュラ領は国の北側である為、呼ばれた時は面倒なことをすると思いながら近くの孤児院がないのか聞けば、どこの孤児院も空がないときた。それに魔法が希少であるため彼女を狙って人身売買をする輩が居てもおかしくなく、主人の地位が確立されたところがいいと言うから仕方なく自分の孤児院で引き取ることになったのだった。
実際引き取ってみれば魔法だけではなく、珍しい症状を持っていたので確かに普通の孤児院だと手に余るなと納得した。彼女は孤児院の敷地内から一歩も出させないことにしている。そして定期的に医者に彼女を診てもらい経過観察をしている。
もう一人は混血だが体の再生能力が強いものだった。それだけならいいのだが種が幻と言われていた竜種だ。よくここまで家族と平穏に暮らせたものだ。
彼女に関しては一応自分の立場を認識しているらしく、すぐに風邪を引くが体力はあるのでたまに彼女とは街の中を散策するなり、買い出しに向かうことはままあった。
そんな二人も今は書斎のソファーで眠っている。幼子たちの世話をしてようやく出来た自由時間でも、フィアは眠りが浅いらしくこうして昼も眠ることが多い。今日はリナリアも久しぶりの晴れで日光が心地よかったらしい。
保護者らしく微笑ましく思いながら起こさずブランケットをかけてやり、二人の寝顔を横目にロイクは日課である読書に勤しんでいた。
「——『裏切らないで、私たちはずっと一緒よ』」
「……?」
竜の方は夢を見ているのだろうか。寝言にしては彼女らしくない。彼女の目じりにはうすらと涙が浮かんでいた。悲哀の恋愛物語を読んだのだろうか。
「『わたしの———……』」
フィアの声なく動いた唇を見て自分は眉を寄せた。読唇術を持ち合わせていないので「いやまさかな」と思い直して引き返す。
しかし彼女が途端に魘され始めたのでまた様子を見に行く。
「『やめて……わたしは、お返しをしたかっただけなの!』」
魘されていたのは話で聞いていたが、彼女がこうしてはっきりと寝言を言うのは初めて見る。
手を握ればおさまるだろうと思ったが、気配を察知したのか手を払われる。
「『来ないで……怖いよ……』」
かなり重症のようで、ロイクは彼女を揺り起こした。
「起きろ。フィア。フィラデルフィア」
「——ん……あ……」
リナリアが隣で眠っているので大声を出せなかったが、体を揺らせばすぐに苦悶の表情は晴れ、自然と目が薄らと開く。安堵した。
「フィラデルフィア」
フィアはロイクの顔を認識すると、彼女は自分から右手を伸ばし、ぴとりと自分の左頬に添えた。
「『あなただと思わなかった、ごめんなさいね……』」
寝ぼけているのかまるで何かに憑依しているような様子に、ロイクは眉をひそめる。
「――誰だ……」
「……フィーだよ?」
「……そうだな……フィアだな…」
目覚めたのか普段通りの間抜けな顔に拍子抜けてしまう。添えられた小さな手を握った。すると彼女から自分の方に倒れるように身体を預けてきた。最近は彼女も甘えてくるようになっていた。
一瞬、関係のない記憶が脳裏をよぎるが振り払う。
「怖い夢でも見たか?」
ロイクもフィーの隣に座り、そこに彼女を寄り掛からせる。彼女は少しだけ強張らせたが徐々に力が抜けていた。
「……石を」
「石?」
「ううん……何でもない」
彼女はロイクの服の裾を掴む。ロイクはいつも子供をあやす様に彼女の背中を撫でた。
「そうか……怖かったな……」
彼女がむごい扱いを受けたことがあるなんてウルから聞いたことがない。炎に焼かれたなら自分も見ていたのでまだ分かるが、彼女になにがあったのだろうか。
「……聞かないの?」
しかしウルがいる手前彼女の傷をえぐるような真似はしたくなかった。
「俺も甘やかされて生きてきたからな。お前が知りもしない悪夢を見て、どれくらい辛い気持ちなのか俺には分からないし、思い出したくないなら言わなくてもいい。それはお前個人の自由だ」
「そう、だね……」
自分の服に顔をうずめては納得しつつも、何かを飲み込んだ顔をした。思っていたよりも物分かりがいい。
「落ち着いたか」
「……」
「無理して言わんでもいい。悪夢に関してはウルにも言ってないんだろう」
自分はあまり『子供たちの気持ち』には同情はするが理解も共感も出来ない。子供によってはそれを察するとすぐ反抗的になるので『理解はできないが、寄り添ってやる』ように勤めている。
たまに方便を使うこともあるが、彼女の場合はそれで誤魔化せるほど幼くない。
「うん……」
隠し事はあってしかるべきだと言えば彼女はこくりと彼女は頷く。
まあそれはすぐウォルファングによってすぐに明かされると思うが、ウルを弟だと言っているくらいだ。彼女なりの意地やプライドのようなモノがあるのだろうから彼に打ち明けるのはまだ先かもしれない。
「ロイク、なんだかお父さんみたい」
「お前がそう思うならそうなんだろうさ」
「でも私のお父さんのほうが……——やっぱなんでもない」
無理して言わなくてもいいと自分は再度彼女の頭を撫でた。
そして数日後、彼女の悪夢を見て魘される日はぱったりと来なくなったのだった。
―――
季節は流れ、冬が訪れた。
自身を苛んでいた悪夢がぱったりと消えてしまっていたのには自分も、弟分であるウォルは驚いていたし、ウォルは逆に心配していた。それなら一緒に同じベッドで寝て確認すればいいのではないだろうかと思い、それを提案したらウォルもロイクもいい顔はしなかった。
それもかれこれ半年前のことである。
冬支度は終わり、暖炉に備える為の炎の魔石も冬服も家畜たちの餌になるものもたくさん用意したが、結局することは勉強と呪術の勉強だった。
どうして魔法ではなく呪術なのかというと、ロイクは魔法が使えない分、リソースを魔力ではなく贄で行う呪術や、魔力を強化する必要をなくすための術に秀でていたからだ。
彼は魔力がたくさんあるなら魔術だろうと言われたが、彼がすることに興味が沸いたので呪術も知りたい。
「雪でもリソースにできるの?」
「雪は魔術の方が扱いやすい。ゴーレムなんかもそうだな。あとはほら」
熱が飛んでいかないように閉じられているカーテンを開けると中庭が見える。
真っ白な銀世界である中、水の魔法を使う子供たちがそこでスノードームやスノーマンを作ったりしては遊んでいた。
別のところでは年上の子供たちとタイマン勝負なのだろうか、魔術を使って取り出した氷の剣を使っては剣術の特訓をしていた。
「今は気温を頼りに氷を作っているが、温度にも慣れれば氷も魔法として扱えるかもしれないな」
「……すごいね」
フィーはコントロールが効かない時はただ地面から雑草ばかり生やすだけだ。今できることは自分の両手から蔦や茨を出すくらいである。やろうと思えば大木も生やせるだろうけど集中力がない。
ロイクがそうウォルを褒めるのは良い気がしない。自分の弟相手にフィーは少しだけ頬を膨らませては窓から目を背けた。
視線をロイクのいる机に向けると、そこには紙に書かれた魔術陣に緑色の砂がキラキラと輝いていた。ロイクの魔力の色を初めて見たがこれは彼の瞳の色によく似ている。
「まだ研究してるんだね」
「研究というには材料も何も足りないが」
リナリアが言うにはこの砂を取っておけばいざというとき魔力が回復できるかもしれないというものだった。
魔力は自分と同じ属性のものを吸収すれば回復が出来る。実際に外で遊んでいるウォルも雪を顔の前に持って行っては、浴びるように口にしていた。よく雪を食べれるなと思ったが、ロイク曰く息で雪を溶かしてから吸収しているだけなので問題ないらしい。
「それを作ってどうするの」
「……俺とて自分の魔法が使えないのは心苦しいんだ」
そう言って、彼が砂粒を握りしめればたちまちその砂は消えてしまう。
フィーがその魔方陣に魔力を注げば、大量の白い砂が溢れかえった。ロイクはその量に顔をしかめた。フィーが触れれば消えて行った。
「ロイクの魔法って何?」
「秘密だ」
彼は頑なに自分の魔法を口にしない。元々純度の高い純血らしいので魔法はろくに使えないらしいが、やはり自身の魔法が使えないのはかなりコンプレックスなのだろうか。
自分が助けてくれた時、少し脚を魔力で強化したら倒れそうになっていたとウォルが言っていたが、ウォルも彼の魔法は知らないという。
「石にはできないんだね」
「それを今考えている最中だ」
魔石は採掘するものだ。彼はそんな考えを覆そうとしているらしい。
今まで多くの子供達が魔法の練習をたくさんしてきた孤児院の下には魔力が蓄積されて鉱物となった魔石がたくさん詰まっているらしい。
それなら魔石を採掘できないものかと聞けば、孤児院をつぶす気かと言われた。
「本当にできないのかな」
「考え方の問題だろう」
「へー」
魔術とは奥が深い。
呪いから発展し、人間が魔法を持つようになってから体内のリソースから魔術へと変わる。
「でも呪術も知りたい」
「元々は相手に送る呪詛の言霊から発展したものだ。俺はあまり好まない」
呪術は仕方なく必要な手段として学んでいるらしい。
「いい加減、お前は常に駄々洩れな魔力をどうにかして欲しいものだが」
「あははー」
笑ってごまかす。庭先やたまに街中でも彼女が歩いた場所から植物が生えることがある。その度に不器用にもほどがあるだろロイクは呆れた。
開けたままにしていたカーテンの向こうでは年上に勝てずに顔面から転んでしまったウォルが見えた。そのあと年下たちが雪合戦をしていた流れ玉を思い切り食らっており、思わず鼻で笑ってしまう。
反撃するまで数秒前と言ったところか。そう思ったら本当にウォルは起き上がって雪合戦をしている子供達を追いかけ始めた。
「ガーベラに風呂を沸かしてほしいと言ってくれないか。きっとアイツらびしょ濡れになって帰ってくるだろうから」
「はーい」
フィーは手にしていた本をロイクの机に置き、書斎を後にした。
女神は人間である夫が死ぬことを嘆き、自分との思い出を彼の魂に刻み付けたという。
それは呪術の一種だと言うが、呪術の起源は彼女では無いらしい。魔術が一般的になっている今、呪術を使う者はあまりいない。
それでも取り返しのつかない言葉を呟くだけで死に至ることもあるのだ。
―――
フィーがキッチンに顔を出すとマーガレットが大きなリスの尻尾を揺らし鼻歌を歌いながら作業をしていた。
「おばあちゃん、ガーベラ姐さんいるかな。ロイクがお風呂入れてやってだって」
「あーわかった。ちょっと待って」
フィーの声が聞こえたのか、ロイクのもう一人の使用人であるガーベラが勝手口からひょっこりと出てきた。薪割りをしていたらしい。女性なのに元気だ。
老体のマーガレットにはあまり体力のいる仕事を任せない。というのが孤児院での暗黙の了解である。歳のせいか無理をして腰を痛める頻度が増えたらしい。
それ以降年上の子供達は幼い子供達の世話を更に積極的に行うようになり、リナリアも偶にマーガレットの容体を触れて確かめるなどしてみているようだ。
風呂に関しては炎使いのガーベラの方が湯を沸かす際、余計な薪を消費せずに済むということもある。(たまに湯を沸騰しかけてしまう時があるようだが。)
「あらあら、今日も大はしゃぎだったのねぇ」
頰に手をついては、微笑ましく感じながら玄関に飾るリースをテーブルに置く。
年末祭が近い。リースはその準備の一環だ。テーブルには他の子供達が作ったリースがそれぞれ並んでいる。
フィーとウォルは年を越してようやく十歳になる。
「ウォルは軍に行くって言ってた。剣術を勉強してるんだって」
「……そう。もう戦も落ち着いてきているから大丈夫だといいわねえ…」
マーガレットの首にはかなり古びたチョーカーがある。かなり大事にしているらしいそれは、亡くなった婚約者から貰った物だという。
口にはしないが、彼女自身軍に対してあまり良い感情を持っていないらしく、軍役の為に孤児院を出た子供たちの背中を見ては寂しげな顔を浮かべているらしい。
「マグさん。風呂場行ってきます。何かあったら絶対に誰か呼んでくださいね。絶対ですよ!!」
「いつもありがとう。お願いね」
コートを脱ぐと黒いワンピースが露わになる。コートを椅子にかけるとエプロンを付けながらウェーブがかったオレンジ色の髪を靡かせながら彼女はスタスタと食堂から出て行った。
少しして男子の叫び声が響いた。恐らくだだっ広い浴場の掃除を手伝わせられるのだろう。ご愁傷様である。
人族であるガーベラはスラム街の出身らしく、盗みを働いたのを軍に捕まりその後この孤児院に連れてこられた。孤児院を出ても行く宛がないだろうと、先代の主人がそのまま使用人として雇ったらしい。
ロイクの一つ上だからなのかロイクは主人なのに頭が上がらない時があるようだが、ガーベラは子供たちにとって母というより先生のような存在だった。
「ガーベラ姐さん厳しいから……」
「うふふ。そりゃあ私がそうするように教育したんだから当たり前よ」
「そ、そうなんでしょうね……」
ロイクはたまに「マーガレットを怒らせるな」と子供達に言う。ちなみに他の子供達も「声しか聞こえなかったけど怖い」と若干震えながら言っていた。
フィーは孤児院に着いてすぐ力尽きてしまいすぐに眠ってしまったので何があったのか分からないが、ロイクが何も言わずに放浪の旅に出て行ってしまったのでそれで怒ったらしい。
「竜の子がそんなに怯えなくても良いのに」
「私は竜じゃないよ……?」
竜人族であって竜ではない。
「それもそうねぇ……でも今はそんなこと言わなくなったけど、昔は竜がこの国の神様だったのよ」
「女神様じゃないの?」
竜は魔法のようなものを持ち合わせていたということはロイクから聞いた。
実際に今も尚生存しているのかわからないが。化石などでその存在は残っているらしい。
「女神様は私たちのお母さんだけど、この土地を作ったのは竜が海しかなかったこの地に台座を作ってそこを巣にしてこの島ができたの。神話はまだ教えられてないものね」
「大陸は?」
「さぁ?その竜は人間が嫌いだったみたいでね……竜が巣から離れて行った後に人間が来たって言ってたかしらね。あまり私も詳しくは分からないのだけれど。なんせ六千年以上も前だし」
人間を嫌っていた竜を神として崇める理由は子供のフィーにとって理解し難い。
それに竜しか持っていなかったという魔法を女神が伝えたというのも何だかよく分からない。
そういうものだと受け流すこともできるだろうが、フィラデルフィアが竜なので、もしかしたら自分の祖先は本物の竜かと思ったが、竜と人間の間にどうやって子供ができるのだ。これ以上は考えることをフィーはやめた。
魔族と人族同士で子供ができるのは人類の大元が同じ人間だからだ。竜は竜で、人間は人間でないと子供はできない。とロイクから聞いた。
ならなぜ人間ではない女神は人間である夫と子供を子供を産むことが出来たのだろう。神様だからできたのだろうか。
「私の中の一番の神様は女神様だ」
「フィーは、女神様が好きなのねぇ……」
「でも、一番好きなのはウォルだよ」
マーガレットはそうなの?と首を傾げた。もちろんみんな大好きだが、フィーは家族が彼しかいないと思っている。
「一番の、弟だから」
違うでしょうと、一瞬声が聞こえた。フィーは聞いたことも無い声の元を探そうと辺りを見回したが誰も居ない。
「私もあなたのことは大好きよ」
「私もみんな大好きだよ」
「……あら、ふふ。ごめんなさいね。私の思い違いだったみたい」
マーガレットはリースの手直しをはじめた。
すると中庭から帰って来た子供たちの声がする。ロイクが呼んだのだろうか。
しばらくしてロイクが食堂に来た。
「マーガレット、茶を入れてくれないか。休憩しよう」
「はいはい」
マーガレットは頷き、彼らの為に茶の用意をし始めた。
「フィー。リースをあの箱に入れておいてくれる?」
「はーい」
そう言いながらマーガレットは食糧庫から朝に牛から絞ったばかりのミルクを出そうとするのでロイクが代わりに持ち上げる。
「ばあさん、俺も手伝おう」
「坊っちゃんは子供達を見てちょうだいな。きっとまだ遊び足りてないでしょうからやんちゃして怪我するわ」
「私が手伝う」
「ありがとう」
こうしているとマーガレットはみんなのおばあちゃん的存在である。ロイクの頭が上がらないものその証拠だ。ロイクはばあさんと呼ぶ割にマーガレットが怖いらしい。
「頼んだ。フィー、出来たらリナリアを呼んでこい。またソファーで眠っているから」
「はーい」
徐々に子供たちの人数も増えた。
二十人近くのマグカップを用意し始める。温めたミルクの匂いにつられて室内で遊んでいた子供達も集まってくる。
冬は寒さが苦手で部屋にこもる者と、逆に雪ではしゃぐ者と大きく二つに別れてしまう。
それは種族の特性も大きく影響されるので、冬眠する動物の魔族は特にそれが顕著だった。雪が降り始めた頃から外遊びをしなくなったフィーも例外ではない。
「そういえばフィーは呪術を、学んでいるんですってね」
「うん。ロイクが一番使ってるのがそれみたいだから」
「あまり無茶しちゃダメよ。呪術は心からだから」
「……? う、うん」
それにフィーは首をかしげるのだった。
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