第36話 奴隷商、猛獣狩りに同行する

ドーク子爵は名将を多く排出している名門中の名門。


軍閥ではその名は大きく、市井でも尊敬される名家だ。


「こんなものなのか? ドーク卿」


僕は今回の賠償金を子爵に払わせるつもりだ。


カーゾに暗殺を頼んだ一件も含めてだ。


貴族の命……いや、人の命を奪う代償をしっかりとしてもらう。


「ダメだ。ドーク卿。全く足りないな」


「しかし、これが限界で……」


まぁ、名門と言ってもたかが子爵だ。


軍備にも大量の資金が必要となる。


蓄えが少ないことはなんとなく察してはいたが……


「白金貨3枚とはな……しかも、ほとんどが金貨か……。これではかさばってしまって、困る。どうにかしてくれ」

「ロッシュ様も随分と逞しくなりました。私はますますロッシュ様を……」


僕は考えていた。


白金貨3枚程度では割に合わない。


侯爵領では白金貨70枚を手に入れられた。


薬草の販売代金を考えれば、もっと多い。


その点、命まで狙われて、これっぽっちではな……


「では物資で払ってもらおう。ここは要塞だ。武具は多いだろ?」

「無論です。ここは帝国の抑え。十二分な武具は揃っております」


それを聞いて安心だ。


カーゾ隊……今は名乗ってはいるが、いつかは軍に昇格させたいと思っている。


なにせ、あのドーク子爵自ら率いる部隊に勝利したのだ。


勝ち方はともかくとして……


イルス領には絶対に必要な軍隊の中枢を任せたいと思っている。


だが、今のままではダメだ。


野党時代の汚い格好が部隊の品位を下げている。


だが、武具を揃えるには白金貨数枚は覚悟しなければならない。


そこで……


「ドーク卿。準備は出来たか?」

「もちろんです。言われた通り、すべて赤で統一しました。しかし……これは……」


カーゾ隊が武具を身にまとっていた。


惚れ惚れするほど、美しい部隊になった。


しかも、男らしい顔がますます部隊の精強さを高めている。


「ああ。初代様になぞってな。赤い部隊を持ったのだ。名は……赤蛇隊とでもしおくか」

「赤蛇隊……よい名かと」


蛇は野盗カーゾ達がその身に刻んでいるところから取った。


蛇の執念深いイメージは相手にとっての恐怖となるであろう。


本当に凄い軍が完成してしまった。


「カーゾ。どうだ?」

「へぇ。どうです? 一端の格好をしたんですから、一端の給料を……」


却下だ。


そんなお金がどこにあると言うんだ。


今は節約一筋だ。


「そういえば、ロッシュ様はこれからどちらに向かうのですか?」


もちろん、イルス領だ。


潤沢とは言い難いが、お金もそれなりにある。


立ち止まる理由は一切ないな。


「イルス領だ」

「そうですか。これから、この辺りは雪に閉ざされてしまいます。先に進むのでしたら、急がれたほうがいいでしょう」


たしかにこの辺りは豪雪で有名な場所。


身の丈を越すほどの雪が降るらしい。


王国出身の僕には信じがたいことだ。


「そうか。ならば、数日中には出発しよう」

「それがよいかと。ですが……」


ここよりイルス領に向かうには北方街道を更に進む必要がある。


だが、その道ががけ崩れで塞がれてしまっているらしい。


復旧は難しく、少なくとも雪を溶けてから、ということだ。


「どうでしょう? 一層、冬の間はここに滞在されては」

「断る!」


こんな危険地帯は一刻も早く出ていきたいのだ。


ドーク子爵の部隊……の一部はかなり特異な性癖を持っている。


それがカーゾ部隊の貞操を否応なく危険にさらしている。


そして、僕も危ない状態だ。


この目の前にいる奴によって。


幸い、僕には頼れる仲間がいるから問題はないが……


長期滞在は危険すぎる。


「先に進めないのであれば、迂回路は? たしか、森があったはず。そこは抜けられないか?」

「それはお勧めしません。猛獣がいるのです」


猛獣?


まぁ、森にいても珍しくはないだろう。


だが、話を聞いていると、ただの猛獣というわけではなさそうだ。


「我らも森を開拓しようと森に入ったのですが、我が軍が何度、挑んでも倒せぬのです。被害が大きくなるばかりで開拓を中止したほどで」


猛獣狩りが軍の範疇ではないとは言え、精鋭でも倒せないとなると……。


「行く。猛獣、薬の宝庫」


後ろで話を聞いていたシェラが急に話しに加わってきた。


「娘……ロッシュ様と私の甘いひとときを邪魔するな!! ……ぶへっ!!」


「ありがとう。サヤサ」

「いえ。危険と判断したので対処させてもらいました」


しかし、猛獣狩りか……


「シェラ。自信はあるのか?」

「愚問。エルフに狩れない猛獣はいない」


……ふむ。


「ドーク卿? おーい、ドーク卿」

「はっ!? 失礼、少々気絶しておりました。なんでしょう?」


この人も気絶に随分と慣れてしまったんだな。


「猛獣狩りは報奨が出るのか?」

「え? ええ。狩っていただければ、それなりには……しかし、我が軍でも」


「軍、雑魚。エルフ、最強」

「ぐぬぬぬ。ならば、やってみせよ。どうせ、猛獣の餌食に……餌食? ふっはっはっはっ。これで一人、邪魔者が消えるわ!! さあ、行くがいい。行って、猛獣の腹に入ってこい!! ……ぐへっ!」


……サヤサ。ありがとう。


「賠償金と武具では物足りなかったんだ。シェラ。頼んだぞ」

「承知」


……どうして、僕も森の中に?


猛獣狩りなんて経験もないし、やりたいとも思わない。


「イルス。猛獣いっぱい。経験、大切」


なるほど。


シェラも僕のことを考えてくれているんだな。


領主として知っておくべき知識……そういうことだな!


「猛獣……久しぶり。血が滾る」


えっと……シェラ、さん?


なんだか、物凄い怖いオーラが出ているんですが。


全身からなにかモヤのようなものが……。


「猛獣、いた。でも、残念。小さい」


よく見えるな……。


僕にはどこにも猛獣の気配なんて感じないぞ。


「イルス、気をつけろ。すぐ、そば」


えっ!? どこ?


……僕は幻でも見ているのだろうか?


こっちに近づいてくる一匹の狼?


いや、狼にはあんな角はない。


あれは……なんだ?


「イルス。避ける」


襟首を掴まれたと思ったら、気づいたら木の上だった。


すごいな。


こんな高さを一瞬で。


「猛獣、あれ」


……そんなバカな。


高さ2メートルを超える狼が僕達を睨みつけていました。


「フェンリルの子供。相手にとって不足なし」


あっ……


エルフ対フェンリルの戦いが今、始まった……。

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