第21話 同じベッドで寝なさい
ベッドを眺めおろし、ルビーは顎に人差し指を当ててしばし考えを巡らせているようだった。
やがてくるりと振り返ると、ルビーは瞳をキラキラ輝かせながら、口元に笑みを乗せて夫妻の顔を交互に眺めた。
「ねぇわたくし、ちょっと教えて欲しいことがあるのよ。いいかしら?」
これに対し、クリスティは「なんでも訊いてくださいな」と気さくに答え、ウィリアムはといえば、口角を微かに上げた嘘笑顔をキープしたまま、微動だにしなかった。
ルビーは両手の人差し指を立て、それで二人を交互に指しながら、キラキラの笑顔のまま尋ねた。
「せーの、で答えてね。そうね、二人とも、言葉を発するのではなく、指で差して答えてもらえる? いい? じゃあ――『いつもベッドのどちら側で寝ていますか?』――はい、せーの!」
クリスティとウィリアムは二人とも窓側――ベッドの右側を指差した。
ウィリアムは上半身をかがめるようにして、傍らのクリスティに小声で注意をした。
「……おい。エメラルド分、ちゃんと仕事をしろ」
「馬鹿おっしゃいな。さっき約束したエメラルドは、『入室時に、私が口を閉ざしてあげたぶん』の対価よ」
それは本来ならば、『人気店リデルでのディナー』を約束したことで済んでいるはずだが、クリスティは交渉上手だった。
「しかしこれで台無しだ」
「任せて」クリスティが大見栄を切った。
「ルビー先生! わたしたち、二人とも窓側で寝ているんですの」
「それは無理じゃないかしらぁ……」
ルビーが眉根を寄せる。
「いいえ? 彼が『下』で、私が『上』――なんていうか彼、愛し合う時は、そういう体勢でするのが好きなんですの。私たち、行為後は、いつもそのまま折り重なって眠るんです」
クリスティが語るうち、ウィリアムは段々と俯いていき、最後は両手のひらで顔を覆ってしまった。彼の肩には絶望が漂っていた。
ルビーは腰に手を当ててクリスティの言い分を聞いていたのだが、やがてうん、うん、と小さく頷いてから口を開いた。
「――クリスティさんは妻の鑑、素晴らしいですわね。夫の窮地をかばってあげるなんて、心根が優しいわ。プラス一点を差しあげましょう。対し、夫のウィリアムさんは、妻に嘘をつかせて、そういうやり口は感心しませんよ。――よってマイナス一点」
ウィリアムは言葉もなかった。動揺し、何かを訴えるようにクリスティをじっと見つめるのが、これは彼女のせいではない。クリスティとしてもどうにもしようがなかったので、軽く肩を竦めてみせるのみだった。
ルビーが真面目な顔でウィリアムに注意を与えた。
「あのね、ウィリアムさん。――本日以降、この夫婦の寝室で、同じベッドで、二人揃ってちゃんと眠ること――これを守ってください。約束を破るようなら、その時点で、あなたの持ち点はゼロになります。つまり全財産が没収され、奥さんのものになります。誤魔化そうと思っても、無駄ですからね。この屋敷にはすでにわたくしのスパイを潜り込ませているので」
「なんだって?」
一体どこのどいつだと思ってしまった時点で、ルビーの術中にはまっているのかもしれなかった。実はスパイなどいない可能性もある。しかしウィリアムがそれを突き止めることは、とても困難だった。
「いいですか? ちゃんと二人で眠るんですよ!」
トンボの目を回そうとしているみたいに、ルビーは人差し指をウィリアムの青灰の瞳に突き付け、クルクルと回してから、もう一度睨みを利かせて帰って行った。
***
――夜。
二人は並んで立ち、大きなベッドを見おろして、しばらくのあいだ黙り込んでいた。
新妻のクリスティは白い清楚なネグリジェを身に纏っており、ウィリアムは彼女に分厚いマントをかぶせたくなった。デザインはシンプルで可愛らしいものなのだが、なんせ中身に問題があるというか、彼女は国一番の彫刻家が魂を込めて作り上げた美術品のような、完璧な肢体をしていたのだ。胸の膨らみなどは、ウィリアムからするともはや脅威だった。
クリスティのほうが先に動いた。ぐい、とベッドに膝を乗り上げたのだ。
「私、こっち取ーった」
クリスティが取ったのは窓側だった。
「あ、ずるいぞ」
「早い者勝ちなんですー」
「ジャンケンで決めよう」
「だめ」
「クリスティ」
「だめ、だめ」
クリスティが悪戯っ子のように笑う。仰向けになり、肘をベッドに突いてこちらを見上げるさまが、なんとも無防備で、ウィリアムは試されているような気分になった。
沢山の言葉を呑み込み、結局黙って、反対側に乗り上げる。
――するとクリスティが余っていた枕だのクッションだのを引っ張り出してきて、二人の中間部分に並べ始めたのだ。縦に、列を作って。
「ここから入って来ないでね。私の陣地だから」
クリスティ、クッション、ウィリアムという並び。ウィリアムはため息を吐き、掛布団を引っ張り上げた。彼女にもかけてやりながら声をかける。
「君こそこちらに入って来るなよ」
「馬鹿じゃない?」
「陣地を侵すとしたら、絶対に君のほうだ。だっていつも図々しいだろ」
「私のどこが――」
「はいはい、そんなふうに怒ると眠れなくなるから、このくらいにしよう。もう灯りを消すぞ。――おやすみ」
「おやすみ、ウィリアム」
部屋が暗くなると、先ほどクリスティが口にした『おやすみ、ウィリアム』という言葉が妙に耳に残った。
彼女は僕を許してはいない……ウィリアムにはそれが分かっていた。眠りに落ちる前の一時、彼は普段クリスティには見せていない、素の顔に戻る。空虚で、少し寂しそうな顔に。
おやすみクリスティ、良い夢を――彼は心の中でそう呟き、瞳を閉じた。
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