【完結済】美形貴族の中からダーツで夫を選んだ悪女です ~私と夫の一年戦争~

山田露子☆10/10ヴェール小説3巻発売

第1話 戦いの始まり


「クリスティ・クォーリア――君との婚約は破棄させてもらう」


 その言葉が告げられた瞬間、パーティ会場は異様な空気に包まれた。


 シンと静まり返ってはいるが、物見高い見物人たちの口角は微かに上がっており、好奇の色を隠せていない。これこそまさに『他人の不幸は蜜の味』というやつである。


 絶大な権力を有するクォーリア侯爵家の長女が、これからとんでもない目に遭いそうなのだ。大多数の人間は『ああ、面白いものが見られそうだ』とわくわくしていた。


 ところでこのクリスティ・クォーリアというご令嬢――公衆の面前でこんなふうにこっぴどく振られてしまうほど、何か悪いことをしたのだろうか?


 答えは『YES』でもあり『NO』でもあった。――彼女はどう見ても『善人』ではなかったが、かといって『悪人』といっていいかは微妙なところである。


 確かにクリスティは慎みを欠いた女だった。贅沢が好きだし、とにかく派手好き。高慢。我儘。奔放。口も性格も見事に悪い。


 しかしそんなクリスティにも良いところはあった。短所九に対し、長所一くらいの割合ではあったが、一応、あるにはあったのだ。


 第一に、彼女はこの上なく美しかった。他人から『口を開かなければ、見た目は完璧な女』と言われるほどに。


 第二に、彼女は愛情深い女だった。愛した相手にはひたすら尽くし、見返りを求めない。――実はこのクリスティ、大のおじいちゃん子であり、病気の祖父に花嫁姿を見せてやるため、ずっと頑張ってきたのだ。


 だからこんなところで婚約破棄されるわけにはいかなかった。クリスティは断固、目の前の婚約者と、結婚まで持ち込むつもりだった。


 だってこんなふうに婚約破棄され、こちらがメソメソと泣き寝入りしてしまったら、クリスティのメンツは丸潰れになるから、次の男なんてもう見つかりはしないだろう。そうしたら祖父に花嫁姿を見せられなくなってしまう。冗談じゃなかった。


 今や崖っぷちに立たされているはずのクリスティであったが、彼女は美しい微笑みを浮かべ、虎が獲物を前にして、『さぁどうしてやろうか』と考えているような凄みを放っていた。


 ――美しく豪奢なクリスティにこうも凄まれては、並みの男では縮み上がってしまいそうなものだが、彼女の婚約者もまた非凡な男であり、堂々たる態度を崩していなかった。


 伯爵令息であるウィリアム・ウィンタースは見目麗しく、呆れるほどに端正な男だった。彼は普段、きちんと常識をわきまえていたので、今夜のこの馬鹿げた騒動は、彼が生まれて初めて道を大きく踏み外した瞬間であったかもしれない。


 清廉で生真面目なウィリアムが、こんなふうにおかしくなってしまった原因はなんだろう? それは今彼にぴったりと寄り添っている、可憐で儚げな令嬢が関係していそうである。


 リン・ミッチャム――彼にかばわれている小娘を流し見て、クリスティは気取った仕草で口元を扇で隠すと、さらに口角を上げていた。


 ……まったく笑わせる。このクリスティ・クォーリアにここまでの無礼を働いておきながら、『めでたしめでたし、その後は、愛する彼女と幸せに暮らしました』と大団円を迎えられるとでも?


 まさかこの男、本気でそんな夢物語を信じていたとか? もうやだ、馬っ鹿じゃない?


 いいわ、そっちがそのつもりなら、たっぷりと地獄を見せてやろうじゃないの。


 クリスティはつい、と足を進め、彼の前まで歩み寄った。


 彼はおそらく警戒していたと思う。もしかすると平手打ちの一つくらいは覚悟していたのではないだろうか。


 けれどクリスティはそんなことをするつもりはなかった。彼にはもっとキツイお仕置きをしてやるつもりだった。


 ウィリアムの耳元に口を寄せ、囁く。


「……――――……」


 それを聞いた彼は顔から一気に血の気を引かせた。信じられない……そんな瞳でこちらを見返しながら。


 クリスティはこんな時のために、彼の急所を掴んでおいたのだ。今回、それが役に立った。


 彼女は扇を閉じると、その先端を彼の胸に押し付け、いたぶるように突いてやった。


「選びなさい、ウィリアム。――破滅か、服従か」


「……殺してやる」


 ウィリアムの美しい青灰の瞳が煌めき、真っ直ぐにクリスティを見据える。クリスティは背筋がぞくぞくした。この上なく甘美な気もしたけれど、それでいて彼女は少しだけ空虚な気持ちになっていた。


「次、私を軽んじたら、容赦しない。――跪きなさい。そして私に乞うの」


「馬鹿げたことを」


「馬鹿げたゲームを先に仕掛けたのは、あなたなのよ、ウィリアム。――さぁほら、笑って? 笑うのよ、ウィリアム。そうして皆さんに、先ほどの台詞は芝居だったと言いなさい」


 ウィリアムが逡巡したのは一瞬だった。彼は膝を折り、クリスティが望んだようにした。


 クリスティは寛大にこれを受け入れ、立ち上がった彼にピタリと寄り添った。


「あなたに熱烈に愛されて、嬉しいわ、ダーリン。すぐにでも結婚したい気分」


「僕も同じ気持ちだ」


 ウィリアムの演技は見事だった。彼は内心怒り狂っているはずだが、賢明にも、公衆の面前でこれ以上の醜態はさらさなかった。


 ――ふと気付けば、ウィリアムの愛人あらため、憐れな捨てられ女のリン・ミッチャムは、煙のように会場から姿を消していた。


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