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「ホントなんだってば! ホントにガラサ様が……見えない神様がいたんだよ。あのデカブツをやっつけてくれたんだ」
興奮冷めやらぬ声が宴会場に響く。
あれから数時間後。捜索隊の面々も民宿に引き上げてきていた。
自分たちが今しがた目撃したものは何だったのか? 皆が真剣に語り合った。沼上麗央の熱弁にも、子供の戯言だから……と適当にあしらう大人はもはや見当たらない。
何せついさっき、天主堂で、彼らは自分の目で確かめたのだ。
密室殺人。神の所業としか思えぬ、不可解な空間を。説明不可能な第二の殺人を。彼ら自身が奇跡の証人だった。殺された『阿修羅』は両腕が切り落とされ、その腕は、閉ざされた天主堂に釘で打ち付けられていた。鍵を握りしめたまま。
今回ばかりは羊も首を捻らざるを得なかった。
天主堂の鍵は二つ存在し……一つ目は館の内部、管理人室の机の引き出しに保管されたままだった。全員でそれを確認した。二つ目……駐在さんを襲って奪った鍵……を使い、『阿修羅』は……いや恐らく犯人は中に侵入したのだろう。そこまでは分かる。
ではどうして、施錠された建物の中で、死体の腕は二つ目の鍵を握りしめていたのか?
まず羊の頭を過ぎったのは、①犯人はまだ建物内に潜んでいる……という可能性だ。
つまり、二つの鍵が共に建物内部にある訳だから……合理的に考えれば、侵入者もまだその場にいるはずであった。しかし、暗闇の中を慎重に、重箱の隅を突くように何度も何度も確かめたが、誰も、天主堂内部にはいなかったのである。
次に考えられるのは、②秘密の抜け穴があって、犯人はそこから脱出した。鍵を死体の手に握らせ、奇術師の壁抜けトリックみたいに、その場から姿を消してしまったのではないか。
これもまた即座に打ち消される羽目になった。壁も門も頑丈で、とても人が出られるような箇所はない。そもそも窓もなく、非常口や換気口といった類さえ見つからない。
唯一、古びた門には小動物が入り込めるほどの穴が空いていたが(おかげで死体の一部は烏に食い荒らされた)、しかしその穴は第一の事件の後に羊たちが塞いでしまったのだ。強化した板が外されたような形跡もなかった。あそこから入り込めるのは、昆虫とか、それこそ幽霊の類だけだろう。
または、獄門自体に仕掛けがあって、③忍者屋敷の回転扉みたいに、くるりと内と外が入れ替わるのではないか? などと突拍子もないことも考えてみたが、もちろんそんなはずはなかった。言うまでもないことだが、教祖代行は磔にされたまま、五体満足の死体であった……心臓以外は。
入念に調べたが、建物に秘密の抜け穴や、あっと驚く仕掛けはない。レンガの一つが取り外せるようになって……という話でもない。この島には秘密の合鍵屋があって……なんて話でもない。
そもそも駐在さんが鍵を奪われてから、天主堂で腕が見つかるまではどんなに多く見積もっても1時間か2時間が良いところで、合鍵を作る暇などなかったはずだ。
「犯人はアイツだったんだよ」
集まった輪の中心で、麗央が鼻息を荒くして先ほどから喋り続けていた。
同じく保護されたレオナという少女は、大人たちの集まりからさっさと退散して、もう布団に入っている。だが少年は、少女と過ごした一夏の冒険を、まだまだ喋り足りないといった様子であった。きっと今夜は眠れないのだろう。
「だから、ガラサ様が退治してくれたんだ。この島の守り神が」
「じゃ何か? その神様の怒りを買って、2人は殺されちまったってことか?」
「きっとそうだよ!」
「でもなァ、いくら何でもそんな」
「じゃあおめえ、あれを説明できんのかよ? あんなもん、おかしいにもほどがあるだろうが」
「それは……」
「とにかく」
喧々諤々の議論が飛び交う中、咳払いが聞こえた。こちらは疲れたような顔をして、麗央の祖父・沼上丈吾が肩を落とした。
「天候も無事回復しました。明日には警察もやってきます。皆さん、言い足りないことはまだまだお有りでしょうが、ここらで一旦解散にしませんか」
民宿の主人が集まった全員を見渡し、そう促す。鳩時計を見ると、日付は変わり、時刻は1時を過ぎていた。村長のこと、八十道のこと、それから殺人事件のこと……もちろん皆、当分話が尽きるということはない。だが今夜は雨の中を走り回り、誰もが疲れに疲れていた。
「詳しい話は明日にしましょう」
「そうするか……」
「んだ、んだ」
「とにかく……見つかって良かったよ。無事で良かった」
「嗚呼、そうだな。とりあえず一件落着だよ」
集まっていた大人たちが、やれやれといった感じで腰を上げ、宴会場を後にする。
雨は止んでいた。
出口には沼上丈治が立っていて、一人一人にお礼と謝罪を告げ深々と頭を下げていた。息子の麗央も隣に立たされ、それに付き合わされている。
「荒草くん」
その様子を座ったままぼんやりと見ていると、横から黒上風音が声をかけてきた。
「良かったわね。ねえ、私、丈治さんがいうほど、麗央くんは悪くないと思うの。だって、彼は彼なりにレオナちゃんを守ろうとした訳でしょう? だから今回は……」
「うん……」
「どうしたの?」
ふと風音が顔を近づけ、羊の瞳を覗き込んできた。
「何か心配事?」
「……あの俳句のことを考えてたんだ」
「俳句?」
「うん」
羊は物憂げに頷いた。あの俳句。風神を……ガラサ様を詠ったという、例の俳句。
それに……あの腕!
『風神と
手足交わる
十六夜』
手足交わる……『手足の句』だった。そして今晩の殺人。まるで詠まれた句になぞらえるように、『阿修羅』の両腕は獄門の前で交差されていた。これは明らかに、犯人からのメッセージに違いない。
「そういえば……そうだったわね。それで、確か三つ目が」
「三つ目は、『頭の句』と呼ばれていたはずだ。
『荒海や
割れた頭と
踊る月』」
「『頭の句』……そう、そうね。確かにそうだったわ」
風音が軽く頭を振った。黒髪がふわりと宙を舞い、ほのかな石鹸の香りが羊の鼻腔を擽る。
「それにね、展示コーナーから仮面がなくなっていたんだよ。犯人が持ち出したのかもしれない」
「つまり?」
風音が不安げに睫毛を震わせた。羊は息を吸い込んだ。
「つまり事件はまだ終わっちゃいない。犯人は、もう一人殺すつもりかもしれないんだ」
「そんな……ああ、でも」
風音の瞳孔が少し開いた。
「でも……でも明日には、警察がやってくるんでしょう? それに、皆にこれだけ警戒されてるのに……」
「分からない。でも、じゃないと、犯人が何故あれだけの重労働をして、派手に死体を飾ってるのか説明がつかないよ。俳句になぞらえているのは違いないと思う。だから……」
「ねえ。今から2人で天主堂に行ってみない?」
「え?」
少女の囁きに羊は我に返り、顔を上げた。風音は至って真剣な表情で、それどころか瞳の奥を熱く燃やし始めていた。そういえば、女性陣の多くは捜索に参加せず、民宿で待機していたのだ。夜通し走り回っていた羊と違い、彼女はまだ元気が有り余っているようだった。
「鬼門が壊されてるから、中には入れるんでしょう? 死体もまだそのまま……
それに、明日には警察がやってきて、私たちじゃどうしようもなくなるかもしれないわ。
羊が返事をする前に、風音は小首を傾げ、くすりとほほ笑んだ。
「それに……今夜はちょっと、興奮で眠れそうにないもの」
この時、羊としては正直言ってくたくたで、彼女ほど元気ではなかった。先ほど風呂から上がったばかりだった。しかし、これほど魅力的な提案を、断る理由がどこにあるだろうか? 気がつくと彼は首を縦に振っていた。
「行こう」
「行きましょう」
そういうことになった。
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