4
フィールドワーク3日目。
この日の予定は何もなかった。初日2日目と、精力的に動き回った羊たちは、つかの間の休息を取ることにした。
「……ッて、雨じゃない!」
麻里が窓ガラスに張り付き、降りしきる大粒の雨を恨めしげに睨んだ。昨日の晩から夜通し振り続けていたようだ。
「これじゃ海水浴にも行けない〜! バーベキューもできない〜!」
麻里は不服そうだったが、羊は内心、興味津々だった。台風に、だ。今まで住んでいた地域では、彼は台風というものに出会ったことがないのだった。ニュースなどでたまに映像を見る程度だった。不謹慎だが、台風とは実際どういうものなんだろう、という好奇心が勝った。
空には暗雲が立ち込めている。海は怖いくらいに顔を変え、波は怒りに任せ暴れ回っていた。1日に3便ある船も当然欠航だ。
「こりゃあしばらく、島から出られんぞ……」
民宿に備え付けのTV中継を見ながら、誰かがボソリと呟いた。
とはいえ台風は毎年のことなので、島民たちにもそこまで焦った様子はない。予報では2〜3日で玄界灘方面へ抜けるという。その間羊たちは実質、六門島に閉じ込められることになった。
羊も窓の外を見た。
外は薄暗かった。強風で海沿いのヤシの木がしなっているが、これでもまだ暴風域ではないらしい。これで直撃したら一体どうなるのだろうか?
「殺人事件が起きるには、ぴったりの天気ね」
風音が羊の方を振り返り、ニヤリと笑った。
この時は彼女もまさか、本当に殺人事件が起きるとは想像もしていなかったに違いない。それも、あれほど奇怪で、凄惨な猟奇殺人が。
「じゃ、交番に行ってくるから」
昼前だった。由高教授と一条英里奈が、昨日の覗き魔の件で警察に行くというので、羊と風音も一緒について行くことにした。
傘を差してもひっくり返って吹き飛ばされるので、全員雨合羽である。満員電車の中で押されるような風圧が、4人にぴったりくっついて来た。体が重い。ごうごうと吹き荒れる音で、互いの声もよく聞こえない。油断するとすぐに転んでしまいそうだった。慎重に、ゆっくりと足を動かし、六門島にひとつしかない交番を目指す。
ようやく港付近の交番に着くと、先客が大勢いた。島に1人しかいない駐在さんが、全身白装束の男たちに詰められている。八十道の信者たちだ。60代前後と思われる白髪の駐在さんが、必死に信者たちをなだめていた。
「ですから、この天候では探しようが……」
「こっちは教祖代行がいなくなったんですよ!」
白装束の中年男性の1人が、悲鳴に近い叫び声を上げた。
「神の子もいない! 大切な選挙……審判の日を前に! 奴らの仕業に違いないんだ!」
「奴らとは?」
「決まっとるでしょう! 村長ですよ! 対立候補を潰すため、奴ら強硬手段に出たんじゃ!」
「まさか、そんな……」
カルト宗教じゃあるまいし、と行ったのを羊は聞き逃さなかった。幸い白装束は叫ぶのに夢中になっていて、相手の話を良く聞いていなかった。
「えー……40代後半の男性と、10代に満たない若い少女が行方不明、と。失礼。他の方も並んでらっしゃいますので。そちらの方は?」
「爺様が畑に出たっきり、戻りゃせんのです」
「だから言っとるでしょうが! 台風の日に畑を見に行くなと! 南側の消防団に電話しましょう。そちらの方は?」
「電信柱が車の上に倒れて……」
「あーこりゃ、こっち側ももうすぐ停電だな。次の方」
「覗き魔です。昨日の夜、生徒が風呂に入っていたら、外に覗き魔が」
「ダメだ、埒があかん」
白装束が呆れたように天井を見上げた。交番の中は被害を受けた島民でごった返していた。しばらくすると、羊たちの後ろからさらに次の客が飛び込んで来た。
「ひひひひひ、ひひひ人が!」
「押さんでください! 順番に! 順番に! 他の方も並んでらっしゃいますので……」
「それどころじゃないっ!!」
駆け込んで来た男性が血相を変えて叫んだ。一体何事か。狭い交番の中が一瞬静まり返った。
「人が! 死んどるんですッ!!」
「なにっ!?」
唸るような叫び声が交番内に谺した。雨風がびゅうびゅうと、横殴りに駆け抜けて行った。
「血が……天門の下から血が……そんで……」
「と、とととととにかく落ち着いて!」
駐在さんが一番慌てながら、男性を手招きした。自然と、先客たちも道を開ける。
男性は興奮気味で、話は要領を得なかったが、後に羊たちが要約すると、以下のようになる。
第一発見者は岡地銀一さん78歳。六門島で漁業を営む、隠れキリシタンの末裔である。漁のない日は天主堂まで行き、
台風の日は閉館である。それはホームページにも記載されていた。だが、天主堂の姿を拝むだけでも構わなかった。厳しい雨風の中を、小一時間ほどかけて登頂し、彼は六角形の聖なる館に辿り着いた。しかし……。
「天門の下から、血がはみ出て来とったんです……」
正面の入り口、天門の下の水溜りが、赤黒く濁っていたのを発見した。これはただ事ではない。岡地さんは試しに扉に手をかけたが、その門は開くことはなかった。
「生門も、神門も、鍵のある門は当然閉まっていました。神様の場所に何か粗相があってはいけない。何とか中に入ろうと、他の門も全部押してみましたが、ダメでした」
全ての門が閉ざされていた。
六門天主堂には窓はない。それで岡地さんは、鬼門の片隅に、覗き穴があるのを思い出した。長年天主堂に通っていた彼は、古びた門の表面がほんの少しだけ空いていて、そこから内部が見れるのを知っていた。彼はピーナッツほどの大きさの穴に必死に目を当て、中を覗き込んだ。
「んだら……んだら……!」
穴からは天門の内側、左側の部分が辛うじて垣間見えた。岡地さんが目を凝らすと、その部分に、人の手首のようなものがあるのが分かった。しかもその手首には、釘が刺さっているではないか。
「そんで、山ン頂上じゃ電話も使えんので、急いで来たっちゅう訳です」
「本当に手首だったンですかぁ?」
岡地さんが話し終えた後、駐在さんはぽかんと口を開けた。どうやら、いや大分、岡地さんの話を信じていないようだった。それも仕方ない、と羊は思った。それじゃまるで、イエスの磔刑じゃないか。いくら何でも話が出来過ぎている。しかし岡地さんは譲らなかった。
「あれは確かに人じゃった! 人の手首じゃ!」
「分かった、分かった……見に行きましょう」
駐在さんがようやく重い腰を上げた。満杯になった交番から逃げ出したかったのかも知れない。彼は天主堂の管理人に電話し、鍵はあるか、と尋ねた。
「ええ。私のカバンにぶら下がってますよ。昨日は確かに戸締りして帰りました。スペアは天主堂の、事務室の中です」
それで先遣隊が組まれた。駐在さんと、天主堂の管理人、それから
「あの……僕も行って良いですか」
羊は手を上げた。駐在さんが、今存在に気づいたとばかりに羊をまじまじと見つめた。
「え? 君は誰かね?」
「できるだけ大勢で行った方が良いと思うんです」
「どうして??」
「だって、もし本当に死体があるのなら……殺人鬼が、まだ山の中に潜んでいる可能性があります」
「…………」
その場にいた全員が息を飲んだ。それから島の消防団も数名呼ばれた。羊と、白装束の男たちもついて来ることになった。合計8名の大所帯で、彼らはやがて第一の死体を発見することになる。
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