【完結済】モコモコくまちゃん、超絶美形な婚約者に傷つけられた地味令嬢を全力で応援する
山田露子☆10/10ヴェール小説3巻発売
第1話 セレステ・ホプキンス
たとえ相手が純粋に『善意』からしてくれたことであっても、受け手側に一切の『拒否権』がない場合、ろくな結果にならないものだ。
セレステ・ホプキンス伯爵令嬢の災難はこんな具合に始まった。
――場所はホプキンス伯爵邸。
「あなたにとびきり良い縁談を持ってきてあげましたからね」
そう切り出したのは、久しぶりに当家を訪ねて来たボンディ侯爵夫人。薄灰の瞳を輝かせ、なんだか得意げな顔つきである。
一方セレステは、この思わぬ成り行きに戸惑いを隠せない。
「ええと、あの……はい?」
「はい? じゃないでしょう。しっかりなさいな」
途端にボンディ侯爵夫人の叱責が飛んでくる。
「セレステもいい年だし、結婚できなくてかなり焦っていたんじゃない? そんなあなたに、誰もが羨むような素敵な婚約者ができるんですもの――どう? とっても嬉しいでしょう?」
そう言われましても……やはりセレステとしては喜びよりも戸惑いのほうが大きい。
「私、その、実は……一生結婚できないものと諦めていたのです。ですから実感があまりないというか」
セレステは正直に告白した。
とはいえ彼女は花も恥じらう二十歳の伯爵令嬢である。なにもこの段階で結婚自体を諦めてしまわなくても……というのは誰もが思うことだろう。
当然、ボンディ侯爵夫人はこの発言を問題視した。
「ねぇ、あなた冗談でしょう? その若さで結婚を諦めていた、ですって? 未婚女性が多い世の中なら、それも結構ですけれどもね――貴族令嬢で生涯独身を通すのは、いばらの道ですよ。亡くなったあなたのお母様が今の発言を聞いたら、なんとおっしゃるか」
ちなみにボンディ侯爵夫人は、セレステの親戚でもなんでもない。『夫人の妹の親友が、セレステの母だった』という、近いような遠いような、なんともいえない関係性にある。
赤の他人といえば赤の他人だが、夫人なりに、セレステに対して愛情めいたものを感じてはいるようで……。
「セレステは少々地味ですけれど、髪や肌には清潔感があって、よくよく見ると可愛らしい顔をしていますよ。知性が外見に滲み出ています。性格も控えめで、素直で、大変よろしい――ところが、よ。あなたの悪いところはね、必要以上に自分を卑下するところです。そういう女性はモテませんよ。自分を愛せない投げやりな人間が、誰かに愛されると思いますか?」
このお説教はセレステの胸にガツンと強く響いた。
年の功というやつか、滅多に会わない間柄であるのに、夫人はセレステの欠点を見事に見抜いている。
言葉のひとつひとつがグサグサと胸に刺さるのは、そこに真理が含まれているからかもしれない。
「確かに、自分を卑下するのはよくないですね」
「そうですよ、胸を張りなさい――世の中、大抵のピンチは『ハッタリ』で切り抜けられますからね。とにかく堂々と振舞うこと」
そ、そうなのね、初めて知ったわ……セレステは感銘を受けた。
威風堂々としたボンディ侯爵夫人から出た言葉となれば、理屈を超えた説得力がある。
「侯爵夫人、あの……お相手について教えていただけますか?」
夫人の叱咤激励が効き、セレステは前向きな気持ちになりつつあった。
楽なほうに流されていたら、引っ込み思案な自分など、どうせ十年後も今と同じような冴えない暮らしをしているに違いない。それならばいっそ思い切って、一歩前に踏み出してみるのもいいかもしれない。
セレステが初めて建設的な質問をしたため、ボンディ侯爵夫人はそのことを大変喜ばしく思い、満面の笑みで告げた。
「聞いて驚かないでくださいな――お相手はなんとあの有名な、エリシャ・アディンセル伯爵ですのよ!」
さぁどうだ! と言わんばかりの高らかな宣言。
ところがセレステのほうは反応なしだ。真剣な顔で耳を傾けたまま、置物のように動かない。
奇妙な沈黙が流れた。
しばらくたってからセレステはやっと気づく――あらこれ、続きがあるのかと思っていたけれど、どうやらこれで一区切りみたいね?
「あの、はい……」
探り探りの相槌は声が小さいし、タイミングも悪いし……とくれば、当然ボンディ侯爵夫人からは厳しい言葉が飛んで来る。
「あの、はい……じゃございませんよ。ほかに何か言うことはないのですか?」
「ええと」
ボンディ侯爵夫人が気分を害したような口ぶりなので、セレステは眉尻を下げた。
あー……夫人がここまでおっしゃるということは、これは自分にとって、願ってもいないような縁談相手なのかしら? もしかするとその方、お金持ちとか?
お相手はエリシャ・アディンセル伯爵と言っていたわね……そうか、つまり爵位は伯爵。
セレステの父も伯爵であるが、同じ家格でもピンからキリまである。
当家は底辺のほうだが、お相手は? これがもしも裕福な家との縁組ならば、確かに喜ぶべきなのかもしれない。
セレステはさらに質問をしてみた。
「お歳はいくつくらいの方なのでしょう? 四十……いえ五十?」
四十、と言いかけた時に、ボンディ侯爵夫人の細眉がさらに跳ね上がったのを見て、セレステは慌てて五十と言い直した。
いけない、いけない……『お前は冴えない行き遅れの分際で、四十の伯爵と結婚できると夢見ているの?』などと不快に思われたのかもしれない。つい調子に乗ってしまった。
しかしセレステが五十と言い直したのに、ボンディ侯爵夫人の苦い顔がいまだに改まらないので、どうやらまだ調子に乗っていたようである。
「ええと……な、七十?」
それはずいぶん長生きね、と冷や汗が出てくる。妻と死別し、若い嫁を迎えて、最期を看取ってほしいということだろうか。
「馬鹿おっしゃい!」
ボンディ侯爵夫人が肩を怒らせ、膝の上に置いた扇をミシリと握り締める。
「わたくし、あなたのことは実の娘のように可愛く思っていますのよ! そんなあなたに七十の老人を勧めるものですか。それじゃあ、わたくしの父くらいの年齢ではないの」
「そ、そうでしたか」
「……そういえばあなたは、ずいぶん長いこと社交界から遠ざかっていたのでしたね」
ボンディ侯爵夫人は呆れたようにため息を漏らす。
「それにしたって、あの『アディンセル伯爵』を知らないだなんて! そんなことでは、とんだ田舎者だと笑われても仕方がありませんよ」
「ごめんなさい」
「アディンセル伯爵はわたくしの甥っ子ですの。歳は二十二――あなたよりふたつつばかり上になるわね」
若い……! セレステは驚きすぎて、すぐには声を出すこともできなかった。
えー……これはなんのトラップなのだろう? もしかしてあれだろうか。顔面が非常に残念というパターンだろうか。だとしたら納得だ。むしろ安心できる。
「私、顔はついてさえいれば大丈夫ですから」
妥協点を見つけた心地になり、セレステは柔らかい笑みを浮かべてみせた。
なんなら顔がなくてもいいくらいだ。しかし首なしでは生命活動が維持できないので、必然的になんらかのものは乗っかっているだろう。
「この子ったらもう……あのね、一応言っておきますけれど、エリシャは目が飛び出るような美男子ですからね。背はすらりと高く、誇り高い騎士で、女遊びをするような浮ついたところもない。誰もが憧れるような、立派な人物ですよ」
ボンディ侯爵夫人はそう言うけれど、セレステとしては『どうかなぁ』という気持ちだった。
だって地味な引きこもり令嬢の縁談相手に、非の打ち所がない美形貴族をあてがってやろうだなんて、ある意味蛮行に近いイカレた行為よね? 海賊が略奪行為をするのと、どっこいどっこいの非道ぶりといってもいい。いかにボンディ侯爵夫人であろうとも、やって良いことと悪いことがあると思う。
ということはつまり、だ――それは現実的にありえないってこと。
セレステは状況の複雑さに頭が痛くなってきた。
ああ……だめだ。ボンディ侯爵夫人の話がどうしても呑み込めない。
何もかもがよく分からないから、ここは話半分に聞いておくのが賢明かもしれないわ。
おそらくだけれど、見た目は『普通』ってことなのね? たぶん、そう――暗がりで眺めてみたら、なんとなしイケメンに見えてこなくもないな、という程度?
「失礼を申し上げました」
状況がいまだよく分からないものの、とりあえず謝っておく。
「いいのよ。ほかに訊きたいことは?」
「特には……お相手の性格が優しければ、私はなんでも」
セレステとしては控えめな希望を伝えたつもりだった。
どんな見た目でも構わない――ただひとつ、人柄さえ良いのなら。
特別贅沢を言ったつもりはなかったし、セレステは自分の希望が当然叶えられるものだと信じて疑わなかった。
「そ、そう……あ……それじゃ、わたくしそろそろこれで」
終始自信たっぷりだったボンディ侯爵夫人が、伯爵の性格が話題に上がった途端、見苦しくむせ返り紅茶をこぼしかけ、慌てて暇(いとま)を乞うた不自然さに、経験の浅いセレステが気づくはずもなかったのである。
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