1-B 『三人兄弟』


「初めの縁談は、三人兄弟が相手だったの」


 髪を結われながら、イヴ・ヴァネルは鏡越しにマリーに話しかけた。


 髪結いのマリーは、神経質そうな顔立ちをした黒髪の娘である。彼女は一見とっつきにくそうに見えるものの、笑うと鼻のつけ根に皺が寄り、一気に親しみやすい雰囲気になる。


「お相手は三人兄弟の、何番目ですか?」


 髪の分け目を微調整しながらマリーが問うてくるので、


「何番目とかいう話じゃないわ。――全員が相手よ」


 イヴは少々バツの悪い思いをすることとなった。


「えっ、一気に三人と? しょっぱなからそれはすごい」


「まったくよね。よりどりみどり好きに選びなさい、って伯母さまから言われたのだけれど」


 この国は一夫一妻制なので、さすがに三人の男とくっつけてしまおうという乱暴な話ではなかったのだが、だからといって『この中から好きな相手を選べ』と言われても、なんとも困惑してしまう展開だった。


「それは結構な話じゃございませんか。だって選択肢は多いほうがいいもの」


 マリーはいかにも他人事といった調子である。


「とんでもないわよ! あれはまさに悪夢そのものだった。だって私、いまだにあの日の光景が夢に出てくるんですもの」


 イヴは疲れたように小さく息を吐き、視線を彷徨わせた。


 やがて心の整理をつけた彼女は、続きを催促する髪結い娘に向かって、三人兄弟との縁談の顛末を語り始めたのだった。




***




「その三人兄弟の住む屋敷はとても遠いところにあって、お見合いをして日帰りするのが難しいということで、そちらに一泊させていただくことになったの」


「伯母さまと一緒に行かれたのですか?」


「いいえ。私は侍女のリーヌと従者のアルベールを伴って、あちらのお屋敷に向かった」


「いつもの顔ぶれですね」


 編み込みをしながらマリーがちらりと視線を上げ、鏡越しにお嬢様と目を合わせる。


「そう、いつもの顔ぶれよ」


 イヴは頷いてみせた。


「どんな方たちでした? お嬢様の結婚相手に名前が上がるくらいですから、もちろん家柄は良いのでしょうけれど」


「まぁ家柄はね。だけど問題は人柄だと思うわ。――長男は甘いマスクをした、自信家。次男は計算高いタイプで、堅実な印象。三男は甘えん坊の癇癪もちで、三人の中では、とにかくパッとしなかった」


「うわぁー、三男は絶対ないですね」


「だけど長男と次男には、すでに条件の良い婚約者がいたのよ。フリーなのはその三男だけ」


 イヴが澄まし顔でそう告げると、編み込みをしていたマリーの手が止まり、目を丸くしている。


「ええ? それじゃあ『三人兄弟とお見合い』って前提が、そもそもおかしくないですか? 長男、次男はすでに別のお相手がいるのだから、お嬢様とは結婚できない」


「そうなの。伯母さまは『三人の中から好きに選べ』と言っていたけれど、『これは三男とのお見合い話なのね』と私は解釈した」


「対面した時、彼らはどんな態度でした?」


「甘えん坊の三男は照れているのか、ほとんど喋らなかった。いかにも自信家な長男は、私に興味を持ったのが分かった。次男は慎重だったわね」


 イヴはあの日の光景を思い出し、瞳を揺らした。一息ついてから、憂鬱そうに続ける。


「あてがわれた客室で晩餐まで休ませてもらうことになったのだけれど、アルベールがその時にこう言ったの。『お嬢様、晩餐の際は、次男に沢山話しかけてください。とびきり愛想よく』と。彼の指示に間違いがあるはずもないから、私はそれに従うことにした」


「謎めいた指示ですね。アルベールさんはどうしてそんなことを?」


「長男、次男にはメリットのある婚約者がすでにいることは、先ほど話したでしょう? だけどね――自分で言うのもなんだけれど、目の前にそれ以上に条件の良い相手が現れたとしたら、どうなるかしら?」


「なるほど」マリーは手を動かしながら考えを巡らせる。「お嬢様は容姿、家柄、財産、すべてが魅力的ですわ。お嬢様の結婚相手は、最終的にこの伯爵家を継ぐ権利を得られますし」


 まぁ愛人顔ですけどね、とイヴはこっそりそう考えたが、それは言わないことにした。――野心家の男性にとっては、令嬢の資産が幾らあるかが重要な点であって、その娘の顔が愛人顔であろうがホステス顔であろうが、さして問題にはしないからだ。


「そうね。三兄弟は貴族とはいえ当家よりは格下だったから、私を見て、『丸々太った鴨がやって来た』と考えたはず。それでね、驚いたことに、長男は晩餐までの短い時間に、今結んでいる婚約を破棄してしまったの」


「なんと仕事が速い! そしてすごい自信ですね。彼はお嬢様を必ず射止められると踏んだわけだ」


「貴族って、博打が好きよねぇ」


 自分のせいで婚約が一件破談になったというのに、他人事のようにイヴは溜息を吐く。彼女が長い睫毛を伏せると、妖艶な雰囲気が色濃くなった。


「で、次男さんはどうでした?」


「静観する構えだった。ほら、次男は堅実なタイプだし、彼の婚約者の家はそれなりに裕福だったから、そちらをバッサリ切って、私に鞍替えする気もなかったみたい。――ちなみにすでにいる婚約者を繋ぎ止めつつ私を口説くことは、彼らには認められていなかった。だって私のほうが立場は上だったから」


「彼らはお嬢様を狙うなら、まず今の婚約者を捨てて、身綺麗にするところから始めないといけなかったわけですか。それってほとんどギャンブルだわ」


 小半日でイヴに乗り換えることを決めてしまった長兄は、かなり思い切りがよいといえるだろう。


「――うん? ちょっと待って」


 マリーはそこでふと何かに気づいたようで、瞬きしてからにんまりと笑った。


「ああ、それでアルベールさんの先程の台詞に繋がるわけですね? 現状維持の姿勢を貫きそうだった堅実な次男に、お嬢様が熱心に話しかける。すると次男は、自分こそが本命だろうと期待するわ」


「事実、そうなったの」


 イヴはなんとも面倒そうに頷いてみせた。


「もしかするとアルベールは、私の結婚相手にふさわしいのは、堅実な次男だと考えていたのかもしれないわ。だから彼の人間性を見極めようとしたのかも」


「だとすると、どちらにせよ出口がないように思われますね。だって次男が誠実だったなら、お嬢様に乗り換えようとはしないはずだから、この縁談が成立することはない。反対に、今の婚約者を捨てるような男なら、信用できない人物ということになる」


「確かにそうね」


「それで次男さんは、どうなりました?」


「私、人間不信になりそうだったわ。――晩餐が終わる頃には、堅実なはずの男はその仮面を脱ぎ捨て、火を灯したような妖しい瞳でこちらを見つめ、『今の婚約は破棄します』と言い出したの。自信家の長男は射殺すように次男を睨み、負けじと詰め寄って来て、『いいや、自分こそが貴方に相応しい』と熱烈に求婚してきた」


「混沌としてますねぇ。お見合い初心者にはハードルが高い」


「この話にはまだ続きがあるのよ。――このとき三男は、どんな気持ちでいたのかしらね? 三人兄弟のうち自分だけがフリーだったから、これは自分のために組まれたお見合いなのだと、都合の良い夢を見ていたはず。それなのに蓋を開けてみれば、丸々太った鴨は、兄たちに取られてしまいそう。彼は幼い頃から長男、次男と比べられて育った。いつだって蔑まれて、隅に追いやられて」


「やっと主役が回ってきたと思ったら、またもや長男と次男に、ステージ上から弾き落とされてしまった」


「たぶん積もり積もったものが爆発したのだと思うわ。――それは夜のあいだに起こった」


「一体何が」


 マリーがごくりと唾を呑み込む。


「怒った三男が鈍器を持って、次男の部屋に乗り込んだの。こいつさえいなければ、と乱心したのでしょうね。寝ていた次男は抵抗することもできず、あっさり殴り殺されてしまったわ」


「まぁ、なんてことでしょう」


「騒ぎに気づいた長男が猟銃を持って現場へ駆けつけ、殺人鬼と化した三男に向けて銃を撃った。ところがこの三男、すぐには死ななかったの。彼は手負いのまま破れかぶれで長男に襲いかかり、結局、三人とも死んでしまった」


 あまりに凄惨な事件である。聞き手のマリーは呆けたようにその場に立ち尽くしていた。


 ――少し前に髪結いは完了していて、完璧な状態に整えられたイヴが、鏡に映っている。


「それでは、お嬢様の結婚相手がいなくなってしまったわ」


 誰もいなくなった――マリーの呟きを聞き、イヴは静かに瞳を伏せた。




*****



 三人兄弟(終)


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