一分間彼女
てこ/ひかり
第1話 洗濯機の中
「じゃあ、4時44分になったら、君は姿を現せるってわけ?」
「はぁ……まぁ」
何とも歯切れの悪い答えが返って来た。
ちょうど16歳くらいのその少女は、小さな洗濯機の中にぎゅうぎゅうにその身をねじ込められ、身動きが取れなくなっていた。
僕は洗濯機の中を見下ろした。
ぐるぐるにねじ曲がった青いタオルやらカッターシャツに巻き込まれ、彼女の着ていた白装束も渦を巻いていた。しばしの沈黙。僕らはお互い、探るような目で見つめ合った。そりゃそうだ。ふと洗濯機を開けたら、中に女の子が入っていたんだから、いくら
「……そう言えば最近、夕方になると何か見えてたけど」
「あ、それ私です」
艶のある黒髪ロングが、白装束の上で渦巻き状に荒ぶっている。
少女がちょっと嬉しそうにはにかんだ。
「えーっと……私、幽霊なんです。その時間に貴方を驚かせてやろうと……。えへへ……」
□□□
たとえば、部屋の隅っこだったり。
たとえば、少しだけ開いたドアの隙間だったり。
たとえば、教室の窓の端だったり。
自ら幽霊だと名乗るその少女は、ここ最近、毎日同じ時間に僕の前に現れていた。
言っとくが、僕に霊感はない。
生まれてこのかた、心霊現象には遭ったことがない……のだが、だからこそ余計に、目の前の出来事が信じられなかった。
「もう一回尋ねるけど……」
「はい」
「本当に幽霊なの?」
「はい。幽霊です」
細身の、影の薄い少女だった。彼女は人懐っこく小首を傾げ、半透明の笑みを浮かべた。洗濯機の中で捻れている少女。僕は納得した。これが幽霊じゃなく人間だったら、もっと怖い。影の薄くない幽霊なんて聞いたこともない。
何事も人間、慣れるものである。
初めは彼女の姿を目の端で捉える度、何か見てはいけないものを見た気がして、ビクビクと怯えていた。だけど一ヶ月もすれば、全然気にしなくなっていた。
大体、夕方の4時44分など普段は授業中だし、空はまだ明るい。幽霊に分かりにくいところからこっそり見つめられても、気づかないことも多かった。実際2、3日彼女の姿を見逃した日もあった。だけどそうすると、次の日彼女は、より目立つように僕に見つかりやすい場所に姿を現すのだった。
そして今日、洗濯機を開けたらこの有様だ。僕は頭を掻いた。
「……大体同じ時間だからさ、もうそろそろ出てくるなー、ってこっちも気付くじゃんか。慣れるとあんまり怖くないんだよね」
「こわ……っ!?」
どうやら幽霊としての尊厳を損ねてしまったらしい。
「怖くない」と言われ傷付いてしまった彼女が、洗濯機に挟まったまま、泣きそうな顔で僕を見上げた。
「どうしたらいいんでしょう? 私、幽霊だから怖がってもらわないと……」
「ちょっとどいてて。洗濯物干さなきゃいけないから」
「あ……すみません」
洗濯機の中から、いそいそと彼女が這い出して来た。もっと幽霊らしく出てくりゃいいのに、と僕は思った。
「あの……」
彼女が洗面台の片隅で、所在なさそうにもぞもぞしながら呟いた。僕は壁にかかっている時計をちらと見上げた。もうすぐ、4時45分になる。夕方の幽霊には、一つの特徴があった。4時44分に出てくるのは良いが、残念ながら1分後には姿を消してしまうのだ。
1分間しか現れない。
案の定、残り30秒くらいでスーッと薄くなりつつ、彼女は申し訳なさそうに僕に頭を下げた。
「どうして私は幽霊なんでしょう?」
「さぁ……そんなの、僕に聞かれても……」
どうして人間は人間なんだろう? と尋ねられているのと同じだ。それでも彼女は、それがえらく気にかかっている様子だった。
確かに、わざわざ幽霊になるくらいだから、それなりの理由はあるには違いない。よく知らないけど、普通に死んだのであれば、成仏とかするんじゃないだろうか。よっぽど何か未練があったのか。それとも不慮の事故に遭うだとか、殺人事件に巻き込まれるだとか……考えすぎだろうか。
「覚えてないの? 幽霊なのに?」
「えぇ……」
彼女は困ったように視線を落とした。もう制限時間が迫っていた。
「じゃあ、明日もよろしくお願いします……次はもっと怖がらせますので」
「がんばってね」
「はい」
「あ……そうだ」
僕は濡れた衣服を入れた籠を抱えた。正直、早く洗濯物を終わらせて、読みかけの本を読んでしまいたかった。
「あの……君、名前は?」
「
「
名前は確かに幽霊っぽい。
「あなたは……」
おりょうさんが照れたようにはにかんだ。
「お名前は何と仰るのでしょうか?」
「僕は……」
それが僕の名前だった。おりょうさんと何となく名前が似ている。それが良いことなのか、悪いことなのか僕には判断がつかなかった。
「まぁ! 素敵なお名前で……」
親近感を持つべきかどうか迷っていると、おりょうさんが嬉しそうにそう言ってくれた……だが、最後まで言葉は聞き取れなかった。喋ってる途中で、45分が来てしまったのだ。
彼女は最初からそこにいなかったみたいに、煙のように姿を消してしまった。
三角巾の幽霊と健気な笑顔で自己紹介を済ませた後、僕はベランダで洗濯物を干し始めた。
外は眩しかった。明日もいい天気になりそうだ。洗濯物を干し終わると、僕はさっさと部屋に戻り、楽しみにしていた本を早速昨日の続きから読み始めた。
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