第23話 やりました……。やったんですよ! 陰キャが必死に! その結果がこれなんですよ! ②









 十中八九、終わったと思った。


 目の前にこんなにも大きなエサがぶら下げられて、陽キャが素直にお預けなんて出来るはずがない。

 お先真っ暗、ご臨終。人生の終着駅へとまっしぐら。

 オギャアと生まれて約十五年。これから先の生き方が、今、定まった。

 心頭滅却すれば火もまた涼し。昔のヒトは言いました。

 でも、こんな僕でございます。

 不出来な身の上を鑑みましても、 “若いときの苦労は買ってでもせよ” “艱難汝を玉にす” その境地に至るのは、いったいいつ頃になりましょうか。

 お恥ずかしながら当方まだまだ人間が出来ておりません。

 故に、ひとたびこんな目に遭えば、十を数えるまでもなく、ものの見事にくじけます。

 というか、苦労だのなんだのとそんなケッタイなもんを買うヤツなんかいるのか? 

 もしそんな奇特なヒトが居たのならまずは僕の手持ちを買ってくれ。両手を挙げて喜んで売ってやるよ。

 なにが敢えて苦労せよだ。

 ふざけんな。苦労や悩みなんざ、オタクってだけで人一倍味わってきてんだよ。ブサイクも合わさって倍プッシュ。もう供給過多でお腹いっぱい。

 心頭滅却うんぬんも、煩悩振り払えるんならとっくにオタクなんてしてねぇよ。

 根っこから邪まなんだよ、足の先まで欲だらけなの。ったく、なんでその辺わかんないかなぁ。

 鬱々と、八つ当たりっぱなしな脳内お祭り騒ぎ。もし何か一言、 “あ” でも “い” でも、口からひねり出せれば言い訳へと続いたのだろうか。

 いいや、それが出来れば今までの人生に苦労はないさ。

 出来ないこその今。どこにぶつけるべきなのか、時代がかった言い回しからの見事なまでの自暴自棄な捻くれっぷり。

 それもそのはず、オタクってのは想像力だけは逞しいんだ。これから先の顛末なんて、悪い方向にならお茶の子さいさい。それこそ鼻をほじるくらいの感覚で容易にシミュレートできる。

 仰ぎ見れば、扉に四角く切り取られた我が楽園。一歩手前には、目下、僕を悩ます諸悪の根源な同級生。

 お互いの視線の先には、まぁ、なんと言うことでしょう。話のタネがざっくざくな、ネタの宝庫ではありませんか。

 あぁ、いやだ。もう先は見えた。

 せっかく入った高校だけど、悲しいかな。意味もなく毎日バカにされて過ごすんだろうな。

 学校という狭いコミュニティの中で、サンドバックのように言葉で殴られるんだろうな。

 僕の人権なんて、クシャッと丸めてゴミ箱にポイだろうな。

 はい詰んだ。こりゃダメだと九割方は諦めて、……でもせめて。

 もし、この願いが届くなら。

 常日頃、神や仏になんら興味も関心も、信仰なんざ微塵もない我が身なれど、溺れる者は藁をも掴む。

 ほんの数%もないであろう “せめて” の可能性に全てをかけ、胸の前で大きく十字を切って、神様仏様オタ神様。どうか平穏な僕の日常をほんの少し、ほんの少しでいいのでお守り下さい。

 そう縋るように行く末を案じ、身構えていたぶんだけ、


「でも、おもったほどじゃないね」


 恥ずかしいというかなんというかだ。


「ほぇ?」


 ……ほえぇ。


 ――追い詰められた脳ミソが今際の際に起こした悲劇か、はたまた僕の心が連日続いたこのストレスにいよいよ音を上げたのか。


 僕というブサイクが、己の低俗で卑賤な身の程も弁えず、なんという小動物的かつヒロインチックな音を喉から発してしまったのだろうか。

 もし、先の一言が自分の敬愛するキャラクターの決めゼリフだとしたら、オマエは責任取れるのか。

 とれないよな。ファンのひとりひとりから木の棒で殴られる、そんな罰くらいなら当然のこととして受けるよな。

 猛省しろ、この出来損ないのバカめ。

 そう後悔するほどに、我ながら情けないほど変な声が出た。

 とまぁ、どっかのトンチキがしでかした、アンポンタンなあれやこれやはひとまず置いといて、……とにもかくにも、奇妙奇天烈奇々怪々。

 人生は筋書きのないドラマとも言うけれど、まさにこういう場面で使うのだろうね。

 彼女が放った最初の言葉だけ取れば、ひとりの少女が異常な光景に引いているように聞こえなくもないが、――やはり現実は小説よりも奇なり。

 てっきり僕としましては、これから先どんなヒドい目にあうのかと恐れ、かたや、もうこうなってしまっては後は野となれ山となれ。地獄への片道切符を手に、現代という先の見えない暗闇の中を腹をくくって歩き続けろってことか。なんて、覚悟を決めかけていた部分があったんだけどな。

 それなのに。

 続く台詞に、おやおやと。

 はたしてどれぐらいの確率だろうか。

 きっと、砂漠の真ん中で米粒ほどの砂金を見つけるくらいには希有なことだろう。

 なんせ、――素人には刺激の強い僕の部屋、それを真っ正面から目にしてのこの台詞――どうやらある程度の耐性が、この少女にはあったらしいのだから。


「驚かないん……ですね?」


 恐る恐ると聞いた僕に、そりゃそうよ。と、彼女はまた呆れたように鼻を鳴らし、ちょっとだけ笑った。


「身近に似たような部屋があるからね」


 まぁ、これに比べれば全然カワイーもんだけど。と、そこまで聞いて、……その親しげな口ぶりや、柔らかくなった表情を前に、あぁなるほど。

 そういえばそうだったと僕の中で合点がいった。

 そうだ。

 そもそものこの騒動の起こりは、彼女がとある人物のため、――想い人のために、カードを手に入れたいと願ったことが発端だった。

 TCGが好きなヤツは全員オタクなのかというと必ずしもそうではないけれど、彼女の慣れた感じを見るに、そのヒトもここに近しい部屋に住んでいるのだろう。


「ポスターとかは貼ってないんだ。部屋中にベッタベタなイメージだった」


 何気ない彼女の一言に、再びなるほどと僕は唸った。

 この子の想い人はそっち系か。――いいじゃないか。

 これは僕個人の狭い経験則だが、オタクという生き物は、自分の好きなモノを他者にもアピールしたがるという非常にやっかいな習性をもっていることが多い。

 カバンや身に付けた推しのグッズしかり、隙あらば行われる布教活動しかり。

 ただ、ここまで聞けばオタクは変わったヤツばかりという迷惑半分笑い半分な話で終わりそうなモノだけど、……当然、全てのオタクがそうだとは限らない。

 一括りにオタクといえど、同類の目で見れば千差万別。ピンからキリまでいろいろなヒトがいるわけで。

 そんな中でも、ひとりひとり考え方は多々あれど、自分の事を社会の枠組みから外れた異端な者だと考えているヒトは決して少なくはないと思う。

 なんせ、オタクという生き方は、よほど恵まれた環境でなければ常に迫害と隣り合わせ。

 人類誕生から続く、異端を排除しようとする社会のシステムはどうしようもなく強大で、かつ根強く、残念なことに僕らオタクはその排除対象の最たるモノ。

 抗わずとも、ただ生きていくそれだけで、世界の理から大なり小なりの心の傷を受けて育つヒトが多い。

 もちろん、御多分に漏れず僕もその中のひとり。

 雨にも負けず風にも負けず他者の目にも負けず、コレが好きなんだと外界にアピールできる、そんなパワータイプなオタクももちろん居るけれど、臆病な自分にはハードルが高すぎて、好きだという気持ちは負けていなくとも、ちょっと真似は出来そうにない。

 でも、そうはいっても『おっしゃるとおり、そのとおり』なんて、精一杯お利口さんに聞き分け良くしようにも、自分の気持ちに嘘をつき続けるのはやっぱり辛い。

 オタクはどこまでいってもオタク。自分の好きなモノを全力で、かつ永遠に語りたい。

 しかし、やっぱり社会はそれを許しちゃくれない。

 だけど、それでもオタクは自分の “好き” を誤魔化せない。

 まさにプラスとマイナス。右と左。陰と陽か。

 そこから迷い込むループはまさに知る人ぞ知る無限地獄。

 やはり、己の保身のために誰にも悟られぬよう、黙って心を殺していけばいいのか。それとも、後のことなど考えず、まずは声を大にして僕の趣味は素晴らしいよとストレスフリーにアピールしていくべきなのか。

 抜け道のない堂々巡り。ならばいったいどうすればいいのか。どちらを選べば正解なのか。

 メリット、デメリット。美点と欠点。

 右を立てれば左が立たず。それでも、自分に利がある方を選びたいと考えるのが正常だろう。

 そんなオタクのあり方や進むべき道を問うような、くだらなくとも奥深い事柄に、……結論としては正解なんてないんだよなぁ、これが。

 だから向き合うべきは、僕自身がどうありたいのか。考えるところはこの一点につきるわけで。


 昔はさ、オタクだのなんだのとこんな事で悩むなんて考えもしなかった。

 自然体で好き勝手。それを懐かしく思うって事は、僕も歳を取ったという証拠だろうか。

 いったいいつからだろうね。こんなことでウジウジ悩むようになったのは。

 小さい頃は、オタクなんて隠すはずもなく、ちびっ子の時は皆そうだろう。アニメにゲーム、マンガに玩具。そしてカード。家でも教室でも道端でも、大声で話し、笑う、子供らしい子供。オープンなオタクだった。

 当然、周りには同じ趣味の友達が居たし、そう、とくにアイツが、キナコがいつも居てくれたのが大きかったように思う。

 こんな小さな頃からだから、そうか、知り合ってもう十年以上か。

 今では本当に考えられないけれど、小学生までのアイツは、こんな瓶底みたいなメガネをかけて髪もちょっとした癖っ毛で。その上、露骨に暗くって声も小さくてさ。

 加えて、たまに口を開いたと思えば、どこで覚えたのか切れ味鋭い毒舌をお見舞いしてくる。そんな歩く銃刀法違反なヤツでさ。

 そのせいか、あまり同姓の輪には入れず、しかも僕に負けず劣らずのアニメやマンガ大好き少女だもんな。休み時間には誰とつるむわけでもなく自由帳に絵を描いて過ごしているような、間違っても腕っ節が強い方じゃないからさ。生意気な言動と相まってよく男子にからかわれているタイプの、そんな冴えないヤツだった。

 その頃の僕はというと、歳相応の明るいバカだったからね。近所に住む親友――キナコがそんなふうにイジメられていると聞けば風のように即推参。

 僕としては、アイツと趣味以外にも妙に気が合ったというか、小さい頃から一緒っていうのも要因としては大きかったんだろうな。一番の親友だと思ってたんだ。

 そんな友人が、多勢に無勢でからまれたとあってはそれこそ一大事。

 どこかヒーローごっこの延長か、毎回、許さんと特撮ヒーロー然とした台詞がかった一言と共にクラスのガキ大将みたいなのに飛びかかっては、――ダッサイよな。物の見事にボッコボコだもん。

 アニメで覚えたあの技も、マンガで憧れたこの技も、どの技も、オタク趣味で鍛えた枯れ枝のような身体では、少年野球やサッカーなんかで鍛えたガキ大将たちに勝てるはずもなく、しかも一対一じゃないんだぜ? 数人に囲まれるようにして毎度毎度けちょんけちょんのボロ雑巾。


『……ほら、もう泣くなよ。こんなの痛くないって』


『だって……』


『キナコはケガしてないだろ? ならいいじゃんか。こんくらいへでもないや』


 最後は泣くキナコの手を引いて、痛む身体にムチ打ちながら家まで帰り着くのが日課になっていた。

 それでも、次の日になれば朝からキナコと昨晩に見たアニメの話なんかしながらさ、笑いながら学校へと歩くんだからタフだよな。

 周りの目なんか気にしてないし、くじけないし、そのうちガキ大将グループのヤツらとも共通のアニメやマンガの話題で仲良くなってさ。小学校を卒業する頃には、僕達をイジるヤツなんかひとりもいなくなってた。

 相変わらずキナコの毒舌は健在だったけど、僕のバカみたいな話を嫌がることもなく、隣でずっと笑いかけてくれることに悪い気はしなくって、――だからこそ、中学に入ってからこっち。徐々にだけど、アイツが離れていったのは辛かった。

 今でもよくわからない。いったいどこで、僕は間違えたんだろうね。

 いくつか小さな心当たりはあるけれど、あれだけ仲が良かったんだ。それではない、よっぽどのことを僕はしでかしたのだろう。

 もしくは、先日の言葉どおり、そもそもキナコにとっては近くに住む同級生程度の付き合いだった。それがやはり正解なんだろうか。

 でもさ。

 それまでは休みの日にはいっつも一緒で、お互いの家を自由に行き来してはゲームやアニメ、カードの勝敗なんかで一喜一憂してさ。アイツって、僕の前ではメチャクチャ笑うし大声で騒ぐんだ。

 そんな僕にしか見せない仕草や言動が特別感というか、こんなもんただの友人ではないだろう。コイツこそが一番の親友だなんて、マンガなんかで良くあるシチュだしさ。オタクな僕が、勘違いしてしまうのは当然のことだった。

 それに、今でもハッキリ覚えている。……小学校の卒業式だった。キナコは確かに言ったんだ。

 式の後、クラスのヤツらと話してる途中で急に手を引かれ、誰かと思えばキナコでさ。

 お互いに着飾った格好で、手には一輪のブーケなんか持ったまま、ひとりの女の子が男の子を引いて足早に行くんだ。

 さっきまで僕と談笑していたヤツらも、突然のキナコの襲来にはじめは驚きこそしたが、普段、学校では口数の少ないヤツだからね。

 伊達に皆、コイツと何年も小学生時代を歩んできてはいないんだ。

 口をへの字に結んで、どこか焦った様子のアイツにどうしたんだと問いかける、それがどれほど無駄で無意味なことかなんて重々理解している人間ばかりだった。

 どう尋ねても返ってくるのは沈黙。それなら、コイツの好きにさせておくのがもはやお決まりで。

 クラスを出て、中庭を突き抜けて、その日は卒業式だから卒業生や保護者、在校生達が思い思いの場所で泣いたり笑ったり。

 僕としても、仲間内はどうせ同じ中学に行くヤツらがほとんどだけど、それでも小学生最後なんだ、いろいろと最後を楽しみたいなと考えていたんだけどな。

 僕の手首を掴む白く細いアイツの手からどこか必死さを感じた。振り払おうと思えばいつでも出来るだろう。だけど、黙って着いていけばその理由が分かるのかもしれない。

 どこかいつもと様子が違う、そんなキナコが気になってしまっていた。


 それから時間としてはほんの数分。

 小学校なんて、たとえ端から端まで歩いたところでそうかかるもんでもないが、その間、ちょっとずつ大きく膨れていく僕の心配は解消されることはなく、――人混みをくぐり抜け、逃れるように、ようやくキナコの足が止まったのは人気のない校舎裏だった。

 まず、ふいに出たのは


『おぉ……、すっげーな』


 感嘆の声だった。

 校舎の裏の奥の奥。一本だけある大きなサクラがすっごくキレイなところでさ。

 しかも今日というこの日に示し合わせたのか、見事なまでに満開の桜色。

 空は雲ひとつない青で、卒業式のこの日に、ホント百点満点のロケーションだった。

 観光地や、名所百選。まだ自転車で行ける範囲が世界の全てだった僕にとって、この場所ほどその言葉が当てはまるようなキレイなところはなかった。


 ――ただひとつ。そこにまつわる、身の毛もよだつ噂話。それから目を背ければだけど。


 なぜこんな所、――小高い場所に立つ小学校の敷地の端。高いフェンスで囲われているが、金網の向こうはちょっとした崖。

 そんなどん詰まりになぜ、一本だけ桜が植えられているのか。

 そして、なぜこんなにもキレイな場所だというのにあまりヒトが近寄らないのか。

 そのアンバランスさというか不可思議さというか、――実のところ、僕はこの場所をよく知っている。

 なんせそこは、男子達の間では超有名な心霊スポット。死ぬだの呪われるだの数多のウワサが後を絶たないそんな恐ろしい場所だったのだから。

 せっかくのこの日にだ、何をするかと思えばわざわざこんないわく付きな所に連れてきやがって、おい、まさか。


 ……まさかコイツ、ここがどういう場所か知らないのか。


 知らないとなると、いや、アイツの事だ。間違いなく知らないんだろうなぁ――僕は心底気が気でなかった。

 何を隠そうキナコは大のオカルトアンチ。

 心霊番組やおばけ屋敷はもってのほか。怖い話なんかとんでもない。

 悲鳴を上げてのたうち回って、だからこそ一ミリたりとて耳に入れることはない徹底ぶり。

 もし万が一にも見聞きしてしまったら。やめてくれ思い出したくもない。

 過去に数度、それこそ数えるほどしかないけれど、それ系統のイザコザで僕はヒドい目に遭っているのだ。

 どれをとっても、最終的にはなぜかこちらに烈火のごとく怒りを向けて、それを宥め賺すのにとんでもない時間と労力を必要とするのだからたまらない。

 周りのヤツらもそれは重々承知しているわけで、極力コイツにはその手の話をしないようにはしているはずなんだけど。

 僕は思わず頭を抱えてしまう。

 もし、コイツがこの場所にまつわるアレやコレを知っていれば、絶対にこんな所になんて来やしない。

 理由も目的も、何もかもが不明だけど、まず間違いなくキナコはここが身の毛もよだつ心霊スポットだと知らないはずだ。

 おそらくは何かのきっかけでこの場所を知ったのだろう。偶然、見つけたのかもしれない。

 キレイだな、スゴいな、素敵だな。その感動を自分だけの物にするのはもったいないな。よし、僕にも分けてやろう。

 そう考えたのかもしれない。

 常日頃、僕と行動を共にする機会の多いキナコだ。

 食の細いアイツの残りを僕が後始末、もとい飲み食いすることもあれば、はじめから二人で半分こなんてのもザラにある。

 今回の件も、ある意味この景色を僕と二人で半分こしたかったのだろう。それは、親友冥利に尽きるといえば尽きるし、もちろんとても嬉しく思う。

 もちろん、普段なら。

 でも今のこの状況は、……あぁ。面倒事の足音が聞こえてくる。こんなに厄介なこともない。

 なんせ、知らないのなら知らないままでいい。万が一にも何かの拍子に知ったとあれば高確率でロクな事にはなりゃしない。

 上機嫌からの急降下。きっと、その高低差に僕はホトホト困ることになるだろう。

 ただ同時に、知らないのであれば、まだこの危機を回避するチャンスは残されていると言うことではないだろうか。

 確か、なんだよ? とかなんとか尋ねたと思う。

 極めて冷静に、かつ間違っても気取られないように繊細に。

 なんせ、一分一秒たりとてこの場所でモタモタしているヒマはない。

 僕としては、 “キナコは何も知らない” その一点に全てをかけ、出来るだけ素早くコイツを連れてこの場を離脱するための算段を付けないといけないわけだ。

 もちろん、この賭けが分の悪いモノだって事は理解している。

 だって、キナコのヤツってば、ここに着いた途端、妙にそわそわと落ち着きのない感じでさ。

 くるりと僕の方へ振り向くとガラにもなく俯いたまま、前の方で組んだ手をずっとモジモジやってんだもん。

 だからこそ、――オカルト系に対する一種の防衛反応か。変に勘の鋭いヤツだ。

 はじめは知らなかったのかもしれないが、もしかして、すでに察しちゃった? まさか、時すでに遅し? この、どこかそういった雰囲気を本能的に感じてしまったのか?

 その表情は、前髪が影になってどうにもよくわからなかったけど、よく見ると足とか小さく震えてるみたいだし、おいおい大丈夫かよって、こっちが心配しちゃうくらいでさ。


『……この場所の言い伝えって知ってる?』


 しかも、――ようやく口を開いたと思ったら、なんてこったい。僕が今もっとも恐れ、回避しようと試みているようなことを言い出す始末。

 これはいよいよ気づいてしまった。というか、その発言からいくと、はじめからキナコのヤツは知っていった。そういう事だろうか。

 でも、アイツに限ってそんな。心底苦手なモノに自ら飛び込むメリットがあるとでも言うのか。

 今までにないキナコの行動に、青天の霹靂か。頭が回らない。いよいよ僕まで落ち着けなくなってきた。

 たぶん、僕の顔は青ざめていたことだろう。頭の中は必死にどうこの場を切り抜けるか。そればかりが浮かんでは消え浮かんでは消え。

 だって、そうなるとキナコがこの場所にわざわざ僕を連れてきた、その意味合いも問われるわけで。

 なんせ、……ココのウワサって本当に怖いものばかりなんだ。

 男女で行くと~、とか、ふたりっきりになると~、とか。

 まさに今。ガッツリと、ばっちり条件満たしちゃってるわけだしさ。


『やっぱり、知ってるよね』


 日頃騒がしいヤツが、珍しく押し黙っているわけだからか。キナコは僕の無言を肯定と捉えたのだろうか、僅かに呟いた。


『卒業式の日に、この場所でふたりっきりになれると、……そういう事だから』


 その消えてしまいそうな声に、……そういう事とは、いよいよ本当にどういうことだ。

 僕の知ってる話だと、一緒になれなかったカップルが、女の縁談が決まったその日に身分の差や時代の悪さを呪いながらふたりで命を絶ったとか。

 あとは、地元を離れ都会に出た彼氏が、迎えに来るという約束を破り向こうで別の相手と結婚、それを知った女が世の中を恨みながらここで首を吊ったとか。

 他にも時代を問わず、男女にまつわる怖い逸話が数多くある。その全てが “死” を連想させるイヤなものばかり。

 女子の間では、僕の知らない別のウワサも流れているみたいだし、探せば探すほどその数は増えていくことだろう。

 そもそも、世間一般でよく言われているじゃないか。キレイな桜の下には、人間の死体が――


『――私は、そうなりたいと思ってるから』


 久しぶりに、背筋が凍ったのを覚えている。


 まさかのカミングアウトに時が止まったような非現実感。昨日までの日常や考え方が、いきなりブチ壊されたかのような衝撃だった。

 そうなりたい? そうなりたいって言ったのか? いやでもそんな。なんでそんな。

 今度は、僕の身体が震える番だった。

 だって、僕はまだ死にたくないし、なによりも、どうあっても、なにがなんでも絶対に、――キナコに死んでもらいたくない。

 死を考えるほど何か悩んでいるのか。イヤなことでもあるのか。

 コイツがなぜそんな発想に至ったのか、いまだ混乱の支配する僕だったけれど、今一番重要なのはそこだった。

 僕たちは件の噂話にあるようなカップルではない。だけど、キナコは僕をここへ連れてきた。

 その時の僕には、いまいち好き嫌いがどうというか、恋愛というモノが良く理解できてはいなかったけど、――アイツが僕を親しい間柄だと思ってくれているということは分かるし、僕も、自分がキナコの一番の親友だと思っている。


『キミは、どうなのかな……って』


 俯いたままのキナコは、震える声で、そう一言。

 どこかいつもとは違う、怖がっているような、怯えているような、そんな雰囲気を感じた。

 やっぱり一緒に死んで欲しいのか?

 いや違う。違うよな。こいつなら、僕の知ってるキナコなら、そんな事は考えない。

 先だっての一言には、面食らってすぐに言葉が出なかったけど、――今度は僕が、キナコの手を握った。

 ゆっくりと、だけど逃がさないように力強く。

 息を呑んだ声が聞こえた。顔を上げたアイツの顔は、どういう感情だろうか。はじめて見るほど真っ赤で、それでいて、その両の瞳には涙を溜めていた。


 ――小学生の僕に、いったい何が出来るんだ。何がしてやれるんだ。


 勉強も出来ない。お金もすぐ使っちまうから持ってない。運動が得意なわけでもなければ、どこの誰でもない、ただ元気なだけのバカな子供。

 言ってしまえば、僕ってのはその程度のクソガキだ。

 でも。それでも。なにがなんでも。

 死のうだのなんだの、僕は許さないぞ。

 まずは全部話せ。親友の僕を信じろ。どんな辛い話だろうと、絶対に僕がなんとかしてやる。助けてやる。守ってやる。だから。


 だから。――僕は言った。しっかりとアイツの目を見て、ハッキリと。


『僕は、……イヤだ』








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