第20話 アタシもさ、人並みくらいには遠慮ってのが出来るわけよ ④









 ちょっと待って。何よその顔は。


 だいたいアンタがさ、さっさと家の場所を教えてくれてさえいればこんなことにならなかったんでしょ。

 今日はすっごい良いスタートを切れたのに、蓋を開ければ不審者扱い。ダメ押しで震え上がるほど怖い目に遭うし。

 全然悪いことしてないのに、……というとウソになっちゃうけど、でも、なんにも知らないくせに、理解したような顔しちゃってさ。

 なにそれ。これじゃアタシばっかり悪者みたいじゃん。

 あー。なんだかバカにされているような気がしてきた。

 だんだん腹も立ってきた。

 いや、もともとキモオタは不思議な生き物だから、これはがっつりケンカを売ってきているのかもしれない。

 とりあえず、紅茶のおかわりどうですかって呆れ顔のままで聞いてくるもんだから、ありがとう。お礼くらいは言っておくわ。

 ついでに小声で、うんと甘くしてって伝えた。


「まだ甘く……歯が溶けそうだな」


 は? なに? 言いたいことは聞こえるようによろしく。


 いよいよイラつきが態度として表面に出てきてしまう。

 やれやれと言わんばかりに去るアイツ。その小憎たらしい背中を、――なにあの態度。――目で追いかけた。

 途中で、対面型のキッチンにはキモオタのママが居て、離れたソファーには、いつの間にか髪の毛をお団子に結い上げた彼女が。どちらもアタシに満面の笑みを向けてくる。

 どうやらあの美人さん、ご機嫌が麗しい辺りにまで上昇してれたみたいだけど、……いやー、良くないわ。

 あれはイヤな種類の含み笑いなんだもん。ああいう顔している時の女子は迷惑な勘違いをしていることが多い。

 あらぬ誤解を振り払うように、視線を逸らし目の前の卵サンドをかじる。

 それにしてもウマぁ。どこを食べてもその都度ほっぺが落ちそうになる。

 手作り感満載のまさに家庭の味ってヤツなんだけど、それだけで済ませるにはクオリティが高すぎる。手際よくこんなスゴいの作れるママさんはかなりの料理上手なのだろう。

 でも、すんごい美味しいのも、なんか困るというのがアタシの本音。

 居心地が悪いというか、こんなにもおもてなしをしてもらってバツが悪いというかなんというか。

 ホントはさ、一秒でも速く逃げ帰りたい。それに、知らない家で、出されたモノを抵抗なく食べるのが良くないことだってのも知っている。

 だから、出された卵サンドもはじめは遠慮したの。

 困るじゃん。ヨソで御馳走になったとか、ウチの親からなんて言われるか分かったもんじゃないし。

 でもさ、――ほんの十数分前のあの時。


『す、すぐ帰りますんで、申し訳ないです』


『……え』


 アタシはさ、きわめて常識的な対応をしたはずなの。

 すっごい美味しそうな卵サンドにさ、クラクラッと目が眩みそうになったけど、これがダンコたるケツイってやつ?

 知らないヒトには着いていかない。モノをもらわない。

 小さい頃に教わった常識じゃん。それなのに、……ちょっとヤメテ、なんて顔すんの。


『そうよね。こんなおばさんが作ったのなんか、……ごめんなさいね。気をつかわせちゃったかな』


 彼女のママがすんごい泣きそうな悲しい顔するのよ。その捨てられた子犬みたいな表情に、自分の胸があまりの激痛に悲鳴を上げたわけ。さらにその上、


『おや? 母のお手製は、いささか口に合わなかったかな?』


 あのさぁ、ホントにさぁ、……その雰囲気が怖いんだから、お願いだからむやみやたらにピリッとしないでよ。

 いつの間に、戻ってきたのだろう。

 ついさっき、ちょっと席を外すよと二階に上がった彼女が……えっと、お早いお帰りで。ママさんのションボリ顔に反応したのか、こちらに向かってギロリ。

 ひえぇ。またもや、冷たい瞳で圧を増したのだから恐ろしすぎる。

 っていうかさ。もし、口に合わないとしたらどうなの? まさか、アタシをどうにかするつもりなの? 聞きたくないし、知りたくもない。


『……メッソウモゴザイマセン』


 彼女を振り切って逃げ切れる、そんなイメージがまったくわかないんだもん。意味わかんないことだらけだし、謝るしかないじゃない。

 そう。アイツにも言ったように、今のこの状況がアタシもまったく何がなんだかわかっていない。

 あの時、焦り散らかしたアタシは、ただただ必死でホントのことを話しただけ。

 不法侵入を疑われた御屋敷の前で、


“クラスメイトの家を探しています”


“はじめてお邪魔するので場所がわからないんです”


 それでもまだ、


『ほう。この辺で、あの高校に通っている学生は数えるほどしか居ないわけだがね?』


 と、そう言われましても、ホントなんです。

 疑ってますって彼女の顔にありありと書いてあったから、あぁもう。どうしたら信じてくれんのよ。

 土壇場の状況に、慌ててアタシは視線を切ったわ。そして、こうまで追い詰められればイヤな “もしも” が、頭をよぎるってもの。


 ……まさか、はじめっからアイツの言った住所はデタラメだった?

 

 テキトーこいて、アタシが来るのを阻止しようとしてたってこと?


 本人に直に聞かないとわからない事だけど、それは目の前の彼女にとっても同じ事。

 もし、そうだとしたらさ。さっきから彼女の目に映るアタシは、バレバレの嘘をさらなる嘘で塗り固めているヤバいヤツ。

 アタシの名前まで網羅している彼女だ。そのヒトが、この辺にはアタシの知り合いになり得そうなヤツなんて居ないと、暗にそう言っているのだから、――はじめから、答えは一つなのかもしれない。

 え、ということは。そういうこと? もしかしてアタシ……詰んでない?


『それで、その級友の名前はなんというのかな』


 彼女の質問攻めは終わらない。

 むしろ、――知り合いなら名前くらいは知っているよな。当然だよな。これで答えられなきゃ、そういう事だよな。――内容的に終わらせに来てるっぽくて。

 えっと、それは、その。

 当たり前にいけば、ここでキモオタの名を出して、アタシ、からかわれたみたいですねって、笑って終わらせたいところ。

 だけど、……今ほど自分のドジに呆れたことはなかったかもしれない。


 ――そういえば、アイツの名前ってなんだっけ。


 ここに来て、まさかの大ポカが爆誕したんだからビックリよね。


 あーもう、バカ! アホ! 補習女王! つくづく、自分のおつむの出来の悪さにガッカリしてしまう。

 まさか、明日になれば家へとお邪魔する、そんなヤツの名前をスコーンと綺麗さっぱり忘れてしまったんだから。


『おや、どうしたんだい』


 彼女の問いかけに、アタシの視線はアスファルト、御屋敷の塀、そして、


『よもや、名無しの権兵衛とは言うまいね?』


 ――思案するように顎の下に手を置いた、目の前の美形へと。麗しすぎる瞳に吸い込まれるように止まった。


 ヤッバ、ど忘れじゃん! ヤッバ!!


 あぁ、待って待って!!

 いつもアタシはキモオタって呼んじゃってるし、ああっと、んーっと、アイツの友達っぽいのもミンナ揃ってキモオタキモオタ言ってるから、くっそ、出てこないじゃん!

 ヤバイヤバイヤバイ。

 これじゃホントにウソついてるように見えちゃう。落ち着け。落ち着け。ア行から順に脳内を探せ。


 ……ちょっとの間、静かに時間だけが過ぎて、……ダンマリなアタシに、彼女はふむ。と頷いた。


『やはり、お目当てはその家の彼――』


『ちがうったら!』


 またもや強まった目には見えない彼女の圧力が、もういよいよしんどくて。こっちの思考回路はショート寸前。

 焦り、それとも今自分の置かれた立場の理不尽さからか、思わず出た強い口調に、あぁ、やっちゃった。


『い! いえ、あの、マジでその! ……ちがうんです』


 冷えた背中に、時間が止まったかのように静まる彼女。すぐに謝りを入れたけど、もう場の空気は最悪。

 こうなったらもうどうにでもなれ。背に腹は代えられない。なんて。


 ……追い詰められて、焦り散らかして、ホント、このときほど後先考えてなかった事ってそうそうない。


 だいたい、アイツの名前を忘れたのって自分のミスじゃん。

 それならそうと、さっさと正直に話せば良いのにさ。なんでもかんでもキモオタのせいにして、それに、へんに取り繕おうとするもんだから輪をかけておかしくなって、……最初っから最後まで上手くいかずにこのざまよ。

 もしかしたら、アイツは嫌がるかもしれない。けれど、後できちんと謝るわ、だの。

 ゴメンゴメン。でも許してよ。二度としないから今日ばかりは多めに見てちょーだい、だの。

 頭の中でジコチューな言い訳を並べ、ええいと半ばヤケクソ気味にアタシは、


『……キモオタ』


『ん?』


 あー、ホントにヤだ。なんでこんなこと言っちゃったかな。


『彼、あだ名でキモオタって、……そう呼ばれてます』


 アイツとはまったく関係ないヒトに対し、……キモオタの “名前” ではなく “あだ名” を告げてしまった。


 当然――ほんの少しの間の後に、すぐに襲ってきたのは、強烈な自己嫌悪だった。

 この場を逃れるために必死に出した言葉だったけど、あっという間の大後悔。

 前からさ、もしかするとそれは良い意味のあだ名じゃないかもしれないって、アイツは嫌がってるかもしれないって、そう思っていたのに、――言っちゃった。

 こういう場面では本名を出すのが当然なのに、言っちゃった。

 一度、斜面を滑り落ちはじめた心は、どんどんと塞ぎ込んでいく。

 気分が沈み、元気をなくし、……あー、ヤベー。マジクソだるい。信じられないくらい、テンションがヤバい。

 結局、アタシってアホは、あの時、教室でオタクをバカにしていた男子連中といっしょ。

 イーンチョには、同意見だなんて調子の良いこと言っちゃってさ。

 なんも変わんないじゃん。

 変なあだ名で呼んだりしてるからこうなるんじゃん。

 相手の気持ちを考えてない、アイツなら後で謝っとけば大丈夫でしょなんて、クソみたいなレッテル張りしてんじゃん。

 秘密の共有とか一蓮托生とか、エラそーに言っておきながら。あー、ヤだ。ホント、ヤだ。

 そんな相手の名前すら出てこないとか、アタシ、めちゃくちゃサイテーなヤツじゃん。

 軽々しく吐いた自分の言葉で、アタシがアタシである為のとても重要な部分が、ゆるやかに崩壊していくようだった。


 ――でも、それがどう転がったのか、


『……は?』


 ちょっとだけ。ほんの少しだけ、驚いたような声が聞こえ、


『へぇ、そう、ふーん』


 なにがそこまで目の前の美人を動かしたのか。


『そのクラスメイトの呼び名には、いささか以上に心当たりがありすぎるな』


 男女間のことについては恥ずかしながら門外漢ではあるが。なんて、彼女は仰々しく一言置いて、


『困った。でも、』


 おもしろい。

 そう呟くと、さっきまでの圧はドコに忘れてきたのか。彼女がにっこりと微笑んだの。

 こんな状況なのにね、その笑顔に “ヤッバ、バチクソに可愛い” と、もうこれでもかと感情が大混乱したのはナイショ。

 後は、あれよあれよと気がついたらこのざまよ。


『なるほど。動きやすい格好をしているのは、アイツめ、今日のために助っ人を呼んだというわけか』


 とか、


『なかなかキミも見る目があるな。ああみえてアイツは気の良いヤツだ。口が悪くて性格も悪い。人付き合いも悪いし、成績も悪い。だが、人間的には悪いヤツではない。それに、頭はアレだが勘は悪いほうではない。現に、女子のひとりでも居た方が今日の大仕事をスムーズにこなせると考えたのだろう。悪い考えではない』


 私にだって異性には頼めないモノや場所がないわけではないからな。なんて、キモオタの事を散々ボロクソに言いながらも饒舌で、終始嬉しそうなの。

 もしかして、アイツと知り合いなのかと思ったからね、イチオー問いかけてはみたわけよ。


『まぁ、そんなくだらない質問は後でいいじゃないか』


 整った顔立ちからの、スゴく角度の決まった流し目を受ければ、あのさぁ。言葉なんて出やしない。

 そっからなぜか、彼女の家にお呼ばれしてさ。

 アタシの頭の上では、でっかいハテナマークが増えっぱなし。

 なにがどうしてこうなるのか。たぶん、どんなに成績が良くてもこればっかりはわからないと思う。

 知らない家の初めて見る玄関扉を前にして、ようこそ。って彼女は言うけれど、いやいや。ないわ。だって理由がないじゃない。なにがどうしたら、こんな朝っぱらからさっき会ったばかりのヒトの家にお呼ばれする流れが生まれんの。

 もちろん、アタシは断ったわよ。全力で遠慮した。

 でも、彼女には有無を言わせない迫力があって。

 あれよあれよと、力尽く。

 良いではないか良いではないかと、時代がかった悪代官のような台詞を吐きながら、強引とはまさにこれだと言わんばかりだった。

 更には玄関を開けてすぐ、リビングからひょっこり顔を出した女性が、おずおずとペコリ。


 ――彼女に近しいモノを感じたからまず間違いなくこの家のママだろう。


 ハッキリ言って、このママさんの優しそうな雰囲気をもう少しだけでも彼女に分けてはやれなかったのだろうか。そうすれば、今のこの悲劇も多少は緩和できたのではないかな。たぶん。


『あの、アタシ。ホント大丈夫なんで』


 なにが大丈夫なのか自分でもよくわからなかったけど、とにかく逃げ帰るきっかけになればと放った一言も、彼女は相変わらずの調子で、まぁまぁ良いからと。そして、


『すまないね、ちょっとだけ待っていてくれないか』


 まったく知らない家の、これっぽっちも馴染みのない玄関で、それからしばらく待ちぼうけ。

 どなた? って言わんばかりの不思議そうな顔をした女性――彼女は、自分のママにアタシをどう紹介したのだろうか。


『えぇっ! ウソぉっ!?』


 唯一聞こえたのは、ママさんの狼狽した第一声だけ。


『ホントだって。アイツが家に呼んだみたいでさ』


『でもでも、キナちゃんは、……もしかして、ウチの子、浮気?』


『いや、私もはじめは身構えた。でもあの朴念仁のことだからさ、たぶんちがうんじゃないかなと』


『ただの友達ってこと?』


『一応、キナには聞いてみるけど、……もしかしたら、事実は小説より奇なりだよ。……この子の方がラブなのかも』


『まぁ!』


『しかも美人ときている』


『たしかに!!』


『キナ、大ピンチ!』


『やだ~! 母親としてどっちの肩を持てば良いの!?』


『なんだかいよいよおもしろくなってきたぞ。ちょっと私、アイツ起こしてくる』


『え~、も~、どうしよ~。お母さん困っちゃうわ~』


 こっちをほったらかしで、ふたりでヒソヒソとしばらく内緒話をはじめたと思ったら、いきなり玄関先で『はじめまして』

 突然の正座から、行儀良く頭まで下げられるとはどうしたことなの。


『ウチの子がお世話になっております』


 いや、待って。マジでどういうことなの。わけわかんない。

 お名前から家族構成。更にはご丁寧な御挨拶までもらっちゃって。

 トドメに、ついさっき彼女がリズミカルに上っていった二階から、


“いつまで寝ている! 何様のつもりだ! 顔を洗え、歯を磨け、シャンとしろ!”


“もっと優しく起こしてくれてもいいだろ!”


 ドタバタとした物音と彼女の罵声。それに、なにやら聞き覚えのある、彼女とはまた別の声。

 さっきはあえて出さなかったのだろう。あの美女から出たとは思えないドスの効いた声に、


 ……ひぇ~っ。こわぁ。


 やっぱりヤバいヒトじゃん。本性見たりとはこの事かってね。


『騒がしくて、ゴメンナサイね』


 いえぇ、大丈夫ですぅ……。


 一見、彼女と同じようなキャリアウーマンなママだったからそのおっとりとした口調と物腰の柔らかさに、……もう疲れちゃったのよ。

 促されるままに座った椅子。目の前へと並んでいく、すっごく美味しそうな朝食セット。

 もちろん葛藤はあったし抵抗もしたわ。

 でもさ、立ち上る湯気と、たまんない臭いにお腹が鳴った瞬間。……やめたの、考えることをスッパリと。

 しかも、なぜか二階からはアイツが降りてくるわけじゃん? ちょうど口に卵サンド入ってなかったら、説明しろと叫んでいたかもしれない。

 だって、彼女とキモオタが姉弟?

 しかも、このママさんとも親子? 

 あのね。ムリよムリ。

 ギャップの高低差と、キャラの濃さ。朝から続く、このよくわからないまでの怒濤の展開に、アタシの頭はもういっぱいいっぱいでギブアップ。流されちゃったのよね。トイレのように勢いよく。

 だから、紅茶を持って戻ってきたアイツに、アタシは言ってやったわ。

 アンタが二階から降りてきたあの時、なぜだか助かったと涙が出そうになったの。それくらい妙な安心感を得たの。でもね、


「たぶん、そっちもそっちで聞きたいことや言いたいことが盛りだくさんだろうけどさ、」


 こっちだって、言いたいことなんて山盛りよ。だけど、今だけはお願い。黙ってアタシの言うことを聞いて。いや、むしろ聞け、マジで。

 どうか伝われこの思い。

 小声で、できるかぎり周りには聞こえないよう細心の注意を払って、


「……はやく、アンタの部屋にいこう」


 ちょっとの静寂があった。

 でも、それもほんの少しの時間。戸惑ったキモオタの声と、イヤですと言わんばかりの困りきったその顔が、アタシを盛大にお出迎えしてくれた。


 ……なによ、その顔は。いよいよカチンときた。この溜まったストレスのままに、しこたまひっぱたいてやろうか。


 キャーなんて、いつの間にかソファーに並ぶ女性陣がこちらを見ながら大盛り上がり。


「さっそく二人きりよ。あの子いいわぁ。そうよね。若さって振り向かないことだし、愛って躊躇わないことなのよね」


「大胆だ。私にアレはムリだ、マネ出来そうにない」


「大丈夫。きっとガー君は断らないわ。ちぃなら出来る。お母さんは信じてるから」


「べ、べつにぃ、ガー君がどうとは言ってないんですけどぉ?」


 ……アタシは知っている。


 あの手の女子(ママさんも含む)が、ああいう状態になったらもはや止める手立てはない。気の済むまで、自分の妄想を語り尽くすまで止まることはないってね。

 こういうときは、即撤退がベスト。

 見知った相手ならさ、そんなわけないじゃん、勘弁してよ、勘違いすんなって、あの手この手で躍起になるところだけど、今回は敵が強すぎる。

 ドン=キホーテになるつもりはサラサラないもん。一分一秒でも速く、この場を離れるよりほか手立てはない。

 アタシはムリヤリ残っていた卵サンドを口に押し込み、紅茶を流しこん――


「ぅ熱っっ!!」


 何よこれ! そういえば、さっき淹れたてだったのを思い出し、いよいよ自分のマヌケさに泣きそうになりながらも、


「ちょっ、なにやってんですか」


 アイツが慌てて持ってきた氷を口に投げ込んだ。

 あまりの熱さにヒーヒー悶えるアタシとは別に、


「そうそうこんな感じよ、こんな感じ。お母さんの若いときはさ、ドジっ子ヒロイン多かったから懐かしいわー」


「へー。今は、ドジっ子って変に計算高いイメージあって逆に敬遠されがちだけど……うん。私もキライじゃない」


 ヒューヒュー、文字通りお熱いわぁ。と、時代錯誤でバブリーな外野がうるさくて、恥ずかしくて、もうどうにかなりそうだったけど、無視よ無視。

 ちょっと強引かもだけど、アタシはアイツの手を掴んだ。

 キモオタの身体が小さく跳ね、見るからに顔面が引きつっていたけど、知ったことじゃぁないわよ。


「せめて、部屋を片付ける時間を下さい」


「はぁ? そんな散らかってんの?」


 男部屋の散らかったイメージは惨憺たるもんだからね。

 テレビなんかで見る、下水道然とした汚部屋ならよろしくないもん。メンド―だけど、聞くだけは聞いておくべきか。

 ちょっとだけ足を止め、カラコロと口の中で氷を転がす。


「いや、散らかっているというかなんというか……」


 その歯切れの悪い物言いに、あぁメンドくさいわねっ!!

 時間のムダよム~ダっ! こっちは一刻も早くこの場を去りたいというのに、なんでわかってくれないのか。


「別にいいって! ほら早く!」


 何かをキモオタがドモリながら言っていたけどさ、だからそういうのはあとで聞いてやるわよ。何度も言わせんな。今だけはお願いだから、アタシの言うこと聞けっての。

 アイツの手を引いて、のしのし歩くアタシの姿がどう映ったのだろう。


「お~。かかあ天下か、参考になる」


「ちぃは彼の前ではハムスターだもんねぇ」


「な! あぁ見えて、ガー君はけっこう頑固で」


「あれぇ、お母さん、別にガー君がどうとか言ってないけどなぁ?」


 ソファーでふたり、主に、彼女が喚きはじめたから、今がチャンスね。


「アンタの部屋は二階でしょ? 二階よね!」


 アタシは、これ以上はゴメンだと、大急ぎで階段に足をかけた。








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