第2話 キモオタに優しい女子高生などいない ②
――細く長い真っ白な指が、色とりどりのアイスが並ぶショーケースの上を滑っていく。
隣で僕は、まるで従者のように待ちぼうけ。
「アイスはバニラしか勝たん♪」
こんなクソ寒いのにアイスかよ。身体の芯から凍りそうだけど、女子高生とはそういう生き物なのだろうか。
でも、正直なところ、内心ほっとしている自分がいた。
だって彼女みたいな美人な陽キャが、こんな冴えないブサイクに話しかけてきたんだぞ。
某絵画商法ではないが、中学の頃の陰キャ仲間なんて、カードショップで出会った女子に二つ返事でホイホイと着いていったが最後。店の裏で待ち構えていたドロップアウトボーイ達からロックオン。
きっと必死に抵抗したのだろうけど、店の裏でバチバチに痛めつけられたうえ、自分の全てだと言っていた魂のデッキごとレアカードの詰まったカバン一式、ごそっとまるごと身ぐるみ剥がされている。
悲しいことに、その手の話は大なり小なり定期的にいたる所から警告として流れ伝わってくるのだ。
後日、空っぽになった彼のカバンと財布は遠くの町の川っぺりで発見されたが、今となっても犯人は捕まっちゃいないし、当然、カードやお金も返ってきやしない。
そんな経験豊富な僕たち種族。今だって似たようなシチュエーションだし、明日は我が身かもしれないぞと常日頃から警戒を怠らないわけで、悪い想像に身構えない陰キャなんて居るはずがない。
それが、たかがアイスの一つで済むのなら、ダメージコントロールの一種。万々歳と喜んで当然なのだ。
「いや~、マジ助かるわ。キモオタが今日の優勝まである」
「はぁ、どうも」
またもや蚊の鳴くような返事をしてしまったが、どうやら僕は優勝したらしい。でも、いったい何に勝利したのだろうか。まったくもって身に覚えがなさ過ぎる。
「せっかくコンビニまで来たのにさ、あれ? サイフなくね? って。何しに来たんだよって感じだよね、ちょーウケる」
さっきまでの刺々しい反応はどこへやら。お目当てのものにありつけるからか、彼女はご機嫌に笑いかけてきた。
もちろん不機嫌よりも笑ってくれた方がこちらもやりやすいからね、にっこりと笑い返してみたが、――ちょっと待て。大丈夫だろうか。僕の笑顔、やりなれてないからキモくない?
「アタシんちさ、みんなアイス好きなんだよね」
もう、毎日取り合いでさ。なんて、こんな僕の心配事なんて、彼女はとっくにこちらなんて見ていないのだから、するだけ無駄だったようだ。
その後、僕の隣である程度たっぷりと悩み続け、
「よし」
彼女は鼻歌交じりでコツコツと、綺麗に仕上がったネイルでショーケースを軽く叩いた。
「決めた」
さいですか。
嬉しそうに彼女が声を弾ませて、香水の香りだろうか。僕の鼻を甘い匂いがくすぐった。
開け放たれたショウケースからこぼれた冷気が僕を襲い、
「ねぇ、知ってる。バニラってメッチャ種類あんの」
「はぁ」
「しかも、全部サイキョー」
「なるほど」
シンプル・イズ・ベストというヤツか。
ベストセラーにはそういうものが多いとも聞くし、バニラは僕も嫌いじゃないから特に異論はなし。
でも、もし本当にアイスに序列があるのなら、僕の最推しな抹茶アイスはどれくらいの地位なのだろう。さすがに一位はムリだろうけど、それでも上位で争ってくれれば抹茶アイス一筋の僕としては鼻が高い。
なんてことを考えて――というか。
「あの。……ひとつだけじゃ、ないんですね」
黙って見ていればこの同級生。ショーケースから次から次にである。しかもどんどん上へ上へと詰んでいくのだから、なんだ、アイスでバベルの塔でも建設する気だろうか。
「いいじゃん。ほらウチさ、妹も居るし」
だから何なのだろうか。
ニッコニコでそう言われても、――笑顔がすっごい可愛いし、こんな近い距離でだもんな、さっきから心臓が高鳴りっぱなしだけど、――ハイそうですねとはなりはしないだろうに。
本来ならここで “イヤです、無理です、さようなら” これくらいバシッと言って然るべきだろうけど、ところがどっこい陰キャをナメんじゃねぇぞ。こんな美少女にしっかり正論かませるくらいなら陰キャなんてやってねえよ。
「そんじゃ、よろ」
「っ!」
矛先のわからない意味不明な自慢を己の中で展開していると、テキパキと彼女はレジカウンターにアイスを並べ終えていて、あとは僕の財布が口を開けば終わりの状況。
結局、言えやしない不平不満をタラタラのまま会計を済ませるころにはもうコンビニの時計が20時に迫ろうとしていた。
「ありがとね」
出た先の駐車場で手渡した袋を、彼女は満足げな顔で抱えて歩いて行く。
袋の中には各メーカーのバニラバニラバニラ。お会計時に見たアイスの数は六つ。ひとり1個なのだとしたら、彼女のご家庭はとんでもない子だくさん。
それはそれは賑やかそうで何よりだなコンチクショウめ、心の中だけで悪態をつく。
「でもさ、お会計の時のキモオタの顔、ちょーウケた。そんなバカなってビビってたっしょ?」
僕は、思わず苦笑い。
そりゃあ、アイスにあれだけの金額を払った事なんてないからね。
彼女くらいの美人なら、高収入なイケメン彼氏(妄想)が値段も見ずに買い与えてそうだから慣れっこなのかな。
それに比べて僕ってヤツは、しょせん一般家庭の小市民でね。その手のカッコ良いこととは無縁なのだよ。残念無念といったところだ。
ジャバジャバと金を湯水のように使い、どうぞどうぞと女の子に奢るのが、はてさて本当にカッコイイのかはさておいて、しばらく行ったところで、
「アタシん家、ここだから」
彼女が指さした先は住宅街。あの中のどれかがこの子の自宅なのだろう。
近いとはいえ、小中学校における校区違いから、この辺は僕にとっての未開の地。
ウワサでは、結構ハイソな建物が多い地域らしいけど、……おいおい、それならちょっと待て。金持ちならアイスくらい自分で買えよ。
煌びやかな町並みを前にして、流石にお小言のひとつやふたつ溢れそうになる。
でもまぁ、大方、コレが〆の言葉。
彼女との一夜限りの逢瀬に、と言うと違うのだけど、この交差点でようやくサヨナラできるならそれに越したことはない。
言いたいことは山積みで、納得なんてこれっぽっちもいっていないけど、無駄口を叩いて変に拗れるとやっかいだから、なんて、陰キャ特有のスキル “事なかれ主義” が発動し、グッと堪えた。
「キモオタの家ってどのへん?」
「もうちょっと行った先。です」
ふーん。と、心底興味なさそうなのだが、……この野郎。それならば、なぜわざわざ聞いたのだろうか。
「……あぁ、寒い」
自分から、自然とこぼれた声は財布の薄さを嘆いてのことだろうか。
道路脇、見上げた空は星が高いところで瞬いて、もう学生は帰る時間だと告げてきているかのよう。
刻一刻と深くなる夜に、吐く息はますます白の濃さを増していく。
「――おっとっと」
ふいに彼女がよろめいて。
「あ、重いよね。持つよ」
あまりにも袋を重そうに抱えているからさ、持ってあげた方がいいのかなと、――でも、とっさに出した僕の手は、スルリと空を切った。
「もしかして、あわよくば家までってヤツ?」
……いや、別に。
見ると彼女がスゴく小憎たらしい顔をしていたから、――そりゃ確かにさ、こんな美人と仲良くなれたらと、そう考える男子高校生は概ね正常だろう。
でも、それを見透かされたような今の場面は、なんだか癪に障る。僕みたいな出会いの少ない非モテのブサイク陰キャにだって、鼻クソほどにはプライドがあるんだ。
「そしたらここで」
多少の後ろ髪を引っ張られる感はあるが、ここいらが潮時だろう。
モタモタとした結果、お近づきになりたいのかと勘ぐられては、火消しに困るのは目に見えている。せめて、去り際だけはクールを気取っておこう。
「あ」っと、彼女が何かを言いかけたような声が聞こえたが、いかんいかん。
これ以上、この子みたいな陽キャになにか美味しいネタを与えてしまえば、明日から僕のクラス内での立ち位置が定着してしまいかねない。
もちろん、悪い方向にだ。
僕は、この道長いからね。焦りや偶然で、己という手札を切り違えた陰キャの末路には詳しいんだ。
彼女がそんな事をするヤツかどうかなんてわからないけど、起きてからでは遅い事なんて山ほどあるんだ。用心するに越したことはない。
まだまだピカピカの高校一年生。学校生活は始まったばかりだというのに、さっそくオモシロおかしく笑いものにされるのはゴメンだからね、この場はさっさと逃げるが吉だ。
いよいよ冷えた春の夜、僕は一度も振り返ることなく、足早にその場を後にした。
◇◆◇◆◇◆
しばらく行ったその先で、――そういえば。
「しまった」
やっちまったぞと、僕はようやく自分の失敗に気がついた。
どうやら、あんな美少女に話しかけられたものだから、自分でも気づかないウチに舞い上がっていたのだろう。
いよいよ補導されかねない時間帯で、僕はひとり、歩き慣れた通学路で頭を抱えてしまう。
そもそも自分がなぜコンビニに寄ったのかを思い出したのだ。
あの、先週いいところで次週へと続いたお気に入りの連載に、それこそこの一週間、喉から手が出るほどに楽しみにしていたラブコメの続きに、僕は、胸をときめかせていたはずなのに、それなのに、
「あぁ最悪だ」
肝心のマンガ雑誌を買いそびれた。いや、それどころか、
「マンガ代まで使っちまった」
今更、彼女に奢った事をとやかく言うつもりはないけれど、今週のマンガ代はどうするか。
全く僕ってヤツはどうしようもない。
うんうんと、どう捻出しようかと唸りながらも、もう我が家は目と鼻の先だった。
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