第10話 病弱姫フローラ


「マリラ、城へ行くから馬を回してくれ」

 朝、屋敷の入り口。公務で城へ行くクラウスが、マリラに指示を出した。


 ノエルも見送りに出ている。

「わたしはなにをすれば良いのだろう?」

「家のことはメイド達がやるし……」


 クラウスは首をひねるが、回答が見つからない。

「特にないと思うが、マリラに聞いてみてくれ」

「……」


 馬が正面に回され、クラウスが歩いて行く。

「じゃあ、行ってくる」


 クラウスは馬に乗り、去って行くが、ノエルは見送りながらため息をついた。

「さて、なにをやればいいんだ?」



 ノエルはまず、台所に行ってみた。白衣を着た数名のコックが肉の切り分け、スープの仕込みなど忙しそうに働いている。


 一人のコックがノエルの質問に答える。

「えっ、手伝えることですか?、うーん、ないですねえ……」


 手を振り、シッシッ、とノエルを追い払う。

「奥様は、あっち行ってて下さい」


 奥様、の単語にノエルの頬がポッと赤く染まる。


「今,昼食の準備で忙しいんでじゃましないでください」


 ノエルはトボトボと去って行く。



 次に、洗濯をしている洗い場に行ってみた。数名のメイドが忙しそうにシーツや服を洗っている。


「あっ、ノエル様」

 一人のメイドが近づくノエルに気づいて振り返る。


「手伝いたい?、特にやっていただくことも、ございませんので……」


 ここでも相手にされず、ノエルはトボトボと去って行く。



 次に、書斎の机で帳簿をつけているマリラに尋ねてみる。


「伯爵夫人の仕事?、フィオナ様がなにをなさっていたか?」


 マリラは昔を思い出すように考え込む。

「そうですねえ……、他の貴族の奥様たちとお茶会をしたり……」

(パス……)


「刺繍はお好きでしたねえ」

(無理……)


「本もよく読まれてましたねえ」

(……嫌いだ)


「クラウス様や近所の子供達と遊ばれたり……」

(これは得意だが、肝心の子供がいない……)


「あと、クッキーはよく作っておられました」

(クッキーか……、作り方がわからん。フローラに聞いてみるかな……)


「これぐらいでしょうか。ノエル様には難しいですか?」

 マリラはイヤミな笑顔を浮かべるが、ノエルは気づきもせず、ため息をついて立ち去ろうとする。


「ありがとう、マリラ」

「あっ、ノエル様、アレットを見かけないのですが」

「ああ、街へ情勢を探りに行ってる。夜には戻ると思う」

「情勢を探る?」

「あ、いや、街の様子を見たいそうだ」




 やることもなく、ノエルは布の稽古着に着替えて、四メートルの長槍を持って庭の芝生の上に立つ。

「結局、これしかないか」


 槍を上段から振って一人稽古が始まった。


 長い槍はノエルの動きに従い、上から振り下ろされ、横に払われ、両手で旋回される。風を切る音がヒューヒュー、と響き渡る。

 動作の速度は徐々に上がり、まるで舞を舞っているようにすら見え始める。



 朝の日課の庭の散歩をしていたフローラが遠くに見えるノエルに気がついた。


「あっ、ノエルさんだ」

 近寄っていくが、ノエルの真剣な様子に声をかけるのははばかられ、離れたところからノエルと槍の動きを見つめた。滑らかなノエルの体の動きとそれに従う槍の動きの美しさに魅了される。


「きれい……。まるで、踊りみたい……」



 槍の柄が上から真っ直ぐ振り下ろされ、バーンと地面を叩き、全ての動作が停止された。

 フー、と呼吸を整えるノエルの背後から、パチパチと拍手の音が聞こえた。

 振り返るとにこやかに拍手するフローラが立っていた。


 二人は花壇の前のベンチに座り、にこやかに話している。

「昨日の夜、兄が謝りに来てくれました。『お前の命は母上の命、強く生きろ』って」

 ノエルは嬉しそうに笑った。

「そうか、それは良かった」


「あたしも、ノエルさんみたいに元気になりたいんだけど……」


 フローラは深いため息をつく。

「健康になりたくて、たくさん食べればすぐ吐くし、運動すればすぐ疲れるし……。みんなに、なんて呼ばれてると思います?」


 ノエルは首を横に振る。


「ハイゼル家の病弱姫」

 そう言って悲しげに、へヘッと笑ってうつむいた。


「ちょっと、いい?」


 ノエルはフローラの手を両手で握るが、おやっと不思議そうな顔をする。

「冷たいな……、いつもこうなの?」

「大体、こんな感じですけど」


 そして、中指と薬指を脈を測るように手首に当てて目を閉じて集中する。

「ノエルさん、なにして……」


 フローラを手で制し、脈をとり続けて口の中でブツブツとつぶやく。

「気脈……、血脈……」


 そんなノエルの様子をフローラは不思議そうに眺める。

「よし、だいたいわかった」


 ノエルはフローラの手を離し、立ち上がった。

「紙とペン、貸して」




 書斎の机の上で、ノエルがペンで紙に字を書いていく。

 ときどき止まっては、腕組みして、考え、宙を見つめたり、頭をかいたり、悩みつつ、ウーン、とうなりながら一行ずつペンを走らせる


「うん、これでいこう!」


 ノエルは書き上げた紙をフローラに渡して見せる。

「紅なつめ、くるみ、金満月草、銀ツバメの巣……、まだまだたくさんあるけど、薬草とかですか?」


「フローラが元気になるための食材と薬材だ。明日、クラウスも休みだから、みんなで街に買い出しに行こう!」

「はあ……」

 フローラはまだ事情が飲み込めず、紙を眺め続けていた。


「ところで、フローラ……」


 ノエルはもじもじしながら話しかける。

「クッキー、作れる?」

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