黒髪の槍姫
古東薄葉
第一部 剣帝と槍姫
第1話 六度目の死闘
草原。四メートル近い金属棒の槍が鞭のようにしなり馬上の男に向かう。
男は金髪に青い目、動き易さを重視して肩と胸のみを黒い甲冑が覆っている。
長剣を振るい槍を打ち払うが、槍は反動を使うように弧を描いて再度、男を襲う。
それをかわすと、間髪入れずに直線的な動きで穂先が顔面を突き刺しに来る。
三度、四度、繰り返される突きをかわし、剣ではじき返す。
(その手は、食わん!)
馬に乗る槍の使い手は頭から足まで、顔すらも白銀の甲冑で覆い、目しか見えない甲冑の奥で黒い瞳が鋭く光っている。
しなやかな動きで全身のバネを使って槍を鞭のように扱い、男を打ち据える。
その姿をにらみつける男の右頬には斜めに大きな傷が残っていた。
(三年前のこの傷の恨み、今日こそ晴らしてやるぞ、ノエル・リン!)
白銀の甲冑のタルジニア王国軍、黒の甲冑のガリアン王国軍。二手に分かれた騎馬の一群が中央の一騎打ちを固唾をのんで見守っていた。
白銀の一群の最前列に険しい表情で戦況を見守る濃い亜麻色の短い髪の若い女がいた。優しい顔立ちが不安で陰っている。
「ノエル様……」
隣の男が怪訝な表情で声をかける。
「アレット、副官のお前から見てどうなんだ?、リン副団長、押してるよな?」
アレットは男に見向きもせず、戦況を険しい表情で見つめ続ける。
「剣王、剣帝、剣聖。ガリアンが誇る三剣の一人、剣帝クラウス。六度の戦いを経て、ついに見切ったか……」
「えっ?」
「見て下さい、手数は多いが、かすりもしない」
男は驚いて、中央の戦いを見つめ直した。
アレットは不安げな表情で二人の戦いを見つめ続けた。
「ノエル様、どうかご無事で……」
シュッ、シュッ、シュッ、クラウスの頭部を狙って、槍の穂先が連続で繰り出されるが、寸前でかわされる。
最後の一突きは剣で上空にはじかれた。しかし、槍はその反動すら利用して上空に弧を描き、再度、クラウスに襲いかかっていく。
クラウスは上から振り下ろされる槍の柄を剣の腹で受けて横に流し、そのまま地面に押しつける。
(取った!)
剣の腹で槍を押さえたまま、馬を走らせる。
槍は地面に押さえつけられて動かせず、剣は柄の上をシャーと音を立てて甲冑の首に向かって真っ直ぐに滑っていく。
(もらった!)
槍の柄から離れた剣は加速してノエルの首に向かって行く。
キーン!と金属のぶつかり合う音が響いた。
一瞬,首をすくめた動きが幸いし、剣は甲冑の首の保護部に当たった。
(構わん、このまま振り切る!)
クラウスは剣を両手で持って力を込めて思いっきり振り切った。
甲冑の頭部が宙を舞った。
「ヒッ!」
白銀の甲冑の一群から悲鳴が上がった。
「ノエル様!!」
アレットも思わず大声で叫んだ。
しかし、剣を振り切ったクラウスの表情には動揺が走っていた。
(手応えがない!)
宙に飛んだのは甲冑の頭部のみだった。
甲冑の胴体の上には長い黒髪がブワッと後ろに広がり、クラウスを凝視する若い女の顔があった。
「なに、女!?、黒髪!?」
一瞬、驚きに目を見開く。それがスキとなった。
「そこだ!」
ノエルは一声を発し、剣を振り切った姿勢のクラウスの首元に槍の柄を叩き込んだ。
グギッ、鈍い音を立てて槍の柄が首元に食い込んだ。
「ぐわっ!」
クラウスはもんどり打って落馬し、背中を地面に叩きつけられた。何とか立ち上がって、防御の態勢を取ろうとするが、体が麻痺してピクリとも動けない。
(まずい、動けん!)
ノエルは素早い動作で槍を逆手に持ち直し、地面に横たわるクラウスの眉間へと槍を真っ直ぐに突いていく。
「終わりだ、剣帝!」
クラウスは死を覚悟した。ほんの一瞬が長い時間に感じられる。その脳裏に金髪のフワフワしたカールの美少女の顔が思い浮かんだ。
(すまん、フローラ、病弱なお前を残して両親の元に行く兄を許せ)
人生が走馬灯のようにクラウスの脳裏に流れた。
幼い頃から厳しい父の指導で剣を極め、剣帝の名まで得たものの、最後の瞬間に思い浮かべる女性は妻でも恋人でもなく妹だった……。女っ気のない、男としては寂しい二十八年の人生だった。
表情を変えずに真っ直ぐに眉間に向けて槍を突いてくるノエルをクラウスは諦めたような冷静な顔で見上げている。ノエルの腰まで届く黒髪が夕日を背景に広がり、神々しささえ感じていた。
(お前は強い、そして美しい……。戦いの女神よ、お前に討ち取られるなら本望だ)
槍の穂先が眉間に迫った。
その時、早馬の掛ける音と大声が響き渡った。
「槍を引け! ノエル・リン!」
聞き覚えのある声を聞いたかのようにノエルは声のする方を振り返った。
「団長!?」
槍の穂先が、クラウスの額に当たる寸前でピタリと止まった。
マントを着け、高官らしい白銀の甲冑の男、黒の甲冑の男が両陣営の間に入り、それぞれの陣に大声で叫んだ。
「立った今、休戦調停が署名された!」
「これで戦争は終わりだ!」
「両軍とも引け!」
両軍の兵士からざわめきと歓声が上がった。
タルジニア王国とガリアン王国、十年続いた戦争が終わった瞬間であった。
黒い甲冑の男が心配そうに倒れたままのクラウスに大急ぎで駆け寄って行った。
「クラウス様、大丈夫ですか」
クラウスは視線をノエルに向けたまま、独り言のようにつぶやく。
「ヤツは女だったのか……」
男は不思議そうな顔でクラウスを見た。
「はあ?、今さらなに言ってんですか?、あいつは、黒髪の槍姫ノエル・リン。タルジニアの英雄ですよ」
「槍姫……」
クラウスが見上げるとノエルは槍を肩に担ぎ、じっとクラウスを見ている。
しかし、何かを考えているように、えーと……と、目が動く。
(敗者に掛ける言葉を探しているのか、槍姫、戦いの女神よ……。俺は、また負けた。同情は不要だ……)
クラウスは勝者への尊敬の念を込めて、ノエルを見上げた。
しかしノエルは、ざまあみろと言わんがばかりの憎々しげな笑みを浮かべた。
「無様だな、剣帝クラウス。まるで、つぶれたカエルではないか」
クラウスは予期せぬノエルの言葉にア然とした。
(……この女、女神なんかじゃない!)
ノエルは構わず、クラウスに背を向けて自軍の方に戻っていく。
「アレット、引き上げるぞ」
槍の穂先で落ちていた鎧の頭部を引っかけ、ポン、とアレットの方に弧を描いて飛ばす。
白銀の甲冑の兵士の一群は左右に分かれて、ノエルに道を作った。
ノエルはその中に入って行きつつ、槍を片手で旋回させ、ピタッと止めて掲げてポーズを決めた。
兵たちからワーと歓声が上がった。
「槍姫ー!」
「タルジニアの英雄!」
夕日に向かって進むノエルはその歓声に槍を持つ手を高々と上げて応えた。
クラウスは悔しそうにその後ろ姿を目で追った。
「おのれ、次こそは一矢報いてやる!」
決意を固める真剣な表情のクラウスを見て、男はあきれ顔になった
「あのー、聞いてなかったんですか、戦争終わりました、もう次はないです」
「えっ?、そうなのか……?」
クラウスはポカンとして、夕日の中に消えていくノエルを見続けた。
(もう、二度と相まみえることはないのか……)
たった今、殺されかかったにもかかわらず、その表情はどこか寂しげだった。
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