第三話 少女の想い

(本当に連れて来ちゃった……)

 俺達が辿り着いた場所はお世辞でも綺麗とは言えない大きな建物の影に覆われたオンボロアパート。

 外壁は所々にヒビやサビ、家の周辺は雑草で覆われ、道端にはゴミがまばらに捨てられている。臭いも少しだけ鼻にツーンとくる。お世辞でも良い環境とは言えない。

 そんな台風が来たら吹き飛んでしまうのではないかと思わせられるアパートに来た理由。

 それは俺がフリルに『二人きりになれる場所はないか? できれば人の目が付かないところがいい』というリクエストのもと、案内してもらったのが『フリルの住んでいる賃貸』だった。

「……どうぞ」

 入り口のドアの鍵を開けてもらい、なかへ入るよう促された俺は、玄関前でお辞儀してから入室する。

「お邪魔します」

「あ、そんなにかしこまらなくていいよ。私しか住んでいないから」

「えっ」

 人の家にあがらせてもらうための最低限のマナーをしただけなのだが。なにやら衝撃的な発言を聞いてしまった気がする。

 ひとまずマナーの姿勢は崩さないようにし、玄関で靴を脱いで揃えたあと、リビングへと案内されることに。

「おぉ……」

 間取りは1ルーム。冷蔵庫やテーブル、布団などの必要最低限しか置いていない質素な部屋。俺のイメージする女子の部屋とはかけ離れた絵面だった。

 部屋は綺麗に片付いていて、普段から掃除をしているためか、ほこりひとつない清潔感がある。外観のオンボロアパートからは想像もできないほどだ。

「フリルは綺麗好きなんだな」

「別に綺麗好きってわけじゃないけど、家事はそれなりに得意かな。それに部屋が綺麗なのは明日の午前中にはこの部屋を明け渡さないといけないから、そのためでもあるんだよ」

「違う場所に住むのか?」

「ううん、しないよ。明日から私は防衛隊の寮に住むことになるからね!」

 ウキウキとした表情でサムズアップを決めるフリル。

 きっとそこの寮はいま住んでいるこの部屋より何倍も素敵なのだろう。それにいま、防衛隊って言ったか。

「改めて聞かせてくれ、フリル。防衛隊は悪魔を殲滅させるために創られた組織なんだよな?」

 フリルはウキウキとした表情から一変、真面目な顔つきに変わる。

「うん、そうだよ。悪魔は私達人間に危害を加え不幸をもたらす憎むべき存在……。殺人に強盗、挙句の果てにはこの日本を侵略する気でいる。それを阻止するために創られたのが防衛隊よ。最初は国家公認って言ったけど、元々はエンペラーシックスの要望を政府が聞いて創られたらしいけどね」

「そのエンペラーシックスってのは、なんなんだ?」

「えっとねぇ、にわかに信じられない話かもしれないけど、この地球には存在しない別の世界があって、それを異世界と呼ぶらしんだけど」

「異世界……」

「そう! でね? そこの異世界とやらで悪魔から世界を救うために勇者一行をやっていたのがエンペラーシックスなの。その勇者一行はその異世界では人々の希望だったらしいわ」

 きっとその異世界で悪魔を倒せるのは勇者一行だけだったのだろう。替えがきかないほどに相当の実力であったことが想像つく。

「でも、勇者一行は返り討ちに遭い、命を落としちゃったらしいの……」

「……」

「勇者一行は世界を守れなかった強い責任と惨めさから魂がうまく成仏できなかったらしくて、行き着いた先が天界だったらしい」

「!」

「その強い怨念を生かして現世に再び蘇り、日本を守るよう命じられた種族を、私たちはエンペラーシックスを含めて転生者って呼んでいるわ」

 それはまるで怨念が強すぎて成仏出来なかったものが幽霊として現実世界に現れるのと似ている。違う点があるとすれば現世に残り続けるかどうか。

 ただの怨念の強い幽霊であれば、怨念の原因となっている対象者をなにかしらの形で制裁し本人が満足すれば成仏されるのが普通だからな。

「んで、そのなかで群を抜いた実力を誇る上位六名をエンペラーシックスって呼んでいるわけ」

 天使族により日本を守るよう命じられた転生者。その転生者のなかで群を抜いた実力者上位六名をエンペラーシックスと称されているとのこと。

 現時点で転生者が何人いるのかは知らないが、エンペラーシックスという権威を用意するぐらいだ。それなりの数はいるのだろう。

 セラフィーの言っていた通り、転生者の話は本当のようだ。

「なるほど。つまり、エンペラーシックスと防衛隊を主軸に悪魔を殲滅させようとしているのがいまの日本というわけか」

「そういうこと。まぁ、エンエペラーシックスの人達は政府の人間を護衛することに注力しているから、悪魔の殲滅は防衛隊がメインになっているけどね。政府の人達は魔術師ではないから」

「そうなのか」

 どうやら政府は悪魔からの襲撃に備えるためにエンペラーシックスを護衛に置いているらしい。政府の人間からも実力と信用を買われていることから、その名は伊達じゃなさそうだ。

「さっき政府は魔術師じゃないって言ったけど、どんな人が魔術師になれるんだ?」

「よく聞いてくれたわね!」

「え?」

 なにやら部屋の隅に置いてある鞄の中からなにかを取り出そうとするフリル。

「じゃじゃーん! これを見なさい!」

 顔の前に突き出されたのは『魔術師免許証』と記載された合格証だった。

「免許……」

「えへへ、すごいでしょ!? これを手に入れるには『魔法教育機関』で三年間学んで、年に一度行われる国家試験に合格しないといけないの。それに合格するとはじめてこの魔術師免許を手に入れることができのよ!」

 フリルいわく、魔法教育機関とは魔術師になるための魔法学を専攻とする教育校のことを指しているらしい。

 そして国家試験の合格率は全国平均で毎年19%と超難関。

 魔法教育機関が全国にあるのも驚きだが、一番はその合格率だろう。

 魔術師を目指すことがいかに大変であるかを思い知らせられる数字だった。

「フリルは頭もいいんだな」

「んもぉ、そんなに褒めたってなにも出ないわよぉ〜!?」

 と言いつつも満更でもない様子のフリルは、照れ隠しのつもりなのか俺の背中をやや強めに叩く。

「ぐぅッ!?」

 叩かれた背中を中心に全身へと激痛が走り、ふらっと意識が朦朧としてしまう。

 それは単にフリルが馬鹿力というわけではなく、三日三晩に渡る天使族との戦争で蓄積した疲労とダメージが響いたものによるもの。

 先程の一発が決めてとなって、呆気なく倒れ込んでしまう。

「えっ、ちょっ…………ウソでしょ!? 私そんなに強く叩いたつもりないんだけど!? ねぇ起きてよ!?」

 青ざめながら必死に俺の体を揺さぶり、何度も起こそうとするフリル。

 しかし、俺がすぐに目を覚ますことはなかった。




     ★




「はぁ……。私、なにやっているんだろ……」

 私のせい(?)で真瀬が倒れ込んでしまった罪の意識のせいか、布団の上で寝かせようとする私。

 彼は悪魔なのに、殺すべき対象なのに、思考と行動が一致していない。

 いまなら確実に殺せるこの状況。それでも殺せないのは、やはりさっきの戦いで私を助けてくれたことが大きく影響している。

「これじゃあ、防衛隊として失格よね」

 防衛隊は悪魔を殲滅させるために創られた組織。なのに、悪魔を殺さずに介護しているというのは矛盾している。

 頭では理解しているが、理性がそれを抑え込もうとする。

 私は壁にもたれかかり、座り込む。

 時刻は午後6時を過ぎていて日も沈み、いつもなら夕食の支度をしている時間だ。

 でも、いまはあまり食欲が沸かないので食べなくてもいい気分だった。

 抱え込んだ足に顔をうずめる。

「ママ……」



 ピンポーン。



「えっ!?」

 突如、インタホーンが鳴りビクッとしてしまう。

(だ、誰だろう。こんな時間に……)

 いままでこんな時間にインターホーンが鳴ったことは一度もない。配達を頼んだこともない。なら、ただのキャンペーンの案内とかそこら辺の類だろうか。

 フリルは勝手にそう思い込み、玄関前までやや駆け足で向かう。そしてドアスコープを確認せずに玄関ドアを開けた。

「こんばんは。夜遅くに失礼致します」

「え」

 そこには紺色の制服を身に付けた金髪の大人の女性が。

「私、こういうものでして、名前を『ミラ・ジェーリー』と申します」

 自分が防衛隊である証拠として、免許証に似たカードを提示してくる彼女。カードには確かに国の証明印が押されており、そこにはミラの顔と名前もしっかりと記されていた。どうやら偽装でも詐欺でもなく、正真正銘の防衛隊の一員。

 そんな憧れの防衛隊の一員が目の前にいることに感動を覚えるはずが、いまだけは不安と緊張でいっぱいだった。心臓の鼓動も速くなり、すでに呼吸が浅くなっている。

「あ、あのぉ……私になにか御用でしょうか?」

「はい。つい先ほど、千波湖で悪魔が出現したという目撃情報が入りましてね。なにか情報を持っている人がいないか、こうして近隣の住民の方々に事情聴取をしているところでございます」

「あ、はい……」

「状況をお伝えしますと、千波湖で悪魔と魔術師が戦っていたらしくてですね。私が駆けつけたときには既に戦いは済んでおりました。誰かが撃墜してくれたか、それとも人質として拐われたか。または両方か。現場は爆発と思われる跡があり、ふたりは爆発に巻き込まれ死亡してしまったのかと未だにご不明な点が多くてですね」

「……」

 調査の内容からして、明らかに自分達が当事者であることが分かる。さらに緊張は高まり、心臓の鼓動が激しさを増す。

「些細なことでも構いません。なにか知っていることがあれば教えて頂けないでしょうか?」

「……」

 もしここで素直に私が当事者で、部屋のなかにその悪魔がいることを告げれば真瀬の命が危険に晒される。

 すぐに殺そうとするのではないかと感じるほどに、このミラという女性は落ち着いていながらも静かな迫力があった。

「……どうしました? なにか知っていることでも?」

 黙っている私の姿に怪しみを感じ取る。このまま黙っているのもまずいと思い、とりあえずなにかしらの会話をすることにした。

「え、えっとぉ〜……ちなみに現時点で分かっている目撃情報にはどんな内容がありますか?」

「男が女を庇いながら悪魔と戦っているって」

(それやっぱり私達いぃぃぃ!!)

 一筋の可能性に賭けてみたものの、どっからどう見ても自分達の状況に当てはまっており、わずかの希望は一瞬で砕かれる。

 本当なら明日から防衛隊としてお世話になる身であるため、ここは素直に自分が当事者であることを告げ、調査の協力に応じたいところだ。しかしそれでも……。

「すみません。私はなにも知らないです」

 体を直角に曲げ丁寧に頭を下げて謝る。その謝罪には本当は知っているのに協力に応じられない防衛隊という組織に対してと、自分に嘘をついてしまったことに対する戒めの意味も込められている。

 普段ならこういうときに嘘をつくことは絶対にない。親から真面目に育てられてきたためか、相手の協力に応じられるところは積極的に応じてきた身なのだ。

 それは見返り欲しさにやっていることではない。純粋に相手のお役に立てるのなら協力してあげたいというボランティア精神によるもの。

 そんな真っ直ぐな心の持ち主だからこそ、嘘をついてしまったことにどうしても心が痛んでしまう。だが不思議と、これでいいんだと納得している自分がいた。それは自分の嘘で恩人の真瀬を守れるならと思う自分がいるからだろう。

 またもや悪魔を守ろうとしてしまった自分に戸惑っていると––––––。

「あなた、嘘ついていますね?」

「!?」

「先ほどから目が泳いでいます。目だけじゃない。体全体もソワソワしてなんだか落ち着きがない。なにか隠し事をしているのではありませんか?」

 ミラの疑いの目が一層濃くなる。フリルは自分がそんなに怪しい素振りをしていることに気付いておらず、ミラに指摘されてようやく気付いた。

「な、なにを言っているのですか! 私はなにも隠し事なんてしていません!」

「そうですか。では念の為、中を確認させてもらってもよろしいですか?」

「ッ!? い、いやっ、いまは散らかっていますので……!」

「確認するだけです。すぐに終わりますのでどうか調査にご協力を」

「あっ、ちょっとぉッ!?」

 そういうと、ミラはやや強引にフリルを退け、靴を脱いでズカズカと部屋の中へと侵入する。

 そして部屋の中を確認するミラ。そこで、布団の上で寝ている真瀬を目撃してしまう。

「これは…………」

(ヤバイヤバイ!! 見つかっちゃった〜!! ごめん真瀬! さよなら、私の防衛隊生活!)

「彼氏さんですか?」

「……ふぇ?」

「彼は、あなたの彼氏さんですか?」

「…………か、かかかっ!? そ、そそそ、そんなわけないじゃないですかぁ!? 今日出会ったばかりですよ!?」

「なるほど。出会ってすぐにお布団ですか」

「なんか誤解される言い方やめてくれません!?」

「……ん?」

 ミラがテーブルの上に置いてあったなにかに気づき、手にする。

「これは、魔術師免許証! あなた、もしかして明日から防衛隊に!?」

「あ、はい!」

「……これは偶然ですね。まさか防衛隊を志す人と巡り合えるなんて。どうして防衛隊に?」

 いきなりの志望動機に戸惑いを隠しきれない。だが聞かれた以上は答えないわけにもいかない。

 フリルは一度冷静になって、防衛隊を目指したきっかけを思い出す。

「……小学生の頃、ママが悪魔に殺されたんです」

「!」

「私の家は母子家庭で、父の多額の借金もあり、とても裕福な家庭ではありませんでした」

「……」

「それでもママは少しでも裕福な生活にさせようと朝から晩まで働き続け、私を守ってくれたんです」

 話始めると、過去の思い出がポツポツと自然と口に出てしまう。ミラは聞き役に徹しながらも同情をしているかのような眼差しを向けている。

「本当は学校に行く余裕だってないはずなのに、それでもママは私が小さい頃から魔法が好きなのを知っていたから魔法教育機関にだけは行かせようと頑張ってくれたんです。さらに借金をしてまで……」

「……」

「いつか絶対、恩返ししてやろうと決めていたんです。––––––そしたら入学直後に、ママは悪魔に殺された……殺されたんですよッ!」

 当時の悲劇を思い出し、心の底から煮えたぎる感覚が襲い掛かる。

「だから私は防衛隊に入って悪魔を殲滅させようと決めたんです。ママの仇を打つために!」

 元々防衛隊に入ろうと思った理由は大好きな魔法を使えるというのと、他の職種に比べて高い給料を貰えるという点だけだった。しかし、唯一の家族であったママが殺されたきっかけにより、入隊の理由は悪魔を殲滅させるという強い憎しみの動機へと塗り変えられた。いまでもその動機は変わらないでいる。

「すみません。急に語り出してしまって……」

「いいえ。私が聞いたことですからお気になさらないでください。ですがなるほど。あなたはお母様にお世話になった分、将来恩返しをするつもりだった。けど、それができずにお母様と別れてしまったことをとても悔やんでおられるのですね」

「はい……」

「お母様の命を奪った仇を果たすために、悪魔を殲滅させたいと」

「……はい」

「なるほど。防衛隊の志望動機としては十分だと思います。その悔しさと憎しみは力の原動力になることでしょう。その気持ちは決して忘れてはなりませんよ?」

「は、はいっ」

「では、私はこれで失礼致します。本日は貴重なお時間をありがとうございました。明日の試験、頑張ってくださいね」

 そう告げると、ミラは部屋を出て玄関で靴を履く。最後にこちらに丁寧にお辞儀をしたあと家から退室した。

 重く行き詰まった空気から解放され一安心するはずのフリル……だったが、ミラの言葉を聞いてドアをぼけ〜っと見つめながらポカーンとアホ面をかましながら立ち尽くしたまま。

「え? 明日って試験あるの?」

 明日は記念すべき入隊日。試験があるなんて知らされていないフリルは、この後ずっと試験のことについて悩まされるのであった。

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