エピローグ「君とそばにいるためのたった一つの方法」1/3

 8月中旬、山口さんに誘われて麻生さんのお墓参りに行くことになった。


 待ち合わせ場所に行くと喪服を纏った山口さんが待っていた。


「さぁ、行きましょうか」


 そう言って、山口さんは歩き始めた。私ははぐれない様に山口さんの横を歩く、喪服姿と上品に髪を結んだ山口さんの姿を見るのもどこか新鮮だった。


 私にとってこうして山口さんと一緒にいるのも久しぶりだ。事件があってから私は複雑な気持ちをずっと抱えていた。山口さんは麻生さんと仲が良かったから、私は父に容疑がかけられたことで、どう接していいのか分からなかった。


 でも、私が退院した時、山口さんは一番に優しく接してくれた。


 それが委員長の立場だからって私は最初思っていたけど、これまでの日々を見てきて、山口さんの本心であることがよく分かった。


 新島君には感謝してる。こうして山口さんと一緒に出掛ける日が来るなんて、私ならここまで打ち解けられるほど心を開けなかっただろう。


 父の事でそれだけ私は罪悪感を抱えていて、当時は周り居る人が怖かったから。


 どこで自分の悪口を言われているかわからない、そんな恐怖感が日々、ずっと自分の中を支配していた。いつだって不安で、いつもオドオドしながら周りの視線を浴びないように振舞っていた。

 本当にあの頃の私は”どうかしてたんだろう”、いずれにしても、もうそんな事を考えなくてよくなったのはよかったことで、本当に心を軽くしてくれている。


「進藤さん、お父様はお元気にしてますか?」


 背筋を伸ばしたまま私の方を向いて、そう聞いてきた山口さんは長い黒髪を揺らしながら真夏にもかかわらず涼しげに見えた。


「うん、大丈夫。結構痩せちゃったけど、元気にしてるよ」


 実際はお父さんの身体は柚季さん、そして今は新島君へと受け継がれたからややこしい訳だけど、それを山口さんには説明できない。


 最近は新島君も現状に慣れてきたみたいで、お母さんとも会話できるようになってきている。柚季さんのこともあったから入れ替わりたいとも言ってこないし、もう諦めてくれたと思う。


「そっか、よかった。早く仕事が見つかれば進藤さんも安心ね」


「そ、そうだね・・・」


 仕事探しをするのは実質新島君だからなかなか大変だ。突然の入れ替わりだったからすぐに仕事が決まるとは思えないだけに、ちょっと不安だ。肉体労働とかして無理しなければいいけど。


 線香の香り漂う墓地の中を歩いていく山口さんに後ろから付いて行くと、目的の場所にたどり着いた。

 麻生さんの家族のお墓が目の前にある、実際に来るのは初めてだ。


 山口さんが神妙な表情で麻生家のお墓に仏花を添える。菊の花が優しく麻生さんを包み込むようだった。


 私は揃って手を合わせ、目を閉じて、祈りを込めた。

 長いようで短い時間、祈りをささげて目を開けると、もう横には目を開けて墓標を見つめる山口さんがいた。


「私はお坊さんに挨拶してくるから、少し離れてもいい?」


「うん、わかった」


 山口さんは話し終えると階段を上って家の方へ向かった。

 一人になると心細い、でも仕方ないので私は山口さんを待つことにした。


 しばらく待っていると、こちらに向かってやってくる見知った女性の姿が見えた。


「こんにちわ」


 やってきたのは塚原杏理さん、白糸先生の助手であり、看護師の女性だ。


「塚原さん」


 まさかこんなところで会うなんてと思った。私服姿の塚原さんを見るのは初めてだったので一瞬誰だか分からなかった。


 今更ともいえるが、思わぬ人物の登場に私の鼓動が高鳴った。


「どうして私がここにって思うわよね」


 どこか遠くを見るような虚ろな声色で塚原さんは言った。


「それは・・・」


 私は言葉に詰まった。そう簡単に分かるわけでもないのに、ついここにいる理由を考えてしまった。


「いいのよ、ちづるちゃんの思っていることは正しい。本来私がいていい場所ではないもの。

 でもいいわ、ちづるちゃんになら少しは話が出来そう」


「そんな・・・、私には分からないですよ」


「大丈夫、理解されなくったって、もう全部終わったことだから」



 ”終わったこと”



 その言葉が私の中で重く心に響いた。私たちの裏側で、塚原さんには塚原さんの物語があったのだろう。


「まだ、そんなに経っていないはずなのに、ちづるちゃんが入院していたのが遠い昔のようね・・・、元気そうな姿を見るとあの頃のことが遠いことのように思えるわ」


「そうですね。いろいろなことがあって、大変だった頃も忘れてしまってるのかもしれません」


「本当に、こうしているのが信じられないくらいだわ。意識が戻っても可哀想なことになる、そう思っていたから。随分強くなったわね」


「おかげさまで、皆さんのおかげです」


「そう思うなら、ちゃんと通院してほしかったけど、会えなくて寂しかったじゃない」

 

 少しはにかみながら塚原さんは言った。


「本当に、その通りですね」


 言葉とは裏腹に、あの病院に通院したいという気持ちはまるでないのだが。


 入院中には塚原さんには沢山お世話になった。私から見て軽口を使いながらも仕事はできる、患者の病状をよく分かっている優秀な看護師という印象だった。


「どうしてなのかしらね・・・、気づいたら一人になっていた。忙しかったけどそれなりに充実した日々だってことに今更気付いたわ。


 麻生先生も、柚季さんも、白糸先生もいなくなってしまった。


 本当に私ってば、不幸な女よね。失った後の事なんて考えもせずに、ここまでやってきたんだから」


 墓標を見つめる塚原さんが寂し気に映った。それは見たことのない表情だった。


「柚季さんは帰ってこなかったけど、あなたのところに行ったのかしら?」


「はい、それが柚季の意思だったみたいです」


「そう・・・、仕方なかったのかしらね。延命させるのは容易じゃなかった。どこかで彼女の望まないことをしている気がしてた。

 そう・・・、柚季さんは無事に眠れたかしら?」


「はい、私は納得できませんでしたが、それでも柚季は病院には戻ろうとしませんでした」


「いいわ。ちづるちゃんが看取ってくれたのなら。長生きしてほしかったけど、あの子には寂しい思いを沢山させてしまったから、あなたを友達と思ってあの子がそう決めたのなら、私に言えることはないわ」


 柚季がいなければ、柚季が隣にいてくれなかった今こうしている自分もいない。

 限界に来ていた猫の身体を引き受けて、柚季は息を引き取った。そう考えるととても儚くやりきれない気持ちであふれてくる。


 もっと早く気づいていたら、出来ることがあったのかもしれない、そんなことを思った。


 今でも蘇る最後の夜、人の死をあんなに悲しく思ったのは初めてだった。


 柚季は本当にいい人だった。ずっと私の事を支えてくれた。


「そうね、今更何ができるわけじゃないし、ちづるちゃんには伝えておこうかしら」


 塚原さんは決意を秘めたようにもう一度私の方を見て言った。


「何ですか?」


 まだ塚原さんには話すことがあるようだ。

 不思議だ、久しぶりに話すのに、塚原さんと私は他の人が知らないことを共有しあってる。


「白糸先生はアメリカに行ったわ。本当は柚季さんも連れていくつもりだったようだけど」


「そうですか・・・、初耳です」


 最後まで白糸先生は柚季のことを考えていた。先生の研究にとって柚季はそれだけ大切だったということだろうか。


「研究を続けるにしても、アメリカの方が都合がいいから、止める道理はなかったわね」


 海外逃亡? そんな言葉が私の中で浮かんだけど、今更白糸先生をどうにかしたところでそれを喜ぶ人はいないだろう。半端な正義感だけでは出来ないこともある、私にはもうそこまでの復讐心のようなものはなかった。


「塚原さんは一緒に行かなくてよかったんですか?」


 塚原さんは白糸先生を尊敬していた、長く一緒にいたし、それなりの感情があってもおかしくはない、そういう疑問が湧いたっていいだろう。


「空港まで先生を車で送ったけど、言い出せなかったわ」


「じゃあ、やっぱり本当は・・・」


 ちょっとからかいたい気持ちも湧きながら、私は言った。


「もう白糸先生は誰にも依存したりしないわ、それが分かってしまったから。先生は人に依存する苦しみも悲しみも知ってしまった。


 仕事だから私と一緒にいてくれた。仕事だからそうやって白糸先生は割り切ることが出来た。でもそれを失ったら一緒にいれない。そこまで求めあってしまったら、もう苦しくなってしまうから、だから、もうこうするしかないの」


 大人の考えることは難しい。


 でも塚原さんは自分で一番辛い選択をした、そこに後悔したって仕方ない。今はもう前を向いて生きていくしかないのだ。


「それじゃあ、私は行くわ。麻生さんに墓参りも出来たことだし。また診て欲しくなったら私のところに来てね、いつでも歓迎するわ。

 今元気だからって油断しない事よ、無理ばっかりしてたらまた再発するわよ」


 そう看護師らしいことを最後に言って塚原さんが離れて行く。塚原さんはこれからも変わらない姿であの病院で勤務し続けるのだろう、本当はあの病院に居続けながら、いつか白糸先生が戻ってきてくれることを願っているのかもしれない。

 

 何かたくさん聞かされて落ち着かなくなってしまった。

 あまり面と向かっては上手に言葉を返すことが出来なかったかもしれない。


 それでも会えてよかった、話せてよかった。

 これまでの日々のパズルに、ズレていたまま置き去りにされていたまた新しいピースがはまって、私なりに今までより少し、よく事情が多面的に理解して見れるようになった。



「あれ? 進藤さん、誰か来てたの?」


 不思議そうな顔で、塚原さんの持ってきた仏花を見た山口さんは言った。


「うん」

「進藤さんの知ってる人?」

「うん、根は優しい人なの」


 山口さんは不思議そうに花と私とを交互に見ていた。


 私はこの不幸な事件を少しはこれまでよりも受け入れられただろうか。麻生さんを目の前にすると掛ける言葉は見つからないけど、でも、麻生さんの分もちゃんと生きていこうと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る