第十五話「もう一度同じ空の下で」2/2
私の心配をよそに、数日後、裁判は棄却され、進藤礼二は証拠不十分により釈放されることが確実となった。
赤月さんは記事を書くことで警察の捜査不十分さを訴え続けていくそうだけど、進藤礼二の釈放がどう影響するかは未知数なところだと話していた。
葛飾と白糸医師の関係、世論の興味を引けば、もう一波乱起こせるかもしれないけど、なかなか上手く状況は進んでいないというのが赤月さんの話しだった。
私と礼二さんは留置所から釈放される柚季さんを迎えに行くために出かけた。
「ちづるはどうしたんですか?一緒に来てないですけど」
「あいつは先に出かけると言っていたよ」
「そうなんですか」
ちづるの行動はいつも予測ができない。神出鬼没だし、いつどこで見られているかわからない。
そういうところは猫の姿を最大限に活用しているともいえる。本当に何を考えるかわからないし、ちょっと心配でもある。また何かよからぬことを考えてなければいいけど。
柚季さんが出てくるのを待とうと思っていたところ、柚季さんを発見した。
「柚季さん!こっちですよ~!!」
私は嬉しくなって思わず手をブンブン振って大きな声で呼びかけていた。そしてすぐにあっと気づいた。
「おいおい、周りに不審に思われたらどうするんだ・・・」
「す、すみません・・・、つい・・・」
今の柚季さんは進藤礼二の姿だ、これは私たちだけが知っていることなのだ。
柚季さんがこちらに気付いたようで向かってくる。
表情からはあまりどんな心境なのかは読み取れない、元々柚季さんは無表情だから喜怒哀楽が読みづらいのだ。
私の方に向かって真っすぐ柚季さんが向かってくる。その目は私のことを捉えて離さない。
「えつ・・・? 柚季さん?」
無表情に真っ直ぐ迫ってくる柚季さんは私に回避する間も与えず、いきなり私のおでこに自分のおでこを当てようと迫って来た。
「(ぶつかる・・・!!!)」
そう思った時にはもう遅かった。私は訳も分からないまま、ぶつかった衝撃と一緒に頭がグルグルと回るような衝撃を受け、その場に倒れた。
*
一体どれだけ時間が過ぎたんだろう、私は何が何やらわからないまま意識の外側にいた。
唐突に意識を取り戻した私は目を開けた。よく知っているちづるの部屋だ、でも何かがおかしい、あれ? どうしたんだろう・・・、まだ寝起きでよく状況が掴めない。
「おはよう、目が覚めたかしら?」
声が聞こえた方に目を向けるとそこにいたのは進藤ちづるだった。いや、それは私のはずだ、だってずっと入れ替わっていたのだから、鏡を見ているわけでもないのに、私がそこにいるなんてどう考えてもおかしい。
「あれ? どうなってるの? 私が二人いる? それとも鏡の自分?」
私はこの怪奇な状況に混乱して訳の分からないことを呟いていた。
「何寝ぼけたこと言ってるのよ」
ちづるの呆れ果てた声が聞こえた。
「・・・ちづる?」
「見ればわかるでしょう?」
不思議なことにその意地悪そうな口調でそれが進藤ちづる本人であることがわかった。
「あれ・・・、じゃあ私は・・・」
まだ状況を把握できていない私に、ちづるは手鏡を差し出した。そしてそこに映る自分の姿を見てすべてを悟った。
「えええっーーーー!!!お父さんになってるーーー!!!」
ありえないことに私は先ほどぶつかった進藤礼二の姿になっていた。声もバリバリの成人男性のもので、いきなり変わり果てた自分の姿にもう何が何やら混乱するばかりだった。
「変な声出さないでよ・・・。そういうことで今日からあなたは私のお父さんよ」
まるで死刑宣告のように衝撃的なことを告げられてしまった。一体どういうことなのか、ちづるは本来の姿に戻り、私は進藤礼二になっている、あまりの急展開に思考が追い付いていかない。
「一体・・・、何がどうなってるの・・・、ちづる一体何をしたんだよ、どんな心境の変化だよ、ずっと猫の姿を気楽だって楽しんでたのに、自分の身体を俺に託すって言ってたのに、何がどうなってるんだよ・・・」
感情的なままに言葉を紡いでいくと、気づけば段々男言葉に戻っている自分がいた、そんな自分をちづるは笑った。
その表情はどこか棘が落ちたように、普通の女の子に見えた。
「もう一度、頑張ってみようって、自分なりに生きることを、そう思ったの。
生きていれば悪いことばっかりじゃない、いいこともあるって。
生きることを諦めていた私に勇気をくれたのは、あなたが変えてくれたから、どうしようもないと思っていた沢山の事を。
あなたを見ていて分かったわ。自分の身体も、心も、友達も、家族も、自分に関わるものがどれだけ大切なものだったか、だから、決めたのよ、もう一度やり直してみようって。今度は自分の手で、今を見つめて、未来を描いていこうって」
一つ一つ言葉を噛みしめる様に、確かめる様に、弱い自分を捨て去って、ちづるはもう一度歩みだそうとしていた。
ちづるの決意は固い、それは自信に満ちた表情から明らかだった。これが進藤ちづるなんだ、初めて真っ直ぐに俺は本当の進藤ちづるの姿を見た。それは鏡の中で見たどんな姿よりも生き生きとしていて美しく見えた。
「私からする話しは以上よ」
ちづるはそう言って照れ隠しをするようにプイっと後ろを向いた。初めの頃より伸びた髪がなびいて自分では見たことのない後姿が映った。
「ちょっと待ってくれ!!せめて俺も元の姿に戻してくれよ、これじゃあ不公平だろ」
これで話は終わりと満足気なちづるに俺は焦りながら言った。
「(何か万事解決みたいな流れになってるけど俺はこんなの納得できない、なんでこんな40代の男の身体でこれからを過ごさなきゃならないんだ!! 約束された俺の輝かしい未来はどこにいったんだ!! こんなんじゃ人生めちゃくちゃだ!! 納得できるか!!!)」
「ダーメ!だって入れ替わりの力を使うのはやめちゃったもの、あれはやっぱりリスクが高いから、どんな副作用があるかわかんないし」
ちづるはもう一度こちらを向いて、自分の主張を繰り出した。
「そんなの納得できねぇよ!なんとかしてくれよ!」
「嫌よ、だって、あなた元の身体に戻ったら私にエッチなことしようとするでしょ」
ちづるは照れたように顔を赤くしていきなりとんでもないことを言い出した。そんなことあるわけが・・・、ってそんなこと考えてどうする!
「そんなことしない、だから元の姿に戻してくれよ」
「信用できないわ、散々好き勝手して私の身体を汚してきたんだから、だから、私のお父さんとして、これからは家族として一緒に暮らすのよ。
家族なら安心よね、手を出される心配もないし、あっ、でもお母さんとは仲良くしてね、それとちゃんと就活して私たちの生活を支えてね、出来るわよね? これまで私の身体で運命をひっくり返してきたんだから、それくらいのことは」
捲くし立てるように一気にちづるは俺に持論を展開した。
「何を勝手に決めてやがる・・・、いい加減しろーーー!!」
あまりに好き勝手な言い分の数々に俺は悲鳴のような大声を上げた。そんな俺の姿を見て何が面白いのか、ちづるは笑っていた。不思議だ、こんなちづるの姿を見る日が来るなんて。
「おーい、ちづる、ケーキ買ってきたぞー!」
そう言って部屋に入ってきたのは礼二さんだ。ううぅ、礼二さんにその体を返してほしいと言ってもどうにもならないだろうなと思うと、悲しかった。
「なんだ、もう起きてたのか」
ロクに心配もしてなさそうな言葉だった。きっと礼二さんはちづるの味方なんだろうなと思うと掛ける言葉を失くした。
「お祝いのためにケーキまで買ってきてくれたんだから感謝しなさいよ」
「いやいや、今はそれどころではないんです。急に身体を入れ替えられて戸惑ってるんですから」
「もう、そんなウジウジしてたって仕方ないでしょ、シャンとしなさい、うちのお父さんなんだから」
「あの・・・、礼二さん、こんなこと言ってるんですけど本当にいいんですか? 出来れば止めてくれませんかね?」
このあまりに急な展開に付いていけない俺は最後の望みを託して、礼二さんに語り掛けた。
「まぁ、こういうことだからよろしく頼むよ。俺は口出ししないから」
礼二さんは呆れ顔で素っ気なくそう言った。最後の望みが断たれた、もう誰もこの状況を変えられる人はいない・・・、もう諦めて進藤礼二として生きていくしかないようだ・・・。
「はぁ・・・、まだまだ大変な日々になりそうだ・・・」
俺は項垂れた、ようやく頭痛も収まってきたので、なんとか立ち上がって布団から出る。
「ほらほら、裕子や赤月さんも呼んでるから、お母さんが帰ってきたらちゃんとしてよね。今日はパーティーよ、あなたが主役なんだから、暗い顔してちゃダメよ!」
ちづるの目論見通りに事が運び、これからまた騒がしい日々になりそうだ。
一つの事件が終わり、また新しい日々が始まろうとしている。
何事もなかったように、これまでの日々が嘘のように時間は流れていく。
ちづるは自然体なまま、まるで違和感なく裕子や赤月さん、そしてお母さんと接していた。これが本当の進藤ちづるの姿なんだ。
落ち着かないのはむしろ自分だけで、ちづるは元気な姿を取り戻して、楽しそうに笑っていた。きっとこれでよかったのだろう、ちづるがちづる自身の意志で決めた、だからこそ今この瞬間に価値がある。
ちづるの元気な姿を見てそう思った。
ちづるは先ほど言及しなかったが、ちづると入れ替わって猫に戻ったはずの柚季さんが姿を現すことはなかった。俺たちと会う前にちづると二人の間に何があったのか、それはわからなかったが、きっと元居た場所に戻ったのだろう。そう思うことにした。
柚季さんがここまでいた理由はなんとなくちづるのためじゃないかと思っていた。そしてもうちづるは柚季さんの助けを必要としなくなった、それがここにいない答えなんじゃないかと思った。
柚季さんとはあまり話も出来なかったし少し寂しいけど、ちづるがそれで納得したのなら、俺が口出しすることではないのだろう。
これから俺は進藤礼二として生きていく。ちづるとは家族として一緒に暮らすこととなった。
それがちづるが望んだことなのだから仕方ないのだが、やはりこれは二人にとっての予防線なのだろう。きっとちづるも俺のことを・・・、そう思うのは都合がいいことかもしれないけど、でも今はこれでいいかと思うことにした。
まだ人生は長い、誰を好きになって誰と一緒にいるのか、それは分からないけど、今はこの家族と一緒にいることを大事に思い生きていこう。
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