第八話「ホワイトノイズ」2/2
「白糸隆司ですか?」
私はこれから会いに行く人物の名前を赤月さんから聞いた。
「ああそうだ、覚えていないだろうか、これから行く病院は君が入院していた病院でもあるんだが」
私は考えてみた。入院していた時の記憶はちづるの夢の中でもほとんど出てこない、こんなことならもう少しちづるから話を聞いておけばよかった。
「すみません、あんまり入院していた時の記憶は覚えてないんです、頭痛が酷かったもので」
この先、分かることもあるかもしれないが、今は頭痛で済ませておこうと思った。
「そうなのか、知っていると楽だったんだがな」
そもそも脳科学というのは、神経内科なのか精神科なのか、一体どこに行けば面談できるんだと、赤月さんは一人悩んでいるようだった。意外とポンコツなのかもしれない。
気づけばこの赤月さんの車に乗るのにも慣れてしまった。最初は助手席でシートベルトを締めるのも緊張したけど、なんだかもう慣れてしまった。
男性の視線というのは本人は平静に気にしていないつもりかもしれないけど、女性を目の前にしていれば無意識に女性の身体を気にして見てしまうものなのだ。女性の視点に立ってみてそのことに改めて気づいてしまった。
白糸先生が勤めているという病院までやってきた。私は赤月さんの後ろをついて歩く。
そういえば、私のことを知っている医師や看護師に会ってしまったらどうしよう・・・、質問を受けて今の状態を知れば、その場で突然検査入院とか勧められたりしないだろうか、不安で仕方ない。
とりあえず私は大きな赤月さんの後ろをついて歩くだけだった。調べたり話しかけたりするのは赤月さんが一人でどんどん勝手に進んでやってくれた。
「白糸先生はいらっしゃいますか?」
「診断を希望の方ですか?」
きれいな女性の声だった。20代後半といったところだろうか、可愛らしさもありつつ看護師の白衣ということもあり白い肌の似合う清純そうな大人な雰囲気も持った女性だ。
「いえ、取材なんですが」
「そうですか、研究室にいらっしゃると思いますので、時間がとれるか聞いてまいりますのでお待ちいただけますか?」
「はい、わかりました。あまり時間は取らせませんのでよろしくお願いします」
赤月さんが丁寧な口調で答える。この手の人に取材をするのは赤月さんでも緊張するようだ。
「わかりました、それではお名前をお教えくださいますか?」
「はい、東方新聞記者の赤月蓮です」
「あ、付き添いの進藤ちづるです」
赤月さんに続いて私も名乗った。不審に思われなければいいけど。
「わかりました、それではお待ちください」
そういって看護師さんは通り過ぎていく。
「ちょっと・・・、アポくらい取ってないんですか?」
「いやぁ、この病院に入院していたわけではないのでね、頼みが用がなくてね」
「素直に言えばいいじゃないですか・・・」
「こういう用件じゃ、大体電話では断られるんだよ」
「え・・・、病院って秘密主義なんですね」
「患者のことを話したりするわけにもいかないし、多忙を言い訳にしてくるからね」
何て意地らしいと思ってしまってしまったが、さすがに病院内でそれを口にするのはやめた。
しばらくしてさっきと同じ看護師さんが戻ってきた。
相変わらず美しい発色をしていた。
「許可が出ましたので、面会室でお待ちいただけますか、ご案内します」
まさか私はこんなに簡単に許可が出るだなんて思わなかったが、とにかく二人の後に付いて行くことにした。
看護師さんは面会室に着くと、私たちを案内して外に出ると、ゆっくり扉を閉めた。
閉まる直前、一瞬私の方を見て看護師さんが笑みを浮かべていたように見えた、名札には塚原と書かれていたが見覚えはない、でもどこかで声を聴いたことがある気がした。
ちづるが知っている人物なら挨拶すべきだったかと思ったがもう遅かった。
「今日は俺に任せてくれればいいよ、ちづるちゃんは座っているだけでいいから」
私は「はい」と小さく返事した。私がビクビクしていたのに気づいていたのか、赤月さんは気を張っていた。
病院という場所もあり緊張はする、時計の針が動く音がやけに大きく部屋を響く、やがて扉が開いて一人の白衣の男性が入ってきた。
名札には確かに白糸と書かれている。白糸医師は思っていたより若くて眼鏡を掛けて知的な感じの雰囲気だった。
「記者の方とお聞きしましたが、あまり時間は取れませんが、今日はどういったご用件ですか?」
いかにも医療関係者といった感じの落ち着いた大人な声色だった。それゆえに思考は読みづらく、内心どんなことを考えているかはわかりづらい。
「はい、私は東方新聞の記者の赤月というものです」
赤月さんが自己紹介をして名刺を渡す。
「麻生教授のことで、白糸先生は麻生教授の同僚であり同じ研究仲間という話を聞いたので、詳しいことを直接聞きたくてまいりました」
「ほう、それで、進藤さんも付き添いですか?」
「私は・・・・」
この人・・・、私のことを知ってる・・・、視線を直に浴びて胸の奥がゾワゾワとした。心の内側まで見透かされているような、そんな居心地を悪さを感じた。
「どうしました?顔色が優れないようですが?」
冷たく感情の読めない声と表情に、言葉にならない恐怖を感じた。
「大丈夫です、私は父の疑いを晴らしたいだけです」
「立派な志だ、それが本当に冤罪だという話なら」
挑発するようなその言葉に、私は目は鋭くなった。自分でも意外なくらい自然と出た敵視だった。
「それで、話していただけますか?」
赤月さんが雰囲気を察してか割り込むように聞いた。
「はい、私が知っていることであれば」
先程の言葉や目を見てしまうとこの人が本当のことを言うとは思えなくて、気持ちが落ち着かなかった。
白糸医師は遠くを見つめて、一つ一つ思い出すように語り始めた。
「そうですね・・・、何から話しましょう・・・、麻生教授と知り合ったのは大学で聞いた講演会の時でした。その時の話が面白くて、感銘を受けまして、同じような研究をしたいと思うようになりました。
脳科学の分野はまだまだ未知の可能性が多い、それなのにさまざまなことが障害になって研究や治療が進んでいない現実があります。
まぁ研究で実績を積み上げると同じくらい、社会の認識を変えることは大変なことですから、教授は研究をしたい気持ちを抑えて、社会の認識を変えようと尽力されました。
それはそれは、簡単な言葉では言い表せられないような、血の滲むような努力をされました、私はそれを同じ研究者として見てきました。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、脳を研究するということは、人類の真理に触れることです。人がいかに考え行動するのか、その構造を解明した時、今までの常識は過去のものとなるでしょう。
教授のことを恨む人がいないとは言いません、社会の安定のため、平和のため、自分の意志とは無関係に脳を弄られるような未来は誰だって見たくない、そう考えるのは自然です。
しかし現実にはさまざまな精神・神経疾患があり、それは人にさまざまな悪影響を及ぼします。そうしたものから救うためには研究は不可欠なことです。
もちろん外科的な処置に限らず、薬事的方法もあります、症状に合わせた処方箋を用意する、それは研究し、臨床を進めていかなければ発展していかない事です」
麻生教授のことを話す白糸医師は、私たちの存在などお構いなしで、懐かしむように遠く見つめていた。
彼は彼なりのやり方で麻生教授の研究を引き継ぎ毎日を生きているのだろう。
それが一体いかなるものなのか、私のような一般人ではわからなかったが、麻生氏の研究については尊敬しているように見えた。
ほとんど質問する時間もなく、忙しい身である白糸医師は部屋を立ち去った。
私たちはもうここに用事もなくなってしまったので病院を出ることにした。
*
「ちづるちゃんはどう感じた?」
帰り道で赤月さんが聞いてきた。
取材は実際には30分ぐらいでほとんどが麻生教授との思い出話だった。聞いたこと全部覚えているかと聞かれればそんな自信はないけれど、なぜだかしっくりこないことばかりだった。
「よくわからないです、それが難しい研究の話を聞かされたからなのか、何か大切なことを見落としていたからなのか」
「そうか、俺も何かが引っかかって落ち着かない感じだ」
確かに何かのきっかけで危険人物と判断されて人知れず精神状態を変えられるような薬を投与される未来がくれば、それはそれで恐ろしいことだろう。
いや、それだけではなく、脳にチップを入れられて、誰かに監視管理されるような時代が来ればもっと恐ろしい、しかし、それは果たして研究者の責任なのか?
恨まれる対象ということならその対象にならないとも限らないが、この事件にそんな事情が本当に関係しているのか?そもそも教授は・・・。
この時は気づかなかったが、後になってその違和感が何だったのか気づくことになる。
それは白糸医師が煙に巻くような話し方をしたからというわけではなく、麻生教授はもう病院には勤務していないし、研究からも身を引いていたからであった。
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