第二話「神様の連帯地図0.1」1/4
満員電車を避けるためにも、いつもよりも早い時間に登校すると、教室の前の手洗い場に委員長の山口未明さんがいるのを見かけた。
(こんな早い時間に来てるだなんて、さすが委員長ってこと?)」
偶然か習慣か、しっかり者の山口さんのことはまだよく分からなかった。
少し身構えてから私は山口さんに近寄った。
「おはよう、山口さん」
「あら、おはよう、今日は早いのね進藤さん」
お互い穏やかな笑顔で挨拶を交わした。
女子でもいい子はいるもんだなと不謹慎にも思った。
「花瓶の花、いつも山口さんが?」
山口さんは手洗い場で花瓶の水を変えていた。
花が好きなのだろうか?
「うん、どうしてもこれだけは続けたくって」
几帳面な山口さんらしく、器用な手付きで花を花瓶に生ける。両手で花瓶を持って教室に入っていく山口さんに付き添うように、私も後を追って教室に入っていく。 高いか安いかは分からないが、花瓶を運ぶのはなかなか神経を使いそうだ。
本当に今日は教室に入るのが早かったのか山口さんと二人きりだった。
山口さんはそっと一つの机の前に立ち、ゆっくりと花瓶を机の上に置いた。
その表情は遠くを見つめるように、儚げであった。
「思い出は永遠に消えない、思いつつけていればきっと、麻生さんはずっとここにいる、私たちを笑って見守ってくれているの」
二人きりの教室で山口さんは切なく小さな声でつぶやいた。私は押し黙ったまま、どう言葉をかけてよいのかわからなかった。
私には進藤ちづるの記憶がない、だから、その麻生さんのことも、知らない人のことを当てずっぽうで何か言えるような勇気は私にはなかった。
掛ける言葉が見つからないまま、立ち止まっていると山口さんが口を開いた。
「進藤さんはいいのよ・・・、進藤さんは責任を感じる必要はないって、私は進藤さんのことを信じてるから、だって大切なクラスメイトだから」
山口さんは微笑みながら言った。ドキっとしたけれど、でも少し遠くを見ているような気がした。
「(麻生さん・・・、麻生さん・・・、どこかで聞いたことがあるような)」
そもそも、こんな大事なことを知らない自分に問題があるような気がするけど・・・、思い返せば確かに元々他クラスの話題には疎いほうではあるけれど。
責任とは何だろう、麻生さんが亡くなった事と何か関係があるのだろうか?
疑問は絶えないが、私は少しずつ進藤さんの真実に近づきつつある、今この瞬間そんな予感を感じ始めていた。
*
昼休み、私は新聞部の秋葉くんに呼ばれていたので購買でパンを買っていそいそと部室に向かった、きっとまたエッチなことをするんだろう。
流されるように、しかし自分が望んでいたことのはずなのに、いろんなことが胸に引っかかる。本当にこんなことしていていいのか、迷いはあったがそれでも身体は正直で、ドキドキは止まらなかった。
「気持ち良かった?」
乱れた制服を着直したところで、秋葉君は聞いてきた。
「うん・・・」
火照る身体のまま私は小さく答えた。
「どんなふうに?」
彼の質問は続いた、彼も内なる興奮を抑えられないということなんだろう、もうどうしようもないことかもしれない。
「え・・・っと、自分で触ってるのも、それを見られてるのも、ドキドキして、何だか途中で止められなくなって、おかしいって分かってるのに、恥ずかしいって思うのに、不思議と触れてると気持ちが満たされていくの」
彼が満足のいく答えであるかは分からないが、私は私なりに答えた。
「進藤さんがこんな人だとは知らなかったな、いつも女子としか話さないし、こういうことに興味ないんじゃないかと思ってた」
「そう・・・」
複雑な気持ちだった。私がこんなことをしたせいで今までの進藤ちづる像が崩れてしまっている、私が”進藤ちづる”になることで周りから見れば進藤ちづるは変わってしまったように映っているのだ、本当は大人しくしていればよかった。
もう引き返すことのできない現実に狼狽えるばかりだった。
「でも僕はうれしいよ、こうして進藤さんと一緒に居られて、誰にも言えない秘密を共有できて」
「うん、誰にも言わないで。私だって初めてのことばっかりで、どうしてこんなことしてるのかわからないんだから」
私は慎重に言葉を選んで不安そうな自分を演じた。秋葉君は優しい、きっと私のことが好きなのだろう。童貞の男子なんてそんなもんだ、こんな経験、自分のものにだけしたいに決まってる。私が彼を満足させているうちは、ほかの人に告げ口をするようなことはないだろう。性欲に関しては男なんて単純なんだから。
見知った猫が窓の外から私たちを見ていた気がした。
身体が乱れていくたびに罪を重ねているような、本当は自分の身体ではないのに・・・、あぁ・・・、あの猫はどんな気持ちで私を見ていたのだろう。
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