第一話「天から来るもの」4/4

慌ただしい一日だったが、不審がられることなく無事家に帰ってくることができた。今日も母親は帰ってこない、鞄を置いて静まり返った部屋でふと物思いに耽る。私はまだこの家族のことを何も知らない。


 考えれば考えるほど不安になる。自分は間違ったことをしてしまったのだろうか、私の本当の身体はどこにあるのか、生きているのか、それもまだわからない。


 このまま何事もなくこの身体で生きていくことになるのか、そんな都合のいいことがあるのか、あのメッセージの通り自分の好きに生きていいのか、考えても何もわかりようがなかった。


 私は気持ちを切り替えるためにも、夕食の買い出しに出掛けることにした。


 「チキン♪チキン♪」


 私は不安を拭い去るために、好物のフライドチキンを買ってノリノリで帰り道を行く、荒療治とも読み取れる行動であったが、その途中で突然知らない男性に話しかけられた。


「進藤ちづるちゃんだね?」


 180センチはありそうな長身の男性、見上げるようにその顔まで確認するが、それだけでは素性はわからない。

 厄介なことに巻き込まれたくはない、今日の反省も踏まえて、私は無視してそのまま通り過ぎようとする。しかし男は通り過ぎる私に腕を伸ばして私の腕を捕まえる。


「僕はジャーナリスト、本物の記者なんだ。少し話を聞きたいだけなんだ、お母さんは家にいるかな?」


「知りません!あなたに関わるつもりはありません!!」


 面倒事に巻き込まれるのは御免だとばかりに、私は記者だという男性の腕を振り払って息を切らしながら必死に走って家路についた。



「はぁ・・・、疲れた」


 走って汗をかいてしまった、私はコーラを飲んで喉を潤した後に、フライドチキンに噛り付いた。コーラの入っていた紙袋はかなりぐちゃぐちゃに濡れていた。


「うん、やっぱりおいしい」


 男でいたときと変わらない味わい、変わらないということが私に安心感を与えてくれた。

 フライドチキンを食べたのち、私は汗もかいたし昨日は気づいたら眠ってしまったのでお風呂に入ることにした。



「あぁ、こんなにワクワクすることがあるだろうか」



 あまり不謹慎ながら、今の自分の裸をまだ見たことのない私はウキウキ気分でお風呂へと向かった。自分の身体というよりはまだ”これが進藤ちづるの裸なのか”という印象の方が強い。


 お風呂を出てバスタオルで身体を拭いてから気づいた、着替えを持ってきてない・・・、また制服に着替えるわけにもいかず、私はバスタオルを巻いたまま自室に戻った。


 自室に入ると、どこから入り込んだのか不明だが一匹の猫がいた。肌色の毛並みのどこにでもいそうな猫、汚れている様子はないが首輪とかもないし飼い猫か野良猫かどうかはわからない、しかし唐突な出会いに目が合ったまま立ち止まってしまった。


「君、どこから入ってきたのかしら?どうしよう、このままにしておくわけにはいかないし」


 私は困ったが、できるだけ優しい口調でつぶやいた。



「私の身体、気に入ってくれた?って聞くまでもないか、随分ノリノリだったみたいだし」


「えっ・・・、猫がしゃべった?!」


 猫からいきなり人間の女性の声が聞こえたものだから驚いて腰を抜かしそうになった。


「あなたってば驚き過ぎよ・・・」


 驚くべきことにこの猫は”進藤ちづる”本人だという。突然のことに驚いていると猫の姿の進藤ちづるに言われるがまま、着替えを済ませた。


「なんだかあまりにも無知なのを見てられなくなったわ」


「突然こんなことになったんだから仕方ないだろ・・・」


「そうね、せっかくだから困ったことにならないよう指導するわよ」


 それから女性としての身だしなみと称して、スキンケアから化粧まで夜通しレクチャーをされる羽目に遭った。


 なんとか少しは寝かせてもらったが、余裕をもって登校するようにと無理やり起こされ身支度を済ませることとなった。


「さすがにこれじゃあ寝不足になっちまうよ・・・」


 進藤ちづるの強引な態度から、どうしても素の自分の口調に戻ってしまう。


「あなたの覚えが悪いからよ、女の苦労をこれっぽっちも分かってないんだから」


 そう言われても化粧の経験にしたって今まであるわけがないんだから、急に習得しろと言われたって無理があるというものだ。


「聞きたいことがあるんだがいいか?」


 着替えを済ませ、朝食を食べているところで時間の許す限り今までの疑問をぶつけることにした。

 これまでの疑問をぶつけようと真剣に話しかけようとすると、自然と元の口調が出てしまった。


「手短にね、答えられることなら答えてあげる」


 ちづるには本当は言いたくないこともあるということだろう。しかしこの困った事態を少しでも改善していかなければならない。

 そのためにチャンスは有効に活用すべきだ、情報把握するためにはここで聞いておくしかない。


「元の俺の身体は無事なのか?」


「ええ、私には必要なかったからあげちゃったけど、そのうち会えると思うわ」


 突っ込みどころは多かったが、時間もないので次の質問をすることにした。


「もう一度元の身体に戻ることは可能なのか?」


「理論上は可能だけど、身の保証はできないわね。それに、あの身体はもう私のものだから、あの身体をどうするかは私の管轄よ」


 そんな横暴な! 人の身体をなんだと思ってるんだ! と言ってやりたい気持ちをグッと抑えて、次の質問をすることにした。


「どうしてこんなことを?」


「それは当然、あなたと私の利害が一致したからよ。私の勝手な判断だけど、間違っていないはず、あなたには元々そういう欲望があった」


 進藤さんは棘のある口調で言った。


「欲望ね・・・、こんな夢物語みたいな展開を望んでいたわけではなかったけど」


「でも女性の身体に興味があったのは本当でしょう」


「それは否定できないけど」


 ちづるが俺のことをどう思っているのか、そんなことまで考えは及ばないが、すでに何度も未知の快楽を味わっている以上、否定などできなかった。



「だから感謝してね、レクチャーした通り身だしなみをちゃんとして、愛想よくしてればきっとモテるはずだから。でも身体は大切にしなさい、人生は一度きりなんだから」


 秋葉君のことを思い出す、確かにモテるというのは本当だろう。彼が私の身体に興味を持っているのは間違いないだろうし。



「一度きりの人生か・・・、君はそれで幸せなのか?」


「私は、もう人間でいるのを辞めたのよ」



 強い口調ではあったが、その言葉には諦めや悲壮感のようなものを感じた。

 何が彼女をそこまで追い込んでしまったのか、変えてしまったのか、彼女のことを知らない以上答えは出なかったが、それでも不審な点はあった。



「それはウィッグを着けていることと関係があるのか?お風呂に入ったときに初めて気が付いたんだ、本当に驚いたよ。

 外してみて分かったことだが、髪は短く伸び始めだし、頭にも深い傷跡があった、こうなってからあまり日が経っていないはずだ」


 人の過去に土足で踏み入るようなことを言うのは正直気が引けた、言葉にするのは勇気がいったが躊躇ってはいられなかった。それに進藤さん相手には遠慮は必要ないように感じた。唯一この入れ替わりを知る人物であり、俺と話す時もこちらには遠慮などしていないように思えたわけだから。



「真実はそのうち知ることになるわ、これより先は自分自身で確かめて。もう私はこれ以上関わるつもりはないから」


「おい・・・、全然さっぱりだぞ・・・」


「あなたの生に祝福を、それじゃあね、新島俊貴くん」


 そう言い残し、謎だらけのまま猫姿の進藤さんは窓から出て行った。


「進藤さんは自分の名前を知っていた・・・、もしかして、階段でぶつかったのは偶然ではなかったということか」


 面識があったとしてもこっちが忘れてしまっているだけなのか、何かのきっかけで一方的に知られているだけなのかは分からない。


 進藤さんがなぜこんなことをしたのか、なぜこんな不思議な力を手に入れることが出来たのか、多くの謎を残したまま、制服に身を包んで、この身体になって三日目の学園生活へと向かうこととなった。

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