第35話 笑顔とは

 観客の大きな拍手と共に、ヒロキは急いで――といっても着物なのでいつもの速さは出せないが舞台を降り、観客席に向かった。


 しかし、すでにそこに店長の姿はなかった。

ジェイもトウヤの姿も見当たらない……一体どこへ行ったのか。


「あらっ、あんたヒロキくんっ、ヒロキくんなんでしょ。あんた、あんなすごい踊りなんてできちゃうのねぇ。おばちゃん、感動しちゃったわ」


 明るいしゃがれた声。誰かと思ったら、スーパー“太陽”のパートおばちゃん、キクさんだった。今日は店がお休みだからオレンジ色のエプロンは外し、わりと小洒落たおばちゃんといった感じの服装をしている。どうやら友人たちと春祭りに来ていたようだ……周囲に、おばちゃんがいっぱいいる。


 ヒロキはキクさんの褒め言葉に「ありがとう」と返してから店長の所在を聞いてみた。


「あぁ、店長ならさっき拝殿の裏の方へ歩いて行ったけど。後ろにトウヤくんともう一人知らないけどかっこいい男の子がついて行ったわよ。なんだか最近かっこいい男の子が身近に多くて嬉しいわねぇ、おばちゃん照れちゃうわ」


 キクさんがそう言うと周囲にいた友達のおばちゃんたちが「若さの秘訣よね〜」とわぁわぁ言いながら、にぎやかに話し始めてしまった。

 ヒロキはキクさんに頭を下げると急いで拝殿の裏へ向かった。


 祭りの会場や出店からも離れているその場所は他に人気がなかった。少し離れた神楽殿では次の踊りが始まっているのか、民謡らしき曲が聞こえてくる。


 ヒロキは目を閉じ、一つ息をつき、心を落ち着かせようとする。

 大丈夫、大丈夫だ。自分ならできる。店長はまだ大丈夫だ。


 その時、少し離れた場所で砂利を踏む音が聞こえた。顔を上げると、そこにいたのはニヤけた表情で立つ金髪の派手な男だ。

 ジェイは白いジャケットに手を突っ込みながら「わぁ! ヒロキ、ずいぶんかわいらしい格好してるねー!」と歓喜の声を上げた。


「ホント、ヒロキってなんでもできるんだね。ボクもさっきキミの踊っている姿を見たけど、美しくて見惚れちゃったよ。やっぱりボクだけのものになって欲しいなぁ」


 悠然とそこに立っているジェイのことより、ヒロキは気になることがある。

 店長はどこにいるのだろう。周囲を見渡した感じでは姿がない。ジェイは店長について行ったはずなのに。


「ジェイ、店長はどこに行った」


「店長さん? 知らないよ」


 その言葉が嘘か誠かはわからない。

 ヒロキはジェイに詰め寄ろうと一歩足を前に踏み出した。

 その時、軽快に地面の砂利を蹴散らす足音が二人分、聞こえた。どこからともなく現れたのは、トウヤだった。


 トウヤは黒い革手袋を握りしめ、ジェイに殴りかかろうとしていた。先手必勝だったのだろうか、それともまた考えもせずに厄介な相手は先に叩き潰せばいいという短絡的な考えなのだろうか。


 革手袋をはめた右手がジェイに向かって伸ばされた。

 しかしその攻撃はこれまた突如現れたもう一人の体格のいい存在によって阻まれる。それは黒スーツに身を包んだタカヒロだった。トウヤの攻撃などを予想していたと言わんばかりにトウヤの放った右フックを完璧に手の平で受け止めていた。


「ヒロキ先輩のお兄さん! さすがですねっ」


 トウヤは腕に力を入れ、拳を押し込もうとしていた。それを受け止めているタカヒロは当然ビクともしない。冷たい視線をトウヤに向けているだけだ。


「お前もボディーガードをやっているなら戦っただけで相手の力量を見極めるんだな」


「悪いんですけど、オレ、バカなんで。そんなとこまで考えてられません」


 トウヤはつかまれた右手はそのままに、今度は反対の手でタカヒロに殴りかかった。

 それもタカヒロはするりを身をかわし、反対にトウヤの身体を押さえ込もうとしている。

 そんな二人の様子を見ながらジェイがはしゃぐ。


「なんだかアクション映画のシーンみたいなのやってるね! すごいやー! でも力の差は歴然、ってやつだもんね。タカヒロにはヒロキとあのワンコくん、二人でかかっても勝てないんでしょ?」


 ジェイは余裕だった。依然、タカヒロはトウヤと交戦しているが、自分が今のこの瞬間にでもジェイに危害を加えようとすれば、トウヤをはじき飛ばし、今度は自分と戦うのだろう。

 タカヒロには勝てない。わかっている。

 だが負けられないんだ。


「ねぇヒロキ……ヒロキはなんでさ、あんな店長のことが好きになっちゃったの。あそこにいるワンコくんよりも力もない。だからってボクのように後ろ盾があるわけでもない。笑うしか脳がなさそうな弱そうでダメそうなやつなのに」


「なんだと……」


 ジェイの言葉を聞き、自分の頬がピクリとするのを感じた、間もなく、全身も熱くなった。

 あの人の悪口は許さない。


「店長はダメなんかじゃない、あの人は最高なんだ。あの人の笑顔は色々なことを乗り越えてきたからこその笑顔なんだ」


 店長だってつらいことがたくさんあった。それを自分が幼い頃に何気なく発した一言で、無理やりにでも笑って乗り越えてきたんだ。

 そしてどんな人にでも必要とされる、笑顔の素敵な人になった。その笑顔は自分も大好きになった。


「だからあの人の笑顔を奪うなら僕は許さない」


 ジェイが声を高らかに笑う。それはテレビの画面でも見たことのある彼の営業スマイル――本心を隠した笑みだ。


「それはすごいな! だったらボクにもその笑い方を教えて欲しいよ。政治家の息子として生まれてチヤホヤされてきたけど、誰もボクを見ていなかった。みんな父の権力が怖いから取り繕ったような対応しかしてくれなくてさ……でも無理にでも笑顔で歌って踊るとさ、かわいいとか、かっこいいとか、そういうこと言われてきたんだ。それは嬉しかったよ。だからボクはアイドルをやっていたんだ」


 ジェイが自分の思いを口にしていく。すると彼は次第に笑顔を消し、冷めきった無表情になった。


「でもさ、ボクだって無気力になる時がある、泣きたい時だってある。ただボーっとしたい時だって。でもそんなボクは世間には出せないんだよ。みんなが見たいのは光り輝くボクだからね。だらしない姿なんて見たくないんだ。だから結局、アイドルをやっていても楽しくなんてなかった。笑っていてもそれは無理な笑顔だったんだよ……だからさ、本当の笑顔ってなんだよ、本当に楽しいってなんなんだよ。わかるなら教えてよ、ねぇ――」


 ジェイは歯を食いしばり、ヒロキを見ていた。

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