第34話 あなたの前に再び
しかし予想外の事態になってしまった。まさか自分がまた日本舞踊を踊るハメになるなんて。
準備を手伝ってくれる人や司会進行の人には「初心者向けの簡単なやつを踊ってくれればいいし、間違えても動揺しなければバレないよ」と言われた。
そうは言っても観光客の多い、あの神楽殿で踊らなければならないのだ。小さい頃の自分は堂々できたかもしれないが緊張は拭い去れない。
それに店長が見てくれるのに、情けない姿は見せたくない。簡単なものでも失敗なんてしたくない……大丈夫だ、自分。
神楽店で踊る人たちの控え室に通され、急いで裏方の人たちに支度を進められた。
春祭りにふさわしい桜色の着物を着せられ、肌はおしろいをつけられ、赤い紅を塗られ、しっかりと重い女型のかつらの被せられ、首がちょっともげそうになった。
支度を終えた姿見鏡の中には今さっきまでのラフな格好ではない自分がいた。それは幼い頃にも見たことがある自分の姿。あの頃よりも成長してしっかりと……は、していない部分もあるけれど大人になった。店長のためだけに踊りたいと思っている自分。
「わぁ、ヒロキさん、すごい似合いますね、かわいらしい」
手伝いをしてくれた人にそう言われ、昔を思い出して思わず笑ってしまう。昔から「かわいい」と言われっぱなしだ、かっこいいと言ってくれたのは店長だけだ。
もうすぐ出番が来るということで、今しばらく 控え室で待機していた。
すると「おっす〜」と気の抜けた挨拶で控え室に入ってきたのは目つきは悪いが陽気な男だった。
「あ、ヒデさんも来てたんだ」
ヒデアキは自分を見るなり「あらま」と珍しく目を丸くしていた。
「うーわ、マジかよ。ヒロキ、ヒロキだよな。お前だよなぁ?」
恐る恐るたずねてくるヒデアキに「そうだよ」と答える。
ヒデアキは「すげーなぁ」と感心し、ヒロキの上から下までバッチリと眺めていた。
しかしヒデアキが次につぶやいた一言に、今度はヒロキが目を丸くした。
「やっぱりなぁ」
「……やっぱり?」
それはどういう意味なのか。何か『やっぱり』と言われる事態があったか。
聞いてみようと思っていたら、ヒデアキが先に肩をすくめていた。
「むかーし、小さい頃、俺に思い切り蹴りを入れたのはお前なんだろう」
……昔、小さい頃、蹴り。その単語を一つずつ記憶の中に当てはめていき、しばし無言になっり……ヒロキは「あぁっ!」と声を上げた。
そうだ、小さい頃、店長を助けた時のことだ。
店長はいじめられて泣いていて、近くにはいじめていた友達がいた。その友達を自分は問答無用に蹴り飛ばしていたのだ。
そういえばヒデアキも前に言っていた。自分が昔、蹴りを入れたやつに似ている、と。自分は知らず知らずヒデアキを蹴り上げていたらしい。
「ご、ごめん。悪気はなかったんだけど。まさかヒデさんとは思わなかったんだよ」
とりあえず頭を下げて謝った。ヒデアキはそんな自分を見て笑う。
「まぁいいや、しかし偶然ってすげーよな。たった一度しか会ったことがねぇのに、会える見込みなんてなかったのに。またこうして会えるもんなんだなぁ」
「そうだね、僕もそう思う」
これが大瀬神社の縁結びの由来通りなら、なおのこと嬉しい。一度会って離れて、また会えたら結ばれる、ことができるかも、なのに……。
店長は自分のことを好いてくれている。
自分も店長が好きだ。
そんな理想的な関係になっているのに。全てが終わったら僕は……。
消極的な気持ちになり、うつむいていると。ヒデアキが「ヒロキ」と名前を呼んだ。
「あいつはまだお前のことを知らないんだろう。けどお前のその姿を見たらきっと思い出す。お前は――ヨウにとっては、あの時のあいつだ。そしてヨウの前に現れるということは……わかるな? お前の存在に気づくことになる。あいつの気持ちを揺さぶることになる」
「そうだね……」
成り行きでこういうことになってしまったけど。本当は店長に自分のことは明かさずにいるつもりだったけれど。
これは僕のわがままだ。あの時出会った子供は、店長がずっと思いを馳せてきた子供は、自分のことだって、僕は店長に気づいて欲しい。
ここまで来て、何も知らずに離れるだけなんて、さびしく、悲しいから。
想いを伝えることはできなくても、せめて、それだけは……勝手な思いを抱いて、ごめんなさい。ダメだとわかっていても気づいてほしいんだ。
「ヒロキさーん、始まりますよ。神楽殿の方へお願いします」
舞台の進行役に促され、ヒデアキに「行ってくる」と告げてから神楽殿の舞台袖に入った。弾幕がないから外の声がここまで聞こえてくる。けれど神聖な踊りを披露するのだから司会の合図とともに始まり、始まればきっと観客は言葉を慎む。静かな空間で踊ることになるのだ。
「では、次は日本舞踊のご披露となります。急遽出演する方が変更となっておりますが、踊り手は皆さんのよく知るあの方です。素晴らしい踊りをご覧ください」
司会の合図とともにヒロキが舞台の中央へ、ゆっくりとすり足で足を運ぶ。着物の裾を踏まないようにしながら膝をついて座る。
やがて三味線まじりの音楽が流れてくる。三味線の一本一本がピィンとはじける、しっかりとした音だ。
曲は日本舞踊をやっているものならメジャーなものが流れ、これならば身体に嫌と言うほど動きが染みついているから、目をつぶっていてもできそうだった。
日本舞踊はなめらかな水のように流れる動きが大事だ。しとやかに美しく、けれどどこかに秘密めいた艶めきがあって。
ヒロキは帯に差していた扇子を取り出すと端と端を持ち、それを文でも眺めているかのように伏し目がちに見つめる。
それを右へ左へとゆっくりと動かす。
そして愛しいものを眺めるように天に掲げる。
ふと扇子を上に掲げながら観客の方に目がいった。たくさんの人が自分の踊りに注目をしている中だというのに、とある一角にいる人物が誰なのか、ヒロキはわかってしまった。
それはもちろん、大好きな店長だ。
店長はいつもの笑顔を消して、驚いているようだった。そして同時に半分開いたままの口から感嘆の息をもらしているようにも見えた。
……そうです、店長、僕なんです。
そう思いながら片手に扇子を持ち替え、ゆっくりと翻る。腕を広げ、着物の背を観客に向けながらヒロキは唇を噛みしめた。
店長……ううん、ヨウ。
僕はあなたが大好きでした。
あなたの笑顔が僕の支えとなりました。
大好きです、離れていても、ずっと。
愛しいものに口づけるように、扇子の端を口元に寄せる。紅がついてしまうから実際には口づけてはいないけれど。
思わず涙が出てしまった。泣いている場合じゃないが感情が抑えられなかった。
ウジウジするな……! ダメだよ、笑わなきゃ……。
扇子を閉じて帯にしまい、さりげなく着物の袖で涙を拭ってから。ゆっくりとヒロキは観客席の方へ向き直った。
その時、観客席から少しだけ離れた場所で店長の方をジッと見つめる、ある人物に気づいてしまった。
それは因縁の相手ともいえる、自分にとっては警護対象者を守るために排除しなければいけない人物だ。
金髪の髪に混じる赤いメッシュの髪、カラーのグラサンをかけ、ニヤけ笑いを浮かべているのは――。
……トウヤ頼む、今だけは店長を守ってくれ。
早く踊りが終わってくれ。
そう思いながらもヒロキは身体に染みついていた動きを思い出し、見事に踊り切った。
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