始まった同居生活は胸が高鳴る…!
第6話 お弁当どうぞ
自分の家は小さい頃から父が厳しかったのだ。
警察の官僚である父は俗に言う己の敷いたレールに自分と兄を当てはめようとしていた。
優秀な兄は敷かれたレールを従順に走り、警察官となった。自分もなろうとは思っていたが父の思い通りになりたくないという、いつしか芽生えた反発心と……小柄な体格の面から父が用意していたSPという席には座れなかった。
そこで都合されたのは父の知り合いがやっているという民間の警備会社でのボディガードというやつだ。一般的な会社より業績や能力が認められているその会社は国家的な要人とまではいかなくても芸能人や政治家など著名な人を警護する依頼は多くあり、自分ももちろんたずさわってきた。
けれどダメだったんだ、失敗してしまったんだ。
今までいろんな習い事をして色々なことを習得してきたけれど、いざ失敗をしてしまうとそれはムダだったんじゃないかと思えてしまう。
そういえば昔、ちょっと毛色の変わった習い事もしていたことがある、日本舞踊だ。教養のためにと母が学ばせてくれたもので本当に小さい頃しか習っていなかったが、あれはちょっと面白かった。
有名な流派の踊りを会得してたまに遠方の舞台に出たこともある。みんがそれを見て『すごい、きれい』と言ってくれたものだ。
それはさておき――場所は記憶にないが、どこかの地方に来ていて日本舞踊を披露する予定だった時、ふと休憩中に外をぶらついていたら同い年ぐらいの男の子が泣いていたことがあった。
どうやら友達にいじめられたらしく、地面にしゃがんでわんわん泣いていて。当時の自分は別に助けようとも考えていなかっただろうけど、近くにいたそいつの友達を、自分は当時習い始めたテコンドー技でいつの間にか蹴り飛ばしていた。
そして口にした言葉は――。
『お前も、ウジウジするな。笑えばいいんだよ。無理してでも笑ってるほうがいいんだよ』
今思い出しても可愛げがない……子供だから素直に自分の思いを表現したと言うべきか。泣いていたその男の子に向かって、自分自身が胸にいつも留まらせている言葉を述べていた。その言葉は習い事ばかりで気持ちが沈みそうだった自分に対して当てていた言葉でもある。
ウジウジするな、笑えばいい。
どんなに大変でも笑っていた方がいいんだ、なんとかなるもんだ。ずっと自分はそうやってきたから……笑えばいいんだ。
眠りが浅かったのか。昔の記憶か夢だったのか、を見ていたようだ。
目を開けてみると天井のシーリングライトが薄暗いオレンジ色の光を発光させていた。
見慣れない天井。かけている布団からは嗅ぎ慣れない匂いがする。
すぐ隣のベッドからは誰かの寝息が聞こえる、とても気持ちよさそうだ。
そこに寝ているのは一昨日出会ったばかりのとても心優しいスーパーの店長だ。
出会いとは不思議なものだ。見知らぬ町に来たばっかりなのに、そこで出会った店長の家にお世話になるとは。
さすがにベッドを借りるわけにはいかず、自分はガラステーブルをずらして来客用の布団を敷いてもらって眠った。スマホの時計を見てみれば、まだ朝の五時半だ。
店長は六時半に起きて七時には家を出るらしい。スーパーの準備をするために朝ごはんは食べないのだそうだ。
(ご飯は食べないとバテちゃうよなぁ)
自分は三食食べる派だ。そんな話をすると店長は「家にあるものは好きに食べて」と言ってくれた。さすがにタダ食いするわけにはいかないのでこの先をどうすべきかと寝っ転がりながら考える。
今日は不動産屋に行こう。新しい家を探さなくちゃ。その前に、そうだな……今自分にできることを店長にしてあげようかな。
そう思い立つとヒロキは物音を立てないように布団を抜け出し、台所に向かった。冷蔵庫をそっと開けてみれば中にはウィンナーやハム、卵など一般的な材料は揃っていた。
慎重に、ゆっくり、スローペースで。フライパンを使ってウインナーを焼き、卵焼きを焼き、キャベツもあったから塩もみしてちょっとした漬物を作って。流しの下を見てみれば使えそうなタッパーがあった。
それを拝借し、調理したものを詰めればお弁当の完成。そんなことをしてる自分がなんだか面白くてニヤけてしまい、バカだなぁと思ってしまう。
起床時間になり、店長が起きた。眠そうな顔で「おはようございます」と笑うその姿を見ていたら、また胸の中がキュッとした。
店長はあっという間に準備を済ませ、出勤準備万端となった。
そこでヒロキは先程のアレを、きちんと包みにしてから店長に差し出した。
「店長さん、これよかったら食べてください。材料はお借りしちゃったので申し訳ないですけど」
目を丸くし、店長の動きが固まる。そしてそろっとした動きで、それを受け取ると「お弁当?」と確かめるように聞いてきた。
「店長さん、朝ごはん食べないって言ってたけど、お昼だったら食べるかなと思って」
両手に持った布に包まれた物体を見ながら店長がボーっとしている。
迷惑だったかな、と不安に思っていると。
緊張の表情は一転し、照れたような笑みが目の前に現れた。
「えぇっ、本当に? そんな、お弁当なんて作ってもらったことないですからっ。嬉しいなぁ……」
とっさにヒロキは視線をそらした。店長の「嬉しい」という言葉がものすごく自分の感情を高ぶらせてくれて、見ていたら顔が発火してしまいそうになったからだ。
そんなに喜ばれるとは思わなかった……。
「ヒロキくん、今日は家にいますか?」
店長はお弁当をトートバッグに入れながら聞いてきた。
「不動産屋に行こうかなと思ってます」
「そっか、じゃあ、とりあえず鍵がないから。この鍵渡しておきますね。俺はどうせ夜じゃないと店も終わらないから自由に出入りに使っていいですよ」
店長にキーチェーンの付いた鍵を渡され、ドキッとした。合鍵を渡されたなんとやらみたいな人はこんな気持ちになるのかもしれない……って、変なことを考えてしまった。
「い、いいんですか」
鍵を渡すなんて。それは相手を信頼してくれてるからこそ、できることだ。
「だってヒロキくんはお弁当も作ってくれたし、部屋の掃除もしてくれたし」
「それは、だって店長さんだって僕を泊めてくれたから」
「ふふ、だからなんて言うかな、お互いにおあいこってことでいいんじゃないですか。俺はヒロキくんがこうしてくれてるのがすごく嬉しいし、ヒロキくんだったら家にいてくれても悪くない、むしろ楽しくて嬉しいです」
思わず顔を手で覆いたくなる。
店長、そんな恥ずかしいこと平然と言わないでよ……顔から火が出そうだよ……そう言ってくれるのは飛び上がりそうなくらい嬉しいけれど。
「だからそんなに不動産も焦らなくてもいいですからね。っていうのは俺の勝手な意見ですけど。ヒロキくんが早く自由に生活したいってなったら、それはそれでいいですからね」
「は、はい……」
それはそれでいい。その言葉にはちょっとだけさびしさを感じる。店長の優しさだとはわかっている。でもいつまでもいてほしいな、って言ってくれたらもっと、もっと胸の中が喜んだかも。
店長はトートバッグを肩に掛けると「行ってきます」と笑い、靴を履いて出て行った。
ヒロキは自分の胸の上に手を置き、心臓が早く動き出しているのを実感した。
なんだよこれ。掃除してお弁当を作って。いってらっしゃいって見送って。
これちょっと……いや、だいぶ恥ずかしいというか嬉しいっていうか。
手のひらの鍵を握りしめ、ヒロキはもう一度「いってらっしゃい」と小さくつぶやく。
あとでスーパーにも行ってみようかな、夕食の材料とか買っていこう。
そう思うとまた胸が高鳴った。
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