第3話 家燃えた

 自分の新しく借りた住まいは築数十年という、なかなかに古いアパートだ。でもトイレと風呂があるからいいのだ、文句なんてない。

 以前は都会の高層マンションに住んでいた。それは自分の父が買い与えてくれた場所でもあった。オートロック、家具家電床暖房付き、管理人在住、マンション周辺には高級料理店が並び、好きな料理を買いに行かずとも、今は宅配サービスで受け取ることができる。

 普通なら誰もが憧れる快適な物件、それに何不自由なく暮らしていた。


 けれどそれが嫌で。そのマンションは父に内緒で解約して家出同然に、このとある田舎町――美月町を選択し、自分で物件も選んだ。


 その結果は自分の顔がほころんでしまうくらいよかったと思えるものになった、いい町だし、出会った人もいい人ばかりだ。

 ただまだ家具を買い揃えていなかったから。いくつか買わなければいけないものがある。前の家の、父にもらった物はほぼ全て捨ててきてしまったから。


「掃除機と洗濯機は買わないとだよな」


 引っ越してきて翌日。今日はそれを先に揃えないとだ。本当はあのスーパー“太陽”の店長の元にすぐにでも行きたい気分だが、自分の用事を先に済ませなければ安定した生活というものができない。店長の元には夕方行こう、夕方あの笑顔にまた会えるのだ。そう思うと楽しみじゃないか。


 この美月町にはさすがと言ったらディスりになってしまうが家電量販店はなかった。携帯で調べたのだが隣町にはあるようだ、ということで電車に乗ってそこへ向かった。

 家電量販店といっても売っている物は都会と変わりはない。

 けれど新しい家具家電を見ているとウキウキしてしまうのは新しい生活への楽しみなのだろう。


 新しい友達……と呼んだらまだ失礼かもしれないけれど、そんな人もできたし。早く用事を済ませて会いに行こうっと。


 メーカーものの掃除機と洗濯機を選び、配達は 後日してもらうことにした。昼食を店内で済ませると時刻はまだ大して日も落ちてはいない時間だ。今から行けば夕方よりも前に店長の元にいけそうだ。


『かっこいいですね!』


 様々な家電の音でにぎやかな店内を歩きながら、ふと昨日店長に言われた言葉がよみがえり、思わずニヤけそうになる。


 そう言われたのは素直に嬉しいのだ。だって自分は身長が160センチと小さいから、かわいいはあってもカッコいいなんて言われたことない。あの店長の方が背は高くて朗らかで、明らかにかっこいいと思う。そんな相手に『かっこいい』なんてほめられてしまったのだ、心がはずむのも仕方がないだろう。

 特にあの見ている方をほんわかとあたたかくする笑顔は時間が経っても忘れられない。


「……は、早く行こ」


 用は済んだから帰ろう、と足早に駅に向かい、電車に乗った時だ。ポケットに入れていた携帯が着信を鳴らした。

 だが電車内だったので出られず、美月町の駅に着いてから折り返した。

 電話の相手は借りたアパートの大家だった。


 大家の話を聞いたヒロキの第一声は「は?」だった。

 耳を疑った、嘘だろ、と頭の中が真っ白になる……嘘、じゃないのか⁉


 電話を切ると全力疾走で自分が借りたアパートへ向かった。駅からは徒歩三十分という、開けた場所にある自分のアパート周辺は人通りなんてほとんどなかった場所なのに、そこに近づくにつれて人が多くなっていく。何を話してるのか、よくわからないが「怖いわねぇ」とか「乾燥してるからね」と言う言葉が聞こえる。

 何が怖いんだ、何が乾燥しているんだ。


 徒歩三十分の距離だから走ったら十分で着いた。

 しかしアパートに近づくことはできなかった。なぜなら警察が黄色いテープの規制線を張っていたからだ。規制線の周囲には人だかりができており、辺りには木が燃えたような臭いが充満している。


 そして規制線のずっと奥、さっきまで建物がちゃんとあった場所――今はそこには焼け焦げた骨組みのみが残っている。

 消防士が状況確認しているのか、数人が忙しそうに歩いていて警察も何人かが歩いている。穏やかではない状況だ。ヒロキも心穏やかではなかった。

 嘘だと思いたかったが目の前の光景は嘘と思うことを否定している。


 さっき大家から電話があったのだ。

 アパートが火事になってしまった、と。

 ちょうど自分が家電量販店で買い物をしている時にも電話をよこしたのだが、店内がにぎやかすぎて着信が聞こえなかったのだ。

 その頃はアパートはもう燃えている真っ最中で、今は燃え尽きたあとで。消防による放水なども、とっくに終わっている状態だ。


 どちらにしろ、電話を受けたのが早かろうが遅かろうが自分にはどうしようもなかったことだ。どちらにしてもこの燃えやすいアパートに火が点いてしまった時点で水の入った超巨大なバケツのような物でもひっくり返らない限り、火を止めることはできなかっただろう。


 家を失ってしまった。せっかく落ち着けるところを見つけたと思ったのに。

 全てなくしてしまった。

 悲しい、悲しいけど。ウジウジしていたって仕方ない。とりあえずどうしよう。これからのことをちょっと落ち着いて考えなければ……落ち着いて、ゆっくり。


 ヒロキは骨組みだけとなったアパートを一瞥してから小さく笑った。

 笑えばいい、笑えばなんとかなる。

 やるせない気持ちだけど、考えなきゃならない。自分で全部決めて生きるんだと決めて、ここに来たのだから。

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