元ボディーガードはスーパーの店長を命がけで守りたい

神美

第0話 意気消沈


 まだこの町に引っ越してきて二日目だというのになんということだろう。

 僕はこれから住んでいく予定だった質素なアパート……家を失った。

 理由は冬の乾燥する時期には多い火事、よくあることだ。木造築数十年という、とってもよく燃えますよ〜と言わんばかりの建物はあっという間に燃え尽きたという。昨日引越し業者に運び込んでもらったばかりの家具も服も全部。


 亡くなる人が出なかっただけ、よかったと思う。

 しかし引っ越してきて、前職で得たそこそこの貯金を頼りにのんびり新しい仕事を探そうと思っていた矢先の事態だ。住む場所がなくては安心して休むことも、くつろぐことも寝ることすらもできないじゃないか。


 どうしたものか、幸先が悪い。

 いや、ここ最近は前の仕事でも失敗したし、幸先どころの話じゃないんだけど。


「……はぁ、どうしよう、寒いし」


 まだ知らないことばかりの田舎町。今までいた場所とは一変した、まだ馴染まぬ田舎の空気。目前に流れる夕日色の川を川原に座って眺め、ため息をつくしかできないが――。


「……ウジウジするな、笑えばいいんだ」


 自分のモットーである言葉をボソッと口にする。何があったとしても悩んでばかりいたって仕方ない、笑えばいいことがあるかもしれない。


 周囲に誰もいないことを確認してから、ヒロキは自分の心とは裏腹に口角を無理矢理上げた。

 嫌なことがあった時はいつもそうしてきた。笑えばなんとかなる、なんとかなってきた。


 でも最近は笑ってもどうにもならないことが多かった。今回もきっと――。


「あれ、そこにいるフワフワの黒髪はヒロキくん?」


 背後からのんびりとした明るい声がした。ハッと座ったままの状態で首を動かすと。


「あ、やっぱりヒロキくーん」


 そこには昨日、知り合ったばかりの青年がいた。オレンジ色のエプロン、スッキリと短く切り揃えた黒髪、明るそうな好青年という第一印象を抱ける長身な容姿は背が小さめな自分とは正反対だ。

 彼はこの美月町の、とあるスーパーの店長だ。


「どうしたんですか、こんなところで。休憩中ですか?」


 青年は人懐っこい笑顔で近くに寄ってくると、寒そうに身体を震わせた。見ればエプロンをしているとはいえ、上着を着ていない黒の長袖シャツ一枚だ。


「さむっ! あはは、俺も急な配達が入って近場だったから上着も着ないで出ちゃったんですよ。ここは日が暮れるともっと寒くなって凍っちゃいますよ」


「そうですね、店長さんも早く戻らないと」


 当たり障りのない会話をして、店長が「それじゃあ行きますね」と言って離れるかと思って、手短に会話を終え、ヒロキは川に視線を向けた。

 水面はキラキラとしていて、水はとても透き通っていて見ているだけで寒くなる。店長の言った通り、川の端など流れが滞る場所は凍るかもしれない。それぐらいにこの田舎は寒いところのようだ。


 ……この寒さで家なしは、ありえないよな。なんとかしなきゃ。


 これからのことを考えようかと思った時、ヒロキは、ふと背後が気になった。先程から背後に立っている人の気配はいつまでたっても動かず、そしてしゃべらない。川でも見ているのか。何をしているのか……いなくならないのか?


 不可解な店長が何をしているのかが気になり、根負けした気分でもう一度振り返る。

 すると店長は不思議そうな表情で自分を見ていた。


「何かあったんですか?」


 店長のその一言に、ヒロキは言葉を返せなかった。今の心の持ちようでは「なんでもないです、ただ川の流れを見て癒されていただけなんですよー」なんて、明るくごまかせるわけがない。


 店長は心配そうに自分をジッと見つめている。自分より少し小高い位置に立っているからスラッとした身長が際立つ。足が長くてうらやましい、自分との身長差を感じる。


 この話の流れでは、店長に言わざるを得ないよな――話してみようかな。


 なんとかしてもらいたいから、じゃない。今はなんとなく誰かに話を聞いてもらいたい、そんな気分だった。それにこの店長には、なんでも話して大丈夫なような気になる。人柄のせいかな。


 ヒロキはまだ知り合ったばかりの店長にわけを話した。とりあえず火事で家がなくなってしまったということを軽い世間話をするみたいに。

 当然ながら店長は目を丸くしていた。


「今から不動産屋行って話を聞いて、新しい家を探せばいいんですけどね。なんだかすぐにはそんな気分にならなくて。とりあえず今日はどこかのホテルでも探そうかと思っていますけど」


 だがこれが何日も続いてはさすがの貯金も心許なくなってしまう。

 そんな切迫したことを考えると気が滅入ってくる。ウジウジしたらダメだ、と自分を奮い立たせていると「それなら」と店長の明るい声が上がった。


「あの、よければ、俺の家でよければちょっと休んでいきませんか。もちろん新しい家が決まるまでは泊まっていただいてもいいですよ。ヒロキくんには“昨日二回”も助けてもらったし、お礼もしたいなって思っていたんで。ねっ、よければどうですか?」


 店長の予想外の提案に、今度はヒロキが目を丸くした。なんて返事をしたらいいのか言いあぐねていると、店長は悪意も企みもなさそうな満面の笑顔を浮かべていた。


「今日はちょっと早く上がる予定だったんで。よければ一緒にご飯でも食べましょうよ。あっ、ただ……俺の家ちょっと……っていうか、だいぶ汚いんですけど。全然掃除する時間とか取ってなくて……それでもよければ、ですけど」


 その笑顔に胸の中が軽くなる。なんでだろう、不安が消えていく。

 ウジウジするな、笑えばいい。笑えばなんとかなるから……なんとか、なったかも。

 ありがとう店長。その優しさにつけ入ったみたいで申し訳ないです。


 ここから明るい店長との同居生活が始まるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る