第一話 勇者ジェスタ=インジェリーニとの思い出

 血の海の中を行く五人の人影。

 その肩にはルフォルツァ王国の、いや人間全体の命がかかっていた。

 数年前より始まった魔物の圧倒的な攻勢により、周辺の村々は焼き払われ人間世界の平和は風前の灯であった。

 魔王ベリザーリオの覚醒――人間とエルフ、そして魔獣の血を引く彼が魔王に君臨したことにより状況が一変した。それまで良くも悪くも人間と共存していた魔族が突然牙を向き、人間世界に襲いかかったのである。

 ルフォルツァ王国は征伐の軍勢を出すも、名将ルドヴィコ=デバルディの戦死により、十万以上の死者を出して壊滅した。

 魔王ベリザーリオはルドヴィコ=デバルディの皮をはぎ、それに綿を詰めて魔軍の先頭に掲げた。

「いまや人間に恐れるべきものなし。降伏は許さぬ。この様になりたくないものは、自死をもって消え失せろ」

 恐ろしい宣言であった。

 打つ手がなくなったルフォルツァ王国国王ウィットリーオ=ルフォルツァ国王は、最後の選択肢に希望を託した。

 勇者――ルフォルツァ王国が魔物の危機に陥った時、国を助けてくれるという救世主――教会の神託により選ばれた勇者が、魔王と雌雄を決しこの国を救ってくれるという伝説に――

 五人の先頭を行く男性、それこそが勇者ジェスタ=インジェリーニである。

「そろそろ、魔王の伏魔殿大広間です」

 勇者ジェスタの後ろを歩く神官の格好をした男性が地図を見ながら、そうつぶやく。さらにもう一人、仰々しい鎧をつけた体格の良い男性が声を上げる。

「ついにここまで来たんだなぁ、ジェスタ!」

 そう言いながら勇者ジェスタの背中をドンと叩く。

「いよいよ......なのですね!がんばります!」

 大きな杖を両手で抱きかかえる少女。見た目は幼いが、ルフォルツァ王国の中でも指折りの白魔法使いである。

「カロラ、もう一度作戦を」

 勇者ジェスタが隣を歩く女性に確認する。女性はそっと羊皮紙を広げると、それを勇者に示した。無言でうなずく、勇者ジェスタ。

「カロラの策はいつもながら完璧だな」

「私はみんなのような特別な力があるわけでもないので」

 首を振る勇者ジェスタ。

「エリーデの魔法力はすごい。サンドロの剣術も王国一だろう。シルヴィーノが自然神や精霊と交信できること、まさに神の領域にある。だがな――俺が一番頼りにしているのはカロラ、お前だ。お前が一番俺の気持ちを理解して、論理的に導いてくれる」

 他の者には聞こえないような小さな声で勇者ジェスタは、そうカロラに告げた。

「デケェ鉄門があるぜ!」

 それを打ち消すようなサンドロの大声。

 エリーデは詠唱すると、杖を鉄門に向ける。

 弾けだす、光の渦。

 それが戦いの始まりを告げる合図であった――



 王都は湧いていた。熱狂。そして歓声。

 数日前までは、絶望と悲観が支配していたこの街に勇者が凱旋したのだ。

 ルフォルツァ王国をそして、人間世界を破滅の際に追い込んだ魔王ベリザーリオが勇者ジェスタら冒険者の力によって倒されたのだ。王都を十重二十重に包囲していた魔物の群れはもういない。

 人々の歓迎を全身に受ける五名の冒険者達が、王城に続く大通りを馬に乗りゆっくりと行進していく。

『たった、五人で魔王をたおしたんだとよ』

 群衆の一人がそうつぶやく。

『サンドロ様はデバルディ将軍様の甥っ子とか。見た目もそうだが、とてつもない剣術の持ち主らしいな』

 腕を組みながら腰に刀を下げた男性がそう評した。

『いやいや、エリーデ様の白魔法術も尋常じゃないぜ。あんなかわいい見た目だが、魔法力は王都一と呼ばれている。その気になれば城の一つや二つふっとばせる魔法をつかえるらしい』

 若い男性がじっとエリーデを遠目に見ながら、そう憧れを込めてまくしたてた。

『わたしはねぇ......シルヴィーノ神官さまねぇ......信仰に厚く、神や精霊に愛されて方だからこそ魔王を倒せたのでしょうねぇ......』

 そう言いながら祈りの言葉を老婆は唱えた。

「すごい歓迎だな」

 サンドロが手綱を操りながら、そうシルヴィーノに話しかける。シルヴィーノはそっと指で宙を切る。

「精霊たちも喜んでいるようです。如何に魔王の侵攻が異常であったか。わが王国もかなりの損害を負いましたが、魔族もしばらくは立ち直れないことでしょう」

 先頭を行く勇者ジェスタ。その側には無言で付き従うカロラの姿があった。


「よくぞ魔王ベリザーリオを倒してくれた!!」

 王城の大広間。その一段高い玉座から大きな声を上げるのは国王ウィットリーオ=ルフォルツァである。眼下にひざまずく勇者ジェスタらに、ねぎらいの声をかける。

 数人の廷臣が勇者ジェスタの前に並べ始める。それは金銀財宝、王家に伝わる伝説の武具そして宝具である。国王はそれらを勇者ジェスタに与えようとするが、勇者ジェスタはそれを固辞した。

 夜、宴会が開かれる。

 大広間には文武の百官が連なり、すべての酒樽が開かれいつ終わるともしれない宴が幕を開けた。

 そんな中、人目を避けるようにテラスに佇む二人の男女。

 勇者ジェスタ=インジェリーニと、魔法騎士であるカロラ=アガッツィの二人であった。眼下に広がる王都を眺める二人。夜ではあるが煌々とした街の光が、戦いの終わったことを示していた。

「ここまできた」

 ジェスタの言葉にカロラは無言でうなずく。

「長い戦いだった。本当にカロラには世話になった」

「いえ、ジェスタ。私は何もしていません」

 初めてジェスタ出会ったときのことを思い出すカロラ。粗末な鎧をまとい、神官であるシルヴィーノを伴って騎士団に現れた二人。シルヴィーノはトリノ神のお告げにより、ジェスタが勇者に選ばれたことを上司の騎士団長に恭しく言上する。

 神告書を手に訝しげな顔をする騎士団長。書式形式は間違いなかったが、これまでも勇者を称する手合にはこと欠かなかった。

 騎士団長に呼び出されるカロラ。

『数ヶ月で良い。連中に同伴して義理を果たせ』

 はっ、と敬礼をカロラは返す。

 正直、カロラの騎士団内での地位は微妙なものがあった。

 魔法騎士という特徴と持ちつつも、魔法も剣の技力も平均よりややましかという程度のカロラ。他にも貴族の子女で有望な魔法騎士は数多く存在する中で、一番いなくなっても『影響のない』人選をしたことは間違いなかった。

 カロラはそれを甘んじて受け入れる。

「カロラ=アガッツィ二級魔法騎士です。これより勇者殿の指揮下に入ります」

 カロラは敬礼しながらそうジェスタとシルヴィーノに敬礼する。シルヴィーノはニコニコしながら礼を返す。一方勇者は――そっとカロラに手を差し伸べた。

「勇者ジェスタ=インジェリーニという。よくこのパーティーに参加してくれた。頼りにする」

 短いが心のこもった挨拶。カロラは少し恥ずかしがりながらも、ジェスタの手を握った。

 その後、まだ白魔法術が覚醒していないエリーデや不正規の傭兵隊長をしていたサンドロをパーティーに加え、彼らは目標に向かって歩むこととなる。

『魔王討伐』というとんでもない目標に。

 勇者は決して一人だけではない。中には、商業的にその神からの勇者認定を用いるものもいる。大体は冒険者ギルドなどと提携して、組織的に複数のパーティーを形成し王都周辺の小規模な魔物の群れを退治することが多かった。

 しかし、状況が大きく変化する。魔王ベリザーリオの即位である。彼は分裂しがちであった魔物の集団を統一し、それまでにない過酷な攻勢を人間世界にかけてきたのだった。

「もう、猶予はない。我々だけで魔王を討伐しなければ」

 ジェスタのその言葉に異を唱えるものはいない。

 五人のパーティーが結成されてからの戦績が、その言葉に現実味を与えていた。

 たった五人でいくつもの魔軍の根拠地を葬り去り、さらには四天王の一人である『黒水龍のヴラド』をも倒してしまった。

 勇者ジェスタのバランスの取れた能力とリーダーシップ。

 戦士サンドロの岩をも砕く、攻撃力。

 神官シルヴィーノの精霊を味方につける防御力。

 白魔法術者エリーデの万能の魔法力。

 それらすべてがこのパーティーを最強にしていた。

『わたしは、いるだけだから』

 次なる四天王を倒す旅に出たある夜。森の中の野営地で焚き火を起こしながら、そうカロラはつぶやく。

『そんなことないよ~』

 両手で杖を抱きかかえながらエリーデは無邪気な声でそう答える。

『カロラおねえさまも魔法使えるじゃない』

『わたし、エリーデほどの魔法なんか使えないし。戦闘だってサンドロやジェスタほど』

『いやいや、カロラが後方で目を光らせているからこそ、俺も何も考えずに目の前の敵と戦えるんだ』

 サンドロが手に焼けた肉の串を持ちながら、そう合いの手を入れる。

『まあ、サンドロはいつも何も考えてないでしょうが。カロラ、あなたの存在はこのパーティーにとって必要不可欠です。あなたというかすがいがあってこそ、パーティーは機能する』

 シルヴィーノは眼鏡をかけ直しながら、そう分析した。

 無言でジェスタは目を閉じながら木のコップでワインを胃に流し込む。

 カロラはただ、無言で皆を見つめるだけだった。


「カロラがいたから、魔王を倒せたんだ」

 テラスの手すりに身を預けながらジェスタはそうつぶやく。民衆の喜ぶ声が聞こえる。夜も更けてきたというのに、人々はまだ寝ようとはしない。

「まだお前が必要だ」

 ジェスタはそう振り向き、カロラに告げる。

「もう魔王はいません」

 カロラの言葉に首を振るジェスタ。

「いずれ新たな魔王が登場するだろう。そう遅くはないはずだ。今回の敗北を踏まえ、より強力で緻密な作戦を持ってこの国――ルフォルツァ王国をそして人間世界を滅亡させる――今のウィットリーオ国王ではだめだ。到底器ではない。またこの国の軍事制度もはっきり言って話にならない。このままでは」

 カロラは耳を疑う。この国の救世主が、自分の主君である国王を批判しているのだ。言葉に詰まる、カロラにジェスタはすっと手を差し伸べる。

「誰にも言わない。お前だけだ。お前しか理解できない話しだ。サンドロもエリーデもシルヴィーノも最強の同志ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない。お前にだけ命じる――『国王を倒し、私に権力を与えてくれ』」

 すっとカロラはひざまずく。自分にしかできないこと――それが勇者ジェスタのためになることと信じて。

 

 数日後、王城にクーデタが起こる。近衛の兵士の反乱。国王ウィットリーオは惨殺され、一時王城を制圧する。そこになだれ込んだのがサンドロを先頭とした騎士の一団であった。城の二つの門の前には、エリーデとシルヴィーノがそれぞれ魔法術師の集団を率いて守りを固める。逃げ場を失った反乱部隊は、あっという間に鎮圧されることとなる。

 血に濡れた大広間に二人の人影の足音が響き渡る。

 剣を帯びたジェスタと、血に塗れた鎧をつけるカロラの二人である。

「反乱兵士はすべて処分しました」

 うむ、とジェスタはうなずく。

「親衛隊もふがいない。こちらの単純な策にはまってくれるとは」

 ジェスタの策。それは、国王が親衛隊を解散させるという噂である。それどころか、今回魔王に対して何もなし得なかった親衛隊の責任者を罰するという理由までつけて。

 焦った親衛隊のクーデタ。国王を人質に城に立てこもる彼らを鎮圧するのは、『勇者』としての大義名分が立つこととなる。

「国王陛下は殺さいないとおっしゃいました」

 カロラは震える声でそう述べる。

「手違いだ。やむをえまい」

 冷たいジェスタの答え。策はジェスタが考え、それを実行に移したのがカロラであった。

「しかし――」

「平和な世を作るためだ、カロラ」

 カロラの言葉を遮って、ジェスタは続ける。

「我々の戦いはこれからだ。魔王を倒すのは出発点に過ぎない。強力な人間の王国を作り、魔物とは距離をおいて世界を分かち合う。それは私にしかできぬ――」

 カロラは少しの沈黙の後に、再びひざまずく。

「命令を、新国王陛下――」

 大々的な国王の国葬が行われる。勇者ジェスタの救出も悲しく、深い手傷を負った国王は勇者を後継者として今際の際に言い残した、という話が囁かれた。これもまたカロラのしわざであった。間者を使い、国内にそのような情報を流したのだった。

 国葬の後、ジェスタを国王に即位させる儀式が執り行われる。

 王冠を与える神官にはシルヴィーノがその役を務めた。

「神の神託と、その加護によりジェスタ=インジェリーニを新国王に叙するものとする」

 おー、という歓声の後、王城の広場に押しかけた民衆が口々に叫ぶ。

「新国王バンザイ!インジェリーニ王朝に繁栄あれ」

 やや大きめの最高の位の魔法術士の制服をまといながら、エリーデは感動の涙を流す。

 サンドロは『大将軍』として、国王の前に控え武官を従える。

 カロラはそれらを親衛隊長として、幕の後ろよりじっと見つめていた。

 これでよい。みなが幸せになるのだ。ジェスタ――いや国王陛下の言うとおりにすればきっと間違いない世界が気づかれるはずだ――

 これより一〇年後、カロラはおなじこの場で『護国卿』として王国一番の地位を手に入れることとなる。

 その時、かつてパーティーを組んだ仲間は、一人も――祝ってくれることは―― 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る