31.来客

 昨日の夜会は何だか疲れてしまった。

 夜会はいつも疲れるけれど……昨日のは、特別。


 自室のソファーに座ってお茶を飲んだわたしは、小さく溜息をついた。


 ヘレンと義両親のおかげであの後に絡まれる事はなかったけれど、まさかロータルに会ってしまうとは思わなかった。

 確かにガイスラー家から嫁いだ方がいると聞いた事はあったけれど、エスコートの為に来る程の深い付き合いをしている縁戚だったとは知らなかった。

 わたしには中々会いに来る事もしなかったのに。なんて思って、少し笑った。


 紅茶を飲み終えて、カップをソーサーに戻す。

 袖を少し捲って手首を見ても、もうそこに痕はない。お義母様が治癒魔法で治して下さったおかげだ。


 義両親は何も聞いてこなかったけれど、わたしに絡んでいた彼が元婚約者だと知っているだろう。疚しい事もないから説明しても良かったのだけど、何だかその元気もなかった。


 昨夜、夜会から戻った後。義両親はこの屋敷に泊まってくれたけれど、今朝はもう早くに領地に戻っている。「今日はゆっくり休んでいたらいいわ」なんてお義母様に優しく微笑まれたわたしは、それに甘えてだらだらと怠惰に過ごしていた。


 クッションを抱き、ソファーに横になる。

 小さな欠伸が漏れて、このままだと眠ってしまいそう。時計を見るとお昼までもう少しといったところ。ランチのデザートは苺のミルフィーユですよ、なんてミラが教えてくれたから食べ損ねるわけにはいかない。


 ルーファスは今日の夜に帰ってくる予定だ。

 帰ってきて、すぐにわたしと話をするだろうか。


 どんな話か分からないけれど、もし……契約結婚の終わりを告げられたら、わたしはそれを受け入れよう。

 ルーファスには幸せになってほしいもの。わたしはこの恋心をずっと抱えて生きていくのかもしれない。それはきっと苦しいけれど、悲しいだけじゃないはずだ。


 叶うなら、この想いを最後に告げてもいいだろうか。

 でもそれは彼の心にしこりを残してしまうだろうか。

 どうしたらいいのか、まだ決められないでいる。


 何度目かも分からない溜息をついていたら、不意にノックの音が響いた。起き上がって返事をすると入ってきたのはユリウスで、いつも温和な笑みを浮かべている彼が困ったように眉を下げている。


「奥様、来客がありまして……」

「来客? 誰かしら」

「デンドラム子爵夫人と、アイリス様です」

「……アイリス様は出入り禁止だったわよね? だから子爵夫人と一緒に来たのかしら。子爵夫人は出入りを禁止されていないし、夫人にとってここは実家になるわけだし……」


 抱えていたクッションをソファーに戻し、どうしたものかと考えを巡らせる。


 アイリス様が一緒なのは、きっとルーファスに関係する事で間違いないだろう。

 連れてきているのだから、子爵夫人はアイリス様の味方で……面倒な事になる予感しかない。

 断っても問題はない。でも、きっと彼女達は諦めない。もしかしたら義両親にも迷惑を掛けてしまうかもしれない。

 話を聞いて、お引き取り願うしかないか。


「応接室にお通しして」

「宜しいのですか?」

「アイリス様だけならお断りしていたのだけど。子爵夫人も一緒だもの、仕方がないわ」

「かしこまりました。私が同席しても構いませんか?」

「もちろん。居てくれたら心強いわ」


 そう言って立ち上がったわたしは、デイドレスのスカートを軽く直した。ユリウスはイヤーカフに手を当てて、指示を出している。

 わたしは頑張ろうと、気合を込めて深呼吸をひとつ。

 大丈夫。どんな話になるか分かっているのだから、ダメージは少ない。だから大丈夫。


 ルーファスが言ってくれるように、自分に大丈夫と言葉を掛ける。

 彼の言葉はわたしの心にちゃんと残っている。



 応接室に入ると、向けられる視線からは敵意がひしひしと伝わってきて苦笑いが漏れてしまう程だった。

 ソファーに座っているのは、子爵夫人ただ一人。アイリス様は?

 不思議に思ってユリウスを振り返ると、囁くように「お花を……」と教えてくれた。お手洗いに行っているなら、すぐに戻ってくるだろう。


「わたくしを待たせるだなんて、随分偉そうじゃない」


 アイリス様と同じピンク色の髪を結い上げて、敵意を宿す赤い瞳のご夫人が溜息交じりに言葉を紡ぐ。ソファーに深く座った夫人と、アイリス様はよく似ていた。


 しかし、偉そうと言われるとは思わなかった。

 実際、今のわたしはベルネージュ侯爵夫人だから、貴族位だけでいったら上なんだけれど。でもそれを口にしてもいい事はなさそうだから、それについては触れない事にした。

 

「お約束をしていなかったものですから。お初にお目にかかります。サフィア・ベルネージュと申します」

「わたくしはシビル・デンドラム子爵夫人よ。あなたがベルネージュを名乗るだなんて、嘆かわしいものだわ」


 デンドラム夫人と向かい合うようにソファーに座る。

 ユリウスは手際よくわたしの前に紅茶を用意した後、わたしの座るソファーの後ろに控えてくれた。


「今日はどういったご用件でしょう」

「うちのアイリスちゃんの為に、あなたにはルーファスと別れて貰おうと思って」

「それはわたくしの一存だけでは決められませんもの。主人が在宅の時に、デンドラム夫人だけでいらっしゃって頂ければ」

「ふん、すっかり侯爵夫人気取りね!」

「気取りも何も、わたくしはれっきとした侯爵夫人ですし……」


 頬に手をあて、溜息をついて見せる。デンドラム夫人の額に青筋が浮かぶのが分かった。

 怒りを隠さないなんて、随分と直情的だ。


「主人はアイリス様との間には何もないと言っていましたし、もしわたくしが主人と別れるような事があったとしても、アイリス様が主人と結婚するのは難しいのではないでしょうか」

「ルーファスは照れているのよ! アイリスちゃんが結婚すると言っているのだから、それを拒むわけがないわ」

「でも実際に拒んでいるわけですし」

「うるさいわね! 傷物のくせに!」


 わたしに対する悪口はそれしかないのだろうか。

 アイリス様にも以前に言われたな、と大して気にもしていなかったのだけど。


 わたしの背後に立つユリウスから、怒気が溢れている事に気付いて肩越しに振り返ってしまった。


「デンドラム夫人、今の発言を旦那様はお許しにならないでしょう」

「本当の事を言って何が悪いのかしら」


 ああ、これはデンドラム夫人も出入り禁止だな。

 そんな事を思っていたら──悲鳴が聞こえた。争うような声もする。


「今のは、ミラの声じゃない?」

「見て参りますので、奥様はここで──」

「わたしも行くわ。デンドラム夫人、申し訳ございませんが席を外します」

「ふん、無作法ね」


 何とでも言ってくれて構わない。ミラが大声を出すなんて、余程の事があったのだろう。

 ユリウスが手配をしたのか、メイドが一人と衛兵が一人、応接室に入ってくる。夫人を一人にするわけにいかないと判断しての事だろう。……色んな意味で。


 まだ争う声は聞こえてくる。

 これは……わたしの部屋の方から?


 ユリウスと一緒に廊下を走る。お行儀が良いとは言えないけれど、非常事態だ。


 辿り着いたわたしの部屋の前では、ミラが扉を叩いていた。

 騒ぎを聞いて使用人達も集まってきている。


「ミラ、何があったの?」

「申し訳ありません、奥様。アイリス様がお部屋に……」

「アイリス様が?」


 アイリス様がわたしの部屋に閉じこもっている?

 一体何の為に?


 ユリウスとわたしは顔を見合わせて、首を傾げてしまった。

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