クリスマスに謎のお姉さんに絡まれた

カナラ

クリスマスが嫌いだ

 僕はクリスマスが嫌いだ。

 サンタとかいう企業努力の賜物も、眩暈がするようなイルミネーションも、妥協を重ねて手を繋いだ恋人も、その全てがどうにも嘘くさい。

 みんな大きなものに酔っていて、現実が見えていない。

 それに、僕が貰ったことのあるクリスマスプレゼントは嘲笑と暴力だけだ。

 そんな僕がクリスマスを好きになれるわけがなくて。

 やっぱり最初の言葉を訂正する。


 僕はクリスマスが大嫌いだ。


────


 12月25日。僕はサンタの服を着ながらクリスマスケーキを売っていた。

 店頭のイルミネーション。楽しそうな親子。華やかに飾り付けられた店内。自分の服。

 どこに視線を逸らしても、楽しげで嘘くさいクリスマの香りがして、酷く頭痛がする。


「くそっ……やっぱ断っておけばよかった」


 誰にも聞かれないように小声で呟きながら、現実から逃避するようにしばし過去を思い出す。


 発端は家出だった。男漁りの母親に、暴力を振るう父親。耐え切れなくなった僕は逃げた。しかし、すぐ警察に捕捉されて家に戻された。殴られた、怒鳴られた。迷惑をかけるなと何度もキッチンに頭を叩きつけられて、それならバイトして生きていくから許可証を書いてくれと頼んだ。『バイト許可するくらいはやってやるよ。つーかお前は独り立ちするのが遅いんだよ! くそ、まあいいや、後は勝手に1人で死んでくれ』それが母との最後の会話だ。以来、僕はいろんなバイトを掛け持ちしつつ安アパートを借りて一人暮らししている。そして、その安アパートの大家さんに知り合いの店がクリスマスにどうしても人手が足りないからヘルプに行ってやって欲しいと頼みこまれ、今日が来たという感じ。


 遡るべき過去がなくなり、時計を見る。7時半。まだバイトが終わる10時まで時間がある。


 もう帰ろうか。いやダメだろ。大家さんの顔に泥を塗ることになる。バイトでも労働者には変わりない。迷惑をかけてはいけない。

 だけど、もう一度よく考えてみる。

 ピークはもうとっくに過ぎた。

 それに予想されていたより今日はずっと客が少ない。

 ……うん。これからはポツポツくる客を捌くだけだろうし、僕が帰っても店はちゃんと回るだろう。

 僕がいてもいなくても変わらない。なんならバイト代を払わなくて済む分いない方がいいかもしれない。

 自分に言い訳をして、僕はキッチンで休んでいる店長のところに行く。


「……すいません。体調悪いんで帰ってもいいですか」

「ん、大丈夫か? って本当に体調悪そうだな! 無理はしなくていいからな。今日は助かった。帰れ帰れ」

「ありがとうございます」


 優しい店長に甘えて、僕は着替えだけ済まして店を出た。

 ふらふらと人混みから逃げるように歩く。家の方向はこっちのはず。

 ざわめきも、人工的な光も、全てが不快だ。頭が痛い。

 何故みんなこうも嘘に酔って笑っていられるのだろう。気持ち悪い。いや、僕が不幸に酔っているだけなのか? 幸せを遠ざけているのは僕なのか? 僕は幸せにはなれないのか?

 ああもう、思考がぐちゃぐちゃだ。

 雪まで降ってきた。体温が奪われる。

 逃げ込むように裏路地に入った。アングラな雰囲気がする。割れたガラス片が落ちている。

 もういっそここで……。

 

「そこの角から見てたけど、辛気臭い顔してるねぇ、少年。何かあったのかい?」

「……誰ですか」


 僕に話しかけるような知り合いはいない。

 警戒しつつ、後ろを振り返る。そこにいたのは背の高い女の人。笑っている。

 艶やかな黒髪を後ろで一纏めにし、ラフなシャツに寒さ対策の厚手のジャンバー。デニムのジーンズはスラっと長い脚によく似合っていた。

 綺麗な人だと思った。でも、右手に持ったタバコを見て印象を改める。

 僕はタバコが嫌いだ。嫌いな人物が好んで吸っていたから。


「私は……そうだね、じゃあ謎のお姉さんで」

「はぁ……?」


 なんだこの人。酔っ払っているのか?

 急に話しかけてくるし、こんなところにいるし。

 すぐ立ち去ろうと思った。変な人とは関わらないが吉。


「じゃあ、僕は用事があるんで」

「まあ待ちなさい。何か悩みでもあるんでしょ。お姉さんが聞いてあげようじゃないか」

「……いいです。それでは」

「何々、失恋とか? お姉さん気になるなー」

「失恋じゃないです」

「ほほぉークリスマスにそんな顔してるから失恋かと思ったけどそうじゃないのか。ますます気になるね。話したら楽になるよ?」

「っ……」


 僕は足を止めてしまった。

 "話したら楽になるよ"そのフレーズが頭の中を何度も駆け巡る。


「……どうして赤の他人の僕にそんな話しかけてくるんですか? 酔っ払ってるんですか?」

「お酒は好きだけど今日は飲んでないかにゃー」

「じゃあどうして」

「単純に気になるから? 深い意味はないよ」


 「不快ならすぐ止めるしさ。あ、駄洒落じゃないからね」と、付け加え、1人でツボっている謎のお姉さん(自称)

 何だこの人……やっぱり酔っ払ってるんじゃないのか。それか本物の変な人。

 でも、逆に、変な人だからこそ話せることもあるかもしれない。

 話したら楽になるというのなら、やってやる。

 溜まっていることなんて無限にあるんだ。


「……話、聞いてくれるんですよね」

「おっ、ホントに話してくれるの? 聞く聞く〜」


◇◇◇◇


「はーそれはそれは大変な過去をお持ちのようで」


 話を聞き終わると、お姉さんは2本目のタバコを口から離して、そう言った。ほうっと息を吐くと、丸い煙が誰も居ない空に登っていく。


「なんですかその態度、馬鹿にしてます?」

「ちょっとだけ。可哀想って慰めて欲しかった?」

「っ──!!」

「あはは、ごめんごめん! でも、辛気臭いのは好きじゃないからさ。そういう話されても同情とか共感とかできないんだお姉さん。聞いてやるとか言った手前申し訳ないんだけど、許して?」

「……やっぱり変な人ですね。友達とかいないでしょ」

「おっ、よく分かったね」


 あははと笑うお姉さん。その笑顔だけ見ていれば素直に綺麗だと思えるのに、本物の笑顔をする人だって尊敬できるのに、実情はクズいのがなんとも。

 でも、どこかわざと戯けているようにも見える。暗い顔した僕と雰囲気を明るくするためにわざと道化として振る舞っているような……。

 流石に考えすぎだな。


「全く。僕じゃなきゃ怒られてますよ」

「本当だね! 慣れないことはするもんじゃなかったぜ」

「──でも、ありがとうございました。話したら、結構楽になりました」

「そっかそっか、それなら良かった。興味ないみたいな態度したけど、話聞くの自体は楽しかったしね。笑顔があったら100点満点だった」

「笑顔がなかったから?」

「うーん、80点減点で20点?」

「ひっく!」

「あはは、嘘だよ」


 お姉さんが笑う度に雰囲気が柔らかくなって、釣られて表情筋も柔らかくなって、ずっと張り詰めていたはずなのに僕は少しだけ笑ってしまった。

 ふ、不覚だ……。こんな変な人に笑わされるなんて。


「笑ったら可愛いじゃん」


 ドクンと、胸が跳ねた。

 雨上がりのように晴れやかで、雪解けように華やかな、初めての感情。


「変なこと言うのは、やめてください!」

「あはは、ごめんごめん……と、そうだこれをあげよう。これまで恵まれてこなかった少年に、お詫びも兼ねてクリスマスプレゼント!」

「な、なんです……ってタバコの箱じゃないですか! さっき話したのもう忘れたんですか!?」

「覚えてる覚えてる。こんなに素晴らしいものを嫌いだなんて、これはもう好きになってもらうしかないと思って」

「絶対受け取りません」

「まあまあ、取り敢えずお試しにどうぞっ、と」


 そう言うと、お姉さんはさっきまで吸っていたタバコの吸い口を僕の口元に突っ込んできた。

 ちゃんと吸い口の方で良かった。というかこれ間接キスじゃ……いや意識しすぎだな、うん。

 そんなことを考え込んでいると、息を吸い込んでしまった。

 煙が肺に入ってきて、盛大に咽せる。くっそ不味い。苦い!


「あはは! 最初はそうなるよね!」

「ゴホッ! ゴホッ! ハァ、ゴホッ! な、何するんですか!」


 本当に、なんなんだこの人!

 嫌がらせしたいのか!?

 というか、未成年喫煙! 犯罪!

 あとやっぱ苦い!


「うんうん、私も最初はそうだった。懐かしいなぁ」

「ゴホッ! ゴホッ、とりあえず、いりませんから。返します!」

「まあまあ取っときなって、あとで捨ててもいいからさ」

「要らないです! タバコは嫌いなんです!」

「分かる分かる。私も嫌いな人がタバコ吸っててさ、最初は嫌いだったし」

「はあっ? じゃあなんで今吸ってるんですか」

「そりゃもう、好きな人が吸ってたからだよ。嫌いを上書きするなんてそれ以外にないだろー?」

「……その理論なら僕はタバコが嫌いなままで当然なんじゃ? 好きな人なんていないし」

「うっわ本当だ。頭いいね、少年」


 やっちゃったーと頭をポリポリかくお姉さん。

 人間らしすぎる仕草に、少し頬が緩む。ダメだ、気を引き締めないと。


「その人とは今どういう関係なんですか?」

「死んだ。まあ元々体弱いのにタバコ吸って酒飲んでるような人だったからねー。そりゃ早死にする」

「……ごめんなさい」

「そんな顔しなさんな。あの人は笑ってたしあれでいいんだよ。むしろ笑ってあげた方があの人は喜ぶよ」

「そんなもの……ですか」

「そんなものだよ。はぁ、少年は優しいね」


 お姉さんはそう言うと、「ウリウリ」と頬をツンツンしてくる。


「やっ、やめてください! 子供じゃないんです」

「えー? アタシから見たら子供だし」

「……まあ。というか、怒ったりしないんですね。明らかに地雷踏み抜いたと思ったんですけど」

「どーして怒るのさ。笑ってた方が幸せなのに。ん、ひんへいはほひんへいほーへ」

「タバコ咥えながら喋られても聞き取れません」

「んん、ごめんごめん。もう火ぃ消えそうだったから最後にと思って……いやしかし、いざとなると悲しいね」


 そうして、消えかけのタバコを全身を使ってもう一度大きく吸って、


「はぐれもの同士もうちょっと話そうぜ、少年。今度はアタシの話を聞いてよ」


◇◇◇◇


 結論からして、お姉さんの話を聞くのは楽しかった。

 それは楽しい実体験で、大いなる冒険で、悲しいことがあっても笑い飛ばす力があって。強い人だと思った。

 特に虐めてきたクラスメイトを逆に叩きのめしてやった話なんかは爽快で笑ってしまった。

 それに、境遇も似ていた。家庭が嫌になって、お姉さんは12歳から1人で生きてきたらしい。15歳までずっと縮こまっていた僕とは違う。素直に尊敬した。

 心地良い。名前も知らないこの人の隣は、とても居心地がいい。

 初めての感覚がむず痒い。これが幸せなんだろうか。この気持ちを幸せと呼んで良いのだろうか。

 経験がなくてわからない。過去を歯噛みする。


「そういえば、どうしてお姉さんはこんなところに?」

「ん? ああ言ってなかったっけ」

「聞いてません」

「いや、彼氏に振られた帰り。酷いよね、アイツ。タバコか俺か選べなんてさ」

「えっ、彼氏いたんですか……というか、フラれたってことはそこでタバコ選んだんですか!?」

「いんや? 選べないって言った。んだら帰れって怒鳴られて、殴られて。この傷、そん時につけられた」


 そう言ってお姉さんはスッと鎖骨を晒した。そこにはいつか見慣れてしまった青痣が生々しくできていて、とても見ていられない。

 頭が沸騰しそうになった。

 怒鳴る、殴るなんてクズのやることだ。体につく傷もそうだが、心に消えない傷が積み重なっていくことを僕は知っている。

 それを女の人にやるなんて。しかもこんな綺麗な人に、本当に。


「あはは、怒ってるの? 正義感強いね、少年」

「……当たり前です。怒鳴る殴るなんて、クズのやることです」

「あはは、でも悪い奴じゃないんだよ」

「悪い奴でしょう。別れて正解です!」

「まあねぇ……でもやっぱり、嫌いになれないんだこれが。そろそろ過去に縋ってないで前向かなきゃ。タバコやめないとねぇ」


 そう言って物寂しげに雪降らす雲を見上げるお姉さんに、何か僕も寂寥めいたものを覚えた。

 これは共感だろうか。居心地がいい空間を惜しんだだけだろうか。何か違う気もする。いやでも……。


「んよっし。これ以上話しても辛気臭くなっちゃうし、帰るわ。ありがとね少年」


 そんなことを考えていると、お姉さんはパッパッと手で払い、お尻についた汚れを落として立ち上がった。

 どこに行こうというのか。

 まだ、待って。もうちょっと、


「あの! タバコ止めるとか、嫌いになれないとか、その……もしかしてまだ復縁する気なんですか?」

「んーそうだよ? だって好きだし」

「好きって……でも、クズですよ」

「クズなのは全く否定できないのが悲しいところなんだけどね。惚れた弱みってやつでさ」


 「それに、お世辞にも私も良い人なんかじゃないしね。クズはクズ同士仲良くやりたいんだよ」と自嘲的に付け加えるお姉さん。


「お姉さんは……まあ、クズかもしれないけど、でも、あの……違うっていうか……」

「あはは、まあ言いたいことはちょっと分かるけどね。でも私は人に同情とか出来ないしさ。サケカスヤニカスだし。血なのかねぇ」


 そんなことないと否定したかったけど、その口を開けさせないようにとお姉さんはさらに言葉を重ねてくる。


「まあ、だからさっきまでタバコ止める理由探してブラブラしてたの。そしたら少年がいて、話を聞いて、話をして、体よく最後のタバコを押し付けただけ」

「そう……だったんですか」

「そうそう」


 その言葉には少しの嘘が含まれている気がした。

 何故かは分からないけど。分かった気になっているだけなのかもしれないけど。


「ま、こんな大人になるなよ。少年は優しいし正義感も強いから大丈夫だと思うけどさ」

「本当に大丈夫、ですかね?」

「うん、大丈夫」


 自嘲したような言葉なのに、それはそれは綺麗な笑顔を見せる。美しい本物の笑顔だ。終わりの笑顔だ。

 話したいことは全部話し終えた。これ以上言葉を交わす必要はない。そう感じ取る。

 でも、違うんだ。僕は、待って、だから……本当は、


「もうちょっと……ここにいてください。居てくれるだけで、いいから」


 袖を掴む。涙を抑えて言った。抑えきれてなかったかもしれない。

 お姉さんは一瞬驚いたような顔をした。ため息をつかれるかもしれないと怯えた。幻滅されたらどうしようと恐れた。

 けどすぐに優しい顔に変わって、ニッと笑って、


「本当はここでカッコよく去りたかったんだけど、仕方ない。肩くらい貸したげる」


◇◇◇◇


 20分くらいだろうか、話もせず、ただ泣いている僕を見捨てずにお姉さんは隣にいてくれた。肩を貸してくれた。

 辛気臭いのは嫌いだと言っていたのに、僕のことを考えてずっと付き合ってくれた。


 ──ああ、本当に、名前も知らないこの人の隣はとても居心地が良い。

 本当はずっとこうしていたい。でも、そろそろ甘えるのはやめないといけない。

 15年分の涙を袖で拭った。


「ありがとうございました……もう、大丈夫です」

「そっか。じゃあアタシは今度こそ去ろうかね」


 お姉さんは一歩後ろに下がる。当然、触れ合っていた体が離れる。

 その間を埋めたくて伸ばしそうになる右手を左手で押さえた。僕は笑った。

 それを見て安心したように笑うと、お姉さんは踵を返す。きっともう、振り返らないんだろう。


「強く生きろよ、少年」


 そうして、お姉さんはサムズアップをしながら明るい街の中に行ってしまう。

 その背中には白い翼と黒い翼が生えているみたいで。カッコよくて、可愛くて、寂しそうで、でもやっぱり希望にも満ちていて、どこにも行けそうな力強さがあって、ずっとずっと目で追っていたかったけど、人混みに紛れて消えてしまった。


 クリスマスは嫌いだ。大嫌いだ。

 やっぱり訂正する。前よりはちょっと、好きになれたかもしれない。上書きできたかもしれない。


 頬に雪が伝う。

 僕はポケットを漁り、タバコを1本取りだして火をつけた。大きく煙を吸い込んだ。

 やっぱり苦かった。

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クリスマスに謎のお姉さんに絡まれた カナラ @nakatakanahei

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