第9話 同居開始
「忘れ物ない? それと佐矢香ちゃんのご迷惑にならないようにね」
「その辺は問題ないって」
帰宅した後、俺は大きなバッグを片手に玄関にいた。
これから瀬名さんのアパートにお世話になる。
なので、母親からこうして出迎え見送りされる事はしばらくないだろう。
そう考えるとなんか寂しくなってくるな。
「こんな時に父さんが仕事なのは残念だな」
「でもある意味ラッキーじゃない? お父さん、『勇人とサーヤが2人暮らし……認めるか……』って人殺しそうな顔でブツブツ言ってたんだし」
「…………」
なるほど、それはいなくて安心した。
父さんとはしばらく顔合わせない方がいいかもしれない。
「……ってか母さん、亮に瀬名さんの件話しただろ? さっきその事を聞かれたんだが?」
「ああ、亮君ね! もちろん佐矢香ちゃんの名前は出していないわよ。これは私達の秘密でもあるんだから」
「それは理解している。母さんが言わなくても、俺が遠縁と暮らしている事がいずれバレるのも理解している。ただ絶対、亮に瀬名さんの名前は出さないでくれよ? アイツも瀬名さんのファンだから、バレたら父さんみたいになるかもしれないし」
「あら、亮君も佐矢香ちゃんの!? やだー、佐矢香ちゃんって本当に人気者ねー」
「話そらすな!!」
「はいはい分かってる分かってる。もちろん、佐矢香ちゃんのご迷惑になるから口には出さないわよ。亮君も嫉妬で狂いそうだし」
なんせ俺に向かってどうにかしてしまいそうとか言ってたしな。
瀬名さんのファン全員があんなもんじゃないとは思いたい。というかそうだったら怖いわ。
「じゃあそういう訳だから。絶対亮に瀬名さんの事話すなよ!」
「大丈夫だって。車に気を付けてねー」
俺の命が危ういというのに、呑気な母さんめ……。
俺は恨めしく感じながらも、この家を後にした。
◇◇◇
電車の中で揺られながら、俺は瀬名さんの経歴を見てみる事にした。
瀬名佐矢香。
中学1年の13歳の際、モデル事務所『ヤジマ』に所属。それからモデルとしてファッション、CM、商品PRなど数々の仕事をこなしてきた。
その美貌やクールな性格のおかげでファンも多く、彼女が担当した商品はいち早く売り切れるという伝説が残っている……これは亮が近い事を言っていたな。
俺より幼い時にモデルとして活動していた訳だから、結構場数を踏んでいると。
そりゃあ、余裕ある感じが出るよな。
それとさっき瀬名さんから『3時までは家にいないから気を付けて』というラインが来ていた。
おそらくその時間まで、仕事とか用事とかがあったりするのだろう。
数十分後、遂に瀬名さんのアパートが見えてきた。
今日からここが俺の住む場所でもあるんだよな。
まだそういった実感が湧かないのは、非現実からの逃避かあるいは……。
「ゆーとくんっ」
「……! なんだ瀬名さんか」
「なんだって……もうちょっと驚いてもよかったのに」
肩を叩かれたので振り返ってみれば、口を尖らせた瀬名さんがいた。
しかも彼女がブレザーを着ているという。
「少しだけビックリしましたよ。ところでその制服……高校の?」
「うん、さっきまで卒業式があったからね。これで晴れて大学生って訳」
「なるほど。というか道歩いてて大丈夫でした? ファンの方に気付かれると思いますけど」
「今は外したけど、ウィッグと眼鏡があるからね。ある程度は誤魔化せれるよ」
見せてくれたカバンの中には、確かに茶髪のウィッグが覗いていた。
そういえば瀬名さん、年齢からして高校生だった。
見る限りブレザーは俺達が入学するものじゃないので、おそらく別の高校だったと思われる。
それと、変装に使うのが帽子じゃなくてウィッグなのは実に上手い。
私服なら帽子でも構わないだろうが、制服だとミスマッチすぎて奇異の視線が集まる。
ウィッグを使えば、どこにでもいる普通の女子高生になりきれる訳だ。
……それよりも彼女のブレザー姿。
写真とかではオシャレな服装ばかり着ているから、こういう学校の制服は新鮮に感じる。
白シャツから膨らんでいる胸元、ミニスカートから覗いている色白の脚……。
「なぁに、そんなにジロジロ見て? さては欲求不満?」
「あっ、えっと……」
「フフッ、照れちゃって。やっぱり可愛いね、勇人君は」
悪戯笑みを浮かべた瀬名さんが、俺のおでこをちょんと指で突いてきた。
……くっ、一瞬トキめいていた自分がいたよ……。
「可愛いだなんて……俺なんかどこにでもいる冴えない男ですよ」
「そんな事ない。勇人君は気付いていないと思うけど、結構甘いマスクだし優しそうな表情もしてる。もっと磨けば化けれると思うよ」
「そうですかね」
「そうなんですよ。さて、そろそろ家に上がろうか」
と言って、アパートの2階を上がろうとする瀬名さん。
俺は後を追いながら彼女に告げた。
「改めて、今日からよろしくお願いします」
「こちらこそ」
そのまま俺達は階段を上がるけど、ここで後悔してしまう。
瀬名さんが先頭になっているので、スカートから薄ピンクのものが見えてしまった。
完全なる犯罪。
俺は目をそらしながら、さっきから彼女が持っているものを尋ねた。
「それってケーキですか?」
「そう。どちらも学校卒業したから、そのお祝いって事で。他にも美味しい料理作るつもりだから、楽しみにしてて」
「あー、手伝いますよ。というか何か作ります。俺、料理出来る方なんで」
「ほんと? じゃあお願いしようかな」
そう話し合っている瞬間、アパートの住人らしきお婆さんとすれ違った。
俺は肝を冷やしていたけど、お婆さんは瀬名さんと俺に軽く会釈だけして降りてしまう。
瀬名さんを有名モデルだと認識していないという話、本当だったようだ。
住人のほとんどは年寄りらしいから、モデル云々は詳しくないのだろう。
「……あっ、勇人君」
「はい?」
階段を上がりきった直後、瀬名さんが俺に振り返ってきた。
「私のスカート見ちゃった、もしかして?」
「…………」
「その反応だと見ちゃったみたいね」
「……すいません」
ヤバい、怒られる……。
そう思っていたのに、瀬名さんが怒るどころかニマっと笑って、スカートを摘みだした。
「よかったらもう1回見る? 目に焼き付けるように」
「い、いいえ! 間に合ってますので!」
「まぁ冗談なんだけど。さすがにこれはね」
冗談でもそれは言っちゃおしまいですがな。
しかも薄ピンクのものが頭から離れなくて……煩悩は今すぐ去ってくれ。
なお前を向く瀬名さんだったけど、その際彼女の頬が赤らめたような気がした。
見間違いだったかもしれないけど。
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