キエフの軛

八重垣みのる

僕は帰ってきた

 戦争は終わった。

 プーチン政権は打倒され、新体制ロシアが誕生した。


 ただ、大変なのはこれからもしばらくは続くだろう。少なくとも、街にミサイルや爆弾が飛んでくることはなくなったが……。


 東部の四州からもロシア軍は撤退していった。ただ、諦めきれない親露派の残党がゲリラ戦を展開しているという話も聞いた。愚かな話だと思う。掃討されるのも時間の問題だろうに。


 いっぽうで新ロシア政府は、全ての責任はプーチン政権にあるとして、戦後賠償保障はしないと明言した。

 さらに、天然ガス供給を交渉材料にして、欧米に対してNATO解散という圧力をかけている。

 厚顔無恥とはこのだろうが、少なくとも新しいロシアの指導者は、こっちの大統領より演説と話術は上手いのかもしれない。

 そういえば名前は聞いたけど、忘れた。平凡な名前だったことは覚えてる。


 まあ、NATOにしてみても、かつての敵であるソビエト連邦、それを継承したロシア連邦も無くなり、新生ロシアはこれまでの一連の政治体制を継承しないとも明言したのだから、NATO内部でも存続の正当性に、少なからず疑問を抱いてる国があるとかないかとか、といった噂も聞く。


 ちなみにプーチンその人は、現在も消息不明だという。

 南米に亡命したとも、新体制支持派によって銃殺された、あるいは隣国ベラルーシで秘密裏に匿われているだの、シベリアの辺境に逃げ隠れているとも言われている。




 戦争が始まったばかりのとき、僕はもちろん軍に志願した。だけど、子どものときの怪我のせいで片目の視力がとても悪い。そのために、前線での軍務は不適格と診断された。


 それでも、後方の任務に就くことはできた。もちろん祖国ウクライナのために働いた! できることを懸命にやった。




 そして、各地での戦闘も終結した今、僕は除隊となった。


 暮らしていた街に戻ったとき、前線から戻ってきた戦車や装甲車の、戦勝パレードばりの列が大通りを通っていくのを見た。


 市民の多くが歓喜の面持ちで出迎えた。


 でもなぜなのか? 僕の胸中には、どことなく、虚無のような気持ちが漂っている……。




 結果的に戦争には勝利した。野蛮な侵略者であるロシア軍たちは出て行った。ウクライナの全部の領土から。それにロシア自体は、政変すら起きた。


 軍に入る前にいた職場は、ミサイルのせいで建物が無くなってしまったが、仕事がなくなったわけではない。きっと戻れるだろう。


 今年の冬も、たぶん凍えるほど寒い暮らしになるだろうが、少なくとも空襲警報は聞かないですむ。それだけでもずいぶん気持ちが楽だ。


 そういえば、今度は、東アジアで小競り合いの戦闘が起きて、大変な戦争が始まりそうだというニュースを聞いた。

 確かに大変なことだ。本格的な戦争になれば……。


 だけれども、今は、そんな遠いアジアのことに、僕は気をかけているほど余裕はない。生活を立て直さないといけない。日常を取り戻さないといけないのだ。


 欧米だって今は、こちらをさほど真剣に見つめてはいない。


 自分たちで始めた戦争じゃないのに、自分たちで後始末をしなければならないんだ。


 このやるせなさを、どこにぶつければいいのか?




 身の回りが一段落してから、よく行っていた酒場に行ってみた。


 ここは、何事もなかったみたいに、営業を続けていた。いつもの席につくと、少しばかり気分が落ち着く。


 かなり酔っている年配の誰かが愚痴をこぼしたのを聞いた。


「けっ、第二次世界大戦のあとのポーランドもこんな気分だったにちがいねぇ。しょせん、地政学的に緩衝地帯にいる国は、いつの時代も不憫な目に会う運命かもしれねぇな! こうなりゃ、西側諸国万歳だ!」


 なにかの皮肉なんだろうと思ったけど、その意味は、今の僕にははっきりわらなかった。


 とにかく、以前のような日常が少しでも早く取り戻せることを祈るばかりだ。

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