Anh.25『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』
―第8場―
『
―2022.3.21 37歳―
『BCIデバイス』の最新モデルを、ゴールデンウィーク初日の4月29日に発売する事が急遽発表された。
VRが生み出す精神障害や脳障害の報告が上がる中、メンタルサポートのスキームも遅々として進まず、輸入販売に対し慎重になっていた筈のトップが、突如販売に踏み切ったのだ。
納得のいかない
―2022.4.28 37歳―
最新モデル発売を翌日に控えた特有の空気感に包まれる社内で、彼女は
事業開発部の手はもう殆ど離れたとは言え、マーケティング部の優羽に内々で確認しておきたい事があるようだ。
カフェスペースで上司と“Virtualゴルフ”の話に花を咲かせる彼を見つけた純麗子は、少し離れた席で終わるのを待った。
「奥さんの
聞きたくもない台詞が、彼女の耳に届く――。
「いえ、大丈夫です。妻も“Virtual-Earth”に逃げ込んでますから。行かせて下さい」と、中間管理職として器用に立ち振る舞う彼は、相も変わらず出世の為に媚び
先進的な企業のようで、年功序列といった体育会系の古い体質は未だ残る会社。個人評価システムも形だけで、待遇の最終決定は上層部。
口が上手い優羽に比べ、二人以上になると
「妊婦さんの『BCIデバイス』使用は安全とされているが、色々と疑って掛かって損はない」との上司の助言に、
「ありがとうございます。この仕事をしておきながらお恥ずかしい話ですが、妻が使ってるのは2世代前の旧型です」と、優羽は淀みない自虐ネタを披露。
彼らの虫酸が走る笑い声を背に、その場からそそくさと立ち去る純麗子の姿は、私を恍惚とさせる。
暗い寝室で一人、傷付いた彼女の記憶を受け『ざまあみろ』と嘲笑う自分は、何処か壊れかけているのだろうか。
―2022.4.29 37歳―
結局、退社時間になっても妊娠を祝福する気になれなかった彼女は、待ち合わせ場所を伝える事なく、優羽を避けるように帰宅しゴールデンウィークを迎えていた。
ウイルスや細菌とは無縁の“Virtual-Earth”の中で優羽と旅をする思惑は、元よりメッセージ制限を掛けている彼女の律儀さから無に帰した。
祝日の外来診療は休診だが、大病院に休みは無い。譲二が出掛けた後、目覚ましをかけるでもなく起床した純麗子は、バスタブから“Virtual-Earth”へと行く当てもなく飛び込んだ。
夕方に差し掛かった頃、彼女は“Virtual京都”で
本能寺の銀杏の木は、天明の大火の際に水が噴き出し人々を救ったという言い伝えがあり、『火伏せのイチョウ』と呼ばれている。
純麗子が子供の頃住んでいた家から自転車で10分程の距離にあり、何かある度によく此処へ来ていたようだ。
隣で銀杏を見上げる男性がふと視界に入り、彼女は目を見張る。
「……!?永瀬さん?」
「えっ!あっ、ビックリした……。
珍しい場所で会いましたね」
「昔この辺りに住んでいた事があって。
先程まで“Virtual愛知”の
すると樹は口をあんぐりとさせ、声にならない声で驚いた。
「……本当に!?すごい偶然だな。俺もさっきまで江南にいました。あの辺りも景観が変わるようなので……」
「“Virtual-Earth”では変わらずに存在すると良いですよね……。
もしかして、永瀬さんも織田信長がお好きなんですか?」
「はい。一番好きな武将です」
純麗子はやっぱりといった様子で、
「信長が愛した
「分かります。京都市の保存樹と江南市の天然記念物を、自宅にいながら見上げられるとは、贅沢ですよね」
次の行き先がまたも同じ『安土城跡』だった二人は、共に夕空から山頂に降り立ち、オレンジ色に染まる琵琶湖を眺めた。
陽が沈みゆくのを静かに見つめていた樹は、思案顔で語り始める。
「信長もこうして眺望したのかなぁ。
時代は移り変わって行くんですよね……。
会計や書類管理はAIクラウドソフトが担う時代。企業の業務はデジタル化され、俺ら経理や人事は一番先に、そして弁護士や司法書士などのあらゆる資格業でさえも、
5年後には日本の労働者の半数は失業する――。生き方を考え直すべきですね」
「そうかもしれません。資本主義の
AIを開発・運用する側と、失業者の極端な経済格差の緩和を目的に、『
19世紀の産業革命期にも、機械に仕事を奪われる事に反発した労働者が『
ただ、私は“労働からの解放”と捉えても良いかと……」と、純麗子がポジティブな言葉を伝えるも、樹は依然表情を曇らせたままだ。
「ヨーロッパでは既に、国家政策の評価もAIに任せているらしいですね。
近い将来無くなる職業のトップが政治家だと言われています。
しかし
「確かにAIは合理主義だし、『嫌な予感』みたいな直感力は備わっていないそうですからね。
でも、完全自動運転の技術が確立しているにも
AIが人知を大幅に凌駕する時点、つまり『
彼女から流れ込む記憶に、興味を抱かなくなりはじめていた私は、大して珍しくもないありふれた遣り取りだと感じていた。
しかし、会話の中に散りばめられた純麗子の知識を鵜呑みにせず、もう少し早く気付けていたなら……、彼女の不幸を願わなければ。
戦慄の血溜まりは回避できたのだろうか――。
黒い心に燃ゆる
この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。
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