Anh.7『月に寄せる歌』

 ―第3場―

まやかし侮蔑ぶべつの歓楽街』


 ―2003.8.9 18歳―

 喪失感を埋めるためだけに目的も無く雑踏へ紛れ込む純麗子すみれこの胸中とは裏腹に、お盆の心斎橋筋商店街は賑やかだ。


 イタリアの血が入っているからか、パッチリとした澄んだ瞳に鼻筋の通った綺麗な顔立ち。豊満な胸元の割にスレンダーなシルエットをたずさえ、白く長い脚で闊歩かっぽする様は、玉砕覚悟のナンパを誘発する。

もちろん素っ気なくあしらうのだが、純麗子は男のさがを分かって逍遥しょうようしている――。

彼女はそういう女だろうと、私は感じた。


「なぁ?ナンパちゃうから。

お姉さんみたいに可愛い子やったら絶対稼げる仕事があるねんけど、聞いてみやへん?

コーヒー奢るし」


「コーヒーは嫌いやねん」

目を合わせこそしないが、言葉を返した時点で、他の男性へとは違う対応。


「ほな、そこの不二家で何でも好きなん頼んでいいから。入ろ?俺ももう暑うて倒れそうやし、助けると思って、なっ?話聞くだけでいいから」

甘えた声で、あざとく眉を下げる仕草に、心しか、はがね境界線バウンダリーも緩む。


 目の前には輝くプリンアラモード。純麗子の華やぐ笑顔に癒されながら、向かいの席でコーヒーを啜る男。

彼には見覚えがある。――サトルだ。


「キャバクラの体験入店たいにゅうは無理かぁ……。

じゃあ、プリ機のモデルとか興味ない?」

魅力的な誘いに、頑なだった純麗子が嘘のように喰い付いた。


 まだ純粋培養な彼女は分かっていないが、プリクラ機のイメージモデルを務めているのは、大手事務所に所属するプロのモデルだ。キャバクラのスカウトの次に出てくるような話ではない。


 サトルはプリ機のモデルを餌に、水商売のパネル写真や、無料紹介所掲載用画像の素材提供を求める。素材は店側が好きに画像処理レタッチする為、他店に並ぶ写真が同一人物だとは見抜かれない。

来店後、「今日はお休みなんです。他にも可愛い子が揃ってますよ」といった仕掛けの、ていの良いサクラバイトだ。


 しばらくすると純麗子は、ホテルのバイトをしながらも、サクラバイトにのめり込んだ。

彼女は母親から学費と家賃の仕送りを貰っていて、ホテルのバイトでも15万円程は稼いでいる。決してお金に困っていた訳ではない。

しかし、お金さえあれば私一人でも産めた……と論点をすり替え、意固地になっているのだ。


 夜の店で豪快に遊んで周りの男性客に火を付けるというサクラが得意な男性と手を組み、斡旋業を生業なりわいとするサトルの片棒を担ぐ。

依頼のあった店で、サクラ仲間の男性を純麗子の客に見立て、キャバクラや風俗店で働いているように見せ掛け、大学の知人を体験入店に誘い込む。純麗子もやっているなら……と、ハードルを下げるのが狙いだ。

本入店が決まれば、ホストクラブやブランド店へ連れて行った。お金に執着させ、抜けられなくする為だ。

そうしてサトルに紹介料を稼がせ、自身もバイト代を貰った。


体験入店たいにゅうしてるだけの私の方が、れーちゃんよりマシやわ」とサエが言ったのは、純麗子が本当に夜の仕事にどっぷりハマっていると信じ、下に見ていたからだった。

実際、純麗子は体を売った事は無い。サクラ仲間と上手くやっていただけだ。

しかし代わりに、友人や知人を売ったのだから、非道さで言えば真実に勝るものはない。


 純麗子が初めてサエと出会ったのは、大学の最寄り駅だ。列車が近づいて来た時、サエはホームから線路上の空白に足を進めた。

偶然後ろに立っていた純麗子は、彼女の腕を力一杯引いて倒れ込んだのだった。


 サエは重い月経前不快気分障害PMDDに悩まされていて、自傷行為や自己否定感、自殺願望を持つ事もあるが、体調の良い時は、体験入店で小遣い稼ぎをしていた。


「ホームに立っとって、先頭車両が近づいて来ると、足が列車に引き寄せられる……。

頭の中で『今!』って誰かが合図を出すんよ。

もちろん指示通りに足を踏み出したら、線路に落ちるんやけど、“死にたい”って感じではないかなぁ。

死ぬんはそら怖いし、死ぬつもりもないねん。

でもなんでか、吸い込まれていく。

まぁ、誰も理解してくれへんけどな」


 純麗子はサエの話を、突飛だとは思わなかった。相反する観念に促されているような、衝動的感覚は、不思議な程よく理解できたからだ――。






 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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