Anh.5『さようなら、過ぎ去った日々よ』

 ―2002.12.13 18歳―

 麻里香まりかは地元に根付いた不動産屋の娘で、悪気なく傲慢ごうまんな話し方をする癖があり、広い交友関係も心の内では自慢話が多いと煙たがられていた。

純麗子すみれこが高校に入学してから、ずっと一緒に過ごして来たのが、麻里香と津巳季つみきだ。

津巳季は目立ちはしないがサバサバとした美人で、純麗子はいつも頼りにしていた。


「ミラボ買いに行こー?」

津巳季が純麗子の腕を取る。純麗子は大慌てで財布を取り出し、非常階段を駆け降りた。

ミラボとは学食の購買部にあるミラクルボディという炭酸飲料の事で、2時間目後の業間休み、開店と同時に行かなければ売り切れてしまう程の人気商品。


 二人は教室へは戻らず、噴水の縁に座って飲みはじめた。

「麻里香来ぃひんかったねぇ」と、何気なく純麗子が口にする。


「誘ってへんもん。ウチ昨日から腹立ってるねん。アウトレット行ってお父さんにFENDIのマフラーうてもろたとか、お母さんとCOACHで爆買いしたとかどうでもいいし。ほんで絶対話盛ってるし」


「そやね。ゴルフの会員権の話とか、それでお母さんと喧嘩してはったとか、興味ないやんねぇ」


 急に津巳季の顔付きが変わり、純麗子は身構える。

「純麗子も思てたん?今までそんなん一回も言わへんかったやん?

でも、それやったら話早いわ。実はウチ、今日から 樹里じゅりちゃんらぁのグループとお弁当食べよと思ってるんよ。

純麗子も麻里香のこと嫌やったら、ウチと一緒に樹里ちゃんとこ行こ?

ウチらあと数ヶ月で卒業やし、最後くらい我慢せんと過ごそうやぁ。なぁ?」


 純麗子はすぐには返答出来なかった。20分休みの間で決めるには重い問題だ。

だが彼女は津巳季をとても慕っていた。憧れという方が表現としては正しいのかもしれない。

彼女の恬淡てんたんとした人柄が好きなのだ。

入学してから3年間、何かを決断する時はいつも、津巳季と同じ方を選んできた。

津巳季がいなくなり麻里香と2人きりなんて、純麗子には苦痛でしかない。


「私はつーちゃんとお弁当食べたいけど……」


「じゃあそうしよ!樹里ちゃんに言うとくね!」

津巳季はさっと立ち上がり、教室へ向かう。純麗子は後を追いながら尋ねた。


「麻里香には何て言うん?」


「樹里ちゃんらぁとお弁当食べるって言うたらええやん」


「なんで?って聞かれたら?」


「何も言わんでいい。理由話して、私らが妬んでるみたいに思われたら嫌やろ?妬んでないし。どうでもいいだけやし」

津巳季はキッパリしていて、決めたら曲げない。


 彼女のうちは豆腐屋を営んでおり、それなりに裕福だったが兄弟も多く、幼少期から誰に言われるでもなく物欲を抑えて生きてきた。

純麗子も離婚により片親となったが、母の営業成績は優秀で、貧しい思いはしていない。

ただ麻里香の何事もひけらかす下品さに、辟易へきえきしているだけだ。

しかし、妬んでいると誤解される要素は揃っている気がして、純麗子は津巳季の言う通りにした。


 卒業後に純麗子は、麻里香が『何で2人が離れていったんか分からんくて、疑心暗鬼になって辛かった。理由くらい話して欲しかった。受験勉強も手に付かんかった』と話していたと、共通の友人から聞いた。

無事に合格しただろうかと心配したが、彼女の志望校すら知らなかった事に気付き、途端に高校生活が希薄に思えた。


 純麗子は20年が過ぎた今も、いじめのニュースを見るたびに、自分のした事はいじめだったのだろうかと、胸に突き刺さったままの棘が痛むようだ。

私の見た走馬灯の中で、純麗子の自責の念が、小さく黒々と点在していた。






 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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