第4章 第3部 ゆびきりげんまん

久しぶりの帰省を明日に控えた夜のこと…。

アリシアのお部屋。

「着替え準備OK、トイレタリー準備OK、お小遣い準備OKっと」

3日分の荷物をキャリーケースに詰め込んでいる。

桜の花びらも散り、歓迎会やお茶会のムードも下がって一段落が付いた5月20日。


明日から3日間お店を休業日にして、

ウィル、シエル、マイル、キース、リオンはサンクパレスに帰省。

私はイシュメルに帰省することになったの。

マリーとスージーはお屋敷でお留守番なんだって。


「とう!」

準備が一段落し、ベッドに寝転がる。

お風呂上がりの濡れ気味の頭には大きなリボンのターバンを巻いている。

ベッドに備え付けてある棚には目覚まし時計、家族と撮った写真、小さい宝箱が並んでいる。

アリシアはベッドに寝そべったまま宝箱を手に取った。

宝箱の中にはバレンタインデーにウィルに貰った"ピンキーリング"のジュエリーケースが入っている。


ウィルは左手の小指にピンキーリングを付けてくれてるから、今は私の分のリングだけ。

私も本当は付けたいんだけど…、サイズが合わなくてスルスル抜けてきちゃうから常に身に付けていられなくて、

大事にしまってあるの。

ジュエリーケースからリングを取り出し、うっとりした顔で眺める。

ピンキーリングを貰ったあの日から、夜な夜なこうしてリングを眺めてはにやにやが止まらなくなっちゃって……えへへ…。

何が嬉しいって、ピンキーリングは小指用のリングなんだけど、今の私の薬指にはピッタリなの!

薬指ってことはつまりぃ…えへ……へへ……。

明日から3日間だけ、薬指に付けてお出かけしちゃおうかなぁ、なんて考えてたらワクワクして眠れなくなっちゃった。

でも明日の出発も早いからそろそろ寝ないとね。


アリシアはジュエリーケースにリングを戻し、宝箱にしまって、お部屋の照明を消した。


……おやすみなさい。


そして次の日の朝。

「行ってらっしゃい。気を付けてね、アリシア」

「お父様とお母様にお会いしましたら、宜しくお伝えくださいね」

屋敷の玄関でアリシアの出発をウィルソンとマリーが見送る。

「うん!ウィルも皆と気を付けて行ってらっしゃい!」

「ありがとう」

ドアノブに手を掛けようとしたアリシア。

「ぁ…」

ウィルソンの方を再び振り返る。

「ウィル。いってきますのぎゅ~」

アリシアはウィルソンの顔をみつめ両手を広げる。

「ぁ、うん…」

ウィルソンは少し戸惑いながらその場にしゃがみ、両腕を大きく広げる。

アリシアの表情はぱぁと明るくなり、吸い付くようにウィルソンの胸に飛び込む。

「いってきます」

ウィルソンもそれに応え、アリシアの小さな身体を優しく抱きしめる。

「いってらっしゃい」

耳元で囁くウィルの優しい声は、私に安心感を与えてくれる。

アリシアは名残惜しそうにウィルソンから離れ、小さく手を振って玄関を出て行った。

ウィルソンがすっと立ち上がる。

「ふふっ、ごちそうさまです。坊っちゃま」

「え!?ぁ…ごめん…」

マリーに言われ、一気に顔が赤くなるウィルソン。

「謝らなくても大丈夫ですよ。微笑ましい限りですから。アリシアさん指輪までつけちゃって」

「え?…小指に?」

「右手の薬指に…」

マリーがにこっと笑う。


え?ピンキーリングなのに??小指のサイズに合わないって言ってたよ??薬指に付けちゃったの??今日から帰省するのに???

それは…嬉しい反面ちょっと怖い…かも…。


_____________


お屋敷の正門前には8人乗りのワンボックスカーが停めてあった。

ウィルたちはこの車でサンクパレスに帰るみたい。

「ぁ、アリシアちゃん。今から出発?」

シエルお姉ちゃんが声を掛けてくれた。

「うん!8時25分のバスで帰るの」

「バス停まで乗っけてこうか?」

キースさんが運転席から顔を出す。

「ううん、歩いて行ってみたいから。まだ今度乗せてくださいね」

「そっか、わかった」

キースさん運転免許取ったんだって!すごいね!

「「行ってらっしゃい」」

「行ってきます!」

元気に手を振って坂道を下りていく。

良い天気!お出かけ日和だね!


「お~いリオン~早くしないと置いてくぞ~」

「ちょっと待って~あと3分ね、3分」

出発の時間は特に決めている訳ではないサンクパレス組だが、マイルはリオンの部屋のドアの前で焦らせる。

何故なら放っておくと準備に2時間も3時間も掛けるから。

せめて12時前にはサンクパレスに到着したいとは前日から決めている。

「ちょっと良いマイル?」

「姉さん?」

シエルが階段を上がりマイルの元にやって来た。

「あー!スージーの下着めっちゃエロいねー!(棒読み)」

ガチャ!とドアが開く。

「なにぃ!どんな下着!?見たい!」

カッ!と目を見開いてキョロキョロとスージーの姿を探すリオン。

「居ないわよ。早くして、本当に置いてっちゃうわよ!もう十分化粧もバッチリじゃない」

「ぁ、はーぃ」

うちの女子はオッサン成分が濃い人が集まっているようだ…、姉さんといいリオンといい…。

準備した荷物を持ち、シエルマイルと一緒に階段を下りるリオン。

「お姉さん2階で私のこと呼びました?」

ウィルソンとスージーが玄関で待っていた。

「え?スージーの下着エロいねーって言ったの」

「えぇ!?いつ見たんですかぁ!!」

スージーはスカートの裾を押さえ顔を真っ赤にして慌てる。

…いや…エロい下着のことは否定しないのか…。

「スージーちゃん」

「はい?」

リオンがスージーの肩にポンと手を置く。

「あ•と•で…ね!☆」

「ぴゃ!…」

ボフン!とスージーの頭から蒸気が立つ。

「「行ってきまーす」」

「それじゃぁ、スージーさん。マリーと一緒に留守番お願いね」

シエル、マイル、リオンは玄関の扉を開け外に出る。

ウィルソンも平然とした様子でスージーに頼みごとをする。

「はいぃ……いってらっしゃいぃ……」

扉が締まり、玄関に一人取り残されたスージー。

…え…誤解したかなぁ……

…シ、シェフに変なこと聞かれちゃったぁぁあ…

…調理の仕事から外されたりしないよね……。



「運転気を付けてくださいキースさん。長距離の運転は慣れていないでしょうから、無理はならさらずにですよ?」

「ありがとうございます。マリーさん」

ウィルソンたちが車に乗り込んで来るまでの間、マリーはキースと話していた。

「キースさんにはこのお車、お似合いですよ」

「そ、そうっすかぁ…」

キースは照れ臭そうに頭をポリポリかく。

「お待たせキース。出発しよ~」

「運転宜しくねキース」

「おぅ!乗れ!」

濃い紫色でメタリック仕様の8人乗りのワンボックスカー。

買い出しや少し遠出をするために、わざわざサーカス団の馬車で移動しなくても良いように、キースは運転免許を取得し、中古ではあるが車を購入した。

正直この車にするかは迷ったけど…、決めて良かったかもな…。

「行ってらっしゃいませ」

マリーがペコっとお辞儀をして笑顔で見送る。

サンクパレス組が乗り込んだワンボックスカーは北門ゲートを目指し、坂道を下りていく。

_____________


交通機関の発展により、高速道路が開通したおかげで、以前はシンクローズを経由しないとイシュメルに行くことは出来なかったが、今はリザベートから真っ直ぐイシュメルに帰ることが出来る。

バスに揺られること4時間。

アリシアの乗ったバスはイシュメルの市街地に到着した。


私がイシュメルに帰省するのはお店がオープンする前だから、2年ぶりになるね。

その時はウィルも来てくれて、お父さんとお母さんにリザベートのお屋敷でお店を始める報告を一緒にしたの。


12時50分。

市街地の飲食店街を通り、アリシアはキャリーケースを転がし帰路に着く。

「おぉ~アリシアちゃん。久しぶりだなぁ元気だったかぁ?」

八百屋の前を通るとおじちゃん店主が声を掛けてくれた。

「こんにちはおじちゃん!元気だよ!24日までこっちにいるの!」

ヘアカット屋を営む母親の付き添いをしていただけあって、アリシアは街の人々とも顔馴染みのように打ち解けている。

路地裏を通り抜ける風と一緒に潮の香りが鼻に届く。

ジニーの家の前を通り過ぎ、斜め向かいの自宅に到着した。

ドアノブに手を掛けると鍵は開いていた。

お昼過ぎだからお父さんはお家に居るとは思っていたけどね。

「ただいまぁ~」

シーン…と静まり返るリビング。

家の中に入る。

すると2階から慌てたような足音が聞こえた。

「アリシアか!おかえり~、待ってたぞぉ」

「ただいまお父さん!」

アリシアはジークに抱き付く、ジークもアリシアをきつく抱き締めた。

手紙のやり取りはしていたけど帰ってくるのは2年ぶり。

「おっきくなったなぁ、もうすっかり女の人みたいだ」

「もぅ、お父さん…私は前から女の子でしょ!」

ぷくっと膨れた娘の頬っぺを優しい撫でる。

「はは…そうだな。おかえりアリシア」

「ただいま。身長は7cm伸びたよ!」

(胸は全然大きくならないけど…)

「どおりで大きくなったと思ったぞ」

「お母さんはお仕事?」

自宅の1階の一角をカットルームに改装した店内にはお客さまの姿もお母さんの姿もなかった。

そういう時は、お客さんのお家とか教会とかに出張カットに行っていると思う。

「カトレアばぁさんの家に出張行ってるはずだな…、15時には帰ってくるさ」

「そうなんだ…お部屋に荷物置いてくるね」

キャリーケースを再び持ち直し2階に上がる。


_____________


一方、キースの運転するワンボックスカーで移動するサンクパレス組は…。

「サンクパレスに新しくマカロン専門店がオープンしたんだって」

「ほんとに!あとで行こうシエル~」

シエルとリオンは買ったばかりのスマートフォンでネットサーフィンをする。

「キースあと600m先にサービスエリアあるから停まって、トイレ行きたい!」

「はいよ~」

カリーナやスージーに感化されスマートフォンをを持ち始めたシエルとリオン。

ガラケー時代から新しくスマートフォンという新しい機種が登場し出した。

僕はまだガラケーも使いこなせていないのに…。

時代の進化は早い…。

「キースは携帯電話持たないの?」

「俺か?俺はダメだ…、機械音痴だから。車の運転でやっとだぞ…」

「まぁ…今まで使って来なかったからね…」

「携帯電話の操作はリオンに任せてたしな」

サーカス団時代にも携帯電話はあったが、団長と遠征組のリーダーが持つ2台のみ。

しかも、利用料金の滞納とやらで通話出来ないことが多々あったので、無いのと同然みたいな感じだった。

「アリシアちゃんにケータイ買ってやれよ、ダーリン」

にやにやしながらマイルが言う。

「もうちょっと余裕出来たら…かなぁ。買ってあげたらぴょんぴょん跳ねて喜ぶだろうね」

ペアリング買ったばかりだから携帯電話まで買ってあげる余裕無くなっちゃった…。

アリシアは喜んでくれているけど、

携帯電話の方が先だったかな?…と、あげた後に思ったりもした。

サービスエリアに到着し、リオンとシエルが車から降りる。

「すぐ戻ってくるからねぇ」

スライドドアがゆっくり閉まる。

「なぁ、ウィルソン」

女子2人が居なくなった途端、キースがぼそっと喋りだした。

「なぁにキース」

「…マリーさんって……優しいよな」

「そ、そうだね」

「俺がマリーさんと話してたら…変かな」

「変じゃないと思うけど」

「お?キースはマリーさんと仲良くなりたいってか?」

マイルが後部座席から身をのりだし割って入る。

……少し沈黙…。

「ドライブに誘ってみようと思うんだ。マリーさんを」

「良いと思うよ。マリーはずっと屋敷に居るから遠出のお出かけとかしたことないだろうし」

「そうか…わかった」

「焦って襲わないようにな、殺されるかも。ネルソンが一回ナイフで刺されかけたから…」

あれは2年前だったかな。

「マジかよ…」

「マリーは最近、アリシアに護身術を教えてるみたいだよ」

「女性に守ってもらってたんじゃ男として格好つかないからな。男を魅せる時だキース」

「俺が守ってやれるようにな」

後部座席のドアが開く。女子2人が帰ってきた。

男同士の会話終了。

「お待たせ~」

「トイレめっちゃ綺麗だったよ!」

「そっか、良かったな。行こうぜキース」

「はいよ~」


_____________


その頃。

お屋敷で留守番をしているマリーとスージーは、

「それではスージーさん、私と一緒に庭園の剪定をしましょう」

「わかりました!」

剪定鋏とシャベルを持ち庭園に向かう。

庭木の剪定とプランターに育ったルピナスを花壇に移し替える必要がある。

するとメリルが正門をくぐり入ってくる。

「こんにちは~」

「こんにちはメリルさん、良いお天気ですね」

「ほんと、お出かけ日和ですねぇ」

「こんにちはシェフのお母さん!」

スージーはまだ少し緊張した様子でメリルに挨拶をする。

「スージーちゃんこんにちは」

「これから庭園の剪定を行うのですが、メリルさんも一緒にどうです?」

「はーい。喜んでお手伝いしますとも」

メリルはそう言って笑顔で剪定の手伝いを引き受けてくれた。

マリーはメリルに小さい剪定鋏を渡した。

マリーは高枝用の切り狭を用意する。

スージーはシャベルを持っている。

「スージーちゃんはウィルソンのこと"シェフ"呼びなのね」

「はい!優しく教えて下さる料理長ですから」

スージーのにぱぁとした笑顔の中には尊敬以外の感情の方が多いとすぐに感じとったメリル。

「やっぱりモテるわねぇウィルソンは、誰にでも優しいのよ?あの子」

「そ、それは…まぁ、優しい男性は素敵ですよね…」

身体を縮めてもじもじしながら言う。

「坊っちゃまは誰にでも平等に接していますからね」

「でもウィルソンにはアリシアちゃんがいるから、略奪はダメよ?」

メリルはスージーの顔を覗き込み釘を刺す。

「え!やっぱりそういう仲だったんですね!どうりで距離感近いと思いましたよ。でも…あれですね…ロリ…コン…ですね…」

「私はね、恋愛に年の差はあまり関係ないと思うわよぉ?運命感じちゃった?みたいなぁ?」

「アリシアさんのご両親もお二人の関係は認めてらっしゃいますから…まだ安心ですけどね」

「え…じゃぁもう…身体の…関係…も?」

「それはまだ早いから、止めるわよ私だって。ウィルソンもその辺は理性保てる方だと思う…」

「アリシアさんはそのまま流されてしまいそうですからね…、私たちが止めてあげないといけませんね」

リオンさんやシエルさんのような大人の女性と一緒に生活していると、自分も大人になったような感覚になるのかも知れませんね……。

「良かった…普通な人で…」

(それじゃぁ…私にもチャンスは…あるかも…)

とスージーは諦めかけた気持ちを取り戻すのであった。


疎らに飛び出した庭木の芽をゴミ袋に摘み取り、剪定は終了。

ルピナスの花の植え替えも終わり一段落した。

「では、次は屋敷裏のお手入れに行きましょう」

「観光客もあの丘は気に入ってくれていますもんね」

「はい、とっても有難いです」

屋敷脇の細道を渡り、原っぱに向かう3人。

「そういえばマリーさん。私気になっていたんですよ」

スージーがマリーに訪ねる。

「はい、なんでしょう」

「白樺の木の間にあるお墓は誰のお墓なんですか?」

「あれはですね、ダニエル•ウィンターズという

、ウィルソン坊っちゃまのお兄さんにあたる方のお墓ですよ」

「ぇ…」

その話しを隣で聞いていたメリルは歩みを止めた。

「シェフにはお兄さんが居たんですね!」

「でも…不慮の事故で、6歳で亡くなってしましました…」

「それは…本当ですか…マリーさん…」

歩みを止めたメリルが青ざめた顔でマリーに聞く。

メリルの方を振り返るマリーとスージー。

異様な様子にマリーはメリルに駆け寄る。

「メリルさん大丈夫ですか…、ごめんなさい…私はてっきり知っているものだとばかり…」

それもそのはず、墓石に"R.I.P.D.W"としか刻まれていないのである。

何年に生まれて、何年が没日なのか、名前もイニシャルだけでフルネーム表記ではなかったからだ。

「ごめんなさい…私…帰ります…」

「ダメです!…話しますから、詳しく。このまま帰したら…メリルさんが心配です…」

「…はい…」

手首の傷痕には前から気付いていたけれど…、今メリルさんを1人にしたら…また…。

「お屋敷に入りましょう」

このお屋敷で別の女性と世帯を持って。メイドとして仕えた私にさえ、本当の双子のように紹介し、本当の家族として過ごしたあの日々は、私にとっては何よりも心の支えだった。


でも…、その間…、メリルさんはずっと…、独りぼっちだった…、私なんかより…、ずっと…辛く寂しい日々を過ごしてきた…。

ろくな説明もされず、最愛の息子を2歳になる前に手放して…。

「ごめんなさい…マリーさん…」

スージーも悪気がなかったにせよ、とんでもないことを聞いてしまったと、後悔した。

「スージーさんにも…話しますから…」


マリーはメリルの震える肩を抱き、屋敷に入って行った。


#


3日分の荷物の入ったキャリーケースを2階の自分の部屋に置いたアリシア。

2年前、サーカス団に付いていきたいとお母さんに話をした時の部屋の状態のまま、綺麗に保たれている。

久しぶりの自分の部屋の匂い、

お屋敷の部屋にもだいぶ馴染んだけど、やっぱりお父さんとお母さんの住むこのお家の自分の部屋の匂いは、すごく優しい気持ちになって、落ち着く。


アリシアはキャリーケースからお気に入りのショルダーバッグを取り出し、ピンクの財布を入れ替え1階に降りる。

「お母さん帰って来るまでお散歩行ってくるね」

「あぁ、行っておいで」

お父さんはソファーから立ち上がり、玄関とドアを開けてくれた。

「いってきます」

「いってらっしゃい」

"サーカス団に付いていきたい"とお母さんにだけ伝えて、お父さんには話ししないまま家を出ちゃったけど、私がお屋敷のお店を手伝う報告をしに帰ってきた時、お父さんは怒らないで私たちの話しを聞いてくれた。

それは嬉しいようで、少し寂しい気持ちになったけど、お父さんの笑顔と優しい低い声を聞いているとその不安もどこかに吹っ飛んじゃうみたい。


「砂浜行こうかな」

住宅街を抜け港に出る。

海を見ると帰って来たんだなぁ、とホッとする。

お昼過ぎということもあり、港には食材を売るテントは撤収していた。

「ポップコーン屋さんかぁ、美味しそう」

その代わりにポップコーンを売るキッチンカーが停まっていて、7名ほどの行列が出来ていた。

「久しぶりのお母さんのご飯だから、ポップコーンは我慢だね」

アリシアがポップコーンのキッチンカーを通りすぎようとした時。

「あ、アリシアだ」

私の名前を呼ぶ声の方を見ると、

「あ、ジニー…ただいま」

「帰って来てたんだ」

「うん」

すっかり背も伸びて、顔つきもたくましくなった幼なじみと久しぶりに喋る。

ジニーの隣には知らない女の子。

「ねぇジニー、だぁれこの人~」

「え、あぁ、この子はアリシア、俺の幼なじみ」

と女の子に私のことを紹介してくれた。

「ふーん」

女の子が私の方を見てニヤリと微笑む。

「わたしは"アニス"。ジニーの彼女よ」

と言ってジニーの腕に抱き付いて見せつける。

「かのじょ…なんだ」

少ししゅん…、とした顔でジニーを見てしまう。

「くっ付くなよぉ、まだ彼女じゃないだろ」

とジニーはアニスの腕を振りほどく。

「こいつはアニスっていって、学校のクラスと塾が一緒なんだよ」

とジニーはアニスについて説明する。

「そう…なんだ」

「もう、照れちゃって。こんなにデートしてるのにぃ?」

「アリシアはいつまで居るんだ?」

「ぁ、えっと…24日の夜に帰るよ」

「そんなの聞いてどうするの?ジニー」

「いいから!離れろよ。また後でなアリシア」

「ぁ、うん」

アリシアは少しはにかんでジニーに手を振る。

…あとでお話出来るんだ…、良かった。

私のことを気にしてくれたことが嬉しかった。

アニスはキッチンカーでポップコーンを受け取り、にっこりとした笑顔を見せて、ジニーと市街地の方へ歩いて行く。

アリシアも砂浜に向かう。


私がウィルのことをジニーに話す時、ジニーも

きゅぅ、って苦しい気持ちになったのかなぁ…、あの時はジニーの気持ちを考えていなかった。

久しぶりに会った幼なじみが、彼女と楽しそうにポップコーンを買いに来た姿を見て、やきもきを妬いてしまった。

「学校も塾も一緒なんだ…、楽しそうだなぁ学校…」

思わず心の声が漏れる。

これじゃ私…、いじわるな子みたい…。

お父さんとお母さんの仕事の手伝いも、お屋敷での接客も、とっても楽しいしやりがいを感じられるけど、学校に通うジニーが羨ましく感じてしまって、私ひとりが置いてきぼりになってしまったような、寂しい気持ちになった。

砂浜に転がった流木に座り、薬指に付けたリングを眺める。

「ねぇウィル…、私どうしたらいいのかなぁ…」


______________


海を眺めてしばらく経った頃、15時を知らせる教会の鐘が耳に届く。

「そろそろ帰らないと、お母さんが仕事から帰ってくるね」

アリシアはゆっくり立ち上がり、お尻の砂を払い、住宅街の方を振り返る。

「よっ」

振り返るとそこにジニーの姿があった。

隣にアニスの姿はなかった。

「ジニー…いいの?アニスちゃんは」

「また後で、って言っただろ。アリシアに会いに来たんだよ」

「うん、ありがとう」

アリシアのやわらいだ顔を見て安心したジニーは砂浜の流木に腰掛ける。

アリシアもジニーの隣に座る。

「サーカス団の人たちとは上手くやれてる?」

「うん、みんな優しく人たちばかりで、すごく楽しいよ」

ふんわりとピンク色のチークとリップで化粧をしているせいか、にこっと笑ったアリシアの横顔が大人びて見えた。

「その指輪はピエロさんに貰ったのか?」

「え?ぁ…うん、バレンタインデーのプレゼント…だって」

アリシアは海に向け手を伸ばして、薬指に付けたリングを見せてくれた。

「でもね、これほんとはピンキーリングで小指用のリングなんだけど…、ウィルったらリングのサイズ間違っちゃって」

"ウィル"って親しげな呼び方を聞いた時、チクッと心が苦しくなった。

薬指のリングの意味ぐらい、俺にもわかる。

「だからって…、薬指に付けなくてもいいんじゃねぇの?」

つい、いじわるなことを言い方をしてしまう。

ケンカなんかしたくない、久しぶりに会ったのに…。

「それはそうなんだけど、どうしてもこの指輪付けてお出かけしたかったの、お父さんとお母さんにもこの指輪見せたかったから」

「…そっか」

アリシアの機嫌を損ねないように素っ気ない返事になってしまう。

ただでさえサーカス団なんて訳の分からない人たちに付いて行ったアリシアが、もっと遠い所に行っちゃうような寂しい気持ちになった。


まだ…、近くに居るうちに…。

「なぁ、アリシア…」

「うん?」


「明日、お出かけしようぜ。2人で」


意を決して誘ってみたけど、心臓ばくばくしてる…、耳まで真っ赤じゃないかな…。

「でも…アニスちゃ―」

「アリシアと2人でって言ってんじゃん!」

赤くなった顔を見られないようにすっと立ち上がる。

「明日8時に迎え行くから!じゃぁな!」

ジニーは勢い良く住宅街の方へ走って行った。

「ジニー…」

いきなりの誘いにビックリして返事してなかった。

「ふふ…、また明日ね。ジニー」


____________


「ただいまぁ」

「おかえりなさいアリシア」

ふんわりと包み込むお母さんの優しい声。

「ただいま!お母さんもおかえりなさい!」

キッチンで夕食の準備をしていたお母さんのお腹に抱き付く。

「ふふ、ありがとう」

お母さんは頭を撫でてくれた。

ぐつぐつと鍋の煮込む音、ビーフシチューの匂いだ。

「ご飯食べ終わったら、お母さんとお風呂入りたいなぁ」

「えぇ、久しぶりに一緒に入りましょうか」

「うん!」

「お父さんも…いいかな?」

ソファーに座るお父さんが自信なさげに言う。

「えぇー、お父さんもー(棒読み)」

「えぇー、お父さんやだー(棒読み)」

母と娘にジト目の視線を向けられた。

「嫌か~、お父さんへこむわぁ~(ちらっ)」

両手で顔を覆うお父さん、指の間から私たちの方に視線を向ける。

「ふふ、良いよお父さんも!」

「久しぶりの家族水入らずですからね」

「よし!ご飯だご飯だ!アリシアの好きなビーフシチューだぞ」

パンッと膝を叩きソファーから立ち上がるお父さん。

「うん!お母さんのビーフシチューだぁいすき!」

久々の家族3人での食卓。

2年の間帰って来なかった分、話したいことがいっぱいあり過ぎて、何から話せばいいかわからず、せっかくの熱々のビーフシチューも冷めちゃうぐらい、お土産話が止まらなかった。

ウィルのことやお屋敷でのお仕事のお手伝いのことも、バレンタインデーに貰ったリングのことも、お父さんとお母さんは、ずっと笑顔で私の話を聞いてくれた。


______________


お土産話が弾んだ夕食後、3人でのバスタイム。

決して広くはない浴槽の、真ん中にアリシアを挟み、肩を寄せあって湯に浸かる。

3人でお風呂に入るなんて、5年ぶりぐらいになるんだね。

頭の洗い終わったシャンプーの匂いのする濡れた髪、41℃の丁度良いお湯加減、お父さんとお母さんと入る久しぶりのお風呂に、自然と顔がほっこりする。

「さっき港の方に散歩に行ったらねぇ、ジニーに会ったの。アニスちゃんっていう彼女と一緒だったよ」

「そうねぇ、毎朝ジニーくんの家の前に女の子が迎えに来てね、二人仲良く学校に行く姿を良く見かけるわねぇ」

「そうなんだぁ、でもね。ジニーに"明日2人でお出かけしよう"って誘われちゃった」

「あら、良かったじゃない」

「どこに出かけるんだ?」

「えっと…、わかんない…聞いてなかった…」

急に誘われてすぐ走って行っちゃったから、どこに行くのか聞いていなかったな。

「でも…ジニーの2人でお出かけするのって、"浮気"にならないの?」

「幼なじみとお出かけするだけで浮気にはならないと…思うわよ?ねぇお父さん?」

お母さんがお父さんにも意見を求めた。


「そうだなぁ…、恋人とか浮気とか、まだ気にする年でも無いんじゃないか?まだ10歳だぞ?」

お父さんは顎に手を当て、考え込む素振りを見せて、お父さんなりの答えを出した。


「そうねぇ、ウィルソンさんは20歳の大人なのだから、見境無く女性と出かけるのは気を付けるべきだけど…。アリシアはまだ10歳で、まだまだこれから沢山の経験をすると思うの。ピンキーリングを貰えたのが凄く嬉しいのは分かるけど、まだそこまで焦って"ウィルだけ"って決めるのも早いとは…思っちゃうかな…」


この子は一度興味を持つとなかなか諦めず、周りが見えなくなる時がある…。

我が子の成長する姿を見るのは嬉しいことだけど、さすがに進展が早い気にするの…。

来年には"赤ちゃんが欲しい"なんて言い出しそうで…不安になる…。


「私ね…、ジニーが学校や塾に通っているのが楽しそうで、うらやましく思っちゃった…」

「学校…行きたくなったか?」

アリシアだって…、普通に友達と学校に行って、勉強して、遊んで、思い出を作る道だってあったんだ。だが、アリシアは私たちの仕事の手伝いをすることを選んだ。

それに甘えていた私たちにも責任がある…。


「学校にも行ってみたい…、でも…お屋敷のお店の手伝いもしながら、ウィルの傍に居なきゃって、悩んでる…」

わがまま…だよね、これじゃ…。


「学校はイシュメルじゃなくても、リザベートにだって学校はあるわ。ウィルソンさんだって借金の返済が終わらない以上、安心出来ないと思うの。学校に通いながらお店の手伝いをすることも出来るから、ウィルソンさんに相談してみたらどうかしら。アリシアが学校に行きたい気持ちになったのなら、お父さんもお母さんも手助けするわ」

「そうだな。今は難しいこと考えず、子供らしく、ジニーと2人でデートに行ってこい」

「うん。明日はいっぱい…楽しんで来るね」

お父さんとお母さんの励ましの言葉に、私を大切に思ってくれているお想いが伝わった。


でもその時、ちょっとだけ…、"お屋敷に帰りたくないなぁ"って思っちゃった…。


「ありがとう…お父さん、お母さん」

「「どういたしまして」」


肩を寄せ合って風呂に入るこの時間が、終わってしまうのが儚くて、愛おしくて。

家族の絆は今まで以上に深まって、これからもアリシアが、いつでも帰ってきたくなる居場所でいられるように。


_____________


次の日の朝。7時40分。

お父さんは早朝からの出漁のため仕事に行って、お母さんと2人だけの朝食も済ませ、白のフリルワンピースへの着替えを終え、お気に入りのショルダーバッグを肩に掛け、ジニーが迎えに来るのをリビングで待っている。

「アリシアにこれをあげるわ」

お母さんが階段を降りてきた。

「え?なになに?」

「ジニーとのお出かけに被って行ったらどうかと思ってね、こっちへ来て」

お母さんは私を玄関前の立ち鏡の前に手招きする。

鏡の前に立つとお母さんが私の頭に帽子を被せてくれた。

「うん、凄く似合ってる」

「わぁ~、かわいい帽子~」

アリシアは鏡の前でくるっと回り、自分の姿を確認する。

赤いバラのコサージュと紅色のリボンのついた純白の麦わら帽子。

「この帽子はね、私がお父さんと初めてデートした時に被っていた帽子なの。お母さんのお下がりだけど、とっても可愛いわ、アリシア」

「うん!ありがとうお母さん」


―コンコン、と玄関のドアをノックする音。


アリシアはドアを開けた。

「おはよう、アリシア」

「おはようジニー」

そこにはグレーのパーカーに白のニット帽を被ったジニーの姿があった。

にこっと笑って出迎えてくれた純白姿の幼なじみに、どきっとして息を飲んだ。

「……」

「ジニー、今日はアリシアを宜しくね」

お母さんが腰を屈めてジニーに目線を合わせる。

「…うん」

ジニーが無言でアリシアに手を差し出す。

「いってきます!お母さん」

アリシアはジニーの手を取り、シエスタの方を振り返る。

「いってらっしゃい」

シエスタは手を繋いで歩いて行く2人の背中が見えなくなるまで、静かに見守っていた。


―それから数分後。

ジニーの家の玄関をノックする1人の少女。

「あら、アニスちゃんおはよう」

「おはようございますおばさま」

「ジニーならさっき学校行ってくるって言って出て行ったわよ?」

「え?1人で行ったんですか?」

「えぇ、ついさっきね。会わなかったの?」


______________


役場前のバス停までやって来たアリシアとジニー。

「どこにお出かけするの?バスに乗るの?」

バス停のベンチに座るアリシアが、時刻表を見ているジニーに聞く。

「水族館…行こう、シンクローズまで」

「水族館!行ってみたい!」

目をキラキラさせて胸を躍らせるアリシアの姿が可愛いくて、ずっと見ていたいと思ってしまう。幼なじみとしても…、男としても、嬉しい気持ちになる。

「8時14分かぁ、もう少しでシンクローズに行くバスが来るから、待ってようぜ」

「うん」

ジニーもアリシアの隣に座る。

「アニスちゃんにお出かけすること話したの?」

「話してないよ」

「良いの?学校にもアニスちゃんにも黙って出かけて…」

「いいだろ別に。っていうか、今日はアニスの話しないから、アリシアも"ウィル"の話しないでよ。…アリシアと水族館楽しみたいから!」

「…うん。わかったよ」

照れ隠しに水族館のパンフレットを渡した。

「去年オープンしたんだ。イシュメルからだとバスで2時間半で行けるよ」

イルカやラッコの写真の載った表紙のパンフレット。

「そうなんだ、楽しみだね!」

「…うん」

バス停にはバスの到着を待つ人が少しずつ増えてきている。


しばらくするとバス停に深緑色バスが入って来る。

シンクローズ行き直通のバスだ。

運転席の見知った顔にジニーはすぐ気付くことが出来た。

「あ、にぃちゃんだ!」

「え!ほんとだ!マイクおにいちゃ~ん」

ジニーとアリシアは手を振る。

バスを運転していたのはジニーの兄のマイク。

マイクもバス停のベンチで待っている2人の姿を見て、小さく敬礼する。

バスは停り、車体の前方と中央のドアが同時に開く。

前方から乗客が降りてくる。

乗客全員が降りたことを確認し、ジニーとアリシアは中央のドアからバスに乗り込む。

ジニーとアリシアは運転席に向かう。

「おつかれにぃちゃん」

「シンクローズまでお願いしま~す!」

「おぅ、わかったわかった。他のお客様も居るからあんまりはしゃぐなよ」

((…はーぃ))

ジニーとアリシアが小声で返事をする。

券売機から乗車券を2枚取り、一番前の席に座る。

料金は"1人1260G"とある。

高速道路を利用して、2時間半でシンクローズまで行けることを考えれば安いと思う。


ファーン!というクラクションを鳴らしバスは出発する。


学校をズル休みして、アニスにも黙ってバスに乗っちゃったけど。次、いつ会えるか分からないアリシアと思い出作りをするのは、今しか出来ないから。

隣に座るアリシアに目をやると、

アリシアは右手薬指のリングをじーっと眺めている。

「どうかした?」

「え!あ…、あの、今日1日は…、外した方が…良いんでしょうか?」

「まぁ…外してくれるなら」

アリシアはリングを左手の人差し指と親指で摘まんで少しねじる。

「…はぁ……」

ため息をつくアリシア。

リングが第2関節を突破、第1関節に差し掛かる。

「ぁ……ぁぅ…」

今にも泣き出しそうなうるうるした瞳…。

「わかったよ!付けてて良いよ!」

「わーい」

アリシアの顔はにはぁと元通り。

すっ…と薬指の付け根までリングを戻す。

「……」

くそ…不覚にも可愛いと思ってしまったぞ…。


アリシアは特殊スキル:ジニーを弄ぶ

を会得した。


バスはイシュメルの街を出て一般道路から高速道路へのJCTに入る。


「ねぇ、ジニー」

「なぁに?」

「学校って…楽しい?」

少し寂しそうな表情で俺の方を見て聞いてくる。

「俺は楽しいよ。勉強だけじゃなくて、サッカーやバスケも出来るし、友達もできるからね」

「そうなんだ。私も…楽しく学校行けるかな…」

「え?アリシアも学校行くことにしたの?」

「うん、まだ決定じゃないけど…」

アリシアは俯いたままもじもじしている。

「イシュメルに戻ってくるってこと?」

「それは、お父さんとお母さんにも話してからだと思う…、お屋敷のお仕事もあるから…」

「そっか…」

俺が"イシュメルに戻ってこい"って言ったら、アリシアは戻って来てくれるのかな…。


バスはトンネルに入り、車内が薄暗くなる。

ジニーは隣に座るアリシアの右手を左手で包むように握る。

「……」

「…ジニー?」

ジニーの方を見たけど、ジニーは顔を背けていて表情が分からなかった。


「俺は…アリシアと…学校行きたい、前みたいに、ずっと一緒が良いんだ…」

歯切れは悪かったかも知れないけど、今、伝えられる精一杯の言葉。

「…私もね…ジニーと一緒に学校に通ったら、毎日楽しいかもって思っているの…」


ジニーも…私と同じ気持ち…だったのかな…。


同じ気持ちであることが嬉しかった。

手の甲に重ねられたジニーの左手を、私は気持ちを確かめるように、握り返した。

バスがトンネルを抜け、車内が明るくなる。

トンネルを抜けると、一面が波のようにそよぐネモフィラの花畑が広がっていた。

外の景色に目を奪われる。

「ふわ~綺麗…、今日はいっぱい楽しもうね!」

にぱぁっと明るいアリシアの笑顔に、心のモヤモヤが晴れていくみたいだった。

アリシアの握り返してくれた手を、俺はぎゅっと握り締めた。

「うん!」


____________


アリシアとジニーを乗せたバスはシンクローズのバスターミナルに到着した。

「ありがとうにぃちゃん!」

「お仕事頑張ってね!」

「おう、サンキューな」

ちょっとした会話をしてバスを降りて料金所でお金を払う。

「バスの料金はアリシアの分も俺が払うから、アリシアはあとでね」

「ぇ…うん、ありがとう」

ショルダーバッグから財布を取り出そうとしたアリシアが手を止めお礼を言った。


バスターミナルからでもはっきり見えた。

三日月型の真新しい建物。

「あれが水族館だね」

ジニーが水族館の方を指差す。

「行ってみよう!」

ワクワクを隠し切れないアリシアがジニーに手を差し出す。

ジニーとアリシアは手を繋ぎ、丘の上の水族館を目指す。

"シンクアクアリウム"と書かれた看板から建物のある坂道まで行列ができ賑わいを見せている。

昨年オープンしたばかりなのだから仕方がない。

「イルカさん見れるかなぁ」

「イルカショーやってるみたいだね。俺はジンベイザメが見たい!ちょーデカイんだって!」

2人でパンフレットを眺めながら、行列に並び徐々に足を進めて行き、水族館入りまでたどり着いた。


入り口を入ると全面180度の巨大な水槽の中で熱帯魚や回遊魚がキラキラと泳ぎまわる。

床にはプロジェクションマッピングが投影され、水族館に足を踏み入れた途端、ガラス細工の中に居るような、別世界に来たような感覚になった。

「すごい…きれい…」

初めてみる神秘的な光景に思わず声がもれるアリシア。

嬉しいそうなアリシアの横顔。

ずっとこの笑顔を、見ていられたら良いのに…。

「イルカ…観に行こうか」

「うん!」

順路を示す矢印に従って、深海魚やペンギンのブースを眺めながら通路を歩く。

「ペンギンさん可愛いね!」

「そうだね」

人工的に作られた岩場をペンギンの群れがぺちぺちと足音を立て近寄ってくる。

人気のブースと言うこともあり、人が多い。

はぐれてしまわないように俺はしっかりアリシアの手を握る。

少し手が汗ばんできたけど、離さないように。


屋内プールとショーステージのドルフィナリウムのブースにやって来た。

「12時からショー始まるみたいだね」

時計の時刻を見ると11時42分になるところだった。イルカショーの開演まではまだ時間がある。

階段状の観客席スペースの一角に、お土産屋と軽食屋が一体になった出店があった。

出店ではポップコーンがポンポンと弾け、作っている最中のようだった。

「キャラメルポップコーン半分こしよ~ジニー」

「うん、いいよ」

アリシアはショルダーバッグから財布を取り出し、出店前のお客さんの列の後ろに並ぶ。

アリシアが注文する番が来て。

「キャラメルポップコーンください」

「ありがとうございます。480Gになります」

アリシアは料金を支払い、出来立てのポップコーンを受け取った。

「ありがとうございます!」


"イルカショー開始10分前となりました―"

と場内アナウンスが流れる。

観客席にお客さんが押し寄せて来る。

「座ろうアリシア」

「うん」

観客席の前3列はもう既にお客さんで埋まっていたので、俺とアリシアは4列目のベンチに座る。

扇状の観客席は10列全ての席が埋まって来て。

ショーの開始のアナウンスが流れる。

「はい、ジニーもポップコーンどうぞ」

ポップコーンの入ったバケツのような容器を差し出される。

「うん、ありが―」

「あ、待って」

とポップコーンを摘まむ指を止められ、アリシアはポップコーンを1粒取る。

「はいジニー、あーん」

「えぇ…、…マジ?」

急な恋人のような対応に思わず顔が引きつった。

「…だめ?」

「……ぃや…、あむっ」

思い切ってポップコーンをパクっと咥える。

…そのちょっとしゅんとした小悪魔みたいな態度やめてくんない?……可愛いんだけどさ……。

「ふふっ、美味しいね」

「…うん」

ピエロさんいつもこんなアリシアと一緒に暮らしているのか?……やっぱムカつくぞ…。


観客席の前3列に透明の防水シートが配られている。イルカのパフォーマンスによる水しぶきでびしょ濡れになるのを防ぐためだそうだ。


イルカショーのステージにインストラクターの女性が立ち、マイクを使い客席に向かい、ショーに参加するイルカの紹介が行われている。

"バンドウイルカのジェシカちゃんとアリエルちゃんです!"

笛による合図のあと、2匹のイルカは水面から大きくジャンプ、名前を呼ばれるとくるっと身体をひねり自己紹介をする。

着水と同時に巻き上がる水しぶきがキラキラと輝き観客席から拍手と歓声が上がる。

最初はイルカが目当てでイルカショーを観るつもりだったアリシアだが、イルカよりイルカに連れ添って華麗に泳ぐインストラクターの女性に魅了されていた。

「すごい…綺麗…」

お客様に喜んでもらうため、楽しんでもらうための振る舞いは、お屋敷での接客と同じ気持ちであることの再確認になった。

サーカス団のパフォーマンスに実際参加したことはないが、これから庭園で客寄せもしてみたいという意欲が湧いた。

「ありがとうジニー、水族館連れて来てくれて。今、とっても幸せな気分だよ」

「そっか…、良かった」

2人で観たこの景色も、ポップコーンの味も、

一生忘れることのない思い出になった。



30分間のイルカショーも終わり、折り返しの順路に沿って館内を巡る。

色を変えながらライトに照らされ、ふわふわ泳ぐクラゲの巨大水槽、深海魚ブースの薄暗い通路を渡り、出口にたどり着く。

「楽しかったねジニー」

「うん、来れて良かったね」

バスターミナルまでの坂道を手を繋ぎ歩く。


時刻は14時20分。

イシュメル行きのバスがバス停に到着して、2人はバスに乗り込む。

するとバスターミナルに1台の車が入って来た。

その車は見覚えのあるワンボックスカーで。

「あれ?キースさんの…車?」

運転席には確かにキースさんの姿があった。

後部座席のスライドドアが開いて降りてきたのはウィルソン1人だけ。

「え!…ウィル?なんでシンクローズに…」

バスのドアは閉まり、出発のクラクションが鳴る。

ウィルソンは慌てた様子で車から降り、市街地の方へ走って行く。

横断歩道を渡ろうとして車に轢かれそうになるウィルソン。

「危ない!」

思わずバスの中で叫んでしまった。

「どうかした?アリシア」

「えっと…」

"今日はアニスの話しないから、アリシアも"ウィル"の話しないで"

朝ジニーに言われた言葉が頭を過る。

「ううん…なんでもない…」

どうしたんだろうウィル…あんなに慌てて…。


不安を残したまま、アリシアとジニーの乗せたバスは、バスターミナルを出てイシュメルへと向かうのであった。


______________


「どうしたのアリシア?さっきから元気ないみたいだけど…」

イシュメルに帰るバスの中、シンクローズを出発した時からアリシアの様子がおかしいことが気になってしょうがないジニーがアリシアに尋ねた。

「…実は、さっきシンクローズのバス停にウィルが居たの…」

「さっき"危ない!"っていきなり叫んだの、ピエロさんにだったの?」

「そう…、車に轢かれそうになってたからびっくりしちゃって…。ウィルは無事でそのまま街の方に走って行っちゃったんだけど…」

「言ってくれればバス降りたのに…」

「だって…、ジニーがウィルの話するなって言うから」

「ぁ、そっか。…ごめん」

もう高速道路に入ったバスを降りることは出来ない。

「ピエロさんが心配?」

「うん…。すごい慌てた様子だったから…」

浮かない表情のアリシアの横顔。

その表情は今まで一緒にいた日々の中では見たことが無い、1人の女性としての別の顔に見えた。

「世界中を旅してたサーカス団のピエロなんだろ?心配すること無いんじゃないか?」

「そぅ…だといいんだけど…」

サーカス団のこともピエロさんのことも、アリシアから聞いた話だけで、詳しいことは分からないけど…。

でもアリシアの不安そうな気持ちを少しでも軽くしてあげるために、俺が言ってあげられること…。

「アリシアは…、本当にピエロさんのことが好きなんだな…」

「うん。ずっと傍に居たいって決めた人だから」

「そっか」

"ウィルの話はしないで"なんて言っちゃったけど、もしその言葉を言わなければ、アリシアの色んな表情が見られたかも知れないのに…。


「俺も…アリシアのことが好きだよ…」


「ぇ…」

不意に言われた言葉に驚き、ジニーの顔を見た。

そのジニーの顔は真剣で、迷いの無い目をしていた。

「幼なじみとしてじゃなく…、1人の女の子として。ずっと一緒居たいと思ってるよ」

「困るよぉ…、急にそんなこと言われても…」

ジニーの真剣な表情にドキッとして視線を反らす。

でも…、ジニーからの告白の言葉に、嫌な気持ちは一切無かった。

「だからアリシア、約束して。ピエロさんと幸せになるって」

そう言ってジニーは左手をアリシアの前に付きだし、小指を立てる。

「ゆびきりげんまん、しよう」

…アリシアがこれからもずっと笑顔を絶さないで居てくれたら…、それだけで良い。

「…うん」

アリシアは右手の小指を立て、ジニーの左手の小指に絡める。


「アリシアはこれからもその笑顔のままでピエロさんと幸せになるって。もし次帰ってきた時、泣きそうな顔してたら、俺はピエロさんをぶん殴りに行く」

「じゃぁ私も!ジニーはこれからもアニスちゃんと仲良く学校に行く。泣かせちゃダメだよ?」

と言ってにこっと笑うアリシア。

昨日のアニスちゃんの様子を見ただけで、ジニーのことが本当に好きなんだなぁ、って伝わって来たから。


「ぇ…、それは…ちょっと…」

アニスちゃんのことになると歯切れが悪くなるジニー。

「あ?そりゃないぜジニー…そこは嘘でも"わかった"って言うところだぞぉ?」

ジト目でアリシアに睨まれた…。

「ぁ…うん…」

「ゆ~びきった!」

「ちょっ!」

ぱっと小指を離して誇らしげな笑みを浮かべる。

「ありがとジニー、元気出たよ」

「…そっか、良かった」


日が傾き始める遠くの空の雲の隙間から、天使の梯子が地上に降り注ぐ帰り道。

お互いの想いを打ち明けた2人の心は清々しく、窓から眺める空もより一層綺麗に見えた。


イシュメルの街にサーカス団が来たあの日と同じ空だった。


•••••••••••••••


「アリシア!街の入り口に"RIZWALD"って書かれた馬車が来たぞ!」

「ほんとに?!見に行こうジニー!」

ジニーが見た馬車を探しに家を飛び出すアリシア。


予告も無しに突然やってくる移動式のサーカス団、"リズワルド楽団"。

世界中を飛び回るサーカス団の噂は新聞や雑誌にも取り上げられていた。


…継ぎ接ぎだらけのお手玉を赤い鼻のピエロさんに返すんだから…


イシュメルに訪れる日を今か今かと待っていたアリシアは港の宿屋前で馬車から荷下ろしをしているサーカス団を見つけた。

新聞に掲載された写真にはピエロ衣装に身を包んだオレンジ髪の青年とピエロより少し背高い赤い髪の青年が背中合わせでパフォーマンスをする姿が写っていた。

「アリシアのいうピエロ、居そう?」

「まだ、分かんない…」

アリシアとジニーは建物の影からサーカス団の様子を見ている。

身体が太めな黒髪のおじちゃん?が2両目の馬車から荷物を下ろす姿をじーっと眺める。

1両目の馬車から赤い髪の女の人が焦げ茶色のトランクを持って降りてくる。

その女の人の後ろに続いて降りてきたオレンジ髪の髪の男性。

「ぁ…あの人だ…」

その男性を見た瞬間、とくん、と胸が熱くなるのを感じた。


 …やっと…会えた……ピエロさん…。


「行こうアリシア」

ジニーは建物の影から出て歩き出す。

「ぁ…待って…」

ジニーの袖を掴んで呼び止めた。

「え?なんで?お手玉返すんだろ?」

いつもの物怖じしないで突き進む、元気なアリシアじゃない。

「ぁ…置いて…きちゃった…お家に…」

お手玉を家に忘れたのもあるけど、足がすくんでサーカス団の人たちに会いに行く勇気が出ない…。

「もう…なんだよ…、じゃぁ帰ろ。

今日来たばかりなんだから、明日も居るだろ?」

その時見たアリシアの緊張したような表情は、今まで見たことの無いもので…。


ピエロさんに会いたがっていたのは、ずっと昔から知っている。

アリシアの喜ぶ顔が見たいのとは裏腹に、ピエロさんにやきもちを妬いた俺は、なんとかアリシアをピエロさんから遠ざけたい気持ちが芽生えた。


「うん…、また明日ね…」

「ん」


アリシアはしょんぼりした様子でジニーの別れ、家に戻る。

お家のキッチンではお母さんが夕食を作っている所だった。

「お母さん!サーカス団が今、この街に来てるよ!」

「あら、そうなの?本当に予告なしに来るのねぇ。赤鼻のピエロさんは居たの?」

「居た…けど…、お話出来なかった…」

しょんぼりとうつ向いて話すアリシアに、シエスタは野菜を切る手を止め、アリシアに目線を合わせる。

「ふふ…、緊張しちゃったの?」

お母さんが優しく微笑む。

「……うん…」

「明日、お母さんのお仕事が終わったら一緒にサーカス団観に行きましょうか」

「うん…行きたい」

あんなに"赤鼻のピエロさん"に会いたがっていたのに、恥ずかしくなっちゃったんだね…、可愛い子。

「ご飯にしましょうか。お父さん2階に居るから呼んできてくれる?」

「うん!」


次の日の夕方、お母さんの出張ヘアカットのお仕事の付き添いが終わり、サーカス団の姿を探しに港に向かった。

けれど、港でパフォーマンスをしていたのは、赤い髪のお兄さんとお姉さんで、ピエロさんの姿は見つけられなかった。


「ピエロさんじゃなかった…」

「今週はこの街で公演をしてくれるって言っていたから、明日はきっとピエロさんに会えるわよ」

「うん!明日も来ようねお母さん!」


_____________


アリシアとジニーを乗せたバスはイシュメルのバス停に到着。

2人は手を繋いでバスを降り、家を目指し飲食店街を歩く。

「ティンカーベルのアップルパイも美味しいけど、私はウィルの作るアップルパイの方が好きだなぁ」

喫茶店"ティンカーベル"の前を通り掛かり、思い出話しをするアリシア。

「好きな人が作るアップルパイだからだろ?それ」

アリシアの惚気話しに若干押され気味になりながらも、しっかりアリシアの話を嫌がらずに聞いているジニー。

路地を曲がると、アニスがジニーの家の玄関の前に座り込んで居る。

「げ…、アニス待ってるじゃん…」

アニスの姿に気付いたジニーは足を止めた。

「どうしたのジニー?」

「ぁ、俺…遠回りして帰ろうか…な」

ジニーの目線の先を見るとアニスちゃんが居た。

…ぁ…デートして来たことバレちゃうからね…。

「いいよ、行こう」

アリシアはジニーの手を強く握り直し、アニスに向かい歩き出す。

「おい…」

ジニーは気まずい表情をして、アリシアに手を引かれるがまま歩き出す。

足音に気が付き、アニスが顔を上げる。

「あぁ!ジニー!今日1日どこ行ってたのぉ!」

アニスが2人に駆け寄る。

「いや…あの…」

「ごめんね、アニスちゃん。今日1日ジニーを借りちゃった!」

アリシアはにこっと笑顔を見せてアニスに話す。

「え?ぁ…うん…アリシアちゃん…」

「ジニーはこれからもアニスちゃんと仲良くしたいんだって!絶対泣かせないって言ってたよ?」

「ほんとにぃ!ジニー」

アニスが目をキラキラさせ食い付いた。

「そんなこと―」

下を向いてもじもじしているジニー。


「こいつ無口で意地っ張りだけど、とっても優しくて約束は守る人だから、アニスちゃんのこと大切してくれるはずだよ!ジニーを宜しくねアニスちゃん!」


「………はい!」

アニスは満面の笑みでアリシアの言葉に返事をした。

それはかつて、カリーナさんにウィルのことをお願いさせた時に言われた言葉。

カリーナさんならこういう言い方をしたのかもしれないね。


ジニーと繋いでいた手をぱっと離す。

「じゃぁね!」

アリシアは笑顔でジニーとアニスに手を振って、自分の家の方に歩いて行く。


「アリシアちゃんって…カッコいいね」

「そう…だな。年上のお姉さんみたいだ…」

家に入って行くアリシアの背中を眺めていたアニスとジニーの心は温かさで満たされていた。


…そのあと、母ちゃんにも学校の先生にも

こっぴどく怒られたんだけどね…。


______________


「ただいまぁ」

「おかえりアリシア、ジニーとのデートは楽しかったかぁ?」

お父さんが出迎えてくれた。

「うん!バスに乗って水族館に行って来たよ!」

「おぉ、新しく出来た水族館かぁ。ジニーも案外考えてるんだな」

「うん!すごく綺麗だったよ!」

娘が笑顔で無事帰って来てくれただけで、お父さんは何よりも嬉しいよ。

「アリシアにプレゼントがあるんだ」

「なになに?」

お父さんはさっきから身体の後ろに手を隠している。

お父さんの差し出した手には小さな紙袋。

その紙袋を見た瞬間、それが何なのかは直ぐに分かった。

「スマートフォン…」

「おお、よく分かったな。これからは気軽に連絡を取れた方が良いと思ってな」

「うん!ありがとうお父さん!」

AIPhone3Gの書かれた長方形の箱の中には黒色のスマートフォンが入っていた。

シエルお姉ちゃんが持っているものと同じ機種、同じ色、それだけで嬉しかった。

「もう通話出来るようになっているから、お屋敷の人たちに電話してみたらどうだ?」

「うん!」

アリシアは2階の自分の部屋に戻り、キャリーバッグから小さな手帳を取り出した。


その手帳にはウィル、シエルお姉ちゃん、リオンさん、お屋敷の電話番号が書かれている。


「シエルお姉ちゃんに掛けようかなぁ」


シエルお姉ちゃんと同じスマートフォンであることが嬉しくて、私はスマートフォンにシエルお姉ちゃんの携帯番号を入力して電話を掛けた。



第4章 終 第5章 へ 続く












































































































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