12月25日(月) ①


──12月25日 AM 4:00。


「ん……」


耳元で喧しく鳴るアラームを手探りで止めてから、薄目でスマホの画面を睨む。4:00。


12月25日の朝4:00……。


「──っ!やべえ……っ!」


ようやく認識した現在時刻に、12月の朝のクソみてえな寒さも、眠気も何もかも吹き飛ばして、がばっと身体を起こす。

ベッドから飛び降りて、寝間着をぽいぽいと脱ぎ捨てながら、ハンガーに掛けておいた服を引っ掴む。母親が昨夜、アイロンを掛けてくれたやつだ。


俺は大急ぎで服を着替えて、ダウンを羽織った。それから、バッグに財布とかスマホとかICカードとかを適当に突っ込んで肩に掛ける。


俺は部屋のドアを静かに開け、しんとした家の中を足音を殺して、洗面所へと歩く。母さんに昨日散々「朝出る時はうるさくしないのよ」と言われてるからな。


そうやって、まるで泥棒みたいに忍び込んだ洗面所で、俺は冷たい水で顔を洗い、ワックスで適当に髪を整えた。ワックスはいつも使わないけど、何か鼻がすっとする感じのちょっと良いやつを、今日は使う。……前に使ったら、瞬が「いい香り」って言ってくれた。


まあ、身支度はこんな感じか。


俺はそろそろと玄関に向かい、まだ薄暗い中でドアの鍵を、慎重にかちゃりと捻った。


「……行ってきます」


小さな声でそう言ってから、家を出る。鍵を締めて、ふと、後ろを振り返ると、マンションの外廊下から見える空には、まだ月が浮かんでいた。そのそばで、小さな星が風で揺れてきらきら光る。まだ夜みたいな空なのに、空気は不思議と朝だった。


──今日は……いい一日になりそうだな。


身が締まるような寒さも、今はなんだか清々しく感じる。自然と軽くなる足取りのまま、俺はマンションの階段を降りて行った。





「おはよう、康太」


「瞬」


待ち合わせ場所のエントランスまで降りてくると、やっぱり先に来ていた瞬が、俺を見つけて駆け寄って来る。

寒さ対策品フル装備のもこもこした服装の瞬が、にこにこで寄って来る姿は、懐っこい犬みたいだ。


俺は瞬に「おはよう」と返しながら、瞬の頬を両手でもちもちした。瞬は「やめてよー」と言いながらも、満更でもない感じでされるがままになっている。そこでふと、何かに気付いたらしい瞬が「康太」と俺を見つめる。


「ん、何だ?」


「もしかして……ワックスつけてるの?」


「え、まあ……ちょっと」


家で「今日はこれを付ける」と決めた時は、「瞬気付くかな」とかちょっと思わなくもなかったが、いざ気付かれると、やたら恥ずかしくなった。だが、そんな俺にも構わず、この鼻が利く瞬犬は、背伸びをして、俺の髪に鼻を近づけて言った。


「……やっぱりそうだ。この前、俺が好きって言ったから、付けてきてくれたの?」


言われれば言われるほど、羞恥がこみ上げてくる。ついに耐えかねた俺は、瞬にこう返した。


「ま、まあ……そうだけど?それが何だって言うんだよ。言われたいだろ、そりゃ。瞬に、好きって。俺だって瞬が好きなんだから……」


「何でちょっと逆ギレしてるのかは分からないけど……ふふ。俺も、好きだよ」


「おう、よかったな……それは」


「今度は他人事なんだね……まあ、いっか」


ころころと肩を揺らして笑う瞬が、俺に手を差し出す。


「行こ、康太」


「ああ」


俺は瞬の手を取った。それから、いつもみたいにぴったり指を絡めて手を繋ぐ。


エントランスを抜けて外に出たところで、瞬が「あ、そうだ」と思い出したように言った。

俺は足を止めて、瞬に訊く。


「何だ?もしかして忘れ物か?」


「ううん……えっと。康太」


瞬は俺を見つめて、こう言った。


「メリークリスマス!」


「ああ……」


「え、何その反応」


瞬が不満げな顔をする。

……いや、確かに今日はそうだったけど。ていうか、今日の「これ」は「それ」だからだけど。


「メリクリって実際言われると、どうしていいか分かんねえな……意味もよく分かんねえし……」


「康太もそのまま返せばいいんだよ。こういうのは……気分なの」


「そうか……」


そう言われたら仕方ない。

俺は頭を掻いてから、瞬を見つめて、言った。


「メリー……クリスマス」


「おお……」


「微妙な反応するなよ」


瞬の頭をぺちりと叩く。

「ごめん」といたずらっぽく笑う瞬に、「早く行こう」と促して、俺達は街に繰り出した。


──そう。今日は、俺と瞬の「クリスマスデート」の日だ。





「すっごい人だね……」


「……まあ、この時間、普通に通勤する人もいるもんな」


最寄り駅から電車を乗り継いで行くこと三十分後。

俺達は、都内の方へと向かう電車の中で、サラリーマンやら、俺達同様どこかへ出かける人達やらに挟まれて、ぎゅうぎゅうになっていた。


普段、学校も徒歩通学な俺達は、そもそも、電車に乗る機会が少ない。だからこそ余計に、この満員電車は堪える……特に、俺よりも華奢な瞬なんか、うっかりしたら潰れちまいそうだ。せっかく遊びに行くってのに、こんなところで苦しい思いはさせたくない。


だから、シートの仕切り版が背に来るように、瞬を立たせて、俺はそこへ覆い被さるように立った。こうすれば、周りの人達から瞬を守れるからな。なんて思っていると。


「……う」


──……瞬?


目の前の瞬が、なんだかもじもじしていることに、俺は気付く。まさか──。

俺は瞬の耳元に顔を寄せて、こう囁いた。


「……トイレ、行きたいのか?」


「……」


「いて」


瞬は俺をじとっと睨んで、脇腹を小突いてきた。

じゃあどうしたんだ……と思っていると、今度は瞬の方が俺の耳元に顔を寄せて、こう囁いた。


「……こんな近くで、康太の顔見てたら、ドキドキするでしょ」


「……っ」


……確かにそうだった。瞬を守ることに必死すぎて、そこまで頭が回らなかった。気付いてしまった途端、頬がかあっと熱くなる。


──こんな至近距離で、見つめ合うような体勢がずっと続くのは、それはそれで恥ずかしい。


俺はちらりと電光掲示板に視線を遣った。目的地までは……あと十駅もある。それまでに、席が空くといいな。


なんて思っていると、運良く次の駅で側の席が空く。俺は「瞬」と半ば無理やり、その席に瞬を押しやって座らせた。

すると、瞬が目をぱちくりさせながら俺に言う。


「こ、康太が座りなよ……」


「いい。俺は大丈夫だから。それより、瞬は座ってねえと、潰れないか心配だから、そうしててくれ」


「でも……」


俺はつり革を掴んでない方の手で、瞬の頭をわしゃわしゃと撫でて言った。


「向こう着いたら、全部瞬に任せっきりになる。だから、それ以外のとこは、せめて……俺に格好つけさせろ」


「……分かった」


瞬は諦めたように笑って頷いた。


朝の電車内は、時間帯のせいもあるのか、こんなに人でいっぱいなのに、電車の駆動音が聞こえるくらい妙に静かだ。

俺達も自然とお喋りは控えめになり、何だか、手持無沙汰な時間が流れる。でも、心はずっと、何だかそわそわしていた。


──今日まで、なんかあっという間だったな……。


そんなことを考えながら、俺はこのひと月くらいのことを思い出す。



──あの【ゲーム】から解放されて、ひと月余りが経った。


あれから、俺達は「せかいちゃん」からも、「オブザーバー」……邪神側からも、特に何の接触もなく、その後の日々を平和に過ごしていた。苦労してクリアまでしたってのに、用が済んだらこれかよと思わなくもないが……別に接触されても困るしな。


まあ、そのあたりは一応、クソ矢曰く。


『せやな……あの方も忙しい方やしな。お前らに飽きたんちゃう?せやから、最後【ゲーム】も適当になったとか。下手したらもう、忘れとるかもな?』


とか。ふざけやがって……だが、俺達の人生には、あの【ゲーム】以外にも乗り越えるべき事が山ほどあるし、実際、このひと月の間にも、大きな事がいくつかあった。


例えば──俺が三度目(校内選考も入れると四度目)の正直で、ついに内定を手に入れたこと。


11月の末頃。俺は「ミノヤ事務器」から、正式に「採用」の連絡を貰ったのだ。

最後まで面倒を見てくれた担任の武川は、俺にそれを告げると「おめでとう」と手を握って喜んでくれた。


母さんにも昼休みにメッセージで連絡したら「やっとか」とかそんな返事が返ってきたが、その日の晩飯はピザと寿司と唐揚げだった。

まあ……喜んでるんだと思う。俺は、父さんの仏壇にもそんな「ごちそう」を供えて報告してやった。


……だけど、誰よりも一番喜んでくれたのは、瞬だった。


俺が進路指導室から帰ってきて、教室で瞬に報告した瞬間、瞬はぼろぼろと泣きだしたのだ。

おかげで、俺の方が「なんだよ、泣くなよ」とか言って、てんやわんやする羽目になった。しまいには、瞬は泣き笑いみたいになりながら「よかったねえ……ほんとに、よかったよお……」と人目も憚らず、俺を抱きしめた。……その時は、瞬の腕の中で、俺もちょっと泣いた。


でも、嬉しいことは、それだけじゃない。


十二月の頭。瞬はとうとう受験本番を迎えた。

前の日の夜に通話したら、瞬はかなり緊張してたみたいだったので、当日の朝、俺は駅までついて行った。……いつか、俺が資格試験を受ける時に、瞬がそうしてくれたみたいに。


『瞬なら大丈夫だ、絶対。上手くいく』


『……うん』


『終わったら、飯行こうな。その……ちょっと話したいこともあるし』


『え?何それ。何の話?』


『すげえ大事な話だ。まあ、帰ってきたら教える。あ、もう電車来るだろ。行って来いよ』


『え?え……ちょっと!受験前に気になること言わないでよ!もうー!』


……とか。そんな、くだらないやり取りの効果があったかどうかは分からないが、つい一週間前、瞬は合格発表を迎えた。

そして──もちろん、合格した。


瞬と額を寄せて見つめたスマホの画面上で、瞬の受験番号を見つけた瞬間、俺達は抱き合って喜んだ。そして、俺は自分の時よりもめちゃくちゃに泣いた。今なら、瞬の気持ちが分かる。人は心の底から嬉しいことがあると、こんなに温かい涙が目の奥からぼろぼろ出てくるのだ。


それからは、冬休み前まで、俺達は大忙しだった。


瞬はすぐに入学のための諸々の手続きをしなくちゃいけなかったし、俺は俺で……アルバイトを始めた。

俺を採用してくれた社長から「営業してもらうから、免許は必ず取ってね」と言われてるからだ。


母さんはそれくらい出すって言ってくれたが、免許を取るには、めちゃくちゃ金がかかる。全額とはいかなくても、自力で出したかった。

それに、金が必要な理由は他にもある……。


俺はふと、瞬が膝の上で抱えるポシェットにぶら下がってる──ピンクのクマのマスコットに視線を遣った。

遠足の時に行った「海」で、俺が瞬に買った奴だ。そして、そいつと対になる茶色いクマも……俺のバッグに今、ぶら下がってる。


──デートで「そこ」に行くなら、お揃いで付けて行こうって、瞬が言ったからだ。


すると、俺の視線に気付いたのか、瞬は、はにかみつつ、俺に言った。


「……楽しみだね」


「……ああ。今日は、気合い入れてきたからな。死ぬほど早起きして、始発で向かってんだ。何が何でも、楽しんで帰ってやる」


「それはちょっと気合い入れすぎな気もするけど……」


瞬が首を傾げつつ「でも」と言った。


「康太が、行こうって言ってくれて、俺、嬉しかったよ」


「……まあ、クリスマスくらい、こういう……そういう感じのところに、行きたいだろ」


俺がそう返すと、瞬は「ふふ」と笑った。


──そう、金が必要だったのはこのためだ。


受験を終えた瞬と飯に行った時に、俺は瞬を「デート」に誘った。たぶん、俺から誘ったのは初めてだ。だから、瞬はすごくびっくりしていた。まあ、びっくりしたのはたぶん、それだけが理由じゃない。


なんてったって、俺が誘ったのはただの「デート」じゃない。「クリスマスデート」だ。しかも、俺が瞬に提案した行先はあの……「夢の国」だ。いや、正式には「夢と魔法の王国」だっけか?まあ、いい。


とにかく、俺は瞬を「クリスマス夢の国デート」に誘ったのだ。

理由は……日頃の感謝とか、付き合うようになってしばらく経って、ちょっとそういう浮かれたところに行ってみたくなったとか、今まで、「デート」を金かかるとか混んでそうとかごねてたのを申し訳なく思ってとか……諸説ある。


でも、一番は「瞬の嬉しそうな顔が見たい」と強く思ったからだ。だから……今回は思い切って、俺から誘った。


とは言え。


「まあ、現地着いたら、案内は瞬に頼りきりになるけどな……」


「大丈夫だよ。任せて?俺、混んでる日でもいっぱい楽しめるように、たくさん調べて計画を練ってきたから」


「おお……それってどんな感じだ?」


「えっと、まず注意するべきは開園時間だね。HPには9:00って書いてあるけど、実際には、8:30に開園するんだよね。それから、荷物検査はこの時間なら、駅側の方が空いてるかもしれないね。あとは、荷物検査を潜ったら、先に入園できる権利がある人達の列のすぐそばの列に並ぶこと。その人達が入園したら、一気に前が空くからその分詰められるんだ。入園したら、すぐにPPを確保しなくちゃね。モバイルオーダーもお昼ご飯の分は、朝のうちに済ませておいた方が、あとで困らなさそう。予算の都合で今日はDPAは取らないから、DPA対象アトラクションは、パレードの裏や夜を狙って並ぶかな。それで、最初は奥のエリアの方に向かうよ。朝は比較的空いてるんだ。でも、開園直後は営業してるアトラクションが限られてるから、注意しなくちゃいけないね。朝のうちに奥のエリアを制覇したら、そこからはどこも混んでくるから、そのタイミングでご飯を食べたり、移動距離が少なくなるようにしながら、動く感じかな。PPがいつ頃、何時台のものが取れるか、予測するのが難しいから、取れた時間からその場で予定を組んでいくしかないのが心配だけど……それでも、過去の傾向でおおよその目処は立ってるから、康太は全部俺に任せてついてきてね?」


「……ああ、その方が良さそうだな」


今の瞬の話は全く意味が分からなかったが、一つ分かるのは、今日の動きは、瞬に全て任せれば間違いないということだ。俺はもう、ひたすらついていくのみだ。それしかない。


そうこうしているうちに、車内アナウンスが目的の駅を告げた。俺と瞬は顔を見合わせて笑う。


ぞろぞろと降りて行く人の波に攫われないように、手を繋いで、俺達は駅へと降り立った。


──こうして、俺達の楽しいクリスマスデートが始まった。

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