11月10日(金)


──康太に……何したの……っ!


──もう用は済んだ……それに……こうなったのは君のせいだろう……いつまでも実行しないから……。


──……っ!


違う。


幕が降りていくように、暗くなっていく視界の隅で、青ざめた顔の瞬が俯く。

感覚がなくなった右腕を投げ出して、床に臥した俺は、ただそれを傍観することしかできない。


できない、のか……本当に?


途切れそうな意識の中で、もがく。その間にも、俺の腕を踏み抜いた「奴」は、今度は瞬に手を伸ばした。


──おい……っ!何してんだ……っ!


そう叫びたくとも、身体が動かない。奴の手が瞬の頭に触れる。顔を上げた瞬も動けないのか、目を見開いたまま、されるがままになっている。マズい……マズい、マズい……!


「さっきも言ったけど、別に殺すつもりはない。ただ……また忘れてもらうだけだよ。ここまでやったんだ。【ノルマ】は必ず実行してよね──」


「……っ!」


──瞬だけは……絶対に……っ!


足先と左手の指先に力を入れる。床を掴んで、俺はよろよろとみっともなく、立ち上がる。


「……っ、ま、待て……っ!」


「……っ」


俺の声に、奴がこっちを振り返る。隙ができた!俺は、床に落ちていたアイスパックを左手で掴んで──奴の顔面に投げつけた。


「っ!」


だが、それは命中しなかった。奴が片手でアイスパックを掴み取る。だけど──そっちは囮だ。

俺は足を掛けて、奴を床に転ばせる。それから、力を振り絞って奴に馬乗りになると、俺は、奴が着ているブレザーの裏を見た──名前を見るためだ。


──『人やないけど、人の形で……『仕事』をしてんねん、あいつらは。いわば、『人』は仮の姿や』


──『ほんで、何かしらのコミュニティの要職に就いとることが多いってのが、特徴やな』


こいつが、あっち側の……そういう存在なら。

人の中に溶け込むために、違和感を嫌うなら、こういうところも凝ってるはずだろ。


例えそれが、偽物の情報だとしても。俺はその偽物と面識があるかもしれねえ。

それは、名前を見れば思い出せる。


こいつは──。


「池田……」


「──っ!」


俺の下で、奴が目を見開く。

そうだ、こいつは……。



『いきなりごめんね。俺、一組の池田。生徒会の会計やってるんだけど』


『こう見えても生徒会入るまでは野球部だったからね』


『組織に入るってそういうことだよ、瀬良。そこにいる以上、関係なくても関係あってしまう──そんなことだらけだ』


『クソ野郎……よく言われるよ』


『君と、その幼馴染が付き合ってるって噂が流れたとして、どんな迷惑があるのかな。だって実際、そう思われても仕方ないくらい、君達は仲が良いだろう?それとも──本当はそうじゃないのかな』



──どうして忘れてたんだ、こんな奴……!


クソ野郎で、何よりも、俺と瞬のくだらない噂を載せる、あのクソサイトを運営してる新聞部の部長だ──経歴もめちゃくちゃで、コミュニティの要職に就いている……「同業他社」の特徴に、ドンピシャのこいつを。それも、クラスまで同じなのに、どうして──。


「思い出したところ悪いけど、また忘れてもらうよ。こっちは、仕事に支障があるんでね……」


「っ!」


奴──池田が俺の頭に手を伸ばしてくる。俺の身体はまた動かなくなった。肉離れと腕のせいじゃない。きっと、こいつの力だ……クソ、せっかく尻尾を掴んだってのに……!


……されるがまま、奴を睨むことしかできない。だが、池田の手が俺の額に触れた時、奴は目を大きく開いた。


「……保護、されてる」


──保護?


わけの分からないことを奴が呟いた。その時。


──ガチャ。


「瀬良くん、これからお母さんが迎えに来るから。今日はそのまま病院行きなさい──」


「……チッ」


パーテーションの向こうから先生の声がすると、池田は舌打ちをした。

まだ動けない俺を押し退けると、池田は立ち上がり、俺に言った。


「……今日のところは退くよ。運がいいね。どうやって取り入ったのか知らないけど……このままでは済まさないよ」


──何言ってやがるんだ……?


だけど、それを問うことは叶わないまま、瞬きの間に奴は消えやがった。


「……っ、く──!?」


瞬間、思い出したように、脚も、腕も痛みだす。金縛りが解けた瞬が、真っ青な顔で俺に駆け寄って来るのが見える。

──それが、意識が途切れる前の最後の記憶だった。





──11月10日 PM 19:30。


「はい、康太。あーんして」


「……ん」


俺の隣に座る瞬が、スプーンで掬ったカレーを俺の口元に運んでくれる。右腕を三角巾で固定した俺は、少しの照れはありつつも……瞬の手からそれを食べた。瞬が「熱くない?」と俺に訊くので、俺は「ちょうどいい」と言って頷いた。瞬がほっとしたような顔で、また次の一口を口に運んでくれる。


俺はふと、周りの景色を眺める。ここは、あまりにも見慣れた立花家のリビング──それも、今日からしばらく俺が過ごすことになる、立花家のリビングだ。


──どうして、こんなことになったのかと言うと。


保健室で、池田と遭遇した後。

俺は母親と病院に行って、先生の言う通り、CTを撮ることになった。その結果。


『ああ……まあ、肉離れの方は大したことないんですけど。右腕が何故か骨折してますねー全治三ヶ月ってとこですかね』


『三ヶ月!?』


これには、俺も母親も声を揃えて驚いた。あのクソ野郎!つまり俺は、今年いっぱい腕が折れたままってことになる。

三角巾で固定して生活することになるそうで、それ自体は三週間くらいで済むらしいが、完治するのは年明けだ。


──クソ……!これの何が協力だ。腕が折れてたら、最悪の場合……【ノルマ】の達成にも支障が出るだろ。


そうなったら、事は単なる骨折では済まない。瞬も俺も命が懸かってるのだ。


だが、俺は──奴の言ったことの意味をすぐに理解した。


『え?じゃあ、康太……しばらくは不便になっちゃいますよね』


『そうね……私も仕事が繁忙期で、あんまり構ってやれないのよ。ご飯も風呂も一人じゃロクにできないし……』


『そうですか……』


病院から帰ってきた俺を心配して、わざわざ家まで様子を見に来てくれた瞬が、三角巾で腕を吊った俺を心配でたまらないという顔で見つめる。ややあってから、瞬はひとつ頷いて、こう言った。


『あの、実春さん……康太のお世話──俺に任せてもらえませんか?』


──そんなわけで。


「はい、康太。最後の一口だよ、あーん」


「……ん」


俺は瞬お手製のカレーを、瞬の手から貰いながら──悔しいことに、奴らにお膳立てされちまった、この素晴らしい状況を噛み締めた。


──今日から、俺は……身の回りの全部の世話を、瞬にしてもらえることになったのだ。

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